人類の滅亡。
まるで物語のようなそれが、現実として叩きつけられた今日。カルデアの外には何もないのだと同義だと理解した瞬間、立香は足元の地面がすべてなくなってしまったかのような感覚に襲われて眩暈がした。
ぐらりと歪んで落ちた視界を堪えても、目が熱くなる。夢物語のようだった。何よりもだいすきで、ずっとたいせつな、お母さんもお父さんも、好きだった場所も景色も食べ物も。ぜんぶ、なくなってしまったと言うのだ。
大事な家族が居て、好きな友だちが居て、大切な場所があって。ようやく一人の世界は色づくと言うのに、そのすべてが無に。―――ひとり。ひとりぼっちに。
荒く途切れる呼吸にドクター・ロマニは声を掛ける。あんな死が、恐怖が、蔓延る地獄を歩ませておきながら、ろくなカウンセリングもフォローもせず。否、してやれるだけの余裕も猶予もなく始めてしまった事実報告は、やはり無理があったのだ。大事なものを失くしたこどもの声が、悲鳴となって胸を刺す。
「―――……ツカ」
息が詰まる。まるで世界から弾きだされでもしまったかのようだった。どうして。どうして。なんで。答えのない迷路が頭の中に浮かんでは萎む。「……っあ、」ぐらつく視界に、燃えるような紅が映り込んだ。
「リツカ」
視界が弾ける。常闇の中に見つけた灯へ惹かれるように目を向けた。兜越しに見えるは灯篭に宿る焔火。迷い後を誘う導のような安らぎをもたらし、呼吸を震わせながら少年の慟哭は止む。
「……そう、そのまま俺を見ろ。―――…大丈夫です。此処に、過去の人間が居る。」
「かこの、でも、消えたのは未来、なんでしょ……?」
レフは言った。未来の焼却と。そのために、現代のすべてを燃やし尽くしたのだと。
だからこそ、世界は滅びたのだと断言を―――「本当に?」 全て終わったことで、此れからの未来には、現在には、無意味だと断じることは可能なのかと篝火が問う。手のひらで目尻を擦りながら、少年は己の手のひらを見た。
否、見えた。手がある。母からもらった大事なからだ、父に守ってもらった甘えたなこころ、両親が育ててくれた一人のこども。どうして、見えるの。ぜんぶ滅びたんでしょう。―――ほんとうに滅びたの? 疑問が首をもたげる。
畳みかけるようにライダーは、とんと己の胸に拳を当てて背筋を伸ばして言う。何よりも、英霊こそがその証明であると断言してみせた。
「唐突に未来を消すことは不可能でしょう。現に、カルデアがレイシフトした場所は、今より過去の世界だ。
威風堂々たる態度で、自分たちの存在を証拠のものとして扱った。当然のことだ、何よりアルトリウス・ペンドラゴンとライダーは、まだ此処に居る。
ライダーがライダーを名乗る理由の一つとして、アーサー王にまつわることに関しても未だ説明するわけにはいかないのだけれど。今も過去から現代にかけて“生きる者”であるのだから、れっきとした証拠になり得る存在なのだと心で訴える。
「英霊として現界した我々が存在するのであれば、今を諦めず未来を掴まんとする人間が居るのであれば、完全に人類が滅びたと断言するには些か早すぎる。
泣き出しそうな少年を前に、ライダーは淡々とした口調から茶目っ気たっぷりに言った。生前も隠してきた本来の口調は、まるでエミヤの知る彼女のようだった。
兜の隙間から見える、燃えるような紅蓮の瞳が立香を見た。爆ぜるような焔だ。息を呑む。燃え続ける焔に心を掴まれた。思わず誰もが活動を制止し、息をとめては耳を傾け、言葉を聞き入ってしまうほど。引き寄せられるように、縋るように、視線を集めたライダーは少年のような音色から再び淡白とした静かな声で言葉を重ねた。
―――悪しきと戦うのための力が必要ならば、戦うための力をお貸ししましょう。
―――守るための力が必要ならば、守るための力をお貸ししましょう。
―――前に踏み出すための勇気を要するならば、
―――よろしい。
―――我々があなた方の
どこか、穏やかな声だった。まるで王子様のようだと立香は思った。片膝をつき、立香の令呪を宿す手をとりながら、彼はうたうように言ったのだ。
「リツカ、カルデアの皆さん。あなた方の味方は、人が歩んだ歴史の数だけ存在します。今もまさに築き上げるそれが、あなた方の絶対的な力となるでしょう。」
歴史に名を残す偉人たち。世界を守護する守り手に記録されたものを英霊―――サーヴァントと呼ぶのなら、人が歩んだ歴史の数だけ存在する。ひとりで一騎当千の戦力と言えるのなら、もうすでに4人も揃ったのだから相当なものだ。
「俺たちは
人としての生存本能を、決して忘れてくれるなとライダーは言って。静かに辺りを見渡して威風堂々と言葉を紡ぐ。
「……恐れるなかれ、とは申し上げません。むしろその恐怖こそがあなた方を守る術、それは命を守るためにとても必要なことですから。どうか忘れず、大切に持ち続けて。…あなた方を、我々が必ずお守りします。」
―――不思議と気力が湧いてくるそれを、まるで魔法のようだと立香は思った。
燃えるような瞳が辺りを見て言った。「どうか、あなた方の隣を見てください。」どこか祈るような言葉で、かつて少女の身に宿った友から受けた願いである。今こそ誰かに返すときなのだろうと紡がれたその言葉に、誰もが己の隣を見た。
同じ職場で働く同僚―――、医療機関のトップは完璧な天才を。盾を宿す少女は人類最後のマスターを。ただの少年だった彼は真横で自分を見つめる少女を。ゆるりと見渡して、見た。じわりと熱が灯る。立香の胸に宿されたままだった温もりを理解した。
兜の奥で、笑みが深まったような気がする。そうだ、まだカルデアの仲間が居る。前を見据える少年の眼にただ頷きを返す。ひとりではないのだと存在が主張した。
「あなた方の側に、困難を前にうずくまれど、明日をあきらめた方はいない。だから、……一人で重荷を背負うな。未来を共に歩む仲間がいることを忘れるなよ。」
「は、はい……!」
ふ、と兜越しに雰囲気が穏やかなものへと変わったのを感じた。絶望的な状況を前にしても、彼は存在を強めてそうして鼓舞する人なのだ。
アルトリウスは微笑み、かつての宣誓を受けたときに宿した熱が胸を焦がすのを感じた。当時のアルトリウス・ペンドラゴンは、国を統治するためだと己に言い聞かせ、神の代弁者となることを良しとした身である。
周りへの分配もそれなりにあったが、最終的には一人で抱えてしまって。結局は庇護すべき存在を―――。何が何でも阻止した騎士からの一人で抱えるなと言って釘を刺しに行く辺り、本気であることが分かった。釘を刺すだけではなく、しっかりとぶん殴ってでも止める子である。
擦り減る精神を百年ほど耐えた先の希望なのだ。アルトリウス・ペンドラゴンにとって、あのライダーの存在は。夢魔の魔術で生を永らえた義兄が屈託なく大口をあけて笑う姿を再び見せてくれて、誰もが盲信する“完璧なアーサー王”ではなくて、アルトリウス・ペンドラゴンただ一人にお仕えするのだと、鼓舞してくれたあの子の。
とは言え、引き際ももちろん弁えているので。崩れ落ちたはずの足元が、大きな地震に見舞われたかのような重心が、再び固まった。戦場で最も恐るべき事態を、戦場ではなくても無くすべき事態を回避したようだ。
察したライダーはゆっくりと令呪の宿った手を離した。子どもの心が折れること。それを大人が傍観すること。どちらもあってはならぬことで。連鎖するように大人の心が壊れることもまた防ぐべきことであった。
それは回避出来たようだけれど、とライダーは少年を見下ろす。キラキラと空を閉じ込めた瞳が輝く。依存させ過ぎるのも、よろしくはないということは分かる。しかして、力を貸す。その言葉に嘘偽り無し。
もじもじ、もごもご。「はい。」 まるで乙女のように口も手もまごつかせる少年の初心さに微笑ましさを覚えながら、返事ひとつしてひたすら言葉を待つ。
「あ、あ、の……ライダー。」
何ならキャメロットで駆けた時代。
ライダーは、その言葉ひとつすら噓偽りに等しなかった猛者である。有言実行の男は、出来ることならなんでも、の姿勢を崩さずに立香の言葉を待った。
「戦術、とか……教わりたいん、だけ、ど……ライダー?」
「戦術……ですか。……ええ、いえ、私は敵陣に突っ込んでいくスタイルだったのでなんとも言えないのですが―――ケイ卿から教わったことであれば、ええ、伝えられるだろう。」
意外と
先の戦闘で見せた飛行しつつ狙撃。それを、まさか、“本能”レベルの“感覚”だけでやったとでも言うのか。もはや天賦の才である。
ある意味ではバーサーカーにも適性があるのでは、とダヴィンチの言葉にライダーはしかと頷く。
「よくわかりましたね。基本的にはセイバークラスでの召喚が最適であるはずですが、バーサーカーにもほぼ同じ標準で適性があるようなのです。」
「じゃあ、どうしてライダーに?」
「欠けた分を愛馬が補ってくれているから、ですね。」
頼りになりそうな青年の意外な一面を早速発見してしまった。
しかし、その片鱗はある。座学をどれほどしても身に入らなければ意味ないから、模擬戦などシミュレーション出来る部屋があるのであればそこをお借りしたいと言って来たのは、もはやそれは身体に叩き込むと同意儀であったのだ。
「え?」
きょとん、とする立香に戦闘するのはサーヴァント。
戦場の空気を感じておくのは、自衛のためにも必要なことである。
「戦闘に関して何にも勝るものは経験。模擬であろうとなんであろうと経験がモノを言います。誰もが積む経験有無の差は勝敗を大きく別つ。なので、ギル殿。模擬戦にお付き合いください」
「あ、そこでボクに振るんですね。でも、構いませんよ。マスターにはたくさん回避運動を積ませることはボクも賛成ですし。経験を積んでおけば、どうとでもなりますから。」
興味がなさそうだったギルに声をかけると、すぐさま了承の返答を受けた。それではお願いします、とライダーは静かに頷き、流れるようにマシュを見た。
今までの流れがあまりに濃厚で意識してこなかったが、こうしてじっくりと腰を落ち着けるようになると、その存在のあり方が色濃く感じられるのだ。かすかに息を呑む。だって、その気配はあまりにも―――彼のようであったのだ。
守りに特化した彼は、ああ、そうだと生き様に納得した。私利私欲で戦う人ではなかったから、マシュ・キリエライトのような無垢なる子に宿ったのだろう。
正直、もう二度と顔を会わせる機会はなくなってしまったと思って神の下へ殴り込む準備だってしてたのに。こんなところで再開できるとは。たとえ、己の存在を変質させても果てのような場所であっても、友は変わらず誰かの為を尽くす性質のようだ。
ほしをみる。まどろみの中にしか見えないような小さな約束は、もう守れそうもないな、どちらも。仕方なさそうに、どこか納得したようにマシュの頭を数回撫でて、案内を頼んだ。
その感覚が何処か懐かしく、嬉しくて、マシュは応える。「こちらです!」バネが弾むような足取りで、案内役を引き受けた。