「いやー、まさか神殿所有の馬車に襲撃を仕掛ける不死者が居るとは…世界って広いですね」
「普段ならばこんな事は無いのですが…客人を乗せた時に限ってこの始末、面目ありません」
「あっ! いやいや、こちらこそ変な事を言って申し訳ないです。
襲撃は無事撃退できた訳ですし、私も気にしてないので! 」
わたわたと手を振りながら弁解するルアナを、エイルディンの紅い瞳が下げた頭の下から密かに射抜く。
(ルージアナ・ブラウンテイル、四肢を欠損した獣人…奴らが手駒にしそうな手合いで、尚且つあのドラゴンの縁者。
この娘が何がしかの理由をつけて吸血鬼から受け取った情報をあのドラゴンに流し、神殿に持ち込ませた可能性を考慮して手元に置いてはみたものの…今の所それらしい様子は一切見えない、推測は外れだな)
静かに思考を進めるエイルディンの袖が不意に控えめに引っ張られ、彼はフッと顔を上げた。
引っ張ったのはこの馬車に乗っている3人目の人物…ボサボサとした黒髪を肩まで伸ばした女性である。
「あの、あんまりずっと頭下げてると酔いますよ? ほら、この馬車なんと言うか…私の知っている馬車よりよっぽど速いですし」
「ああ、お気遣いありがとうございます。
ただ、これでも私も少々鍛えておりますので、この程度で体調を崩したりは致しませんよ」
「あ、そ、そですよね…すみません、差し出がましい事を…」
「いえいえ、お気遣いに関しては本当に有難く思っていますので」
ニコニコと人の良さそうな笑顔を維持したまま手を振るエイルディン。
しかしその内心は当然穏やかでは無い。
今のエイルディンの頭痛の種はもっぱらこの目の前に居る黒髪の女であるからだ。
そう、彼女こそが件の”魔力の無い女”、つまりゲームでの主人公であり、そして世にも珍しい
吸血鬼共に何か大きな動きが見られる、というので遠出中の母に代わってそれを潰しに行った時に、普段通り無辜の民を守るつもりで救出したらこの厄ネタぶりである。
こんな特殊な人間、さぞ呼び出すにも苦労しただろうに、たかが”痕跡”から目を逸らす為の囮にして使い潰す、などという事はどうしてもエイルディンには信じ難く、彼はカールの言葉に誤りが含まれるならここである可能性が最も高いだろう、と思っていた。
そもそもこの女の救出時にエイルディンはかなりの追撃を受けている、それだけでも敵にとっての重要度がかなり高い、というのは明白と言えよう。
だが、それでも万一が捨てきれない。
ここで判断ミスをしてまんまと”痕跡”を奪われた日には、”夜の王”の復活という最悪のシナリオに大きく近づかれてしまう。
そもそもこの女にしても吸血鬼側でないという理由が無い。
無論、異世界人であること自体は状況からしては間違いなく、だとするならば突然連れてこられた事で吸血鬼に悪印象を持っている可能性も大いにある。
しかし、それと同時かそれ以上に何がしかの取引を経て吸血鬼側についている可能性も当然あるのだ。
もしそうだとするならば、神殿側は内通者を必死で防衛して本命の方の防衛を疎かにするという笑い話にもならない出来事を引き起こす羽目になる。
とはいえこれについてはあくまで状況を俯瞰して見た時の意見、エイルディン個人としては今まで垣間見た人となりや行動から見てその線は薄い、と考えていた。
まあ、だからこその悩みであるとも言える訳だが。
さて、馬車の様子に戻るが、エイルディンが考え事を始めてしまったのでこちらも中々まずい状況になっていた。
なにせ初対面の2人で、難しい顔をしながら窓の外を見つめる男と同乗させられているのだ、気まずいなんて物では無い。
車内は当然沈黙が支配権を得ることになったが、そのうちそれに耐えられなくなったのか、黒髪の女がルアナに近寄ってヒソヒソと話し始める。
(どっ…どうしましょう、黙り込んでしまいました…やっぱり私が失言をしたのが良くなかったんでしょうか…)
(いや、今のは別に失言には含まないと思いますけど)
(でっ…でも私の発言の直後から黙ってしまった訳ですし…)
(会話が一段落したから考え事でもしてるんだと思いますよ。
ほら、偉い人ってお悩みも多いですから)
(そう…ですかね? )
(そうですよ)
ニコリ、と笑って相手を元気づけてみせたルアナだったが、内心では1番身近な偉い人である組合長の顔を思い浮かべて、今ちょっと適当な事を言ったな…と後悔していた。
というのも、組合長は悩み事が多くとも表には一切出さずにヘラヘラと適当に職員に絡みに行く場合がほとんどで、どうあっても今ルアナの目の前にいる男のように黙り込んでしまったりすることは無いからである。
つまるところ、ルアナは偉い人が悩みに悩んで人目を気にせず難しい顔をし続けるような所を見たことがなかったのだ。
だからさっき言ったのは完全に一般論、掘り下げられると出せる話題が一切無くて詰んでしまうという事になる。
「ところでその…シミズ・レイさん、でしたっけ?
さっきはビックリしましたよ、こういう荒事なんか無縁そうな雰囲気だったのに、襲撃が来た途端ハキハキと的確に指示を出されてて。
ああいう場面で冷静なの、私は慌てやすい方なのでうらやましいです…何か冷静さを保つ為の秘訣、みたいな物ってあるんですか? 」
そういう訳で、ルアナは話が途切れた瞬間を逃さず話題を全力で逸らす、という手に出た。
だが、彼女からすると結構無難な質問を選んだつもりだったにも関わらず、レイと呼ばれた黒髪の女の表情がピシリ、と固まる。
「あー、それは…そのぅ…なんというか…嗜みというか…その、陰キャの…」
「へ? 」
ルアナの口から漏れた息が困惑、という形を持って送り出され、そしてそれが元からしどろもどろのレイを更に追い詰める。
「ですからその…嗜みを…えっと、具体的に言うと教室にテロリストが入ってくる…ってやつとその類似例を何度もシミュレートし続けてて…だからその…わりと想定済みな感じだったというか…」
「…? テロリストが頻繁に出入りするような場所で生まれ育ったんですか? 」
「いや、そうじゃなくて…あの…えっと…全部妄想の話で…いやホントその…すみません」
「えっ! ? い、いや…こちらこそなんか申し訳ないような…」
会話が途切れ、再び気まずい空気が流れる。
こうしてルアナは異世界の人間との交流とはかくも難しい物である、という事を思い知ったのであった。
…もっとも、第三者から見ればこの場合はどちらかと言えば異世界人というよりも清水玲という人間個人の問題であるような気もするが。
ともかく、この地獄のような状況を打破しようという試みは失敗に終わるのだった。
更に続く事となったこの時間はいつ終わるのかと言えば、これから少々時間を置いた後、奇しくもこの空気の発端となった男の言葉によってついに終わる事となる。
「おっと、そろそろ街が見えてくる頃ですね、お二方とも用意をお願いします」
「わぁ! ほんとですね! ほら、シミズさんも見て下さいよ、見えてきましたよクランバルが! 」
完全に空気に耐えかねていたルアナが全力でその言葉に乗っかり、わざとらしい声を上げながら窓を指さした。
「えっ? あー、アレが…? 」
だが、それに対するレイの反応はどちらかと言えば困惑寄り。
それもそのはず、彼女の目には指さした先が森にしか見えなかったのである。
「あーそういえば、1度来たことのある人以外にはわかりにくいかもしれませんね。
あの辺は木が疎らにしか無いのに、その木1本1本は自然には有り得ないくらい立派で背の高い木でしょう? アレがクランバルなんですよ…もう少し近づくと防壁なんかも見えるんで、もうちょっとわかりやすくなりますけど」
「ああ…確かに言われてみるとちょっと他の部分と様子が違う…かも? 」
「そうでしょう? あんな感じですっごく大きい木が街の中にも外にも生えてるから、この辺の旅人はみんな建造物よりも木を目印にしてクランバルを見つけるんですよ」
「ご説明ありがとうございます…ああ、それから付け加えて言うならあの木々は聖域の要でしてね、きちんと意味があって生えている物なんですよ」
ルアナの説明を今度はエイルディンが引き継ぎ、話し出す。
「聖域…って言うとアレですか? あのこの間話してもらった、町に張られている不死者とかの侵入を防ぐっていう…」
「ええ、正しくそれです。
短時間で簡易的な物ならば何も無くとも良いのですが、街を覆うほどの規模を5年や10年では済まない間張るのであれば、作りたい聖域の形状…その頂点となる部分に要となる物を置かねば基本は成立しないのでああなっているんですよ」
「へー、聖域って短時間なら要が無くても大丈夫なんですね…私むしろそっちの方を知りませんでしたよ。
ほら、うちの町の外周の聖火が消えたのって見たことないですし」
感心したように頷くルアナを他所に、レイがそろそろと手を挙げる。
「あ、あの…えっと、素人が口出しするのは失礼だと思うんですけど、図形の頂点に置く、という話ならあんなに沢山木を植える必要は無いと思うんです…しかもあの木々を頂点だとしたら、線で結んだ時に凄くおかしな図形が出来上がってしまいます。
もしかして、別の意義があったりするんじゃないですか?
木の本数が多いほど負担が軽減できる、とか要の木を特定しにくくする、とか…」
「もっともな疑問ですね、貴女が言う通りアレらの木々はすべて聖域の要になっている訳ではありません、しかしながら別の機能を持っている訳でもありません。
もっと単純な事情です…ほら、そろそろ見えて来ますかね」
突然、窓から差し込む光がその明度を増した。
光を遮っていた木々がその本数をぐんと減らした為だ。
では、道の脇に数える気にもならない程生えていた木々の代替に何があるのかと言えば、それは農地であった。
レイやルアナには、そこでどんな作物が育てられているのか、なんて事はよくわからなかったが、柵で囲われ、規則正しく畝が作られたその農地は素人目にもよく整備されているように見える。
その風景の中には『要』の役割を担っていると言われていた巨木も点々とあり、その枝葉が日光を遮っている部分は避けるように、さりとて過剰な程農地を削らないように上手く取り込んで農地ができあがっていた。
そして、それらを生み出した張本人であろう耕作人達もまた、そうした光景を作り出す1つの要素として映り込んでいたが、こちらは農地の立派さとは裏腹に、ボロボロの衣服を着ていたり、痩せていたりしており、総じてみすぼらしい姿をしていた。
よく見れば背だけは高いのに痩せている、といった様子の人々が何人も見受けられ、これが更に彼らの悲壮感を煽るのである。
それらを口をつぐんで静かに眺めていたレイが、突然、ぽつりと呟いた。
「…ここの人達、もしかして難民だったりします? 」
「よくわかりましたね、その通りです」
少し驚いた様子のエイルディンを意識しているのかしていないのか、窓の外を静かに眺めたまま、レイは根拠を話し始める。
「痩せた体型にボロボロの衣服、良い暮らしをしていないのは一目瞭然ですが、単なる貧民にしては農地の整備の仕方に計画性…つまり教育の痕跡を感じます。
それだけならばまだ経験則による技術の発展の可能性がありますが、働いている人々は痩せてはいても背が高く、栄養失調による成長への影響が見受けられません。
なので元々はしっかりとした環境で育ってきた人々が、今は仕方がなくここで貧しい暮らしをしているのではないか、と」
「ほへぇ…この一瞬で色々考えてるんですねぇ。
あんな風に指揮ができるのも納得ですよ」
「同感ですね。
…ところでそこまで推測が可能だったなら、もしかすると私が説明しようとしていた今は機能していない神木が多くある理由もわかるのでは? 」
レイはゆっくりと窓から目を離し、エイルディンを見てこくり、と頷いた。
「ええ…ちょうど今の貴方の言葉で確信に変わった所です。
あの木々…現在は要として機能していない木々は、人口の増加に伴って住居や農地の範囲が増加した為に”聖域”を張り直さざるをえなくなり、結果として役割を果たせなくなった神木ですね。
それが多くあるのはこの都市に多くの難民が押し寄せて来ている為、”聖域”の更新が度重なったからでしょう。
…それからこれはまだ推測の域ですが、難民が何故この都市にばかりやって来るか、という点については『やって来た難民の為に聖域を張り直してくれるような都市がここしか無いから』ではないですか?
元いた都市ではどうやら聖火を要にしているようですが、燭台のような火を灯せる設備が多く設けられていたような記憶はないですからね」
語り終えたレイは唐突に我に返り、あっけにとられている2人の顔を見てピシリと表情を凍りつかせる。
レイの頬を冷や汗が1滴流れ、そして落ちた。
「すみません! すみません! 話し過ぎましたよね! こっちの常識も全然知らない分際でこんな長々と素人の憶測を!
大体なんでしょうね背が高いって! こっちなら種族の違いとかで背が高いとか全然ありうるのになんでそんな事判断基準にしちゃったんでしょうかね! それに…」
「まぁまぁ、そんなに自虐しないで下さいよ」
ワタワタと手を振って言葉を並べ立てるレイを、エイルディンが手と言葉で制する。
「あっ…すいません、うるさくして…」
「いや、そういう意味ではなく、単に私の言動が誤解されているようなのでそれを解こうかと思っただけですよ。
まず、私が黙っていたのはこれから説明しようと考えていた事をほぼ答えられてしまったから、というだけの話です…驚いていた、と言い換えても良いでしょうね。
…という訳で現状貴女に後ろ向きな感情は持ち合わせておりませんし、むしろ高く評価しているくらいなので自信を持ってください」
「えっ? はい、ありがとう…ございます? 」
「それで、先程の問いの答え合わせですが…まぁさっきも言った通り概ね正解です。
彼らは大抵、最近急増している不死者の被害に遭って故郷の村を追われた人々…言ってしまえば我々神殿の人間の不甲斐無さ故に発生してしまった問題の被害者達、という事になりますね。
ですから彼らは二度と不死者の顔を拝まなくとも良いように、できる限り強力な神官…聖石達の庇護下に入ろうとするのですが、聖域の維持にも力が要るので来れば来るだけ聖域を広げる、などという方法を基本取ることはありません。
そんな中ここの聖石、翠玉だけはどうにも彼らを見捨てられずに聖域を広げ続け、その噂が人伝に広まって更に難民が集まってくるのですよ」
「今のクランバルってそんな状態だったんですか!? じゃあ翠玉様の力はもう…」
驚くルアナにエイルディンが頷く。
「はい、今の彼女は聖石内で最弱…と言っても良いでしょうね。
もっともそれでも聖石から退く、という話が出ないくらいの強さは保っていますが」
「悪循環…ですね、エメラルド…という方の力もそうですが、この分だと物資や職も足りていないのでしょう? 」
「それも正解です、なのでここ数年のクランバルは以前よりも荒れています…あ、そうだ」
今まで沈んだ面持ちだったエイルディンが、急に気味が悪いくらいの笑みを浮かべる。
「お二人とも、到着後に散策をなさる時は是非私に声を掛けて下さいね、どうなるかわからないので」
「笑いながら言う事ですかねぇ!? それ! 」
「冗談ですよ、防壁内は言う程荒れても居ませんから」
「あっ、あの…言う程という事は多少は荒れてるって事になりませんか…? 」
「ハッハッハ、さ、そろそろ到着ですのでここからは速度を落とします。
それに伴って浮遊走行から四輪走行に戻りますから、特に会話の際などは揺れにご注意下さい」
「えっ!? ちょっ! はぐらかさないで貰えますーっ!? 」
笑うエイルディン、叫ぶルアナ、そして静かに都市内の様子の想定を始めるレイ。
胃が痛くなる程の静寂は何処へやら、急激に騒がしくなった一行を抱えながらも馬車は行く。
この酷い騒ぎがクランバルの門番に発見され、非常に微妙な顔をされるまで、あと5分。
『馬車』
馬型の生物或いは物体が車を牽引する形式の乗り物。
我々の世界にあるような普通の馬が何の特別な機能も無い普通の車を牽引するような物もあれば、馬型に組み上げた魔道具が浮遊する車両を牽引する、新幹線と遜色ない速度が出るとんでもない代物もある。
高速の物には事故防止の為に緊急停止装置を積む事を義務付けられているが、そういった事情も相まって高速の物は燃費が酷く悪く、御者の魔力を相当食い潰す羽目になる為滅多に使われる事は無い。
また、ここまでの技術があって未だに馬車という形式を脱せて居ないのは、既存の形式のまま強化を行うだけで未だに伸び代が存在する為である。
もしこの世界に自動車や鉄道が発生する時が来るならば、それはこの形式で出せる速度が頭打ちになるか、常識に囚われない天才が産まれた時、という事になる。