指先から黒い塊が吐き出される。弾丸のように飛び出したそれは骸骨の兵にぶつかり、ピンボールのように骨を弾き飛ばした。
カランカラーンと音を立ててしまったことでさらに骸骨の兵士たちに囲まれたのは、見知った顔の女性である。カルデアの所長。ゲームで言うなれば、チュートリアルの司令官のような人であろうオルガマリー・アニムスフィアが、そこにはいた。
「もう、なんなの、なんなのよ、コイツラ!? なんだってわたしばっかりこんな目に遭わなくちゃいけないの!? もういやぁ!」
肌が焼けただれ、腐敗したゾンビに囲まれて。こんな場所でなければ、うっかり見惚れてしまうほどの陶器のような白い美貌を幼子のように歪めて。泣き叫ぶ、彼女。
「オルガマリー所長……!?」
錯乱具合に少年は思わず名を呼んだ。
ほろりと涙が曲線美を伝い、彼女の目と少年の目が合う。少年は一瞬にして不安から驚きに見開かれたハシバミ色の瞳が、不快げにじろりと歪んだのを見た。
「あなたたち……!? もー、何がいったいどうなって、いるのよー!?」
「ヤァッ! 所長、混乱するのもわかりますが! 今はどうか落ち着いて!」
盾を振り回す少女の背後にコソコソと隠れながら少年たちは女性と合流し、緊張感と恐怖でじわりと滲んだ汗を垂らす。
少年の肩を掴んで振り回しそうだったのをマシュが叫びながら盾でエネミーを迎撃することによって回避し、女性はようやく気持ちを持ち直すことに成功したようだ。
「エネミーの真っただ中です。……マスター、指示を。オルガマリー所長を助け出し、ここを離脱しましょう。」
「う、うん、わかった!」
誰かを助けるためなら多少の無茶は出来る。生来の人の好さが遺憾なく発揮し、彼は戦う意思を己から掴み取った。乾燥して霞み始めた視界を気合で開き、崩れ折れそうになるメンタルを根性で叩き起こし、敵の壁が薄くて崩しやすそうな場所を探した。
これは現実だが、ゲームでも弱そうと言うか、もろそうな場所から崩すのが鉄則である。所長を助けるために切り開いたばかりの道は、すでに新手によって塞がれて別の道を踏破するしかなく、だからこそ血眼になって探す。
魔術なんてものを知ったばかりの少年は、ゲームで鍛えた頭脳で突破口を探した。積み重なって今にも崩れそうな、あそこだ。積み重なる敵の、崩れそうな隙間。
「マシュ、あそこ!」
「はい、マスター! やぁぁああああっ!」
指先から赤色の印のようなものが飛び出し、それが目印となる。どの敵だと迷う間もなくマシュの盾が敵を突き飛ばし、そこへの道を切り開く。
慌てて廃車から飛び降りて、ぼうっとする所長に声をかけて全力で走る。ヒールの音が、遅れてやってきた。敵に気を取られて―――と言うよりも、純粋に走るのが遅かった。
それではせっかくマシュが時間を作ってくれているのに、敵に囲まれてしまうのは時間の問題。雪崩の一角を崩したに過ぎなかったから、そこから雪崩れ込んできたらひとたまりもないのだ。とっさのことで立香は所長の手をひいて走る。文句を言われても、今は彼の耳に届くことなかった。
今の立香を突き動かすのは死にたくないという意思と自分たちの為に敵に立ち向かってくれた、マシュへの想いだけ。戦うことすべてを任せるしか出来ない今、自分の出来る最善のことを選んだつもりで。故に、彼は立ち止まることなく走り続けた。
「は、っ、はぁっ…!」
ひとまずは安全そうな場所へ。川沿いの橋の下へ逃げおおせた三人は息を整えてから状況の確認をしようと顔をあげる。
「さすがです、マスター。ミッションコンプリート、ですね!」
「マシュのおかげだよ……ありがとう…。」
よかった……全員無事だった。緊張の糸がほどけて立香はその場にしゃがみ込んだ。もう一歩も歩けそうになかった。はふはふと息継ぎを繰り返す藤丸 立香。
彼は、輸血に協力を依頼されて、その協力に応じたら不思議な機関に放り込まれただけの、ゲートをくぐる際に行われた擬似レイシフトなるもので目を回し、床に転がって眠るほど魔術に耐性がからっきしの。ただの一般人である。
幻影の騎士が微笑み、少年を称えた。48番目のマスター。一般人枠のマスター。そんな肩書きを受けても、少年はそれを耳なじみのない言葉として認識する。
主人を意味する言葉で呼ばれて首を傾げるほどには、魔術師の世界についてからっきし。物語で「魔法使い」の存在があることは知っているが、それも架空の世界の話と思ってしまうような一般人である。
―――そう、ただの数合わせでスカウトされ、偶然から世界最後の
――――彼は、
カルデアが爆発する直前まで、自身に与えられた部屋で邂逅したドクターと呼んだ男性。彼と一緒に他愛もない会話で弾み、年齢相応にはしゃぎ、それで大爆笑。
かつては興味津々で学友たちと一緒に覗き見た、彼らの兄姉秘蔵のえっちな本の話だってコソコソとして。大袈裟な反応でひっくり返ったドクターの様子にきゃきゃと手を叩き、些細な事でも大袈裟に笑い。―――煉獄の最中、一人の少女にひっそり恋心を芽生えさせる。そんな極めて普通の感性を持つ少年だ。
何もかもが分からぬまま、武器となる令呪を取り。自分が愛する
正確には、
―――それは何と、儚き
絶望に濡れながらも生を諦めぬ強さであり、只の人であるがゆえの弱さである。だが、逆境に抗う民草の瞳を、この少年の眼に見た。ならば、それだけで理由としては十分だろう。
終わりを迎えた世界を救うという心構えも覚悟もなく、勢いのまま成り行きで最後のマスターになってしまった。どんなにそう最後のマスターと振る舞っていても、彼は何の力もない普通の少年なのだ。己の振る舞いは、力の均衡はむしろ釣り合えるはずである。
その危うさを知る身としては、此処が故郷であれば。今すぐにでもキャメロットで保護しろと指示したことだろう。運命とはかくも残酷なものだ。
背負うべき者には背負わせず、背負う必要のない者に重荷を背負わせる。目を離せばポッキリと折れそうなほどにか弱く、けれども何かしらの為に必死に二つの足で立ち上がる少年を、アルトリウスは粒子となった状態で見つめた。
■…
呼吸も落ち着きを取り戻した頃、三人はそれぞれの表情で棒立ち状態となった。呆然の女性、緊張の少年、真剣の少女。しばらくして女性―――オルガマリーは二人の様子を見つめて呟く。信じられないと形容した表情のまま、同じセリフをもう一度。
「どういうこと……」
「ああ、わたしの状況ですね。信じられない―――」
「わかってるわよ、そんなの見たらわかる! サーヴァントとの融合デミ・サーヴァントでしょう!? わたしが言っているのはね! そこの一般人!」
説明のために間に入ったマシュを押しのけるようにして、彼女はびしりと少年を指した。立香はしゃがみ込んだ姿勢からゆっくりと立ち上がって首を傾げる。まったくもって怒られるような身に覚えがなかったのだ。
だって、彼女が誘拐犯を取りまとめる組織の主人であると自己紹介をして。加えて立香が眠ってしまった原因も、入り口―――ゲートのレイシとにあるとドクターが言ったのだから。
どちらかと言えば、立香が被害者の立場にあるのだろう。不思議現象ばかりを引き起こした責任者が、こうもやけっぱちのような雰囲気をしていては状況を聞くに聞けなかった。
「わたしの一世一代の演説に遅刻してきた一般人!! そ、れ、が! どうして! こんな! ところに! いるのかってことよ!!!」
言おう、理不尽であると。
しかし、立香はぐむ、と黙る。不興を買ったら日本に帰してもらえなくなる、という最悪な事態を予想したからだ。
「どうしてマスターになってるのよ! あなたみたいな一般人が、マスターになれるはずがないじゃない! どんな乱暴をその子に働いて、言いなりにしたの!?」
大変な誤解が誕生したことだけは分かったので、慌てて立ち上がって訂正した。彼女には助けてもらってばかりいるから、あながち間違いではないのかもしれないが、これでも出来ることはやってきた―――つもりである。
「誤解だ!?」
「何が誤解してるのよ!? そうでもしないと、あなたみたいなのが、マスターに、なれるはずが、ないじゃない!」
訂正しようとしたが平和ボケした世界できゃきゃとはしゃぐ男子高校生程度の語彙力ではどうしようもなかった。あられもない疑いに泣きそうになる立香に慌てたマシュがオルガマリー所長にこれまでの経緯を説明する。
「所長、経緯を説明させてください。その方が、この事態についてもわかりやすいと思います」
それによって、どうにかこうにか、彼女の誤解は解けたようだったが。新たな問題が生じた。幾ら男子高校生でも理不尽の連続には精神が擦り減るものだ。
いっそのこと健全とも言うべき反応であるが、状況としては問題でしかなかった。えぐ、えぐと涙を流しながら嗚咽を漏らす男子高校生の出来上がりである。我慢の限界突破。分かりやすく言うと、涙腺が崩壊した。
「ちょ、ちょっと……」
「日本に帰してよぉ……! 緊急だから血を恵んでって言われて車に乗ったら意識無くなるし、目を覚ましたら見知らぬ床に転がってるし、マスターとかサーバントとか、大火災とか、急に始まったバイオとか、もうわけわかんねー!」
「……え!?」
「え!?」
一般人枠のマスター? ―――……否、
辻褄があってしまう魔術師として非常識な少年の在り方に、優秀なオルガマリーの頭にそんな図が浮かび上がり、顔色を更に青ざめさせた。今までの道中をともにした同じくマシュも完全に一般人が相手であるとは知らず、結構な無茶をさせてしまったと狼狽える。そんな。青ざめる少女の表情を見た少年は慌てて握りこぶしを作って言った。「マシュは身体を張って戦ってくれてるんだから俺もがんばらないと。」立香の健気さに、今は甘えるしかなかった。
それはそれとして、此れはあとでドクターに報告案件である。責任者はレフなので、レフにも相談するべきだが。彼女は言葉を失くしているようだった。
無理もない、と黙り込んで俯いたままの所長にマシュが視線を向ければ、彼女は細々とつぶやき始める。思わず立香も泣き止んで何事かと耳を傾けたところで、叫ばれた。
「……なによ、それ……最っ悪じゃない! つまり、もう、…それでもこの男しか頼れないってことなのよ! 一般人!? 枠通り越して、ただの一般人! どうしろってのよ!?」
「所長!?」
「ああ、もう、どうしてこうなるの、わたしがなにをしたっていうのよ!?」
「所長、落ち着いて。いったい何が」
「あなたの説明で確定したのよ。そこにいる一般人以外ここにいない。全滅したってことがね」
ビシリ、と所長のヒステリックを宥めようとしたマシュと立香の動きが止まった。
ぜんめつ。ゼンメツ。全滅? ゲームの全滅と違う点で言えば、レイシフトする前のカルデアの風景である。冬木に負けず劣らず燃え盛り、瓦礫の下敷きになった彼女。マシュ・キリエライトはあわや死ぬところであった意識のあと今ここに居るのだ。
腕を振るわんとしたオルガマリーの腕を止めるためにあげられた立香の両腕が下がり、顔色が青くなる。だって、全滅って、それじゃあ。あの説明会に顔を出した人たちが。死んでしまったことを意味するのでは。
けれども、オルガマリー所長が存在するのであれば、他の誰か一人でも存在しても良いのではないだろうか。と考えたところで、立香の縋るような眼にオルガマリーは首を横に振った。
魔術師は一般人にとって非道な存在である。クソ倫理観の外れた哲学的なヘンタイども。誰かは魔術師のことをそう罵倒した。
そんな中でもオルガマリー所長は合理的ではあるけれど、比較的それなりにまぁまぁ情のある魔術師であったから、立香の知能に合わせて説明する。下手な希望を持たれて、今度こそ全滅してしまうことを避けるためでもあったが。
「いい? よく聞きなさい一般人。」
オルガマリー所長も、立香も、マシュも。タイムワープをする技術―――つまりは、レイシフトを安全にするためのカプセル”コフィン”に入っていなかった。
しかし、他のマスターたちは違う。この特異点Fにレイシフトするために、出発の準備を―――コフィンへと入っていたのだ。
「これが、わたしたちと彼らの違いよ。」
コフィンは常時、中に入った人間の生体をスキャンする。
波長やら音波やら魔術回路やらの状態が正常であるかを確認し、安定した数値を100%と定めて常にレイシフトの成功率を拘束暗算するのだ。レイシフト成功率が95%を下回ると、中の人間を守る為に安全装置が発動し、コフィンの電源が落ちる仕組みである。
「だから、他のマスター候補たちはレイシフトそのものを行っていない。というのが、判明したということなのよ。分かったかしら。」
はく、と呼吸を忘れたように口を開閉し、立香は震えた声で呟くように問う。じゃあ、どうして自分たちは。オルガマリー所長はあっさりと、バッサリ切り捨てるように返した。
コフィンに入ると成功率が95%を下回ると電源が落ちるのが、前提として。裏を返せば、コフィンに入っていなければその制約はない。それに、レイシフト成功率は下がるが、適性がある限り成功率が0%になることはない。カルデアからべつの場所へレイシフトする可能性がある。
コフィンに入っているということは、逆に言えば、成功率95%以下とはその安全機構によって成功率0%と同義になるのだ。
だから。そうか、だから、此処には―――!
燃える冬木にはほかに生存者が存在しない。立香は現実から切り離されたような感覚で理解し、そして、所長が叫んだ理由が分かって、ただ青ざめる。
エリートであろう魔術師じゃなくて、一般人からたまたま偶然でスカウトされた―――と思えば誘拐確定の少年。喧嘩も強くなければ、頭の回転もよろしくない。当然だ、よくあるラノベのような才能はなく、現実を生きる、ただの男子高校生なのだから。どちらの絶望も濃厚なものであった。
そんなの物語で言えば、
この終わることしか分からない