高嶺の花なご令嬢は自ら俺に摘まれに来ます   作:桂太郎(テムヒ)

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彼女は外堀から埋めていくタイプ

 

 

 

 やっとこさ、家についた。

 

 重い身体を引きずるようにして、自室に向かう。

 

「っうはあぁー、疲れた―――!!」

 

 ベッドに大の字になって倒れる。その衝撃で、額から汗が首筋に流れ落ちた。

 

「貴弘さんったら、だらしないですよ」

 

「その原因が何を言うか」

 

 撫子は俺の言葉を無視してベッドに腰かけ、ハンカチで汗を優しく拭き取る。それから、どこからともなく扇子を取り出し、俺の顔を扇いでくれた。仄かに白檀の薫りが鼻を通り抜ける。

 

「涼しくて、ありがたいけどさ。何で俺の家まで付いてきてんの? お前の家、隣じゃん」

 

「今は、そうですね。……ですが、遠からず私の家にもなるので問題ありません」

 

「なんだよそれ」

 

「分からずとも、良いです。分からせて差し上げますので」

 

 ぐっと、顔を寄せられた。

 

 烏の濡れ羽色の長髪が垂れ、俺の頬を撫でる。落ち着いた切れ長の瞳。整った鼻筋。ほんのりと桃色に染まった頬は、暑さのせいだろうか。瑞々しい唇は微笑みすら湛え、ただ沈黙を守っていた。

 

 撫子の細い手が頬に添えられる。ひんやりとした感触が伝わった。その冷たさに驚く。文句を言おうとして、撫子の顔を見やって、思わず目を見開く。

 

 砂漠に一人取り残された旅人のような表情。乾きに苦しみ、水を渇望している雰囲気。貞淑な淑女らしからぬ浅ましい程飢えた眼差しが俺を犯していた。

 

 どくん、と心臓が大きく脈打つ。

 

「ねぇ、貴弘さん。私は、もう―――」

 

 その言葉の続きは、突然の乱入者によって遮られた。

 

「貴弘! 帰ってきたら直ぐにお弁当を出しなさい、っていつも言って―――あら、撫子ちゃん?」

 

 強引に開け放たれた扉から、お袋が顔を出した。撫子を視界に捉えると、姿を正して取り繕うように微笑んだ。

 

「おば様、お邪魔しております」

 

「こんにちは、撫子ちゃん。……やだ、貴弘! 撫子ちゃんが来てるなら早く言いなさいよ」

 

「こいつが勝手に付いてきたんだから、しょうがないだろ」

 

「こら、何て言う言い種なの! 撫子ちゃん、馬鹿息子はほっといて、ゆっくりしていってね」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 優雅に頭を下げる撫子。こいつ外面は良いからな。猫被りも程々にしろや。

 

「貴弘、二人っきりだからって撫子ちゃんにいやらしいことするんじゃないよ」

 

「するかっ!」

 

 にやにやとからかってくるお袋に、身体を起こして怒鳴り込む。撫子は可愛らしく首を傾げた。

 

「あら、してくれないのですか?」

 

「お前は一体何を言ってるんだ」

 

「私はいつでも良いのですよ。その代わり、きちんと責任を取ってくださいね」

 

「反応に困る冗談は止めろ」

 

「心外だわ。私はいつだって本気よ」

 

 深くため息を吐く。

 撫子は上品に笑って、俺の腕に手を回し抱き付いてくる。

 お袋はそれを見て、しんみりとした顔。

 

「貴方たち本当に小さい頃から仲が良いわねー」

 

「はい、おば様。これからもずっと仲良く致します。ね、貴弘さん?」

 

「うるさい。後、べたべたくっつくなよ」

 

「あら、貴弘さんが照れているわ」

 

「照れてない」

 

「ふふっ、可愛い」

 

 間髪いれず否定するが、笑顔で流された。

 

「若いって良いわねー。おばさん、羨ましい。撫子ちゃん、息子のことよろしくね。どうせ彼女いないんだし」

 

「勿論です」

 

「マジ止めろやこら撫子。お袋が本気にするだろうが」

 

「……私たち、おば様公認ですね貴弘さん」

 

「やかましいわ!」

 

 茶目っ気たっぷりの笑みに、すかさずツッコミを入れる。

 

「じゃあ、後は若い子たちに任せて、おばさんは退散するわね」

 

「頼むから、変な気を使うなよ」

 

 お袋は生暖かい俺に視線を送り、ぐっと親指を突き出した。本当に止めてください。我が親ながらろくでもねぇな。

 

 お袋が出て行って、疲れが一気にぶり返した。再び背中から布団に倒れ込む。撫子はそれに続いて、ぽふりと俺のベットに身体を横たえた。首だけ撫子の方に向けて、文句を言う。

 

「お前、あんまりお袋をからかうなよ」

 

「からかってなどいません。私、外堀から埋めていくタイプですので。おば様とは、今後も誠実に付き合って参ります」

 

「……はぁ、もう良いから黙ってろ。とにかく、おとなしくしてろ」

 

 何を言っても無駄だ。こいつはそう言う女だ。俺なんかで制御できるはずがない。そんなことしようものなら、無駄に疲れる。

 

「おとなしくしていても、何もならないことはこの10年で学習致しました。貴弘さんが道端の野花を摘まれる前に、撫子の花を摘ませに行きます。お覚悟あそばせ」

 

「いつから花を摘む摘まないの話になったんだ」

 

「出会ったときからです」

 

 名の通り撫子の花のように楚楚とした見た目なのに、艶やかに見えるのは何故だろうか。撫子は聖女のような清廉さと、魔女のような妖艶さを兼ね合わせた女だ。それは晴天ではなく、宵闇の美しさに似ている。

 

 蒼く仄かに暗く、然りとて光がないわけではないあの不思議な時間帯。太陽が沈み、しかし月はまだ顔を見せない。何者にも縛られない美しさ、それこそ髙野宮撫子に相応しい。

 

 顔を見るのが気恥ずかしくなり、視線を下に下げる。すると、寝ていても綺麗な椀状に盛り上がった胸が目に入り、思わず顔を反らす。

 

 これだけ毎日露骨に好意を囁かれ続けたら、こっちが辟易してしまう。お前にはもっと相応しい相手がいるだろう。金持ちで、イケメンで、立場もあってそんな男にしとけよ。お前は賢く、だからこそ愚かだ。

 

「あのさ。お前、もっと高嶺の花なのを自覚しろよな」

 

「……ねぇ、貴弘さん。高嶺に登れないなら、花から堕ちて行けば良いと思いませんか。決して踏破できない山を登るより、とても簡単なことでしょう?」

 

 堂々ととんでもないことを口にする。それが当たり前とでも言うように。いや、こいつの中でそれは最早決定事項なのだ。

 

「なんなら貴方の側に舞い堕ちた()を今強引に手折って下さっても良いのですよ」

 

 撫子はそう言いながら、指で朱をさした如く赤い唇をなぞる。

 その仕草がひどく艶めかしい。甘く蕩けた表情は、十代でするようなものじゃない。淑女どころか娼婦のそれだ。撫子は俺の考えを見透かすように目を細めると、貴方だけよと呟いた。見透かすように、ではない。見透かされていた。

 

「俺お前のそういうところが嫌いだ」

 

「私は貴方のそういうところを愛してますよ」

 

 

 ―――ああ、俺は一生こいつに勝てない気がする。

 

 

 

 

 

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