召喚に応ずるもの
少年のうめき声がした。のどかな平原でまどろむような和やかな談話をどちらともなく中断し、レオナルド・ダヴィンチはぼんやりとした様子のまま目を開閉する立香の顔を覗き込む。
うすぼんやりとした空の眼の焦点は合わず、されども光を追う程度の回復はしている。どうやら目を覚ましたばかりのようだけれど、未だ意識はハッキリしていないようだ。ただの一般人である少年がたどった最初の旅路を最新のキャンパスから描き取り、そりゃあもう無理もないと疲労困憊の身体で起き上がろうとする彼の手助けをする。
本当ならもっと休ませてあげたいところなんだけど、そうは問屋が卸さない。時間が経過すればするほどに、未来は、過去は、現在は、失われゆくばかりなのだ。
「おっと、本命の目が覚めたかな? や、おはよう。」
「おは……??」
寝起きにはよくあるものだろう、とレオナルド・ダヴィンチは言うけれど。時間は有限だと、理解もあるのだけれど。
ただの一般人の少年に、あの激戦は相当な負荷が掛かったはずだ。もうすこしゆっくりさせてやることは出来ないのだろうか。
ライダーの感情が伝わってしまったのか。小動物は小さな前足で鎧を叩く。ダヴィンチ殿も考えていないわけではないのだと恥じ入り、小動物の訴えを甘んじる。しかし、それでは前足が痛んでしまうだろうと、鎧の部分を霊体化させた。
レオナルド・ダヴィンチはコッソリと彼らの様子を見た。やや細身ではあるものの、やはり騎士は騎士。あの動きからすると、おそらくは速度を重視した逸話持ちのはず。魔鳥に跨った円卓の騎士などついぞ聞かなかった伝承ではあるが、それでこそ探し甲斐があるというもの。
それはそれとして、彼しなやかな筋肉が程よく乗っているねえ、こんな状況でもなければじっくりと観察させてもらうのに、と稀代の芸術家は横目で見やりながら立香の様子を見守った。
「おはよう、こんにちは。今度こそ、意識はしっかりしてるかな?」
「おはようございます。リツカ。」
「おは、よう…。ライダー……あと…、だれ……?」
「おや、あまり芳しくない反応。驚かないのかい?」
目をシパシパと瞬かせて、立香はゆっくりと起き上がった。絶世の美女を前にしても、眠る前の衝撃には押し負けてしまったようだ。
芸術的なうつくしさを前にしても、あ、なんか教科書でみたことある、という感覚になってしまうあたり寛大というか素朴というかなんというか。
混乱する頭を抱えながら立香は己の記憶をひたすらに往復した。何があったっけ、どんなことがあったんだっけ、どうしてこんなところに居るんだっけ。ライダー、さんが居るってことは夢じゃなくて、じゃあ、あのとき意識を失ってしまってから、意識を失って。それから、それから?
「マシュは!? 所長は!? みんなは!?」
意識が完全に覚醒した。けれども、芸術家の思ったような反応ではなかった。
甘酸っぱい展開になってしまっては困るような気もするけど、それはそれとして、幼気な少年をからかって現実を教えて楽しむつもりでもあったのだ。
じわ、と浮かんだ涙を前にそうも言ってられず。―――関係なくぶっ込める程度には情緒が破綻した英霊ではあったのだけれども、空気の読める美女ではあるので。最悪な事態にはならずに済んだとおちゃらけるように、にこりと絶世のうつくしき微笑みを携えて生還を祝福した。
「起きたら目の前に絶世の美女がいたんだぜぇ? もっとこう、恋愛小説的に飛び上がって見せるとか、ないのかい? っとまあ、みんな無事だよ。おかえり、藤丸少年。」
立香はそれぞれ無事であることにホッとして、帰還を喜ぶ言葉に応じた。普通の少年らしく、善性の心で安否を確認する姿にレオナルド・ダヴィンチは瞳を細める。
カルデアの協力者を名乗った彼女―――彼―――彼女か。カルデアが試験的に召喚した英霊の第三号として継続雇用を受けた。商人と技術者の役割を受け持った彼女は、時間は有限だからと言って説明のために部屋を移動する旨を話す。
「え、え、?」
「わからないかい? それとも、混乱しているのかにゃぁ? でも、そうは問屋が卸さない。なにせ、時間は有限だ。全部が全部消滅したとしてもね。―――いいや、むしろ、今の状況だからこそ何よりも時間は大切さ。さあ、立ち上がって。」
「あ、は、はい!」
「……目を覚ましたばかりでは大変でしょう。お手どうぞ。」
「う、うん。」
肉体よりも精神面が思った以上に不安定だと見抜き、ライダーはそのまま手を貸した。ふらつく立香を支えながらカルデアスのある管制室にたどり着くと、そこにはカルデア内部を探索すると別れた王と幼き英雄王の姿がある。
コツコツと歩き進めるうちに、恐怖の塊であった名残を残した人の影が、視界におさまる。ばくばくと心音が激しく脈打ち、指先から温度は消えてゆく。
「ひゅっ……」
冬木で、あの燃えるような地獄の世界で、戦ったはずの、弓兵の姿もあった。だが、黒化とやらの影響は受けておらず、通常時の姿なのだろう。
認識できるほどの知恵も能力もなく、目が合う。恐々と表情を凍てつかせる少年を背に庇うようにして、ライダーは真正面に赤い衣の弓兵から視線を受ける。鎧をまとったライダーの姿に目を開き、何処か嬉しそうに瞳を細めた弓兵。
はたり、とライダーは気づく。あの弓兵は、もしかしたら。だとしたら、怖がる必要はない。表情を強張らせた立香の様子に気づいてライダーは軽くフォローを挟む。
「……リツカ、彼は敵ではありません。」
穏やかな表情を見せる彼は、少年マスターが冬木で見た敵ではない。敵意もなければ、生来お人好しな彼のことだから。おそらく世界の危機を前に見て見ぬふりなど出来ず、真っ先に駆けつけてきてくれたのではないかと思う。なによりも、魔力のパス―――経路は少年マスターにある。
人はそれを身内贔屓、と言うのかもしれなかったけれど、彼のお人好しに救われて来た幼き頃の思い出を手繰り寄せながらライダーはそう推測した。
「そ、そうだよ! 君たちの帰還後、どうやら聖晶石が転がってしまったようでね。それで召喚されたサーヴァントなんだ。敵じゃなくて、君たちの味方だよ。」
その波をはなしてなるものかと重ねるように補足したドクターの言葉のほかに、最も信頼できるものがあるとするならば。
それは何より、ライダーが敬愛する王がその刃を向けていないことや幼くとも立派な王の顔をする英雄王が、敵意を向けていなかったことだろう。
ああ、とゆったりと同意した弓兵は、鋼のような瞳をふわりと和ませて。近所に住んでるおじさんが、よく俺を見るときの目だ。おおきくなったね、と成長を笑ってくれるときのかお。ぼんやりそれを認め。危ない人じゃなくなったんだ、と握りしめたライダーの手のひらをやわやわと離した。―――でもちょっとこわくて、その背に隠れてしまったのだけれど。
「……それにしても久しいな、」
「私のことはどうかライダーと。……今は、その名を明かすわけにはいかないのです。」
音を塞ぐように畳みかける。切り離したもうひとつの分身体から、遠くで呼ばれている気がするのだ。それを断ち切るためにも、その名でこの世界と完全なる縁を結ぶわけにはいかない。
呼ばれそうになった名前に、どうやら彼は己の知る弓兵であると理解したライダーはやや遮るようにして訴えかける。何かを言いたげに口を動かした彼は、溜息とともに了承した。「まったく、相変わらずのようだな。」しかし、どこか嬉しそうに口ずさまれた言葉は、ライダーが母親を討つ前にも見せてくれた顔だった。
「……ずいぶん立派に成長したな。 床に臥せるばかりだった君が、己が志した騎士に成れた姿を目に出来ようとは…。」
「―――それもすべては母と貴方のおかげです。」
あの時、あの時代で、この弓兵に騎士としての姿を見せることが出来たのは一瞬で。召喚術者を失った弓兵もまた、サーヴァントとして消滅してしまったから。こうしてゆっくりと対面して見せることが出来たのは、カルデアでの対面が初めてのことであった。
弓兵の言葉で視線が集中するのを感じたが、どこ吹く風。そこまで酷かったのか、と眉を寄せる王には、素直に眼差しで答える。
騎士となれたことが奇跡と思えるほどには。母が施してくれた術のおかげで常人と同じ位置にようやっと立つことが出来たのだ。自分のことはさておき、とライダー自ら放り投げて。
「ああ、せっかくだ。口上を述べて契約を結んでおこう。―――君が、マスターか?」
「う、うん、そう、です!」
「サーヴァント・アーチャー。召喚に応じ参上した。……エミヤとでもアーチャーとでも好きなように呼んでくれ。」
「は、い! えっと、よろしく。エミヤさん!」
緊張がほどけて、少年らしく無邪気に、けれども大人を慕う敬称をつけて。―――そんな立香のことをエミヤは危ういと思った。
一般人に世界を救わせるなどと、まるでブーメラン。変わってやれるのならば変わってやりたかったが、世界と命運を共にするエミヤにその資格はない。心はあそこに、身体は常に鋼となり、歯車の一つとして行動する身には。―――ああ、運命とは、かくも残酷なことだ。
アーサー王の側に身を寄せたライダーは、幼少の頃の一部を語った。まだ騎士に憧れて、修行を始める前のしあわせな頃の記憶。その一部をかたどる人物のひとりだと紹介した。
エミヤの作る料理は、いつも険しい表情か、曇らせた表情を浮かべがちな母に穏やかさを取り戻してくれる魔法のようなものだったのだと。母の笑顔のために教わった料理の腕前は、ライダーがキャメロットの騎士となってからもふるわれたのだ。
円卓のメシマズ事情を知れず解消した影の功労者。ブリテンを滅ぼす子の誕生は預言から脱することはなかったけれど、その予言も数百年の時を過ぎさせてようやっと成就した。
母が言うには「要するに生まれて来なければ滅びを回避できたのでは」と。それは子どもの心を傷つける一言ではあったのだけれど、息子は同意見である。
エミヤが叱りつけるまでは、二人そろって同じ意見で語った。そうして唯一の良心からつよく叱られてからは、母親からたくさん甘やかされるようになったのだ。あらゆる意味で救われた、しあわせな日々だった。
あのしあわせがあったからこそ、ライダーは最後まで抗することが出来たのだ。もちろんキャメロットでの日々もまた、ライダーにとっては欠かせぬしあわせなのだけど。
「そうか。君にとっての、もうひとりの……」
「はい、母親のような人です。」
「母親のような人です!?」
眼差しが、まるで母のようで。そっくりだった。だから、母親のような人なのです。繰り返し二度告げたライダーは、とても真剣だった。
あまりにも真剣な雰囲気だったから、否定するにも出来ない。あの姿を曇らせろって? 無理を言うな。あまりにも衝撃なことを告げられて驚愕の声をあげたドクターや立香の様子には深く同意し、エミヤは苦笑を浮かべながら悪い子ではないのだと弁明した。お母さんだった。
再会を喜ぶことはとても良いことではあるのだけれど、時間は有限なのである。仕切り直しのためにドクター・ロマニは拍手で視線を集め、咳ばらいを一つ。
ここに集まってもらったのには、生き残った最高権力者として少年を説得する義務があったから。大変なことを解決するための手段はあるのだけれど、その説明よりも前にするべきことがあったからだ。
「まずは、感謝をしよう。なし崩し的に色々と押し付けてしまったからね。でも、君は、その困難を乗り越えた。最大の敬意と感謝を送るよ。―――あと、気づいてあげられなくてごめんね。一般人枠じゃなくて、一般人だったんだね。」
「いえ、そんな……。マシュや所長がいてくれたから越えられたんです。」
自分だけだったら何もできなかった、と眉を落とした少年の瞳は翳り、マシュは祈るように手を組みながら一歩前に出て、鼓舞するように言った。
「賛辞は素直に受け取りましょう先輩。先輩は、魔術師として、とても素晴らしいご活躍をなされたのですから」
「…………えっと、でも、」
少年の眼は狼狽える。あちこちを彷徨って、靴先を見下ろした。
「うんうん、マシュの言う通りだ。所長のことは残念だったけれど、今は義体を作ってあげる余裕がない。まだ、爆発で死んだ職員の遺体すら掘り起こせていない、復旧も終わっていない。全てはこれからなんだ。なにせ、カルデアスを見る限り、レフの言葉はすべて真実だからね。」
ぐ、と沈黙が広がる。
一応、水晶はライダーが預かったままに、義体の調整のためダヴィンチ工房に時折寄るようにと指示を受けたので従うが。それでもオルガマリー所長の肉体が死んでしまったことには変わりがなかったからだ。