これは青葉と不思議な廃町での出来事の物語……

※ピクシブでも投稿したものと同じものです

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青葉・記憶の町

 帰省シーズンが訪れ、艦娘達も帰省許可証を得られた艦娘は限られた期限の間の久々の実家への帰省を楽しんでいた。

 そうやって一人、また一人と実家へと帰省し人気の減った呉鎮守府の宿舎の自室で青葉は一人、愛用カメラの撮影データの整理作業をしていた。青葉が所属する第六戦隊の内第二小隊の古鷹と衣笠は申請していた帰省許可が下り二人とも実家へと帰省中だ。加古と青葉の二人からなる第一小隊は帰省許可が下りず、加古はやや不貞腐れていた。

「帰省許可も出ねえ、出動命令も出ねえ、やる事ねえ、つまんねえや、昼寝しよー」

 宿舎の談話室のソファにゴロンと横になった加古に腹を冷やさない様に毛布を掛けて、青葉は自室に籠りカメラのデータの整理作業を行った。

 普段から第六戦隊同士や呉鎮守府、時には回航されてきた他の鎮守府所属の艦娘達を映した写真の数々のデータも大分多くなり、整理作業にはなかなか時間がかかりそうだった。

「こりゃ、整理作業が大変だ」

 PCの画面に大量に表示される写真の数々とその下に書かれた日付、番号を見て青葉は頭を搔いた。

 

 画像を精査し、ファイルへと移し替える作業をしている時にふと帰省シーズンか、と青葉は撮影データの整理を行うPCのマウスを動かす手を止め、何気なく天井を見上げた。静かに動くクーラーの音とPCの作動音だけが響く自室に籠る青葉はふうとため息を吐いた。帰るべき実家がある艦娘達で周囲が形成される中、青葉だけは帰るべき実家が無かった。いや正確には分からないと言うのが正しかった。

 青葉がいつ生まれ、どこで育ったのか具体的な事は分かっていない。気が付いたら16歳になった頃には既に海軍に所属していた。自分の経歴について調べたところ、大勢の犠牲者を出した列車の脱線転覆事故の現場から記憶喪失状態で救出された、と言う程度は掴めたものの家族や親戚についての情報までは掴めなかった。

 事故は凄惨なものだった。崖上から落ちてきた岩に衝突して一両編成の列車は崖下に脱線転覆し鋼鉄製の車両がぐしゃぐしゃに粉砕される大事故となったのだ。生存者がいるとは思えない程の惨状の中から奇跡的に青葉は唯一の生存者として救出されたが、命と引き換えに15年余りの記憶を一切合切失ってしまった。だから青葉はどんな父と母に育てられたのか、自分の艦娘になる前の本当の名前は何なのか、親戚は他にいるのか、どんな幼少期を送って来たのか、全てが忘却の彼方へと消え去ってしまった。一人生還した青葉は医療機関で手当を受けている時に艦娘適正が判明し、身柄を引き取ってくれる申し出てくれた海軍に身を寄せた。

 もし自分の人生を変えたあの事故の後、両親が居れば病院に問い合わせに来るなりと何かした自分を探しに来たはずだ。もし一緒に列車に乗っていて事故で亡くなっていたのであればDNA鑑定で青葉の親であると知らされたはずだ。だがそうはならなかった。事故後に青葉の親族だと申し出て来る人は一人もおらず、一人ぼっちにあった青葉は孤独感に苛まれながら海軍に艦娘として入隊した。 

 

「我が家、家族、かぁ……」

 頬杖をついてマウスを操作しながら再びため息を吐く。今となっては第六戦隊と海軍が我が家と家族みたいなところがあるが、本当の意味での我が家と家族と言う訳では無い。青葉型二番艦であり姉妹艦である衣笠は艦娘として見れば青葉の妹だが、二人とも血のつながった姉妹と言う訳では無い。

 そんな帰るべき実家も家族も分からない青葉に衣笠は帰省がてら自身の実家へ誘ってくれたが何かと理由を付けて青葉は断った。

 衣笠の誘いが嫌だった訳では無い。ただ本能的に自分が帰省シーズンで行くべき所ではない、と言う本能的な何かが青葉を拒ませた。

 コンコン、と自室のドアを叩く音がして青葉はふっと我に返った。

「青葉、いる?」

 鈴谷の声だ。加古と同じく帰省許可が下りなかった艦娘だ。帰省許可が下りなかったことに加古以上に不貞腐れながらも鎮守府の通常業務に務めていた。確か輪番制の呉鎮守府の秘書艦業務は今日は鈴谷が担当している筈だ。

「いますよ」

「入るよー」

 部屋に入って来た鈴谷はPCに向かって作業をしている青葉に提督からの伝言を伝えた。

「提督がね、ちょっと車飛ばして由良分遣隊基地に行ってだって。由良基地から要請が来て一日だけ艦娘を借りたいんだってさ」

「何で青葉が?」

「だって青葉暇してるじゃん」

「そうですか」

 何事もそつなくこなせる器用な性格を見込まれての便利屋扱いか、固有の秘書艦が配属されない小規模な分遣隊基地で一日秘書艦でもやれと言いうのか。恐らくは後者だろうと思いながら青葉は写真の整理作業に戻った。急な出張要請と言う事で切りのいいところで写真の整理作業を切り上げるべくマウスを操作して画像をフォルダーに移していく。作業を続ける青葉の机に上に出張命令書と車の貸出許可書を鈴谷は置いた。

「切りのいい所で切り上げてなるはやで行ってね。車、貸出許可証は鈴谷が書いといたから」

「どうも。あ、青葉の不在中でもいいから一昨日奢った食券のお代、返しといてくださいよ」

「ほーい。じゃね」

 ぱたんと部屋のドアが閉じ、再び一人になった青葉は出張に備えて鈴谷に言われた通り切りのいいところで写真の整理作業を終わらせると、ショルダーバッグをロッカーから出して中に着替えと洗面用具、いつも持ち歩いているカメラ、予備のカメラバッテリー、SDカードなどを入れていく。由良基地での一日と車を使っての由良基地までの往路を考えて三日の出張になると考えて必要な量の物資を詰め込む。カメラ以外の私物を余り持たない性分だし、ファッションへの拘りにも疎いので着替え用品もそれ程嵩張らない。ショルダーバッグ一つで済む荷物量にまとめ終えると去り際に鈴谷が置いて行った由良基地への出張命令書と自動車の貸出許可証、バッグを持って部屋を出た。

 

 

 思えば青葉が自分一人で車を走らせて出張する事になるのは初めてだった。大抵呉鎮守府以外の基地へ派遣される時は一緒に送られる艦娘と共にバンに乗って行く事ばかりだった。自動車免許取ってから長距離のドライブ経験は何度もあるが、艦娘としての仕事で一人で車を走らせるのは本当に初めてだ。カーナビがあるから道には迷う事はあるまい。

 その日の内に呉鎮守府を出た青葉は高速道路に車を入れて和歌山県にある由良基地を目指した。すれ違う車や高速道路から見える景色にはあまり目を向けずにハンドルを握った。

 和歌山県に入り、高速を降りた後一般道を走って由良基地へと向かう。沿岸部の道を走る間に車の窓を開けて外の空気を車内に入れ、時々道路沿いの街並みに視線を向けながら和歌山県の国道を進む。過疎化と深海棲艦の沿岸部への攻撃を恐れて海岸部の町からは人が去りつつあり、車窓から見える街並みは人気が乏しく寂しい風景になっていた。一応車や住民の行き交いは見えるが、内陸の都市部と比べたら大違いだ。

 もう少しで由良基地だと言う時、青葉はカーナビには載っていない沿岸部から更に沿岸部へと分かれる道を見つけた。小規模な道はカーナビには載っていない事などざらだから特段珍しいものを見つけた訳では無いが、妙に分かれた道の先が青葉は気になった。特に青葉の車の前後に他に車はいないので、ブレーキを踏んでゆっくりと減速して進みながら分かれ道の先に視線を向ける。規制線や柵が設けられている訳でもなく、ただ寂れた感じが漂う道路だった。充分な道路整備もしていないのか、アスファルトの至る所から雑草が伸び、道路整備の際にアスファルト自体を敷き直した形跡も大分ない様に見える。道の先は分厚い木々に覆われた森の中へと続いており、どこに繋がっているのかは分からない。一件何の変哲もない寂れた道路にしか見えないが、妙に青葉はその道路の先が気になった。

 時間があったら、行って見ようか、と思いつつブレーキに移していた足をアクセルに戻して踏み込み、車を再加速させて青葉は由良基地までの残りの行程を進んだ。

 

 由良基地につき、駐車場に車を停めて施設内に入り由良基地の司令官の部屋を訪れる。基地司令の部屋への入室を許可された青葉はデスクに座る由良基地の司令官を前に着任報告を行った。

「青葉型重巡青葉、由良基地に着任しました。短い間ですがよろしくお願いします」

「ご苦労。由良基地司令の瑞原大佐だ。短い間だが業務の手伝い宜しく頼む」

 単発の四角い顔の瑞原大佐が答礼する厳つい顔だが、どことなく見覚えのある気がする顔立ち。直に顔を合わせての面識は青葉も瑞原も今回が初めての筈なのになぜか青葉は瑞原司令とはどこかで会った気がした。

「……念の為に確認しておきたいのだが、良いか?」

「はい、なんでしょうか?」

「青葉はここの生まれではないかな? 私が中学生の頃髪の色こそ違うが君とそっくりの少女と遊んだ事があるんだ。どこかで会った事無いかな」

「はあ、実は青葉、海軍に入る前に事故で海軍に入る前の記憶も家族も一切合切無くしてしまってどこの生まれ育ちなのか分からないんです」

「そう、か……すまない人違いだった様だな。失礼した、忘れてくれ」

 そう言って瑞原は謝ってくれたが、青葉は瑞原の言う事はあながち間違っていないと言う気がしてならなかった。

 海軍に入る前の記憶は失われている筈なのだが、何故だろうか、瑞原とはどこかで会って交流もしていた記憶があるような気がしてならないのだ。

「司令官はここの生まれ育ちなのですか」

「ああ、基地に来る途中に廃町へ行く道路があるのを見ただろう? 俺はあそこで生まれ育った。深海棲艦の沿岸部襲撃が頻発して沿岸部の市町村の放棄が決まる直前親父の仕事の都合で内陸部の町へ引っ越したからあの町が放棄されるその日には立ち会えなかったが」

「そう……ですか……」

 

 珍しい話ではない。深海棲艦の沿岸部襲撃による民間への被害発生を恐れ、沖縄を含む南西諸島以外の太平洋側の沿岸部市町村の多くが放棄され住民は内陸部の大都市や山間部の町へ移住を余儀なくされている。日本海側は制海権の確保もあって沿岸部へ住民が戻っているが、北はオホーツク海、南は南シナ海に至る太平洋側の広大な海岸線にあった町の数々は今でも廃墟と化している。一部の廃墟と化した町は深海棲艦の襲撃の恐れもあって規制線が敷かれているが、中にはその恐れも無いと判断された町もあり一部の廃墟マニアの巡礼地として有名にもなっている。

 ふと瑞原の言う「廃町」の事が青葉は気になって来た。何故だろうか、無性に駆り立てる何かが青葉にあの町へ行けと本能的に命じていた。

 今は駄目だ、と青葉は本能的な強迫観念を押し伏せた。私用でならまだしも、ここには仕事で来ているのだ。自分は艦娘と言う身分を持つ軍人だ。出張先での仕事があるのだし、帰りにふらっと寄ると言うのも呉基地への帰宅時間に間に合わなくなるからNOだ。

 仕事に専念しよう、と気持ちを切り替える青葉の表情の変化を見つめていた瑞原は彼女の心情を察した様に口を開いた。

「今回ここに君を呼んだのは分遣隊基地でも秘書艦に配備は必要か、と言う上層部のいわば検証みたいなところがあってな。形だけの秘書艦任務と言う事になるから、実質君のこなす仕事は精々茶を入れるとか、俺のデスクワークの一部を手伝うかくらいなんだ。つまりやる事が殆ど無い様なものだから青葉、気になるなら明日あの廃町へ行ってきてもいいぞ」

「……良いんですか?」

「別に廃町への道には規制線も敷かれてないしな。廃墟マニアが時々立ち入っている事もあるが、荒らされたと言う報告も無い。勿論長年の風雨に晒されても手入れする人間が絶えているからコンディションは悪いからそこだけ注意する所だが」

「……」

「ま、今日は取り敢えず形だけとは言え分遣隊基地での秘書艦の活動経歴と言うモノは残さなにゃならんから、少しばかり手伝って貰いたい仕事がある。それだけは頼まれてくれ」

「了解しました」

 

 第六戦隊の重巡艦娘は俗に「デスクワーク戦隊」と呼称される事がある程後方勤務の割合が多い重巡艦娘であったりもする。第四戦隊の高雄型、第五戦隊の妙高型、第七戦隊の最上型、第八戦隊の利根型と違って、艤装の戦闘能力と拡張性に限界が発生して大規模な艦隊戦に投入される事が最近は少なくなっている。これでも青葉を始め第六戦隊の四人とも深海棲艦との戦争の初期に何度か大規模な艦隊戦を経験してはいるから実戦経験そのものは充分にある。しかし近年深海棲艦の主力重巡洋艦となりつつあるリ級flagship級やネ級、ネ級改相手には第六戦隊の火力では不足気味であり、故に後方勤務に回される事が多くなった。要は太刀打ちするのが難しい上に上位互換になりえる重巡艦娘が揃って来ている日本艦隊では第六戦隊の出番は減ったと言う訳だ。

 前線への投入こそ減ったがその代わりに司令部勤務等の秘書艦としての勤務も増えた事もあり、前線に出て砲弾を撃って深海棲艦と戦うよりも、後方で膨大な書類やPCを相手にするデスクワークに比類が多くなっていた。戦闘もデスクワークもそつなくこなせる青葉にとっては前線に出られない不満は多少残るものの帰る家も無い身として今でも艦娘として起用してくれる海軍には感謝していた。

 

 宛がわれた仮の宿舎の自室に荷物を置いて、再度瑞原の元へ出向いた青葉は頼まれた書類仕事を手早く片し、その手際の良さに瑞原を感嘆させた。

「仕事が早くて何よりだ」

「最近はデスクワークばっかりしていましたからね。これくらいは朝飯前ですよ」

 けろりと答える青葉に瑞原は微笑を返した。分遣隊基地にもやはり秘書艦の配置は必要である、と上層部に具申すべきだろう。秘書艦としてデスクワークを手伝ってくれる艦娘が一人いるだけでこれ程違いが出るとは。

「単純に人手不足だったのもあるかも知れんが、君が来てくれただけでずいぶん助かったよ」

「青葉がたまたまデスクワークが得意な方だったから、と言うのはあると思いますよ。デスクワークが苦手な艦娘もそれなりにいますからね」

「そうなのか?」

「例えば矢矧さんは書類仕事の要領が悪くてデスクワーク勤務成績は振るいません。前線に出すとこれがまた非常に強いんですけどね」

「ふむ……」

「まあ、デスクワークお手伝い艦娘を派遣する、ってなった時に不向きな艦娘を派遣する程人選にしくじる様な上層部では無いと思いますよ」

「だな」

 

 

 その日の業務を全て片した青葉と瑞原は士官食堂で基地の幹部と共に夕食を共にした。女性幹部も何人かいたが基地の高級士官の多くは男性だ。海軍の主戦力が女性だらけの艦娘艦隊になった一方、基地勤務の兵士は水兵から将校に至るまで男性の割合はやはり多い。艦娘母艦と言った洋上での艦娘の行動を支援する艦艇の乗員と言う職場でもやはり男性の割合は一定数存在する。これでも大分艦娘以外の女性進出は進んでいる方である。

 幹部たちと夕食をともにしながら青葉は明日行こうと決めていた廃町の事で頭の中で一杯だった。

 さっき瑞原から言われた「どこかで会った事無いか」と言う言葉が引っかかっていた。実のところ青葉の髪の色は艦娘適正発覚直前にこげ茶だった頭髪が今の色に変わったと言う艦娘固有の現象によるものだったりする。だから正直記憶を失う前の頃、髪の色が変わる以前にもしかしたら瑞原と会っていた可能性も無くはない。

 確かめる術はない。だが、もし瑞原と昔遊んだ事がある仲であり、今回再会したと言う事であれば一体何年ぶりの再会になるのだろうか。

(そう小説や映画で見る様な事が自分自身に起きるモノだろうか)

 鯖の味噌煮を白米と一緒に口に入れながら疑問を投げかける自分に明日、廃町へ行って見れば何か分かるかも知れない、と自分自身に言い聞かせる。カメラも一応持っていくとしよう。廃墟マニアと言う訳では無いが、人がいなくなり寂れた町並みを映した写真は青葉も見たことがあるし、多少なりとも惹かれるものを感じなくもない。廃墟の中には心霊スポットとして恐れられているものもあるが、由良基地の近くに心霊スポットの情報は無いからその線は無いだろう。

 昼間廃町へ伸びる道路を通りかかった際に感じた気持ちの答えにもなる筈だ。

 

 翌日、起床ラッパと共に青葉は起床し、手早く身支度を整えて瑞原の元へ出頭し朝の幹部を揃えての業務を手伝った。

 重要拠点では無い分遣隊基地と言うだけあってか、仕事の要領はテキパキとしておらず、どちらかと言うとのんびりとやる雰囲気を漂わせる年嵩の幹部だらけの中で一人年齢が若い青葉だけ手早く仕事に取り組み、終わらせていた。

 他の幹部のデスクワークも手伝おうかと考えていた青葉に瑞原含めて幹部全員が問題無いと返した。それでいいのかなと逆に困った顔になる青葉に副司令の鈴置中佐も大丈夫だと笑顔で返した。

 余計に困惑する青葉に瑞原が咳払いして呼び止める。

「青葉」

「はい」

 少しばかり改まって青葉に向き直る瑞原に、青葉も向き直ると瑞原は命令口調で彼女に指示を伝えた。

「由良基地司令官として命じる。由良基地の近郊の廃町の状況を偵察し、本日中にその状況を司令官に報告せよ。以上だ」

「了解、偵察任務頂きました」

 

 

 何の事は無い。偵察任務と仰々しい名分を付けてはいるが単に青葉の廃町への好奇心を汲み取った瑞原が観光がてらでも見てこいと言う様なものだ。

 する事は特段無いので青葉は自転車を借りて廃町へとペダルを漕いだ。鎮守府と違って新品の自転車を買う予算もろくに無いのか、漕ぐとキーキーと音が鳴る少々ガタの来ている自転車だった。

 青空の広がる雲一つない晴天の元、道路の端で自転車を漕ぎ、廃町へと続く分かれ道の所まで一時間程かけて辿り着く。

 昨日は何か興味をそそられても通り過ぎたが、今日は興味の向くままに進める。厚い森の中へと消える廃道へとハンドルを切り、ペダルを漕ぐ。緩やかな下り坂になっており、漕がずとも暫くすれば自転車が勝手に走り出した。

 涼しい風が顔に吹き付ける中、青葉は森の中へと吸い込まれていく様な気がしてくる道路を自転車と共に下って行った。長らく整備されていない道路な為もありがたがたと自転車が揺れる事もあった。上手くハンドルを捌いてコントロールする一方、青葉は不思議と道の奥へ奥へと進むにつれて何かに誘われる感覚を強めて行った。

 誘われる、と言うよりはどこか懐かしい記憶がする風景である気もしてくる。

 

「この道を下って……大体一〇〇メートル先から町が見えるんだっけ」

 

 何気なく呟いてから、ここら一帯の地理は詳しく無い筈の自分がまるでよく知っているかの様に呟いている事に気が付いた。

 

「……おかしいなあ、ここに来るのは初めての筈なんだけど……」

 

 口ではそう言いつつも自転車のハンドルを握る自身の手はまるで道の勝手を知っているかの様にブレーキを適度に掛け、ハンドルを切っていた。

 一〇〇メートル程下った先で急に木々が途切れ、森のトンネルから青葉は出た。左手には廃墟となった街並みが広がり傾斜が強くなった坂は廃墟となった町へと続いていた。

 

「おお……」

 

 何故だろうか、無性に懐かしい気分になる街並みに青葉は見とれてしまった。廃墟と化しているとは言っても殆どの建物はほぼそのまま残っている。一戸建て、商店、コンビニ、学校の廃墟が広がる街並みだが、ある時を境に町に流れる時は止まって仕舞ったかの様にも感じられる。

 坂の左手に見える街並みに見とれて注意が散漫になった青葉はそれなりのスピードが出ている状態で自転車の前輪が道路に落ちている大き目の石に気が付かず、そのまま思いっきり乗り上げた。ぐわんと大きく跳ねる自転車に慌ててハンドルを抑えにかかるも今度は石に乗り上げた衝撃で左足がペダルを踏み外した。

 

「う、わ、わ……!」

 

 何とかしがみ付くような姿勢で急カーブを曲がりきれたもの、ガタの来ている自転車だったせいもあってか急カーブを曲がる際に思いっきりかけた急ブレーキに負荷に耐えきれる前輪のブレーキが弾けた。後輪のブレーキとペダルを踏み外した左足で地面を抑えて制動をかけるが坂の傾斜はそこそこ急で長く、青葉の必死の制動に関わらず自転車は加速しながら坂を下って行った。

 キーっという甲高い音を立てて後輪のブレーキが懸命に自転車に制動をかけるが、前輪に続いて程なく後輪のブレーキも擦り切れて機能を失った。ブレーキの機能が失われるまでには大分坂を下り切ってはいたがそれでも道路脇の制限時速標識に書かれている数字以上のスピードのまま青葉の乗る自転車は廃町へと突っ込んで行った。

 何とか両足で地面を抑えてブレーキ代わりにしようと試みるが、スピードが出過ぎて焼け石に水だった。逆にまた道端に転がっていた石に左足がぶつかった際の衝撃で左足のローファーが脱げ飛んで後方へと飛んで行った。

 そして脱げ飛んだローファーに一瞬気を取られた時、廃町へと入る入口に置かれた錆びだらけの置き看板に青葉の乗る自転車は激突した。暴走列車の如く突っ込んだ青葉の身体が自転車から放り出されて道路を転げまわり、乗ってきた自転車は置き看板を吹っ飛ばして路肩の自販機に突っ込んでようやく止まった。

 自転車から投げ出された時、自然と艦娘としての反応が効いて受け身を取った身体は派手に地面に身体を打ち付けはしたものの頭などの重要な所はカバーできたお陰で転倒した際の打撲と擦り傷こそ出来たものの大きな怪我は負わずに済んだ。それでもかなりのスピードが出ていた状態から転んだだけに打ち付けた体の随所がずきずきと痛んだ。艦娘として前線に出て深海棲艦の攻撃を被弾した時と比べたらまだマシとは言え、痛いものは痛い。散々打ち付けたところの痛みに暫く悶絶した後、痛みが引いてからようやく立ち上がれた。

 自転車は少し離れたところに倒れていた自販機に激突した際に前輪が歪んでしまう程の損傷を受けており、帰りは歩きになる事が確定だった。

 

「やれやれ」

 

 取り敢えずひどく擦りむいて血が滲んでいる足の傷口にハンカチで覆うように縛り付けて応急処置をすると、自転車の元へと歩み寄る。籠の中を覗き込み、耐衝撃性のバックに入れていたカメラが無事か確認する。幸いにもカメラは無事だった。これで自転車だけでなくカメラまで壊していたら青葉も相当へこんだかも知れないが、カメラは無事と言う事だけで充分安心しきった青葉はカメラバッグを担ぐと脱げ飛んだローファーを拾いに道を戻った。

 まだ節々がずんと痛むのを堪えながら道路上に転がっているローファーを拾って履き直すと改めて廃町へと足を向けた。

 損傷した自転車を自販機に立てかけ、倒した置き看板を置き直す。何か書いていないかと看板に書かれている文字を見るが、町の名前の部分は酷い錆びで読み取れず、辛うじて「注意・この先深海棲艦の危険あり。立ち入り注意」としか読み取れなかった。

 

「立ち入り禁止じゃなくて、注意、なら立ち入ってもお咎めなし、ですね」

 

 注意でも安易に立ち入っていいとは言わないだろうが、こちらは一応由良基地司令の瑞原の「偵察任務命令」を受けているから、後で行政から文句を言われたら瑞原が何とかしてくれるだろう。

 さて、と改めて廃町の入り口に立つと晴天の空の下に無人の廃墟となった街並みが青葉を出迎えた。

 道路は雑草が至る所から背を伸ばしており、建物も坂の上から見た時と比べると痛みが進んでいるのが伺えた。廃町の中へと歩き出す青葉の左右に廃墟となった家々が並ぶ。

 特に宛ても無く進んでいる様に見えて、青葉は始めて来る筈の街並みでありながら無性に胸の中に懐かしさが込み上げて来ていた。

 何故だろうか、自分はこの街を知っている気がするのだ。派手に自転車で転んで頭を打っておかしくなったとかでは無い。青葉はこの街を知っている、と確信に似た何かを覚えていた。現に青葉の身体は地図も無いのに勝手に何処かへ向けて歩き続けている。

 住宅街を歩いていると、風に乗って子供の遊ぶ声が聞こえて来た。立ち止まって耳を澄ますと声ははっきりと青葉の耳に聞こえて来た。頭を打って幻聴を聞いているのとは全く違う。そもそも転倒時に頭は守れたから幻聴が聞こえて来る筈が無い。

 立ち止まる青葉の周りを駆け抜けていくように子供たちの声が通り過ぎていく。音だけで姿は実際には何も無い筈だが青葉にははっきりと子供たちの姿が見えた。小学生くらいの子供が駆けて行くのを。路地を曲がった先に駆けて行くのを。

 幻覚では無い。確かにこの目で子供たちの姿が見えた。そのうちの一人、少女の姿に誰かに似ていると錯覚を覚えながら青葉は子供たちの姿を追った。路地を曲がった先には公園があった。遊具は錆び付き、手入れも整備もしていない遊具と公園の園庭は荒れ果てていた。

 荒廃した公園を青葉が見つめていると、青葉の後ろから子供たちが追い抜いて公園の中へ駈け込んで行った。一番乗りした少女が遊具の一つにタッチして、一番乗りだと言う様に飛び跳ねながら右手を掲げた。

 

「駆けっこは得意だったなぁ。遊具に触れたら一位だったっけ」

 

 何気なく呟く青葉は公園の中へ入り、ベンチに腰掛けた。子供たちの姿は見えなくなった代わりに、主婦らしき女性が三人公園の端で何か会話しているのが見えた。

 

「そうだ、鎌田さんと鈴置さんと瑞原さんのお母さんはいつもこの公園で井戸端会議してたんだっけ」

 

 どんな事をいつも話していたかな、と一瞬視線をそらし考え込むが思い出せる事は無い。もう一度公園の端に目を向けると三人の女性の姿は消えていた。

 ベンチから立ち上がり、公園から出ると再び町の中の探索を再開した。

 すっかり寂れた廃墟の町だが、青葉には往時の人々が大勢住んでいた頃の風景が見えていた。地方の町の一つに過ぎないが、人通りは意外とある活気のある街だった。

 

「ここをまっすぐ行くとバス停があって、市営バスが通っていたんだっけ」

 

 また意識せずに口から出る言葉通り道を歩く先にバス停が見えて来る。歩道を歩く青葉の隣をバス停を出発したバスが通り過ぎて行く。振り返ってバスを見送ろうとするが、振り返った先にはバスはいなかった。

 視線をバス停に戻すと、高齢男性が息を切らせながらバス停に立っていた。

 

「いっつもバス停でおじいさんが乗り遅れて、結局隣のバス停まで歩いて行ってて結果的にウォーキングなっていい運動だと毎回言ってたなぁ」

 

 息を切らせていた高齢男性が息を整えると諦めた表情で青葉の脇を元気な姿勢で歩いて行く。おじいさん、とふと通り過ぎがてら声をかけようと振り返った時には男性の姿は無かった。

 

「あら、サヤカちゃんじゃないの」

 

 ふと名前を呼ぶ女性の声に青葉は振り返る。バス停の傍にある駄菓子屋の女将の初老の女性が青葉に微笑みながら店頭に立っている。店頭には今はほとんど見なくなった駄菓子屋でしか見ない商品や缶、ペットボトルの飲み物を収めたクーラーボックスが並んでいた。

 

「今日は暑いでしょう、お水飲んで行きなさい」

 

 そう言って女将の女性は店の中へと消えて行った。青葉が瞬きをした直後、沢山の駄菓子や景品が置かれ、店の奥に戻って行った女性の姿は消え去り、シャッターが下ろされた駄菓子屋跡だけがそこにあった。

 

「サヤカちゃん……」

 

 その名前を口にした時、青葉の頭の中で何かが部分的にカチッと音を立てて解除されるのが分かった。

 駄菓子屋跡から再び歩き出した青葉は何かに誘われる様に迷う事無く廃墟の町の中を進んで行った。道の隣の線路の上を一両編成の電車が通り過ぎて行く。足を止めて電車を見送るが電柱を境に電車の姿は消えて行った。

 

「一時間に上下合わせて一本しか無かったなあここの電車」

 

 再び歩き出しながら誰となく呟いた時、ぎょっと振り返って電車が通った線路を見る。あの電車の塗装、一両編成。

 突然、激しい頭痛が青葉を襲った。呻き声を上げてその場にしゃがみこんで頭を抑えて呻く青葉の脳裏でフラッシュバックする様に光景が蘇る。激しい雷雨の中走る電車、地鳴りと共に突如潰され、崖下に突き落とされ、ぐしゃりとひしゃげる車内、声にならない乗客たちの悲鳴、聞こえて来る消防団の消防車のサイレン。息苦しさすら感じた時、唐突にぴたりと頭痛は止み、フラッシュバックも止まった。

 頭痛が治まった後、もう一度線路の先を見るも目の前に広がっているのは雑草と草木の中に辛うじて残る二本のレールともはや機能が停止されて久しい架線だけだった。

 ぴたりとやんだ頭痛に今のはと考えを巡らせようとするが、つい数秒前の事でありながら思い出せなかった。

 

「あれ、何を思い出していたんだっけ……」

 

 首をかしげながら歩き出す青葉の視界の端にシャッターが下ろされた消防団の消防署が見えた。

 看板は外され、消防車を収めていた車庫と詰所の窓にはシャッターが下ろされ、赤色灯には蜘蛛の巣が張り付いていた。

 一遍目を閉じ、数秒してからもう一度目を開いてみる。

 車庫には小さな消防車が収められており、詰所と車庫では消防団員の男性たちが業務に取り組んでいた。車庫の奥には懸垂バーが設けられ、若い消防団員が懸垂で汗を流しているのが見えた。

 そこでふと風が吹き、眼球に吹き込む風で乾いた目を瞬かせた時、消防署は元の廃墟の姿を青葉の目に映していた。

 軽く溜息を吐いた青葉は踵を返してまた廃墟の町中を歩き出した。

 廃町の中の道を歩く青葉の足元で整備が長いことなされていない道の地面の踏む音が鮮明に耳に入る。ローファーが砂を踏めばじゃりじゃりと言う足音が立ち、草木を踏めば静かなサッと言う草木を踏みしめる音が鳴り、アスファルトの地面を踏むとコツコツと言う足音が響いた。

 そうやって三種類の足音を廃墟の町中に響かせながら歩く青葉の目の先に小さな一軒家が見えて来た。町中から少しだけ離れたところにポツンと立つ一軒家。その先には太平洋の大海原が広がり潮風と波の音が聞こえて来た。

 その海辺の一軒家へ青葉は迷う事無く歩いて行った。本能でそこが行くべき先だと告げられている気がした。

 一軒家に続く道をコツコツと足音を鳴らしながら歩き、玄関先の門の前に辿り着く。海辺と言う事もあってか建物の痛みは他の廃町の廃墟よりも強めだったが、傷んだ建物は待っていたかのように青葉が門の前に立つと自然に金属のきしむ音を立てながら門を開けた。まるで門が「おかえりなさい」と言う様に開くと青葉は深呼吸した後、足を踏み出し門の内側、一軒家の敷地へと踏み入れた。

 他の廃墟と違い、人の姿は全く見えない静かな廃墟だった。玄関の引き戸の隣に掲げられた表札を見て青葉はそれを読み上げた。

 

「青葉家……」

 

 表札の名字を読み上げた時、それが全てを解放するキーの様に頭の中でカチッと音を立てて、失われていた筈の記憶の全てを呼び起こした。静かに全てを理解した青葉は引き戸に手をかけた。がらがらと音を立てて引き戸は開き、青葉を玄関へと迎え入れた。

 込み上げて来るあらゆる感情を抑えながら、青葉はただ一言、玄関先ではっきりと大きな声で言った。

 

「ただいま」

 

 一〇年ぶり、いやもっとかも知れない長い、長い時を経て青葉は自身の生家に足を踏み入れた。

 埃っぽいが建物の外見に比べて屋内は綺麗だった。人気が全くない家の中へと青葉はローファーを脱いで片手に持ったまま踏み入れた。

 他の廃墟と違い往時の人々の姿は青葉の視界には映らなかった。しかし家の中の空気は外の空気とはまた違った暖かく、そして穏やかさを湛えていた。

 部屋一つ一つを見て回る青葉の脳裏に懐かしい記憶がよみがえる。亡き父と母がいつもいたリビング、母の祖父と祖母がいつも過ごしていた和室、キッチン、トイレ、洗面所、風呂場、そして……。

 

「ここが、私の部屋」

 

 ふすまをすーっと開けた先に青葉型重巡艦娘青葉、いや16歳の時から時が止まった少女、青葉沙也加の部屋が広がっていた。

 何一つ変わっていない、自分の部屋。高校進学したばかりの自分の部屋。棚を見れば埃をかぶった一眼レフカメラと写真関連の本やアルバムが置かれており、既にこの頃からカメラ女子だったのが分かった。あの日、列車の脱線事故で記憶を失う前に残した自室の全てが手つかずで残っていた。進学したばかりの高校の制服も壁にかけられたまま残っていた。

 本棚に立てかけられているアルバムの一つを引き出し、きしむ音を立てながらそれを開く。在りし日の青葉沙也加だった頃の自分が撮った一家の記念写真。亡き父と母、祖母と祖父、そして高校進学したての自分と愛犬のトッポが収まった写真。

 

「トッポ……そうだ、トッポは……!」

 

 一家が全滅し、記憶を失った自分だけになった青葉家。その青葉家で飼われていた、いや家族の一員でもあった愛犬のビーグル犬のトッポを思い出した青葉はローファーを掴むと庭先へと駆け出した。トッポは家の中で過ごす事もあれば、自分から進んで家の外の庭先の犬小屋に籠る事もあった。家の中にトッポの姿が無いと言う事は、と雨戸を開けて庭先へでた青葉ははっと息をのんだ。

 小さな犬小屋の前に犬の白骨化した骨が横たわっていた。

 

「トッポ……」

 

 変わり果てた愛犬の姿に青葉は力なくその場に膝をついた。犬小屋に止め繋いでいた覚えはない。いやそもそもトッポに首輪をつけること自体散歩の時を除いて一切なかった。家の中ではトッポは自由に動き回れた。

 餌を入れる皿を見ると餌を入れた跡はあった。しかし、トッポが食べた形跡はなかった。共に時間を過ごしていた家族がある日突然失われ、そのショックで誰かが餌を入れに来ても食べなかったのか、それとも共に過ごしていた家族がある日突然亡くなりその後を追う様にトッポ自ら餓死を選んだのか。

 もしかしたらトッポは主の、家族がいなくなった家に残り、青葉家の一員として家を守ろうとしていたのかも知れない。唯一生還した青葉が青葉沙也加としての記憶を失い、代わりの新しい環境に馴染み、ご飯を腹一杯食べていた中、トッポはひたすら家族の帰りを待ち続けていたのだろう。

 

「トッポ、ごめんね……お腹空いてたでしょ……寂しかったでしょ……一人ぼっちで……」

 

 もはや物言わぬ骸と化したトッポの遺骨を撫でる青葉の目頭に熱いものが溢れ出た。一人生き残れながら何もしてやれなかった自分が不甲斐なくなり、青葉は一人静かに愛犬の遺骨の傍らで嗚咽を漏らした。ポタ、ポタ、と言う音を立てて青葉の目からこぼれた雫がトッポの遺骨に降り注良いだ。

 静かに愛犬の遺骨の傍らで涙を流す青葉の耳元で「クゥン」と鳴く声が聞こえた。はっと顔を上げる青葉の目に、何も映らなかった。だがはっきりと青葉の耳には犬の鳴き声が聞こえた。間違えようのないトッポの鳴き声だ。時には一日中遊んだ仲である愛犬であり家族である。その鳴き声を忘れようがある筈が無い。

 

「トッポ、トッポどこにいるの? 沙也加は帰って来たよ、姿を見せて」

 

 またクゥンと鳴く声が聞こえた。鳴き声がしたのはトッポの遺骨が横たわる場所。僕はここだよ、と言う様な鳴き声が遺骨から聞こえた。

 野ざらしになっている遺骨に視線を戻すと、白くぼんやりと光る白い球がトッポの遺骨から浮かび上がった。白い球は青葉の周りをはしゃぐ様にぐるぐると飛び回り、人懐っこそうに青葉の顔に寄って来た。

 

「トッポ」

 

 手を伸ばすとそれに触れる様に白い球は青葉の手に寄って来て触れた。見るからに実体の無い球体でありながら暖かい温もりが青葉の手の先を包み込む。ペロペロと舌で青葉の指先を舐める様にトッポの全てを詰め込んだ白い球は彼女の指先で遊んだ。

 抱きしめたい、と強く願う青葉が両腕を広げると小さな白い球は青葉の胸の中へ飛び込んで来た。そして青葉の胸の上でもう貴女に抱きしめられる身体は無いんだ、とでも言う様に申し訳なさそうな「クゥン」と言う鳴き声が発せられた。

 広げていた両腕をそっと閉じて両手で白い球を包み込み、そっと頬を寄せて青葉は温もりを確かめた。

 

「私こそごめんね。トッポを一人ぼっちにしちゃって……ごめんね。もう何処にも行かないよ」

 

 すると白い球からそれは違うよ、と言う様にまた「クゥン」と今度はやや強めの鳴き声が響く。白い球は静かに青葉から距離を取るとふわっとその白い球体を膨らませて小型のテレビ程のサイズになった。そして一匹の犬が見た光景をその白い空間に投影した。

 それは青い海原を、青葉の生家の傍の海上を艦娘艦隊を先導して進む青葉と第六戦隊の仲間達の姿だった。全てはここから見える限り見て来た、そして新しい我が家を得た青葉の今の居場所はそこにあると告げる様に映される自身と艦娘達の姿に青葉はそっと白い球を撫でた。

 トッポが見た光景が仕舞われると白い球は最後に頼みたいことがあると言う様に自分の骨の周りをぐるぐると回った。

 

「……分かったよ、トッポ」

 

 庭先の端の倉庫に立てかけられている錆びて古ぼけたスコップを持つと青葉は庭に小さな穴を掘り、そこに野晒しになっていたトッポの骨を一本一本埋葬していった。最後に元の場所に土を被せ、庭先にあった石をしっかりと雨風に倒れない様に地面に立てて誰もしてやれなかった愛犬の葬儀を簡潔に終わらせた。

 

「トッポはここに残るの?」

 

 葬儀を終え、なお残る白い球に尋ねた時、寂しそうにトッポは「クゥン」と鳴いた。それだけで全てを察した青葉は両手を広げてトッポの白い魂を包み込む様に抱きしめた。分かっている。もうトッポはこの世に未練はないのだと。最後の一人だった家族にまた会えてそれだけでもう心残りは一切ないのだと。

 

「さようなら、トッポ。夢の中でまた会おうね」

 

 ワン! と言う元気な鳴き声が白い球から発せられ、それを別れの言葉にして白い球は空の彼方へ向けてゆっくりと消え始めた。また涙がこぼれそうになる真っ赤な目で青葉は精一杯の笑顔を浮かべて愛犬に別れを見送った。

 トッポの白い球の最後の雫の様な光が消え去った後、青葉家の庭先では愛犬の最期を看取った青葉の押し殺した泣き声だけが残った。

 

 翌日、青葉は呉鎮守府へ戻った。三日間世話になった瑞原に礼を述べ、由良基地に来た時に乗ってきた車で帰った青葉は、その手荷物に一冊の古ぼけたアルバムを加えていた。

「あのアルバムはどこで拾ったんですかね」

 何も知らない鈴置の問いに瑞原は昨日ボロボロの状態で壊れた自転車を押して帰って来た青葉から聞いた話を鈴置に聞かせた。

「あの廃町は艦娘になる前の高校一年生になったばかりだった青葉の生まれ故郷だった。俺は小さい頃の青葉と公園で遊んだ事があった仲でな。後で知った事だが青葉が入隊したての時の人事ファイルの顔写真を見たら艦娘適正が発覚する前、彼女の髪の色が変わる前の姿の顔写真もちゃんとあったよ。

 青葉が無人のあの町で見た光景は恐らくはいつの日か、また住民に戻ってきて欲しいと願う『町全体』が見せた往時の町の記憶だったのだろう。そして町そのものが持つ意志と記憶に導かれて青葉は長い間帰省していなかった生家に帰る事が出来、結果として死して尚彼女の生家を守り続ける為に現世に残っていた愛犬の魂を成仏させてやった」

「不思議なものです。その様なオカルティズムな話が身近で起きていた等」

「俺も町そのものに意志が宿ると言う結論に自分自身信じられない所はある。だが、廃墟そのものにも『記憶』は残るだろう。無人である今だからこそ、廃墟たちは目に見えぬ形で元住人だった青葉に往時の記憶を見せた。良い所も悪い所もな」

 

≪呉鎮守府第四任務群第六戦隊並びに第一水雷戦隊、抜錨準備!≫

 ドック内に流れるアナウンスと共に第六戦隊の青葉達と、第一水雷戦隊の駆逐艦娘達が揃って出撃ドックの「抜錨」ステップの上に乗った。

 艤装を装着した一同の中で青葉はそっと胸に手を当てて先日胸の中で感じ取った小さな命の温もりを思い出した。

 

「トッポの分も、家族皆の分も青葉は精一杯生きるよ。だから、雲の向こうで青葉を見守っててね……」

 

 忘れはしない。あの町で見たかつての町の記憶を、我が家の庭先でその温もりを感じ取った最後の家族の想いを。大切にその思いを、生きられなかった命の分も自分が生きて行く。

 

≪艦隊、抜錨せよ。第六戦隊一番艦青葉、先導!≫

 

 青葉を先頭に出撃の命令が下る。凛と張った声で青葉は抜錨を命じた。

 

「呉鎮守府第四任務群第六戦隊一番艦青葉、出撃しまーす!」




 元は重巡合同に参加した時に備えて執筆したものでしたが、グダグダしていた内に締め切られてしまったので没供養としてハーメルン、ピクシブでも投稿する事にしました。

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