ヨルに咲くツキ、零れたホシ 作:もちもち
使用楽曲:コード
ヒッチコック:N00570000
題目『傘』
ヒッチコック
頬を流れる滴が……いや、全身に降り注ぐ水の粒が、いやに温かった。
いっそ、凍えるくらい冷たければ良かったのに。
少女はただ、自身が濡れることを厭わずに、陰鬱な目で空を眺めた。
夕日が綺麗だったから此処に来たのに……。
眼前に広がる空は、ほんの僅かな時間で厚く黒く、雨雲に覆われている。
むしろ、こんな天気で良かったのかな。
寄り掛かったフェンスが軋む。
ペンキも剥がれ。錆びたフェンス。
それは、少女の記憶から長い時間の経過を否が応でも感じさせる。
先輩……。
目を閉じる。
大事な、大切な感情を思い出そうとして……思い出して、少女は表情を歪ませた。
色褪せてしまっている。
思い出になんてしたくなかった。
胸に穴が空いたように痛く、切なくなる気持ちが二年の月日と共にぼやけてしまっていた。
あの日の痛みを。感情が、既に風化してしまっていた。
「ツキノ」
「……先生」
誰もいない筈なのに自身に呼び掛ける声にツキノは目を開けた。
屋上に繋がる階段、屋内から外に出るドアを開けて大人が一人、傘を差して立っている。
濡れるからこっちにおいで。
その呼びかけに少女は首を横に振る。
彼女の手には花一輪。濡れ鼠になった彼女は、もう傘なんて求めていなかった。
軽業師のようにひょいと一足。
自身の身長よりも高いフェンスを軽々と上った彼女は、その縁に腰を降ろした。
見るからに危ない行為だ。
一たびバランスを崩せば、屋上から転落してしまう。
「先生、人生相談があるんです」
危ないからこっちにおいで。
そんな自身を心配する声を無視した。
優しいその声に、大人に縋ることが出来たら……。
だけど、優しさを彼女は求めてない。
救いなんて、もう要らない。
胸にぽっかりと空いた穴を別のナニカで埋めようとしている自身に、嫌気がさしていた。
「この先、どうなら楽ですか?」
そんなの誰も分かりはしないなんて言いますか。
馬鹿みたいな自問自答。自嘲的な笑みを浮かぶ。
なんて……浅ましい。
ずっと、ずっと、それが彼女の抱き続けている思い。
「先生……もう、どうでもいいんです。生きてるだけで……胸が痛いんです」
変わらないって思っていたのに。いつの間にか変わってしまっていた。
記憶に残るあの人が、あの声が、あの仕草が。
……焼き付いた筈の感情が思い出せない。
これ以上、あのヒトを忘れてしまうのなら……。
「ごめんなさい……さようなら」
縁から手を離し、重心を後ろへ倒す。
それだけで、彼女の身体は宙へ解き放たれた。
最後くらい会えると思ってたのに……。
落下する刹那の時間、期待していた走馬灯なんて流れない。
脳裏に過ったのは、全てを押し付けた同期の顔だった。
アビドス高等学校 3年生
部活:アビドス生徒会
十六夜(いざよい)ツキノ
年齢:17歳
誕生日:9月11日
身長:168cm
趣味:楽曲制作、ピアノ演奏
アビドス高等学校所属、アビドス生徒会に席を置いていた生徒。
ある出来事をきっかけに、精神を病んでしまいDU地区の精神病棟で長期入院を続けている。
なんどか一時退院を繰り返していたが、快復が見込まれずにいる。