おそらくは、アーサー王の暗殺を企てる母モルガン・ル・フェイを討伐したその日から。母親殺しの騎士となってからは、まるで腫物扱いだった。
父親は誰かと尋ねられても、モルドレッドは何も答えなかった。花の魔術師は笑みを濃くするばかりで、その正体を知るはずなのに何も言葉はかけてこない。それに甘えてモルドレッドは、今の今まで正体を明かさずに居られる。
だが、術者であるモルガンを手に掛けて、彼女の警告を無視して剣の力を解放し続けた代価はいつかは必ず支払われるものだ。
「こほッ…」
「モルドレッド卿!」
「―――ランスロット卿か、如何しましたか。」
「御身を……いえ、差し出がましいことを…」
モルドレッドが率いる部隊の補佐官。ランスロットはその面立ちがほんの一瞬、苦痛にゆがんだのを見て声をあげた。当の本人が何も感じさせぬ無を表現し、何事かと戦況を尋ねてくるものだから口ごもる。雄弁に目が何も言うなと語ってくるのだ。さらに言えなかった。
モルドレッドの肉体は人間のものではあるけれど、身の内側に流れる竜の力が呼応して、より竜の権能を引き出した。それでも愛する母を地獄へと叩き落した我が身は、未だ生にしがみつく。それも長くは続かぬはずだ。
体調を崩すようになったのは、きっとモルドレッドの肉体に掛けてくれた母の術が綻び始めたからだろう。長くは生きられないと診断を受けた身では、よく持ちこたえている方だ。
本当なら、友人たちと次の約束を結びたかったけれど、モルドレッドは決定打となる言葉を返せなかった。だからこそ、体調を案じられるたびに無言を貫くようになったのだが。一応は寂しいという感情が作動しているのか、人の集まる場所に顔を出してしまうのが難点だった。構ってほしいという気持ちはないが、人の気配を感じていたいとは思うのだ。
(よく、叱られたよなぁ……)
主にアグラヴェイン。そして同じほどガラハッドやベディヴィエール。報告が上がればケイやガヴェイン。時には、ディナダンからも。
相棒の身を案じるように魔鳥が嘶き、その羽毛を寄せてくる。名を呼び掛けると、より体は寄ってきた。まだ大丈夫だと言って、柔らかなそれに武装を解いて露になった手を埋める。……ふわふわとした心地が眠気を誘うようだった。とても、あったかい。
幼少の頃は身体が弱かったが、母モルガンの術によって魔力の大半を生命力に転換し、今まで活動を補ってきたこの身は、対人はともかくとして。時には、あのランスロットさえも退けて最強を欲しいがままにしたのだから騎士としては僥倖だろう。
術者であるモルガンを殺した今、綻びつつある術の再展開は不可能。運命を捻じ曲げるようなことで一度限りのものだとも言われたし、おそらくは次に全力を出せば、モルドレッドの肉体は限界を超えて確実に命を落とすだろうと漠然と感じた。
なんでも願いが叶うと言う願望器。アヴァロンにあるのだと言えなかった、言わなかったからたどった結末。
弱音を吐きたくなる時に、必ず側で親身になってくれた友人は神のお気に入り。せめてもの手土産に素顔を持たせることが、はたして良かったことなのか今でも分からない。けれども、友人としては誠実であれたような気がする。あの二人を、ただの友人として大切に出来たと思うから。あれのおかげで、母が言ったように、友人たちが言ってくれたように、自分を大切に出来たような気もするから、後悔はなかった。なら、それでいいのかも、とモルドレッドは相棒に顔を寄せる。
「キュウ……」
「大丈夫。」
間髪入れずに、まだ死ぬつもりはないのだと生命の活力を見せる。燃えるような瞳を好む相棒は、それでも案じるように耳をくすぐらせるのだけれど。
第一の悲劇、ランスロットの不貞。もはや語る言葉は非ず。
第二の悲劇、聖杯探求。守るだけ守らせてガラハッド卿を連れ去り、パーシヴァル卿をも奪った。此れが、モルドレッドの中の第二の悲劇である。
第三の悲劇、言わずもがな。この顔の露呈である。
あれは、手合わせの最中に起きた不慮の事故であった。キャメロットから出陣することが当たり前であるはずの赤雷の騎士モルドレッドが、珍しく白亜の城へ帰還したその日、異形の魔物の対策を立てたいと言うガウェイン卿との手合わせが行われることとなったのだ。
激しく打ち合う間も、なるほど、確かに異形の魔物を想定した戦闘であると言える。なれば、とモルドレッドは意図して数々の魔物たちを真似た。ガウェイン卿は感謝の念を抱きながら、それに向かって必死に食らいつく。
太陽の翳りがある時世でなかなか実力を発揮しきれないままでいるようだったが、円卓の騎士として抱えられたその日からそれに甘えるつもりはさらさらないということを知っていたから。
そして、呆然とした。紅色の瞳を驚愕に彩った。
手合わせをみとり稽古としていた騎士たちも、久方ぶりのモルドレッドの動きが見られると顔を出しに来た円卓の騎士たちも、長年隠され続けてきたそれに目が奪われてしまったのだ。
露わになったその顔は、その紅き瞳は確かにモルガンの面影がある。スッと釣り上がる切れ長の瞳は、確かにモルガンの。
けれども、ガウェイン卿のようにふわふわとした印象の受けるその髪色は。星の光を蓄えたような金の糸は、輪郭をなぞる汗を目で追ってしまう。だって、その顔はあまりにも。
不覚だった。
モルドレッドの顔色が、青ざめた。ずっと己の出自を隠すために鎧をまとってきた彼の肌は日に焼けることを知らず、病的なまでのそれが、更に青くなる。―――後にも先にも、モルドレッドが為すべきことを忘れて暴れたのはあの時だけだった。
剣が緩やかに振り上げられて、鋭く光る切っ先が彼自身の喉へと向けられた瞬間。ガウェイン卿の意識は現実のものとなる。不義の子、と。望まれた生ではなかったと。
それと同時に、花の魔術師が、かつて円卓として迎えられた騎士たちの耳に入れた言葉を思い出したのだ。
アルトリウス・ペンドラゴンが王となるその日、姉であるモルガンは王の御身に無体を働き、塔へ監禁されたと聞かされたことを。その、無体で生まれた子どもが。アーサー王の系譜に当たる己の甥子に当たる存在だと認識した途端、ガウェイン卿の動きは誰よりも早くなった。
「待ちなさい!」と名を呼ぶ声を認識するよりも早く、剣は弾かれた。舌を噛もうとした顎を掴んで、必死にその身体を抱きしめて止められる。
下手をすればギネヴィア妃との関係に亀裂を生む存在となってしまうから、モルドレッドの行動は、確かに正しかったのだろう。気づかれる前に命を絶つべきであったともささやく声がする中、目を見開き呆然とするばかりだった王が駆けつけたのだ。
ケイ卿が頭を抱えてから唸った。すべてを捧げに来たのだと、宣誓したあの日の言葉は。王の不名誉を確立するよりも早く、己の消滅によって防ごうとしたその行動もまた。
だからこそ、モルドレッドの忠誠は疑うべくもない。一言それだけ告げて、首の裏に手を落とした。かくん、と力無く崩れた身体を支えて、アーサー王は転がる兜を手に取る。
エクスカリバーの鞘を盗んだモルガンの言葉は、とびきりの宝を残して逝った。気づかぬままであればそれはすぐさま永遠に失われ、気づくことが出来たのであれば刹那の至福を感じることが出来るものだと最期の言葉を残したのだ。
そう、最期の言葉だった。
第四の悲劇、母モルガンの暗躍によって失われたエクスカリバーの鞘の恩恵が、目に見えるようになってしまったことである。
不死性がすこしずつ失われた王は、前線に出ることは叶わない。統治者を失っては、民草が生きられなくなるとモルドレッドが出陣の回数を増やすことで意見した。魔女のもとで生まれ育ちながらも、立派な騎士となった彼の物語を謳ったそれはブリテン島のあらゆる場所で紡がれる詩である。アーサー王の暗殺を企てた魔女を倒した赤雷の騎士の話は、有名な話だ。
その後、モルドレッド、17歳。認知しろと父親から迫られるの巻。
文字が酷い。日記につづってみても文章も酷かった。なんだそれはと思う。何があったらそうなるのかというところであるが、君が僕の息子であることを認知しろというのだ。モルドレッドはわけがわからなかったが、キャメロットの空気をまざまざと感じて否定することしか出来なかった。
御身の子に相応しくありません。ギネヴィア妃にも失礼でしょう。それが彼の言葉で、かたくなに関係を認めなかった。すでに王妃ではなくなったにしろ、彼女は確かにキャメロットの女主人であったのだ。たとえ、処刑執行の対象者となってしまっても。
あの“当たり前”な感性を持つ王妃のことが、打たれ弱くて泣き虫な少女のことが、どうしてだか妹のように思えて心配だった。妹は居た覚えがないのだけれど。
悲劇だと思ってしまったけれど、波乱万丈な人生だったけれど、楽しかったことも嬉しかったことも鮮明に思い出せるから。―――それだけでいい。
友と約束した空を見上げ、立ち込める暗雲がかすかな光を遮った。今は見えないが。それだけでもきちんと自分の幸せを感じるから。人としての当たり前をしかと抱えて、前に進んだ。
王に逆らうのは、大罪である。
円卓の騎士に迎え入れられたその日から、騎士のすべては騎士王アルトリウス・ペンドラゴンただ御一人に捧げるべきである。しかし。
―――ヒトならざる道へ向かわんとする王の意思は何処に?
正せ、と心が叫んだ。
帰せ、と魂が吠えた。
戻れ、と体が震えた。
なら、為すべきことは一つだろう? やるべきことは分かっている。その時の為に、モルドレッドは今まで”力の解放”をしてこなかったのだから。
ちりん、と耳の奥で鈴が鳴る。母の姿が見えず不安になる赤ん坊のモルドレッドのために、母のドレスに結ばれた小さな息子の瞳と同じ鈴の音色だった。
その音色をかき分けると、声がした。見知った人の声で。モルドレッドの記憶なのだと分かったから、おとなしく耳を澄ませる。人は死を迎えるときに、己の過去をたどると言うから。
ベディヴィエールは言った。
『御自分のために笑みを浮かべられたことがないのです。』
切なげな笑みだった。
モルドレッド卿が来るまでは、ずっと善き王であろうと。民のための統治者という歯車であろうとして来られた。ブリテン島を統べる王もまた人であることを側でお仕えしたベディヴィエール卿はよく知っており、人間味のある彼を支えることこそを至高の喜びとした。
そんな彼を、忠言を申した彼を、血の海に叩き落した。あの瞬間から、アーサー王ではなくなってしまった。そばで仕え続けた彼の嘆きのようだった。
ケイ卿が言った。
『アイツは100と1を天秤にかけて悩み抜いた挙句に100を取ってきた。だが、一度たりとも取れなかった1の方を忘れたことはない。』
不遜な態度からは分からぬ繊細な気配りが上手な騎士だった。
苦しみを抱え続けてしまうような、不器用な優しさを持ったただ一人の少年なのだと苦し気に零した彼は。エクスカリバーによって運命を握られた義弟の在り方は、ケイ卿にとってどんなふうに写ったのだろう。
不死性を剥奪された王に危機感を覚えたが、それ以上に成長する義弟の姿を喜んだのもケイ卿であった。その数年後、聖剣によって人間としての機能を停止させられた義弟の、人間としての機能を果たした生きた証拠が現れて、誰よりも歓喜した男でもあった。
ガラハッド卿が言う。
『……魔術師殿が仰るのは、どちらも犠牲の上に成り立つものです。一人に背負わせてすべてを良しとする我々と、犠牲を出してすべてを救おうとする王の違いは何なのでしょうか。』
どうにかしたくてあがき続けた友だった。
それでも苦しみに喘ぐ民を守ろうとする王のことを、敬愛して止まぬから。彼は身の丈より大きな盾を振りかざし、守ることを深く誓ったのだ。
母モルガンが遺した。
『ヒトに愛され、ヒトを愛し、ヒトのまま生きて死になさい。』
彼女が弟に向けて強く遺した言葉であり、王の話を語るたびに口ずさんだ口癖であった。理解も納得も、今なら出来る。大丈夫。分かっております、母上。
―――王の御心にそぐわぬ暴走を御止めするのは、我々家臣の務めである。
神の槍を受け止める。躱すばかりでは、神の座に召し上げられつつある王を引き留めることが出来なかったから。使えるものはなんでも使った。
あ、と誰かの声が屍ばかりの戦場に零れ落ちた。すこし離れた場所では馬たちを連れてやってきたベディヴィエールが見える。見開かれた瞳は、見ているこちらが痛みを覚えるほど揺れていた。
「―――…モルドレッド…?」
だから―――こうなることも承知の上のことだった。全身全霊。文字通り全てをかけて、あなたをただ一人の人間として、神座から引きずり下ろす。神になどさせてなるものかと血反吐を以て、叛逆の狼煙と致しましょう。モルドレッドが愛する父王よ、我らが最愛なる国父よ。あなただけの道を駆け抜け、ただアルトリウス・ペンドラゴンとしての道を。俺はその道を、守り通すから。
―――そう。なんでも使った。
―――我が身を以て、神を人に繋ぎ止める為の楔と為したのだ。
腹を衝撃が突き抜けて、モルドレッドは息を詰めた。神槍を握りしめたままの手を弾く。もう片方の手へと柄を向けるより早くぼやける視界の中、人間の表情を取り戻した
無事に生還した。帰還なされた。俺が敬愛する父上が。我らが愛するお人が。限界を振り絞って途切れながらも、人として当たり前の言葉をかける。おかえり、なさい。視界は黒く染まり、剣を握りしめたままの体からは力が抜けて行った。