レオデグランス王の娘。白の妖精の如き美しき乙女ギネヴィア妃。アーサー王がまだ後ろ盾が必要だった若い頃に婚約し、慎ましくも確かな愛情を感じられる王夫婦であった。
それが騎士にとって王は絶対の存在、その王に対して何たる侮辱か。どの騎士であっても不敬であるが、よりにもよってアーサー王の一番の騎士であるランスロットが、あろうことか不貞をしでかしたのだ。
アーサー王は二人の刑を決定し、ランスロットはギネヴィアを奪還するために広場にて暴走。円卓の数名を殺し、フランスへと逃亡。信奉者も流れて行ったが、どう考えても。
「……どうにも我ら騎士の中に、二心を抱く者が居るようだ。」
でもなければ、あそこまで無力化したランスロットが王妃を連れてフランスまで逃亡できるはずもない。退路を断つために様々なことへ手を回してきたが、人情に篤い騎士たちは多い、と言うことなのだろう。
本来であればそれは喜ぶべきことではあるのだろうが、今回は原因を考えるとただ愚か。あれはアーサー王とは個人的にも親友という間柄にあり、アーサー王のブリテン島統一において最初期から名を連ねる歴戦の勇者でもあるのだから。百年の時を妖精の力にて押しとどめ、アーサー王と時を伴してきた円卓の騎士の一人。最大の英傑の一人にして、しかして最も罪深き円卓の騎士。
強さもアーサー王と双璧を成すほどの剣の腕前を持っており、聖剣エクスカリバーに匹敵する名剣アロンダイトを振るってきた円卓の。ひとたび戦場に出れば一騎当千の活躍でアーサー王をお支えし、無手で騎乗の騎士と戦い勝利し、ほかの騎士の鎧を着て試合に臨み見事優勝するなど武勲に優れた騎士。華々しい伝説を築き上げ、円卓の騎士の筆頭として、騎士たちを統制して行ったまさしく騎士たちの憧れ。
しかし、統一事業やら異形対策も大詰めとなったその時に、不義密通。奇しくも親友と同じ女性を愛してしまったが故の悲劇などとトリスタンが唄うたびに空気が揺れた。アレを、あの暴虐を、そんな言葉で済ませてなるものか。
「……アグラヴェイン、ガヘリス、ガレス…ッ!」
頭を叩き割られた家族の亡骸に縋りつくのは、太陽の騎士ガヴェインであった。名を何度呼びかけても、その身体に触れても、あったはずの温かな声色での返事はない。吐息もなく、ただ冷めた体温ばかりが応える。当然のことだった。彼らはもう死んでしまって、魂はここにはない。彼らの死がガウェインに影を落とし、ランスロットとの間に大きな溝を生んだ。
仲間として迎え入れることはもう難しいと言葉を飲み込んで、ただ王の言葉に従う。心を押し殺した太陽の姿にトリスタンが琴を奏で、憂うように俯く。
(ガレス、ガヘリス……アグラヴェイン……)
当初兄弟たちとは面識がなかったが、彼ら同様に騎士を志してアーサー王のいるキャメロットの門戸を叩き、厨房係へと回されて下積み時代を過ごしたガレス。
年頃も近くて、けれども年下であるモルドレッドのことをよく気にかけてくれる人であった。自分のことをお兄ちゃんって呼んでくれてもいいんですよ。なんて冗談を口にするような好青年で、つい口を噤んでしまうモルドレッドの言葉を根気よく待ってくれる一人だった。
モルドレッドが愛する友人たちに、共通する仕草がある。それは、誰もが会話の合間にしてくれる穏やかな微笑みの相槌だ。共通する仕草であるのに、誰もが異色を放つ。ガレスはいつも楽しそうに笑ってくれるから、らしくもなくモルドレッドの年齢相応に声を弾ませたこともある。
けれど、もう笑った顔が見えない。顔が割れて、虚ろな瞳が、モルドレッドの視界でころん、と揺れる。ギィギィ。バッタン。船の上ではないはずなのに、波の音が耳奥で鳴りやまなかった。
太陽の騎士ガウェイン卿をも退けた赤の騎士アイアンサイドからある貴婦人を救って欲しいと嘆願され、任命されたガレスは、乙女に不審がられながらも襲い来る敵を次々と撃破。見事な快進撃を繰り広げ、アイアンサイドを決闘で討ち取り、助けた貴婦人と恋仲となり結ばれたのだ。
卿は、あなたからの贈り物だけで頬を染めて幸せを訴えるあの乙女を置いて逝くのか。花束を贈り、わずかな言葉を交わして、それだけで互いに満足するような、良好な仲であったと思う。
応えてくれる声はないから、ただ心の内で問う。ガレスよ、兄のような人よ。あなたは愛するヒトを、置き去りに逝ってしまうのか。ガウェイン卿やランスロット卿からは非常に愛されており、また彼自身は騎士に任命してくれたランスロット卿を非常に尊敬していた。だからこそ、彼はギネヴィア王妃の精神をお守りするのだと言って側に自ら控えたのだ。
王族の不倫を明かした英断から見て取れるアグラヴェイン卿は、ガレスやガヘリスの決断を良いものとはしなかった。結果は、彼が危惧した通りである。
アグラヴェイン、アグラヴェイン。唯一モルドレッドの正体を突き止めた同胞よ。あなたが、居てこそのキャメロット内政。あなたの代わりは誰も居ない。今やもう、仲裁役のディナダンもいないから。もはや円卓は崩壊に進んでいくのだろう。非常に厳しく容赦の無い性格から円卓内部で好かれているとは言い難く、特にランスロットとは犬猿の仲であったとしても、それは苛烈なまでの王への忠誠心を持つが故のこと。
さみしく思いながらモルドレッドは前に進む。―――もう、どちらの意味でも時間がない。宣誓の日から5年。今年でモルドレッドが円卓の騎士として活動し始め、5年ほど経過した。
仲間として行動した月日は他の騎士たちよりも短くとも、まるで円卓の結成当初から一緒に活動したかのように友となれたこと。モルドレッドはその幸福を、きっと忘れないだろう。確かに感じる崩壊の足音は、少しずつ音を大きくしてその存在を主張する。マーリンは百年も続けられたことこそが奇跡なのだと言ったが、アルトリウス・ペンドラゴンの支払った代価を考えるとそれでも足らないぐらいだ。
モルガンによってねじ曲がった運命は、再び軌道に乗っかって定められた運命をたどり始めた。まるで、ブリテンの崩壊は避けられぬ運命だと言うように……。
程なくして第二の衝撃が円卓を襲う。聖杯の登場である。
ランスロットが抜けた穴は大きく、一部の戦場では異形の化け物たちに押されつつある。現状をどうにかしなくてはと急く会議の最中、円卓の中央に輝く星の命が芽吹く。突如として円卓に現れた輝かしき杯を、花の魔術師マーリンは”聖杯”と呼んだ。
輝かんばかりの命の輝きだった。溢れんばかりの希望の園だった。一瞬にして円卓の騎士たちの気持ちを統一した聖杯を探すよう、アーサー王は己の騎士たちに命ずる。
しかしながら、聖杯は清らかな者でなければ触れられず、また、見つけることさえ叶わないのだとマーリンは言った。―――だからこそ、選ばれた騎士は円卓の中で最も清らかな騎士たちでなければならず、その部隊の選抜は難航した。
そうして結成された部隊は、キャメロットの中でも素直であることに定評のあるパーシヴァルを筆頭に、災厄の席に座したガラハッド、ランスロットの従兄弟であるボールスの三人。
清らかな身ということで、モルドレッドも名が上がったのだが、最前線で異形の化け物を一掃できる主力でもある為、聖杯探求の旅には参加できず。戦場で力を揮い続ける身であるが故に、見送ることも出来ぬまま、友らとの別れとなった。
「……そうか。」
ランスロット卿への手紙のついでにと寄越された短い報告書は、そんな聖杯探求の旅に同伴したボールス卿からのモルドレッドへの心配りであった。
友の最期を知らぬでは心の内で弔うことすらままならない、ということだろうか。パーシヴァル卿らは聖杯を見事発見してみせ、それをしばらく警護。ある日の早朝のことであった。何の前触れもなく突如として、ガラハッドの肉体が輝き、聖杯とともに光の粒子となって空へと消えていってしまったのだと言う。
直前まで言葉を交わしていたパーシヴァル卿は間近でそれを見て、精神を病んでしまい、聖杯があった場所を異形の化け物から守り、戦死してしまった。最期に残ったパーシヴァル卿の理性は、仲間を白亜の城へ戻すことを優先したのだろう。槍の力を極限までに解放し、一掃されたそこを命辛々抜け出し、ボールス卿は帰還した。
異形の化け物を一掃するだけではなく、民への平穏を与えられるであろう聖杯を求めたアーサー王へ報告し、ランスロットのもとで武功を立てる現状に至るのだろう。
「……手紙での報告は必要、ありましたか? 此処に居るのに。」
「感情的にならぬ為の配慮をしてくださったのでしょう。感謝します。彼は己の責務を成し遂げ、―――神に連れて行かれてしまった。なるほど、俺の敵はどうやら決まったか。」
ランスロットの言葉に冷静であることを心掛けながら息を吐く。やっぱりすこしは抑制しきれず感情のままギリ、と弓を抱える手に力が入った。
白樺のような身のそれは、妖精たちの傑作。やれるものならやってごらん。モルガン様の御子息の踊りは、きっとそれはもう愉快な退屈しのぎにはなるでしょう。神々への叛逆を企てる、ただのヒトの子の悪足掻きを面白おかしく彩るものだ。第一歩として、神への道を拓く。この弓は、その為だけのもの。
聖剣の鞘を盗んだ母をその手に掛け、手に入れた片道切符。母はこの弓で一撃必殺を試して、駄目だったら魔術でひっくり返そうとあらゆるところに地雷を仕込んだようだった。
丹念に準備したことが見て取れる稀代の魔女の舞台を台無しにしたモルドレッドだからこそ、わかることがある。この弓の使いどころは一つだけ。扱える者もすでにこの世に一人だけ。ゆえに、外せない一撃を、神に近づく王―――否、”神への初手”とするのだ。するのだが、ランスロットの居る城へと足を運んだのには、そんな秘密兵器を預かってもらうためだった。
大きく見えて、実はほっそりとしたそれは軽く持ち運びやすい。バネを利用したものとなっているため、軽いのだがバネ故に耐久力もある。本題を、とボールス卿に向き直って、白樺のような弓を差し出した。
「ボールス卿、―――”神を穿つ銀狼の弓”の管理をお任せしても良いでしょうか。」
「むしろ預かるのが自分で本当にいいんです?」
「我が友の最期を知る、あなたが良い。もしあなたが否と言うのなら、私が手にしたままに戦場に戻ります。今は大人しく見えますが、確かに人に預けるには凶暴かもしれませんでしたし……やはり、聞かなかったことにし―――」
どのような繋がりでそのような代物を手に入れたのかとモルガンに聞きたかったが、その真相を知る相手はモルドレッド自身の手で葬ってしまったので闇の中。聖剣の鞘の場所を聞き出すことには成功したのだけれど、肝心の湖の名前が不明である。どこぞの湖の底だと言うし。あとであらゆる湖を探索した方が良いだろう。
ケイ卿は”生きるための戦い”を掲げているが、生きるために戦って。生きるための戦であるがゆえに、何が何でも生き残る気概はあるが、そのうえで散るならばその程度だったと受け入れる潔さがあるし、そもそも生きるための戦なのだから負ければ死ぬ。
その漢らしいサッパリとした感覚はモルドレッドも好むところではある。―――あるのだが、今回は大事な秘密兵器の隠しどころとしては不安要素であるため、候補としては名が上がっても彼を彼たらしめる要素で静かに沈んだ。
そして、そんな彼と似て異なるのがボールス卿である。なんだかかんだ言って、上手く状況を切り抜けて生き残る確率が高い男。モルドレッドはボールス卿のことを以前よりそのように認識する動きを見せる騎士なのだ。
そういうわけで、聖剣の鞘を探索する間だけでも神への叛逆の一手をひとまずは安全な場所に預けたくて。モルドレッドはその”安全な預け先”の候補として、何があっても生き残ることを優先して道を見つけるボールス卿を挙げたのだが、不安げに問われたのでモルドレッドは選択肢を差し出そうとしてゆったりと引き下げ始めたところで甲冑に覆われた手が視界に入る。
「預かります、喜んで、ぜひ。」
ボールス卿はモルドレッドの遮るように承諾した。
たとえ、そのような凶暴なものであったとしても、すぐさま承諾しただろうと言った。そんなものは預けないが、ただの武器にしては凶暴な側面もあるから似たようなものなのだろうか。
自ら死地へ向かう最年少の騎士モルドレッドからの初めての頼み事。最初から断るつもりはなかったのだが、今までランスロットの中継ぎとして呼ばれてきたことの弊害でランスロットではなく自分であったことに衝撃を受けたのだ。
しつこいほどに本当にボールスで合っているかという問答に、モルドレッドも不安を感じて、あのような提案をしようとしたのだろうというそれが分かるからこそ、ボールスは遮った。紛れもなくボールスが悪かったのだ。
「…助かります。ありがとう、ボールス卿。…これは古の時代。銀の狼が神を殺した逸話を強く深く染み込ませた妖精樹で作られたものですから、そう簡単に燃えたり壊れたりはしませんが、逸話の力を引き継ぐ分敵意や闘気を感じると凶暴になります。聖杯を見つけたあなたであれば、そのような心配は無用でしょうが、どうか気を付けて。」
「ええ、わかりました。」
妖精の樹で作られたもの。それで凶暴なのかとボールスは納得した。古の時代の銀狼が、神を殺したなどと話は耳から流れて行った。
「念じれば私のもとにすぐ届くようですから、跡形もなくなって、遠くで獣の唸り声のような音が響けば、戦が”始まり”です。その場合、ランスロット卿とボールス卿に行って頂きたいことが他にある。」
「我々に、ですか……?」
「貴方たちだからこそ出来ることです。キャメロットが戦場になってしまう可能性があるなら、そこで生きる民草の安全を守らねばならない。戦場が城ではなかったとしても、アーサー王の活動範囲を考慮すると、そのお力の一部はどうしても城付近にまで到達するだろう。」
山を抉り、天を穿つ。そんなお力を揮われるのだから。
民草のことを想っての行動であるから、かの王が制御しきれぬ力の余波で傷つけてしまっては本末転倒。きっとアルトリウス・ペンドラゴンの御心は傷つき、責を感じる。だからこそ、円卓の騎士は団結し、王が万全を期して異形の化け物と相対せる状況を作りあげるのだ。
もしもキャメロットがなくなってしまったら、という可能性。民草のその後を案じての未来への踏み出し。その為の下準備、その為の行動。
「あなた方は戦場には参加せずにキャメロットへ向かってください。それから―――いえ、名を改められたのでしたね。そちらの白百合のようなお嬢様には、安全な場所で……」
ギネヴィアは唄うようにモルドレッドの言葉を遮った。
私は、愛してもらうことが当然で、愛されることが当たり前でした。でも、それは違ったの。小鳥のようなさえずりでありながら、それは彼女なりの後悔の言葉だった。
あの日、私は初めて知りました。私のことを憎む人がいることを、嫌う人がいることを。王の子を孕めぬ王妃を厭う家臣が居ることを。なぜ? どうして? だって、望まれてキャメロットの王妃となった姫なのに。そこに在るだけで良いとされるべき姫の身であるはずなのに。注意をしてきたり、知識を与えようとしてくれたりする騎士を一括りにして、夜に寝室を訪れるアーサーさまに言うのだ。
みんなイヤなヒトなの。知らぬは恥だとイジワルを言ってくるの。
当時のギネヴィアは王妃としての責務を放棄し、ただの少女であった。王の御心に寄り添うこともせず、王の側でお支えすることもせず、ただの足枷となって。そうやって無知であることを理由に、たくさんの理不尽を振りかざしてきた日々を懺悔する声だった。
「それでもあのお方は私を守ってくださっていたことを失って初めて知ったの…。だから、素敵な騎士様。せめて少しでもあのお方のために、何かがしたいの。どうか出来るようなお仕事を、私にもくださいませ。」
「―――……どうか今からお伝えする修道院で民草の受け入れ準備をお願いします。」
王妃も、彼も。……すべてが終わりに向かう頃に、気づかれるのか。そのうえで、お支えすると言ってくれないのだな。なんだか胸の奥がほのかに寒くなって、目の奥が熱くなる。
あらかたの説明を終えたモルドレッドは、彼らの城を飛び出した。最前線に戻ると、口実を事実にするために愛馬を羽ばたかせる。ぐんと近づく空を見上げて、曇ったその先にあるであろう星はどのような色をしているのだろうと思った。
嗚呼、今はこんなにも暗くて、冷たくて。何にも見えないから星を読むのは無理だよな。ひとり愚痴る。羽ばたきを持つ相棒に頼んで空を自由に駆け踊け、縦横無尽に敵を屠った。
幻聴がした。虫唾が走る。友の声だった。利用などさせるものかと赤雷が奔る。また、星を。そんな叶わぬ約束を胸に、モルドレッドは前に進み続ける。
―――己が死ぬ、その時まで。