―――――……ター………!
少女の声が聞こえる。
―――――……スタ………!
焦ったような声だ。守りたい、と思った少女の声がした。
―――――マスター!
意識がちょっとだけ覚醒した。
うすぼんやりとした視界の中、見慣れぬ、けれども夢で見知った鎧が入る。ぼやぼやとした様子の少年に気づきながらも、そのまま微睡みの中に身を委ねさせてやることは出来ないと詫びるように青年王が眉を落とした。
「マスター!」
目を覚ませば、白亜の城はなく騎士たちも居なかった。
広がるのは夜に染められた森と、サーヴァントを探知したドクターロマニの薄ぼんやりとした魔術通信によって映し出された姿。複数の生命反応もある、と焦ったような声で、ようやく現状を理解した。
「気が重いな。僕も感知してしまった。耳がいいものも考えものだ」
接近するサーヴァント、複数の生命反応。
恐らくは、嗚呼、嫌だけど、自分の予想が正しければ、接近中の敵はジャンヌ・ダルク・オルタの仲間サーヴァントだろう。ひしひしと肌に緊張感が伝わってくるのだから、それくらいは立香にも分かった。
「マスター……、その、すまないが、ライダーが……」
やや気まずそうにエミヤの手を借りて立ち上がった立香へ歩み寄ると、アーサー王は岩陰を手のひらで示す。ぐったり気味なライダーを看病する聖女の姿があった。
手をかざし熱の反応を確認するも彼の被る兜がそれを邪魔して正確な体温が測れないらしく、じれったそうにしている。呼吸も意識がないからだろうか、少し浅いような気がした。それでも「敵襲」の文字で反射的に戦闘態勢を作るのは、流石である。
がたがたに震えて崩れ落ちる身体で、なんとか立ち上がろうとしていた。急に糸が切れたようにがくんと落ちた騎士の体を、聖女はただひたすら献身的に声掛け、支え続けている。
そう言えば、
魔力の激流が立香にも伝わるようで、今もライダーから零れた魔力がどっさりと立香へと移りこんできているような気がするのだ。「無理やり譲渡を……! 受ける側の負担を減らすために、あなたが代価を請け負ってるんですね!?」 少年英雄王の教学からエミヤが察するに、譲渡するエネルギーは出来るだけ抑制された荒々しくない魔力だったが、それでも移動する前までは大変だったのだろう。
画面の向こう側の世界のひとだ。ぜえ、ぜえ、と息を不規則に切らせながら、ぎちりと獲物を握りしめる騎士の生きざまに緊張と高揚でどきりとした。
「身動きが取れない状態である以上、何かしらの形で貢献すべきだ。俺にあるのは”力だけ”―――なら、この力、荷を背負わされた幼子の盾として、幾らでも使え。」
タンク扱いを良しとした人間のセリフだ。魔力タンクになると言ったも同然で、英霊として自他共に認める”天才”であるレオナルドはそれを記録からそっと削り落とした。
『見くびらないでくれ。私たちの仕事は、今を駆け抜けるキミたちを守ることでもあるんだよ? 魔力を造り出す―――だなんてロマン、見逃すはずないだろう。だけど、サーヴァントとしての、キミの力は今しばらく借りざるを得ないからね、期待してるとも。』
それに耐え続けているライダーの為にも少しは休憩させるべきだったと理解しながらも出来なかった。―――否、させなかったのはマスターである自分だ。
フランスの国母。マリー・アントワネットを迎え入れる直前にしたように、キャスターのようにカルデアに一度戻ってもらう選択だってあった。だけど、彼の力を頼りたくて残したのは、マスターとしての自分なのだ。
今だけでもしっかりと休んでもらう必要が―――と思ったところで、燃えるような瞳が射貫く。不要だ、と訴えるようだった。そして、サーヴァントの在り方を思い出す。
そもそもサーヴァントって死した英雄が一時的な器を授かって現世に介入し聖杯を求めて争うための使い魔的な存在らしい。
人間と同じように熱を出すこともなければ、疲労で倒れることもない。あるのは魔力不足による不調程度、のはず。でもライダーは、苦しんでいる。生前からあるものがスキルとしてが発動してとかではなく、今を生きる人間のように。
嗚呼、こんなことならばオルガマリー・アニムスフィアから与えられた情報をきちんと聞くべきだったと立香は目を伏せる。―――それを共鳴するかのように、ライダーの瞳の奥が燃える。
燃える、
燃えている、
燃える火種は高まるばかりだ。
少年が危険の渦中に身を置かねばならない現状を怒り、自分の不甲斐なさに激怒し、乙女たちのとこしえの眠りを掘り起こして恥を暴かんとする輩の下劣さに憤慨し、―――何より、誰かに迷惑をかけているという状況に、ただひたすら恥じ入るように、一周回って怒りを爆発させた。今の、今のライダーは怒りを原動力に再起動をかけている。
呼吸を途切れさせ、痛みに喘ぎ、機械仕掛けのからくり人形のように壊れかけの肉体を行使する―――あまりにも常識外れのぶっ飛んだ行動であった。自分に厳しすぎる、とライダーの肉体から鳴る不協和音にアマデウスは眉をひそめる。
今、『目の前にある真実を疑う』のは違う。
苦しむ僕を助けてくれたのは誰だ?
世界最後のマスターとして重荷を自覚した自分を励まし支えてくれると言ったのは誰だ。
そのために冬木の地から、聖杯にかける願いを今だけは放棄してずっと一緒に戦ってくれたのは?
手を差し伸べ背中を押してくれたのは。可愛い後輩の為に何をすべきかと一緒に考えてくれたのは!
立香はアーサー王をその場に留めさせるように声をあげた。マスターとしての意見を押し通したのは、今回が初めてのような気がする。
ライダーの警護も必要だと、そう考えたから、とかろうじて理由をつけた先を補足してくれたマシュには感謝しかない。戦力を減らすわけにはいきません、という言葉を、マスターとしての命令だと明言しつつ、子犬のようにぷるぷるなりながらたどたどしく復唱した。
「セイバー、頼りにしてるからね! ライダーは休戦だよ。兄貴、いっちょ派手にお願い!」
「―――…ああ、了解した!」
「応、任せときな! 他の奴らにゃ悪いが手出しが出来ねえくらい盛大に暴れてやろうじゃねえの!」
慌ただしく目の前が切り替わる。アーサー王と聖女が入れ替わるようにして、どちらもマスターとライダーの傍らに。
『―――――来たぞ、サーヴァントだ!』
ひやりと臓腑を脅かす空気が流れ込んだ瞬間、夜の森に現れたのは、白き衣を纏い手には大きな十字架の杖を持った淑やかな女性だった。
「……こんにちは、皆さま。寂しい夜ね。」
穏やかな風貌だが、その瞳は狂気に揺れて今にも暴れ出しそうな色を宿す。警戒を緩められない相手だった。
記憶が確かならば、バーサーク・セイバーたちと一緒にいたような気がする。ああ、と吐息のような嘆き悲しみがこもった溜息がその場に落ちた。「どうしましょう。」 頭を痛ませる状況だと言わんばかりに額に手を当てた彼女は、そのまま立香たちを見下ろして言った。
「聖女たらんと己を戒めていたのに、こちらの世界では壊れた聖女の使いっ走りなんて…」
嘆かわしいことです。実に、嘆かわしいことなのです。
「……壊れた聖女…?」
「ええ、彼女のせいで理性が消し飛んで凶暴化しているのよ。」
復唱した立香の言葉を、彼女は肯定した。そうです。壊れた聖女です。どうでもよいような、けれども面倒くさいような無感情な肯定だった。
では、もしかしたら味方になってくれるのではないか。そんな期待を含めた眼差しに聖女は田舎のかぞくを思い出した。ああして姉である自分に弟妹たちも期待を寄せてくれてたっけ。くすぐったさにむずがるよう詫びるように微笑を浮かべ、凶暴化した自分を制御するだけで精いっぱいの自分に背中を任せられるわけがないと断言する。また、魔女から与えられた役割は監視だと。
自白した上で、彼女は立香たちのやらんとすることを見聞きし、失墜したまま生き長らえた聖女としてあちら側に召喚された役割を理解したと言う。最後に残されたほんのわずかな理性が試すべきと囁くのだとも。
「あなた方の目の前に立ちはだかる
究極の竜種に騎乗した、災厄の結晶。
あの岩陰で身を休めているサーヴァントが万全の状態ならば、確かにどうにか何度か危機を退けることは出来たでしょう。けれど、駄目よ。彼もまた、大きな任を背負っている。彼ありきで考えての計画、それでは駄目なの。あの子には、未だなすべきことが、残っているのです。
「私ごときを乗り越えられなければ、竜の魔女を打ち倒せるはずもありません。」
告げられた立香は聖女を見上げた。どうするつもりなのだろう。そんな眼差しを受けた聖女は凛と背を伸ばし、未熟さで溢れた少年マスターへ告げる。
「私を倒しなさい。躊躇なく、この胸に刃を突き立てなさい。―――我が
ごうっ、と地響きとともに吹き抜ける竜の息吹で、戦いの合図が鳴った。
聖女マルタと言えば、かつて竜種を祈りだけで屈服させた聖女である。ドクター曰く、ドラゴンライダーたる彼女が叫んだ名は、確かに彼女が屈服させた巨大な亀のようなドラゴン。その鱗の硬さは想像をはるかに上まわるものだろう。
竜を殺す力が発揮できるライダーとセイバーを頼り切ってはいけない。改めて直面させられた壁に尻込みしてしまう。
けれど世界の命運はすでにその細い肩にのしかかっている。彼らが不在な今、どう切り抜けるのか。それが今、立香たちに―――マスターとしての技量も含めて、求められているのだということを察することが出来る程度には、自覚はあるつもりだ。
「マシュ!」
「はい! マシュ・キリエライト、行きます!」
行くよとも行けとも言えず、頼れる
練り上げた魔力を投げるように託す。熱のこもったそれを受け取りながらサーヴァントとしての後輩は、盾を顕現させた。「普段よりも盾が軽く感じます!」 岩陰からのサポートは魔力供給の一択。ぜえぜえと崩れそうな身体のまま息を引きつらせる青年の気配が、何故だか安心感を抱かせてくれるから、どうしようもなく泣きたくなる。
教わった術の一つ。強化魔術をひたすらに繰り返す。軽減、軽減、軽減、軽減。覚えたての言葉を子どものように繰り返す立香の様子に、マルタは微笑んだ。
正しくは、ライダー母直伝・超強化魔術セットの行使。立香は「軽減」ばかり唱えたが、効力としては以下のとおり。(腕力強化による重量の)軽減、(魔力パス遠隔接続でポストを生成したことによる魔力消費量の)軽減、(視力強化による非視野範囲の)軽減、最後に本命の(皮膚強化によるダメージの)軽減である。
これのもととなった魔術は、ひとえにライダーの母親の努力が実ったというだけだ。「ね? 軽減魔術でしょう。」と言ってのけるさまは、痛快だったとエミヤは言う。
曰く、花の魔術師から「予言の子を確実に仕留めるために」とムナクソ発言を前置きに、スポーツドリンクのCMよろしくの実に爽やかな笑顔で”君の息子バケモンだから強化魔術を教えてくれるなよ”と言ったクソッタレに抵抗した彼の母親による努力の成果なのだ。
過酷な修行の日々だった。記憶をなぞらえるように、ライダーの脳裏には愛する母親の姿で、立香の思い出からは鎧姿のライダーが、胸をそらせて言った。努力は実るものなのです。
「オゥッオヤコ―――ッ!!」
「エッ、エミヤさーーーーんっ!?」
なお、誰も何も悪くないのに震えながら自身を鼓舞するように少年マスターが語った修行エピソードの一幕を前にしたエミヤは猛烈に被弾したのは完全なる余談である。
あえて悪し様に言うならば、被弾した理由として、彼のポジションというか、幸運値というか、そんなものだろう。当時の光景が目に浮かぶようだ。なんて幸せな風景。幸運値が最低値の男は満面の笑みでさらに被弾した。