キミはアリスではない。
キミは不思議の国の住人ではない。
キミはクッキーを食べても大きくはならない。
「YES、YES、YES……。って、なんだこのアンケート……というか、なんか意識が遠く……眠くなって……きた……」
俺はそこで意識が途切れた──。
「やあ、アリス。あるいは同胞よ。ボクは帽子屋。ボクは弟子をとるためにキミを呼んだんだ」
「弟子……? なんの?」
「催眠術、さ。ボクがキミの師匠になってあげるよ」
帽子屋はクスリと笑う。偉そうな態度で。
「いや、俺はいま、なんもわかってなくて……。催眠術どころでは……」
ん? 催眠術? 教えてくれると言ったのか?
「ところで、キミ。キミから見てボクは……どんな見た目をしてる?」
「まず、帽子を被っていて……」
「どうしてだい? 帽子屋と名乗っただけで、見た目の説明はまだしていないよ」
「メタいな!」
「帽子の種類はわかる?」
それはもちろん、イギリスの紳士が被るような帽子で──
「実は、グ〇チの帽子を被っていてね。高すぎるから、盗まれたらどうしようと、家の外では被れないんだ」
「庶民か!」
帽子屋は、セレブなのか、庶民なのかわからない。あれ、性別は?
「ボクは男でもあるし、女でもある。イケメンであって、美少女でもある。キミも同じさ」
「いや、一人称が『俺』なんだから、男に決まってるだろ!」
「それはどうかな?」
帽子屋にそう言われると段々、自分の性別が怪しくなってくる。
「さて。そろそろ、催眠術を教えようか」
「……ちなみに、催眠術を始めてから、どれぐらい経つの?」
「うーん、1週間は経ったかな」
「それで弟子をとろうと思ったの!? ある意味すごいな!」
帽子屋が照れ臭そうにしている。褒めたつもりはないんだが。
「じゃあ、まず最初に教えるのは『イエス3セット』だよ。相手に3回、質問して、3回『YES』といわせるんだ。できるね?」
「簡単そうだけど……って、あっ! 最初にやった、アンケート!」
「そうそう。でも、3回目の質問は『NO』と答えるべきじゃない? だって、クッキーを食べすぎると横に大きくなるもの」
「正しいような……違うような……」
考えれば、考えるほど、頭がこんがらがってくる。
「おっと、考えないで。催眠のコツは、相手に考えるスキを与えないことだよ」
「なんか、コワいな……洗脳みたいだ」
帽子屋は笑顔のまま、表情を変えないから、なおさら、怖い。
「催眠のコツはもうひとつ。相手を否定せず、肯定すること」
「あれ? 俺……さっきまで、否定されまくっていた気がするんだけど……」
「考えない、考えない。せっかくの催眠が解けちゃう!」
コイツ〜! と、マイペースな帽子屋に怒りがわいてくる。
そういえば、コイツは帽子屋だ。やっぱり、紅茶を飲むんだろうか?
「いや、ボクがいちばん、好きなお茶は玉露だよ」
「日本人か!」
「人種差別はよくないよ?」
「そういう問題じゃない……」
「そうだ。キミ、漢字は得意かい? 同胞とか、玉露とか、難しい漢字が読めてるか心配なんだけど……」
バカにされているのだろうか。
「違う、違う。読めなかったら、ルビを振ってあげようと思って」
「真面目か!」
「一応、教えるけど、同胞は『どうほう』で、血が繋がった同族という意味だね。玉露は『ぎょくろ』で、日本茶の一種だよ」
おい、スマホで調べただろ。
「まあ、細かいことはいいじゃない。話を変えようか。ねぇ……キミは元の世界に帰りたいかい?」
「え……うん、まぁ……帰りたい、かな……」
「おやおや。まだ帰りたくない、って感じだね。こんなにおかしな状況と展開を受け入れるなんて、おかしなヒトだ」
帽子屋の言葉は、図星を突いていて、言い返す言葉もない。
「おっと、黙らせてごめん。単刀直入に言うと、キミは元の世界に帰れない」
「えっ、どうして?」
「キミが元いた場所は、キミの故郷ではない」
帽子屋は謎かけのようなことを言い始めた。
「キミが元いた世界は『不思議の国』だよ。そして、ここも『不思議の国』だ。どっちも、キミの帰るべき場所ではない」
「はぁああぁあ? 俺がいた世界は、普通の世界だぞ! 証拠を出せよ! 証拠を!」
「ボクはあまり論破が好きではない。手短に済ませよう」
帽子屋は組んでいた足を、組みかえる。
「キミの世界では、お笑い芸人と政治家、どっちが人気だい?」
「それは……政治家はたくさんの票を集めてるけど……人気というか……。人気者といえば、お笑い芸人かな」
「じゃあ、教科書とマンガ、どっちが人気だい?」
「そりゃあ、マンガでしょ」
「なら、YouTubeでバズるのは、どんなYouTuber?」
「もちろん、おかしなYouTuber……。あれ、もしかして──」
「そうそう。キミがいた世界は、おかしな人間が好かれ、おかしな作品が好まれ、おかしなものが愛される、おかしでおかしなおかしい不思議の国──『ワンダーランド』さ」
俺の頭が理解を拒む。けれど──拒み続けるのは、難しい。
自分がいた世界ではなぜ、おかしなものが好まれるのか、考えたことがなかった。
「そりゃそうだよ。おかしな世界では、おかしいのが当たり前。おかしいのが普通で、まともなのがおかしい。だから、わからなくて当然さ」
「じゃあ、俺は……どこに帰ればいい?」
「それは、キミが何者かによるね」
「俺は……何者なんだ?」
「最初から呼びかけているだろう。アリス、あるいは同胞、と」
「……つまり、どっち?」
「うーん、それはボクにもわからない。ハイ、ここで催眠術の出番。『心に聞く』ということを試してみよう」
心に聞く……?
「心の中で呪文をとなえるんだ。ほら、ボクの後に続いて、『心よ! 自分はアリスですか?』次は『心よ! 自分は不思議の国の住人ですか?』と聞くんだ」
「おっ、おう……?」
心よ! 自分はアリスですか?
心よ! 自分は不思議の国の住人ですか?
……。
…………。
……………………。
「なにも返ってこないんだが? これ、なに? 恥ずかし……」
「まだ、催眠が浅いのかもね。ではもっと、深い催眠に挑戦してみるとするか──」
帽子屋はそう言って、1冊のノートを取り出した。
「それは?」
「このノートには、魔法の物語が書かれている。もちろん、書いたのはボク。さあ、横においで。一緒に読もう」
帽子屋が座っていたソファはいつの間にか、一人用から二人用になっていた。空いたスペースに大人しく座る。
「このおはなしは、通称『催眠スクリプト』と呼ばれるものだ。ボクと一緒に、催眠の物語に飛び込もう!」
むかしむかし、あるところに──
国でいちばん、歌が上手くて、国でいちばん、怒りっぽい少女『アリス』がいました。
アリスは「おかしい!」とみんなに怒って、国のみんなを困らせていました。
そんなある日、外の国から旅人がやってきて、アリスを見ておどろきました。
「どうして、おかしな国にまともな人がいるんだい?」
「えっ、それって私のことですか?」
旅人はうなずきます。
「僕は、まともな国からやってきた、まともな人です。まともな人がおかしな国でくらすのは大変だったでしょう。僕と一緒に、まともな国に行きませんか?」
「ええ、喜んで! まともな国で歌をうたうのが楽しみだわ!」
歌、という言葉を聞いたとたん、旅人の目つきはきびしくなります。
「まともな国では、音楽は禁止です。歌は騒音なので、人に迷惑をかけると死刑になりますよ」
「そんな! 音楽が禁止なんて、おかしいわ!」
「頭のおかしな人に毒されてかわいそうに……あなたのために、あなたを殺してあげましょう」
旅人は剣をだして、アリスに襲いかかります。
アリスが「もうだめだ!」と思ったとき、向こうからたくさんの人影が見えます。
「おーい! アリス、大丈夫か! 助けに来たぞ!」
たくさんのおかしな人たちが、アリスを助けにきたのです。
まともな人は、おかしな人が苦手なので、まともな旅人は一目散に逃げていきました。
「どうして……私を、助けにきてくれたの?」
「なんか、嫌な予感がしてな。なんとなく、助けに来たんだよ」
「……ちがうの。みんなに迷惑をかけてきた私を、どうして助けてくれるの?」
アリスの質問を聞いて、おかしな人たちは大笑いしました。
「バカだな、アリス。おかしな国では、人に迷惑をかけるのは当たり前なんだよ。困ったときに、人に助けてもらうのも当たり前のことだ」
「でも……でも……」
「価値観の違う人同士がケンカするのも、当たり前のことだ。気にしなくていいんだよ。おかしな国では、反省しないのが当たり前なんだ!」
アリスはこの国のおかしなルールが嫌いでした。しかし──たったいま、そのルールの優しさに気付いたのです。
アリスは泣いてはいけない、と涙をこらえます。
それを見たおかしな人たちは、アリスの背中に手を添えました。
「……アリス。みんなの前で泣いてもいいんだよ。いったい誰に、ひとの涙を止める権利があるだろうか」
アリスは歯を食いしばって、泣くのを我慢します。ぽろぽろと涙はこぼれているけれど。
おかしな人たちは、それっきり、アリスに泣くことを勧めませんでした。
「そういえば、アリス。どうして、まともな国でも歌おうと思ったんだい? 危険じゃないか」
「えっ……それは、歌が好きだから……」
アリスの答えに、おかしな人たちは首をかしげて、不思議そうにします。
「おかしな人が嫌で、まともな国に行こうとしたんだろう? だったら、歌がうたいたいときだけ、こっちにくればいいじゃないか」
「いやいや、まともな人がこっちにくれば、いいんじゃないか?」
おかしな人たちは、アリスには思いつかないおかしなアイデアをだしてくれます。
──アリスは思い出しました。
我慢をしてまで、おかしな人たちと一緒にいた理由を。
アリスが「もうダメだ!」と思ったとき、おかしな人たちが、おかしなアイデアを教えて、アリスを助けてくれるのです。
その自由な発想にアリスは憧れていました。
でもいつからか、アリスは彼らのおかしさを直すことに必死になっていたのです。
なぜそうなったのか、アリスにも思い出せません。
そんなアリスを見かねて、おかしな人が話しかけてきます。
「アリス……君は、さみしかったんじゃないかい?」
「さみ、しい……?」
「だって、このおかしな国で、まともなのは君一人だけじゃないか。だから君は……この国で、まともな人を増やしたかったのでは?」
「そうかも……」
アリスは自分の行動の意味にようやく、気付きました。でも、遅かった。
「みんな、ごめんなさい……」
「どうして『ごめんなさい』と言うんだい? 髪型にはたくさん、種類があるように、謝罪だって色んな種類がある。謝らない謝罪も、謝罪に含まれるのさ」
おかしな発言でしたが、アリスはそのおかしさに救われました。
「私、どうすれば…………そうだ! ひらめいた!」
アリスは決心しました。
「私、旅に出るわ! そして、まともな人が住んでいて、音楽が禁止されていない国を探しに行くの!」
「おお、アリス! ナイスアイデアじゃないか!」
「……へへ、あなたたちのおかしさが私にも、うつったみたい」
かつて、おかしな人たちはアリスに、この国のルールを教えてくれたことがあります。
・やりたいことをやる
・嫌なことは我慢しない
・苦手な人とは仲良くしない
アリスはその不真面目なルールが大嫌いでした。ですが、いまは──すこし、違います。ルールの意味に気付いたのです。
そうして。
まともなアリスは、おかしな理由で、不思議な旅に出ることになりました。
「みんな……いままで、ありがとう! 私はずっとまともでいるから、みんなもおかしいままでいてね!」
まともなような、おかしいような、アリスの言葉にみんなが笑います。
自分がおかしいのか、まともなのかわからなくなったとき、私たちを思い出してください。
おかしな人は、おかしいままで。
まともな人は、まともなままで。
それでいいのです。
ひとに迷惑をかけない。
そんな魔法は、おかしな人も、まともな人も、だれも使えません。
──おしまい。
「──フフ、これが催眠スクリプトの世界だよ。気に入ってくれた?」
「うん……。なんか、世界観にのみこまれた……。物語の一部になったみたいだ……」
「うんうん。そう言ってもらえて、嬉しいな。どう? 心の声を聞くことができそう?」
「それは……まだ、わからない……。それ以外に方法はないのか?」
うーん、と言って帽子屋は悩み始めます。
「実は……アリスと偽アリスが存在するんだよね。だから、そこの判別が難しくてさ」
「アリスと偽アリス?」
「そうそう。不思議の国の住人は、おかしいのが平常運転だからね。自分をアリスだと思い込んでいる住人もいるんだよ」
「ややこしいな!」
「あと、アリスが自分を、住人だと勘違いするパターンもある」
「もっと、ややこしくなった!」
「ボクは困ってる人を放置できても、迷子を放置することはできなくてね。なんとかしてやりたいんだ。そのなんとかが、難しいんだけど」
帽子屋は珍しく、真剣に悩んでいるようで。
「ああ、でも迷子の見分け方は簡単だよ。チェックシートなら、作ってある」
帽子屋はチェックシートをひらひらさせる。
□自分だけがまともで、それ以外の人間がおかしいと思ったことがある/自分だけが、おかしいと思ったことがある。
「以上」
「チェック項目、ひとつだけかよ! 紙の余白が多いな!」
「キミはツッコミが多いな〜。あっ、ツッコミといえば、アリスはツッコミ属性を持っているんだよね」
「芸人か!」
「まさにそう。ツッコミ芸人って、だいたいアリスなんじゃないかな? あと、アニメのキャラにたとえるなら、銀魂の『新八』とか」
「えっ、新八がアリス……? 似合わないな……。まあ、たしかに……新八以外、みんなおかしいし、アリスといわれたら、しっくりくるかも……?」
あれ? アリスの負担ってスゴイんじゃないか? と、いま気付く。
「そうそう……。アリスはストレスをためこむからこそ、なんとかしてあげたくなっちゃうんだよ。……逆効果かもしれないけど」
帽子屋が自分を呼んだのも、そのためなんだろうか?
「あはは、キミがアリスかはまだ、わからない。キミの心の声に聞かなくては。まあ、わからないままでもいいけれど、ずっと迷子はつらいだろう? さあ、もう1回、あの呪文を試してみよう」
帽子屋の言う通り、心の声にもう一度、聞いてみる。
心よ! 俺はアリスですか?
心よ! 俺は不思議の国の住人ですか?
そう聞いたとき、変化が訪れる。
わからない! と、心から答えが返ってきた。
「わからない、って言われたんだけど……」
「ほう? なにか邪魔が入っているのかもしれないね。邪魔が消えるまで、試してみようじゃないか」
心よ! 俺は邪魔をされていますか?
そうだ! 心の声が聞こえないように邪魔をされている!
心よ! 誰に邪魔されていますか?
アリスに邪魔されている!
──それを聞いてなぜか、やっぱりな。と思う自分がいた。
心よ! どうして邪魔されているのですか?
お前がずっと迷子であり続けるためだからだ!
「ヒェッ……」
その言葉を聞いて、肝が冷えた。そんなことをしてなんの得がある。と思ったが、さっきまで読んでいた催眠スクリプトが頭をよぎる。
そこに、答えが載っていた。
迷子を、仲間を増やすためだと。
心よ! どうすれば邪魔が消えますか?
アリスの言葉を聞くな! そうすれば邪魔されなくなる!
困ったことがあれば、私に相談しなさい!
「うん、わかった……!」
結局、自分は何者なんだろう。と心にたずねた。
心よ! 俺はアリスですか? それとも、不思議の国の住人ですか?
言わない!
心よ! どうしてですか?
この小説を読んでいる者が知る必要はないから!
心の声って意外と、ネットリテラシーがあるのね!
「いい調子じゃないか。では、もう……ボクが教えることはなにもないな」
「ってことは、お別れなの?」
「うん。そして、この夢が覚めるころには、ボクのことを忘れてしまっているだろう」
そんな! と、帽子屋の言葉に衝撃を受ける。
「だから、いまのうちにお気に入り登録をしておきなさい」
「きったな! その手口は汚いぞ!」
ドブぐらい汚いよ! 感動の別れが台無しだ!
「さあ、心の声に聞いて……。自分の帰る場所を思い描いて……」
ゆっくり、ゆっくりとまぶたがおりていく。
「さようなら。おやすみ。そして、おかえり──」
不思議の国の住人と、アリスは、帰り道を思い出して、それぞれの故郷に帰るのでした。
──おしまい。
頭がボーッとしていたら、催眠は成功です。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!