戦争は終わった。丁度四週間目の差し掛かる一日前にニヒル協会とA社は墨戦争に打ち勝った。
カイザーやマーケットガードを一掃し、フィクサーや旧アリウスの兵たちはこの戦争を共通の経験として一生残る思い出として、彼女らを捕らえ続けることになる。確かに、勝った。英雄が生まれ、階級は上がり、同じ地獄を味わった者たちとなった。いずれ、戦争を経験した者とそうでない者で差が生まれるほどに鮮明な記憶となった。
故に、それを差し向けた大人たちは責任を取らなければならない。カイザーは敗北の責を、調律者は開戦の責を味わう。勝者とて苦しむのが、都市の常識なのだから。
戦争中に建てられていたA社の本社ビル、ブラックマーケットの中心に位置し、その天辺はブラックマーケットの境界線と学園を見渡せるようになっている。Aの形をしている真っ黒なビルであり、その側にニヒル協会の本部が置かれている。
「ミレニアムの技術力と早さには驚きますね」
物々しい機械、それこそ大きな卵が一つ入るような狭い収容室に繋がった無数の管が壁に沿うように張り巡らされている。黒服は感慨深そうにそれを眺めて、調律者へと向き合った。
「嗚呼、そうだな……」
「未だに信じられませんか?」
いやと調律者は笑みを浮かべた。自分にとっては最適な末路だとも思った。だって、今居る自分は……。
「複製……というよりは擬態に近しいナニか、まさか調律者がそもそも生徒でなかったとは思いもよらなかった」
調律者サオリこそが贋作だったのだから。マエストロは愉快そうに木の軋む音を響かせて、調律者に向き合った。払った契約の代償が今になって現れる。
調律者の人体を調べていく内に判明した事実、彼女は99.9%にまで人に擬態した幻想体であるということ。彼女は都市なら人であるが、キヴォトスにおいて彼女は自己証明を行うことは出来ない。彼女を肯定するのは都市の論理だけである故。
「……調律者を真似るだけに飽き足らず、サオリを鏡越しに眺めて彼女の記憶を複製し、青写真を焼き直した。結果、A社は討伐に現れたが、私があまりに人に似かよっていたから……見逃され、研究対象となっただけ…………」
違う。頭は人と化物の違いを明確に理解している。嗚呼、そうか。だから、銃を持っていたのに見逃されたのだな。あれは私の一部に過ぎなかったから。
「そうなります。ですが、これは都合が良い。貴方の語った技術に基づけば、その不満点を解消出来る。さらにそのテストもエデン条約で済ませました」
複製によって、鏡の技術を真似ること。生徒の神秘に更なる自我を被せる研究は大いに成功した。だから、黒服は満足そうにするのだ。
前に言いましたねと黒服は言葉を続ける。
「『神秘』でも『恐怖』ではないその力。その存在。この世界には存在しない絶対的な記号、それも単一ではなく複数で、『根源』.いや『概念』であり、その『特異点』は記号となっていると……そして、それはキヴォトスの敵足り得るとも」
「そうだな。アリウス自治区やエデン条約で私がする如何なる行為に対してゲマトリアは黙殺し、代わりにゲマトリアに敵が生じた場合は手を貸すという契約だ」
契約は履行されなければならないからだ。
「ゲマトリアは貴方を敵だと認定します。ママン、貴方は研究者というよりは権力者な訳です。力を振るい、キヴォトスを滅ぼすことなんて容易かったはずです……にも関わらず、貴方は巣に固執し、都市の再現を試みた。それが貴方の生態であるが故です」
帰巣本能を満たせなくなった親鳥が、自分を安心させるために新たな巣を作り、新たな翼を以てして、その巣を周りから隠そうとしているに過ぎないと。
サオリの笑みが崩れた。今まで抱いてきたさまざまな感情が偽物であり、今まで思ってきた怒りや悲しみ、喜びは模倣でしかなかった。
「……貴方の語ったL社に基づけば、ALEPHでしょう。そんな貴方の名はママンでもなく、調律者でもなく、サオリでもない。貴方は幻想体『ザ • シティ』、限りなく都市に近いナニかがこの世界のサオリを真似て、巣を広げようとキヴォトスに来訪した侵略者です……墨戦争で確信を得たのですよ」
この無数の装置はそんな彼女を抑え込み、有効活用するために作られている収容室だ。やがて、A社の特異点として活用出来るようにA社本社ビルの地下深くに埋め込まれている。
「……ならば、私は死なねばならぬな。好い、都市らしい選択肢だ。私に幸福が訪れないというのは……」
人差し指のあの言葉。あなたに幸福は訪れず、理不尽のみがドアをノックする。その道にある如何なる障害を無視したところで、最後には全て帰ってきて、あなたを完成させる。私から、私へ向けた言葉であったのか。
「ははっ、はははは!!!そうか、そうならば確かに幸福などあり得ようがない!私はマダムと同じ舞台装置なのだから、嗚呼納得が、理解が、私を統べる!この契約も、それを見越してか!ジェナの言葉も私を見越していた!」
美しい声は、それを肯定した。そうよと何度も。私は最初から、私ではなく、私に近しい船に過ぎなかった。
経験は偽りでしかなく、私という生態を覆い隠す為の作られた筋道だったわけだ。
「ならば、私は、私によって、私の為に死のう。そうして、本物に託そう。もはや、ママンは死ぬ定めなのだから。なぁ、サオリよ。おまえは、私によって歪んだ時代を生きることによって、初めて始発点に立てる」
走馬灯のように流れる10年間は最後に何者かによって、あの底の見えない川から掬い上げられた感覚で終わった。
装置たちが起動し、部屋をクリフォト抑制の本流が満たす。重くなった体を収容室まで引きずるように動かし、大きな卵が入る窪みへと優雅に座り込んだ。
「最後に……契約を結ばないか黒服」
「なんでしょう」
「この巣を守ってくれないか」
機械盤を触る黒服は一瞬静止したが、即座に笑い声を上げた。
「クククッ!!どこまでも、その生態に沿っていますね。良いでしょう、ですがこれは契約ではなく、お願いとしておきましょう。何故なら、幻想体が収容されたとしても、ゲマトリアのママンは生き続けるのですから」
「そうか、ならば、契約を履行する……」
「さようなら、先生」
先生を撃った時の銃を握って、こめかみに押し当てて引き金を引く。乾いた音が響いた後に、そこには黒く黄金のハニカム模様がある大きな卵が収容室に収まっていた。
機械たちは唸りを上げて、冷却システムが一気に加熱していく機械たちを冷ます。それらの機械に繋がったコンピュータは都市の情報を奪い取り、別の大きなガラスの筒が並ぶ機械では容器に緑色の液体が満ちていく。
卵を透明なカプセル型の保護膜が覆い尽くし、それぞれ正常値を示す値が制御盤に表示され始める。
それと同時に、A社ビルの天辺から漏れ出る黒い雲がブラックマーケット全体を覆い尽くし、青く澄んだ青空を物理的に見えなくしてしまう。これらの雲は固く施錠されたドアのように如何に強い風が吹こうとも、動くことがない。こうして、新たな巣にとって空とはこの雲を指すようになる。多くの説が出るようになるが、その一つにカイザーが墨を吐いたからだとする者も居る。
この雲の出現と同時にA社は『巣』の成立を宣言した。同時に副理事長の変更という人事異動も告げられた。それは新たな副理事長に梯スバルが選ばれたというもの。
「……はぁ、黒服。どこまで連れていく気なんだ」
錠前サオリは少し疲れたように言葉を漏らす。それはそうで、彼女はつい先日まで一つの前線を抱えて戦い続け、休む暇などどこにもなかったからだ。
それをママンと同盟を組んでいる黒服なんて言う怪しい大人にA社の深部まで連れていかれているのだから、怪しむなという方が無理だ。
「ククッ、時には少し待つことも大事であることを助言しましょう。貴女のこれからは波乱万丈と言っても差し支えないようですから」
黒服はそのまま突き進み、やけに多くの機械が並ぶ部屋へと案内した。
「ようこそ、錠前サオリ元A社副理事長。ここはA社の特異点が存在する最高機密の部屋です。A社の幹部人は知っておられますが、貴女は解任されたため知らないでしょう」
「……確かに、初めて知ったが……それがどうママンと繋がるんだ」
ではこちらへ、黒服が示した場所にはハニカム模様の黒い大きな卵が嵌め込まれている壮大とも言える機械たちの塊だ。
「では、一つ約束していただきましょう。他のA社幹部にはこれから開示する情報を伝えないと」
「……何故」
「約束して頂けなければ、何も話せません」
怪しいが、最近行方の見えぬママンについて知られるならばと同意すると伝えた。
「……その卵がママンです。彼女は今朝収容され、今巣を支えることになるエンケファリンの生産やA社が保持する特異点などの技術を提供する機械機関となっています。空を覆った雲の正体でもあり、そして……貴方自身に限りなく近かった存在とも言えるでしょう」
情報量があまりに多い。エンケファリンってなんだ……それに何故、私と近いと断言しているのか。
「それはですね……」
黒服の口から聞かされた新事実の数々、ママンが私を真似た存在で、それも幻想体という化物であること。そして、この巣はその化物の生態に基づく、正常な反応だということも。だが、それより怒りがわき出た。
「それだとあまりにも報われないではないか!ママンはアリウスを想って、あの地獄から救い上げてくれたのに……今や私たちがママンを食い荒らして、済ました顔で利用しなければならない……そんなことにはいそうですかと言えるわけが無いだろう!」
「……ヴァニタスと全て諦めていたマダムの尖兵から成長しましたね。ですが、ここははいそうですかと済ませなければならない話です」
「何故!」
私が怒鳴ると、黒服は静かに一つのコートを持ってきた。
「貴女にはなってもらわないといけないからです」
「何にだ!」
「調律者サオリ、に」
そのコートはあの卵と同じように黒くハニカム模様で彩られ、あの調律者の服装を再現し尽くしていた。
「っ……それを着るだけで納得出来るとでも!」
「いいえ、着ればわかります。それはギフトですから」
差し出されたコートを恐る恐る触り、羽織った。調律者が持つあの死臭が鼻腔をくすぐり、何故か自分にカチリと定まった気がした。
「我々ではなく、キヴォトスはまだママン……いや、調律者サオリを必要としている。残りはそのコートの記憶を聞くと良いでしょう。ママンとしてこれから生きるならば、必須でしょうから。改めて、ようこそ。ママン、ゲマトリアは貴女を歓迎します」
私はコートから一つの声を拾い上げた。それは……
「おめでとう、これでお前も完成された」
調律者サオリ Lv.30 同期Ⅰ
遂にここまで来れました。あまりにも長かったタイトル回収が出来ました(悪いのは作者定期)。調律者サオリを夢で見て発狂してプロットを考えてから、この設定はあったものです。感想でたまに言いにくそうにしてたのはそれですね。ドネタバレだし、ヒヤヒヤした思いがありますが、それだけ読者が鋭いんだと気を引き締められたのでありがたい限りです。
前回は塹壕線ガチでやり過ぎて、感想を頂けなかったので今回はちゃんと感想乞食したいと思います。感想や評価、ここすきを待ってるぜ!(この作品を書くたびに感想を読み返して力にさせて頂いております)