それはまったく異様な部屋であった。
どんな部屋であるか、と言えば”木造”である、としか言いようが無いだろう。
だが、当然単に木で”作られている”訳では無い。
実際の所、その部屋は木で”形作られた”部屋だったのである。
タンスやベッドなんかの大型家具は部屋の床からそのまま”生えて”いたし、窓枠に絡みついて部屋にささやかな華やかさを添えている装飾も、よく見れば単に本物のツタ植物が花を咲かせているだけであり、そもそもこの部屋自体も大木のうろに近い形で形成されているのだ。
そんな異様な部屋の中で、木の葉のカーテンの隙間から漏れる陽光に照らされて、緑髪の女が1人静かに佇んでいた。
「いらっしゃい、エド…お茶でも飲みにいらしたのですか? 」
不意に女が声を発した。
傍から見れば意味の無い独り言にしか見えないソレは…
「流石に悟られずに入って驚かす、という訳には行きませんか…お久しぶりです、
…しかし、この場においては大いに意味を持つ。
女…翠玉の視界外である事をいい事に、ゆっくりと音もなく開き始めていたドアの後ろから、苦笑いを浮かべたエイルディンが姿を現したからである。
「貴方のそういう所、一体どこから来たのでしょうか…親譲りでない事だけは確かですけど」
「そうですねぇ…自分でもわかりませんが、敢えて言うなら
「…なるほど、納得のいく解答ですね。
まぁとにかくお座り下さい、気心知れているとは言え来客をいつまでも立たせておくのも私の気が休まりませんから」
翠玉の胸についたブローチが一瞬輝き、燐光が舞う。
パキ、という乾いた音。
それを皮切りに音を立てながら床の一部が成長していき、1脚の椅子へと姿を変えた。
「相変わらず便利な神器ですね、私のは壊すの一辺倒なのでたまに羨ましくなりますよ」
「ソレが、貴方の望んだ形でしょう? それに万一気に食わないなら作り直しても良いのですよ、貴方にはそれができるのですから」
「いつもの如く言ってみただけですよ、私には今のが1番合ってます」
エイルディンが肩を竦めつつ椅子に腰掛けると、数本の蔦がスルスルと伸びてきて目の前のテーブルにティーカップを置き、ポットから紅茶を注いでみせる。
「それで、本当にお茶を飲みに来た訳では無いでしょう?
いえ、無論私はそれでも歓迎しますけど」
「私もそうでありたかった所ですが、残念ながら今回も厄介事…それもかなりの、と言っていい事案がありましてね、本日はその件についての
「警告? 随分と物騒な言葉を使うのですね…」
眉をひそめる翠玉に頷いてみせながら、エイルディンは紅茶を1口啜った。
「ええ、今回の件で最も大きな危険に晒されているのは私の聞く限りでは貴女ですから。
…単刀直入に言います、
「予知能力者…その話、貴方は信じたのですか? 」
「予知が本物とは思いません、話を全て信じようとも思いません。
しかし”1つの情報源として活用する価値はある”と感じました」
「そうですか…」
翠玉の静かな瞳が真っ直ぐエイルディンを射抜く。
「では信じましょう、貴方がそう思うのならば」
「…そう言うのでは無いかとは思っていましたが、即答ですか」
「ええ、信じていますから」
普通の人間ならば言わないような事をこともなげに言ってみせる翠玉。
エイルディンは頭に手をあて、ため息をつく。
「…私もそれくらいサッパリ割り切れれば良いんですが」
「仮にもあの人の息子がそれを言いますか、私もあの人に比べれば迷ってばかりですよ? 」
「私を母と一緒にしないで頂きたい、いくら身内でもあの思考についていけるような人間が2人も居たらおかしいでしょう」
うへぇ、というような顔をするエイルディンを静かに笑いながら翠玉が窘める。
「そんな言い方は良くないです、あの人もちゃんと悩み、考えてああいう風に行動しているんですからね」
「…いや、ちゃんと人間味があるのは当然知ってますよ、息子ですし。
怖いのはそれを一瞬で割り切って行動に転じる所の方です」
「ああ…まあその…それは…えっと、本題に移りましょうか」
苦笑と共に翠玉が話題を元に戻す、という体で逸らした。
「…そうですね、正直もう時間も無いことですしさっさと情報共有を済ませて対応策を練りましょうか」
そしてエイルディンもまた同じく苦笑を浮かべつつ、その話に乗る。
「ではまずはその”予言”についてもう少し詳しく話させていただきます。
今回の攻撃目標は────」
─────────────────────
「…えっとその、そろそろ休憩を取りましょうか、私も疲れましたし」
「いえ…その…だいっ…大丈夫です…まだいけます…! 」
同時刻、下町ではヘロヘロになったレイに2人が心配そうに声を掛けていた。
「いや、今別にそんなに無理する場面じゃないですから。
特に急いでどこかに行くって感じでも無いのでゆっくり休みながら行きましょうよ…私も疲れてますし、ね? 」
「差し出がましい事を申しますが、私もここで休息を取っておいた方が良いように思います、顔色が悪くなっておられますから」
ポールが手を引いてレイを近くのベンチへと誘導して座らせる。
「くぅ…情けない…まさか…こんなに体力が…無いだなんて…いや、情けないのは…いつもですけど…」
「あはは…まあポールさんは言わずもがなですし、私も事務員とはいえ一応
「すみません…励まさせるようなこと言ってすみません…」
「そんな事気にしてないんで大丈夫ですよぉ! 」
ルアナは内心の焦りを示すように勢いよく首を振って否定の意を示した。
野心まみれで乱暴者の魔獣狩りばかりを相手にしていた彼女にとって、何を言ってもどんどん落ち込んでいく相手というのはここ数日で初めて触れる存在だったのである。
2人の間には気まずい空気が広がっていたが、あまりの惨状を見かねたポールが助け舟を出してくれた為、この悲劇は馬車の中にいた時よりはすぐに済んだ。
「まあとにかく今は休むと決めたのですから休んでいてください、今私が飲み物を…買いに行くと護衛が居なくなってしまいますね、少々お待ちを」
キョロキョロと辺りを見回して、ポールは1人の人の良さそうな男に声をかける。
「そこの黄色い服を着た御仁、すまないが少し頼まれてくれないか? 」
「ん? 俺か…? 」
声をかけられて呑気そうな声を上げて振り向いた男だったが、ポールの姿をチラリと見た瞬間、その顔が歪み、声も硬質な物へと変わる。
「ンだよ神官か…なんか用か? 」
「む…いや、この方に何か飲み物を差し上げようと思ったのだが、私はそういう類の物を持ち合わせていなくてな。
仕方が無いから買いに行こうと思ったものの私は護衛を任されている身、みだりに身辺から離れるべきでは無いので通りすがりの者…つまり貴方に頼もうと考えついた訳だ。
どうだろう、引き受けて下さるか? 」
「嫌だね」
言葉を尽くして事情を説明したポールの頼みを、男はしかし瞬時に断った。
「この街の誰がアンタらに協力するってんだ、ただの使い走りでもゴメンだね」
「なっ…! 」
「なーに驚いてんだよ、お前らが引き入れてくれた余所者共のお陰で毎日どんだけ迷惑してるか知らねぇのか?
道路は止まる、店の商品は盗まれる、スリだって捕まった分だけで数年前の倍だぜ? …街は無駄にピリつくし、元からいたガラの悪い連中も隠れ蓑があるからって余計に元気がありあまってやがるし、これでどうお前らを支持しろってんだよ。
え? 何とか言ってみろよ神官のあんちゃんよォ! 」
「む…だが貴方も翠玉様の聖域の恩恵は受けているはずだ、己が享受するそれを故郷を焼け出された他人には受けるな、というのはあまりに勝手では無いのか?
彼らとて我々の同胞たる人間だ、聖域を追われ不死者共の餌食になってしまうのは忍びないではないか」
あまりの勢いにたじろぎなぐが、ポールもまた反論に転ずる。
「へっ! あんな奴らどうなったって知ったこっちゃねぇよ。
大体人を殺すのは不死者だけじゃないんだぜ? アンタら聖職者にとっちゃ大違いかも知れねぇが、俺らからすりゃ家族が不死者に殺されて屍人になっちまうのも、路地裏で余所者共に腹ァかっさばかれて死体になっちまうのも変わりゃしないんだ」
だが、相手はもう普段の怒りをぶつけられる相手に
罵倒は次々に湧き出し、本来ならば言いも考えもしない事にも及ぶ。
そして遂に男は…
「…あんな
ポールの最大の地雷を踏んだ。
「…貴様、言うに事欠いて考え無しだと? 」
「お、おう…それがなんだってんだよ! 」
今まで何を言われても困ったように返すだけだった相手の怒気に、一瞬男がたじろぐ。
「貴様が、言うのか…? 貴様のような選ぶ事も知らず不平を叫ぶだけの人間が? 聖域の外も中も同じとまで抜かす人間が? 」
西から差していた茜色の陽光がぐにゃりと歪む。
歪んだ陽光はポールの体を取り巻き、守るように
「ならば望み通り貴様をこの聖域から叩き出してくれる…! 」
お互いに歯止めが効かなくなったまま、ゆっくりと間合いが詰められていく。
最早衝突は避けられない…と、それはまさにその瞬間だった。
「ストップ! ストーップぅああ!? 」
2人の間に1人の人影が飛び込んできた。
…そう、比喩では無い、このままいくと顔面から石畳に突撃する角度で割って入った人物がいたのだ。
「テイルさん!? 」
「ぐえっ! 」
咄嗟に広げられたポールの腕によって惨事が未然に防がれる…ものの、腕は腹の柔らかい所にしっかりめり込んだので、ルアナが呻く。
「おいおい嬢ちゃん大丈夫かよ…」
「上手く受け止められず申し訳ありません、突然の事でしたので…」
「あ、あはは…お気になさらず…転ぶよりはマシですし、はい…」
2人の視線を浴びながら、ルアナは自分を支える腕をチラッと見て、纏っていた光が霧散しているのを確認してから立ち上がった。
「いやぁ…お恥ずかしい所をお見せしました…」
頭を掻きながら苦笑し、今度は男の方の表情を伺う。
突然出てきて何故かすっ転んだ女への呆れ半分心配半分、といった雰囲気の顔。
これなら大丈夫だ、と踏んだルアナが口を開く。
「…えーっと、喧嘩、続けます? 」
「いや、なんつーか…もっかい怒んのもしんどいわ」
「私はまだ許せそうにないが…口喧嘩が発端にしては少々大人気なかった気もするな」
「そうでしょう? 」
うんうん、と頷くルアナ。
「あなたは言い過ぎで、ポールさんはやりすぎです。
ですからここはもうお互いに謝罪して手打ちに…」
男の方に振り返ったルアナの思考と微笑みが凍りつく。
だが、それは男の怒りが再燃していたからでは無く、逆にポールが手を出していたからでもない。
ルアナの思考を完全に停止させたのは…
「よっ! お嬢ちゃん大丈夫か? 」
今しがたまでそこに立っていた男が路面にめり込んで完全に伸びている姿であり、そしてその下手人であろう茶色いローブを着た