第一特異点フランス
その者は言った。
長き夢からの目覚めを待ちわびるように。短き夢からの微睡みに委ねるように。意識を覚まさせるようで眠らせる言葉。
―――赤き竜の子よ。
―――
どこか遠くて、どこか近くに感じる声が騎士の魂に響き。声に応えようとして、騎士は己の声が出ないことに気づく。何故だと疑問を浮かべるよりも早く、騎士にとって親しきものと感ずる声は、やはり同じ言葉を謳う。
身体を動かすことも出来ず、声を出すことも出来ず。全身を脈打つ熱が痛みを持ち、マグマの胎動のごとく焔を宿して焼き尽くさんとする。
―――赤き竜の子よ。
―――
何も見えない。何も聞えない。そのはずなのに、真っ暗な空間に差し込んだ、かすかな光に手を伸ばす。
あれは錯覚などではなく、騎士が守るべきと定めた魂だった。どれだけ歩いても、どれだけ走っても、近づくことのない光に、それでも騎士は手を伸ばして駆け続けた。最初の誓いを破るわけにはいかない。―――だって、それこそが、自分の生きざまであり、自分という存在なのだ。
―――
―――
―――赤き竜の子は、何が為に
は、と鼻でわらう。そんなこともわかんねーのかよ、俺の中に居るのによ。けれど、意志を貫くために騎士はその問いに答えた。
迷うことのない、たった一つの本音。守るためだと、力強く。冴え渡る白刃の剣のような、刃毀れもそりもない美しき剣のような。魂を揺さぶるほどの激情を迸らせながら、騎士は守るための力を望むのだと言った。
―――守るべきものとは何ぞ。
騎士は己の胸に手を当てて、光に告げた。答えは常に、此処にあるものだ。自分は逃げも隠れもしないから、もっと近くで観察してみてはどうだろうか。
―――力を欲するヒトの子よ。
―――力を望む赤き竜の子よ。
―――なれば、我に見せてみよ。その行く末を。
星のように空間に浮かぶ光は柔らかな円を描き、まるで流星のように騎士の手のひらにひらりと落ちた。それはやがて、剣のような形となり、騎士は気づく。
蹲まってのたうち回りたくなるほどの痛みも、焼けつくような痛みもなくなり、全身の脈が正常に始動する。コイツまさか。まさか、と思いで剣を握りしめる。現実だ。まぎれもなく現実である。破裂しそうだった心の臓腑も穏やかな息遣いを取り戻し、はたり、とした。
―――我を揮うことを赦そう。
―――我を剣とすることを赦そう。
―――此処に、“契約”は結ばれた。
―――故に、その名を
―――我が名は……
騎士の意識は醒める。長い夢を見ているようだった。しかし、あれがただの夢ではないということを他でもない騎士こそが理解している。身の内側から吹き零れるような魔力の渦が、ある一点へ集束していることが何よりもの証拠だった。
がばりと身を起こし、思わず背に手を当てる。ある。そこにある。なんで、どうして。困惑する気持ちもほどほどに、跳ね上がる気配を感じ取って姿勢を正した。
「ッライダー! よかった、目を覚ましたんだね!」
召喚者であるリツカが、安堵の表情を浮かべて騎士の…ライダーの手を握りしめて言った。その言葉に、かすかに驚愕する。まさか意識を失ったとでも言うのか。
何があったのか少し前までの記憶をたどろうとして失敗した。懐かしき魂を持った盾士の少女が目尻に涙をためて良かったとリツカと肩を寄せ合う姿があるから、急に倒れてしまったのだろう。王がライダーの手を握りしめ、エミヤが赤色の外套を纏わずライダー膝の上に置かれてある。風が冷え込むからと貸してくれたようだった。
そして、アルスターの戦士、光の御子が火起こし。その真横には、見慣れぬ―――けれども、何処か見覚えのある顔立ちの旗を持った女性……がいる。
「覚えてねえのかライダー。……テメエは、ぶっ倒れたんだよ。ま、警戒しといてやるから、
兜をかぶったままの頭を片手で押さえて素早く思い出そうと脳を動かした。生きた人間であることを隠すつもりはなかったが、どうやらバレているようだ。
タイミングを見計らって説明するつもりではあるので、まだ時期ではないことを遠回しに伝えようとして。朱色の瞳で射抜かれる。どうやら言わなくても理解してくれているようだった。そうしてライダーは、倒れた、と言葉をオウム返しに。今度こそ、記憶を手繰り寄せる。
ああ、そうだ。フランス兵士を峰打ちで倒し加減が過ぎたのか撤退を許す。それをあえて見逃し、コッソリと追いかけて砦へと向かったのだった。
砦の外壁はそこそこ無事だったが、中はぼろぼろ。―――そこはもはや砦などと呼べるようなものではなかった。何かに焼き焦がされ、大きな何かに翻弄された痕跡が見られる。出来ることを試したくなり、ライダーがセイバー化したのが問題だったのだろうと納得した。
マシュが英語で話しかけ戦闘に入ってしまった1回目の失敗を活かし、ライダーはフランス語で話しかけて、賊を撃退し、彼らの信用を得た。
生きるための気力がまるで燃え尽きそうな火の粉のように小さくなった彼らに、救いの手を差し伸べるなんてことをしてしまえば、歴史は変わる。だから、極力感情を抑えたまま情報収集を実行したのだ。
結果として、『魔女の炎によって王は殺され、休戦は結べなかった』という情報を仕入れた。つまるところ、此処の異変とは、“魔女”が王を殺害したことである。
この魔女というのは、フランスの救世主。聖女ジャンヌ・ダルクのことをさすようだった。地獄から蘇った彼女はフランスを滅ぼす為に竜と共に攻撃を仕掛けてくるのだとか。
砦から撤退する途中、“異形”の襲撃を受け。ライダーが対応。ドラゴンの亜種。ワイバーンを完全に倒し終えたライダーは意識を失った。
セイバーとしてのスキル。病弱が発動してしまったのである。体内を激しく暴れまわる己の魔力―――それにライダーは耐えきれなかったから倒れてしまったのだろう。エミヤがライダーを背負って運び、フランスの砦から離れた場所で休息、そして情報共有。そうして話し終わったところで、ようやくライダーが目を覚ました、と。
「……どうやらクラスによって、スキルの変動が激しいようです。セイバークラスは、しばらく封じることにします。ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした。」
「う、ううんっお願いしたのは俺の方だし…!」
それでも、見てみたい、と乞われて自己判断でそれに応じたのはライダーである。
「承知したのは私です。己を見誤ったことは、あなたの責任ではない。これは、私の未熟さゆえのことです。だからどうか、気になさらないでください。」
セイバーとしての最盛期は母の術が解けた状態のことを指すようだった。そりゃ最大火力になるので当たり前と言えば、当たり前なのだけれど。
ライダーに施された常人と同じ肉体を得るための魔術―――その条件を知るエミヤは表情を険しくした。彼が苦戦を強いられる敵とは変に考えるのも良くないが、しかし、彼が望んで手に入れたものを手離さずには勝利を得られなかった相手が居ることを示したからだ。
ゆえに、その厳しい眼に肯定を返す。ああでもしなければ叶わなかった。敵わなかった。かの騎士と剣を交えるには、当時の自分は万全とは言えなかったからだ。
「―――…まさか、腹に穴を空けたまま?」
「全ては貴方の騎士として、私が望んだことです。」
その二人の会話は、衝撃を放った。やるじゃねえか、と喜ぶのはアルスターの戦士である。
おそらくは王を守るため、それだけの理由でライダーは瀕死の状態ながらに騎士と戦ったのだと言う。会話の中、卿、と言葉が零れた辺りに彼と剣を交えたのは紛れもなく円卓の騎士。そしてライダー自身も円卓に名を連ねる者であることが、確定となった。
腹に穴が空いた状態、それは決して小さくも軽くもない傷だったはずだ。そんな状態で円卓の騎士と戦うために魔力を全開放し、術を解くほどの激戦を。
「君は、立派な騎士になれたんだな…」
「……すべては母とあなたのおかげだ。後悔の念は在りません。」
エミヤの小さな呟きへ、真摯に言葉にしたライダーにリツカは息を呑んだ。
一切の後悔の念を抱かせることはなく、真っ直ぐと前を見据えて胸を張る姿は他の誰かの言葉を受けても変わることがないのだろう。王を守るために最後まで戦った、そんな彼の雄姿が想像できるようだった。
「それよりも」
しんみりとした空気をぶった切るようにしてライダーは会話を終わらせた。報告するべきはしたし、すでに終わったことだとだし、と切り替えたようだ。
「……まずは森を抜けるのでしょう。レディ、何処へ向かうべきでしょうか?」
「え、ええ、そうですね。私は、此処からオルレアンに向かいたいのです。」
あまりの温度差にオルレアンの乙女も困惑した。ハンカチで目じりを拭う母親のような案じ方をするエミヤの姿と、しれっとグランドオーダーという大型の作戦に関する行動計画を立てるための情報をと姿勢を正す騎士の温度差に。
だが、乙女の願いは叶わない。現状ではオルレアンに直接乗り込むのは困難。けれど周辺の街や砦なら何かしらの情報が得られる可能性を信じてのことだ。
「なるほど。……特に問題なければ、出立しましょう。」
「あ、うん。俺は大丈夫だけど…ライダー、本当に大丈夫なの?」
「問題ありません。今は情報不足が状況を左右します、急ぎましょう。…移動のために馬を召喚しますので、どうぞ乗って。」
言うや否や、ライダーが指笛を吹く。呼ぶのは愛馬のかれではなくて、ローマで共に駆けた友人たち。白亜の戦車。王のために用意した、かのローマ皇帝から全力で距離を空けるための戦友たちである。
目を白黒させたリツカを馬車に乗せ、マシュにも促す。緊張した様子で「失礼しますっ!」と乗り込んだ彼女は、己のマスターの隣に腰かけた。
案内役であるけれど、それ以上に、おそらくはこの時代の生者であるため体力に不安を感じる彼女にも乗車してもらう。二頭の白馬のうち、片割れはかの王の愛馬である。巨体を揺らさず鎧を装備したアーサー王をその背に乗せても威風堂々たる王の馬がそこには居た。
「相変わらず艶だね。」
「手入れも怠りませんから」
馬の様子を見て微笑んだ王に、ライダーは言葉を返した。
料理が好き。動物と触れ合うのも好き。案外、趣味が柔らかい雰囲気のものばかりを好むようで、好戦的な彼。戦場を駆けるライダーを知るアーサー王は込み上げてくる微笑ましい気持ちを隠さぬまま馬を撫でた。
「進みますね。」
「うん。…少しでも多く、少しでも速く、情報を集める……だよね! 戦術の基本は情報から、だったもんね!」
元気よく手をあげたリツカの言葉に、ライダーはかすかに微笑んだ。彼ではないのだけれど、ガレスのような、素朴で温かなものを感じたからだ。
カタ、と揺れがさほど激しくないチャリオットの乗り心地に驚いていることを感じ取った。時代的にはもっと大雑把に適当に作られているものだと思ったのだろう。疑問を払うように、その乗り心地を改善した理由を説明する。
これは、怪我人に対して優しく、また警護しやすいように、用意してもらったチャリオット。また、お忍びで王もお連れすることがあったので、乗り心地は快適であるようにと改善に改善を尽くしたものであると。
「な、なるほど……」
熱意の塊であった。
無論、王をお乗せするチャリオット制作に関わった彼の言う仲間とは、アグラヴェイン卿とケイ卿、そしてベディヴィエール卿の三人ある。護衛無しでふらつかせるよりも、信用できる騎士を身近に置かせることを選択したのだ、彼らは。
そして選抜されたのは、人生における最大の秘密を知られてからのライダーであった。当時のライダーは全力反対。当然だ、不義の子なんてものを側に置くなど何を。その反応をみてさらに三人は推した経緯があるのだが。
最終的にはぐいぐい押すに推されて、押し負けた。他の誰かに任せられるのかと揺さぶられ、アーサー王をお守りする重要任務だと言いつけられてチャリオットを受け取ったのだ。とんだ策士たちであった。
王が乗るのだから当然快適でなくては、とアレコレと相談し合って、時折ライダーも混ざって討論した結果が白亜の戦車。チャリオット・アーサーの完成である。