目の前では見事な土下座に目を瞬かせるマリー王妃とジャンヌ。鮮やかなほどの土下座の奥では、少年のてれてれとした顔をしている。老若男女問わず、す、す、好きなコ―――というよりも好ましく思っている相手からのキスは何時だってご褒美だと思います。
立香の照れた顔を見たマシュのやや拗ねた表情も、正直「堪りません」と叫びたくなるほど可愛かったと少年マスターは語る。そして、アマデウスが感嘆の息を零した。
「……マスターは、キスが御褒美だったんだね。じゃあ、僕からも」
「…そうなのですか。では、私からは魔力を提供しましょう。」
接触が多ければ回路が繋げやすくなりますから、と甲冑に手をかけて口元を露わにする。厚みは薄っすらとしているが、整った唇の形を前に少年は奇妙な鳴き声を上げた。
「ヒョォ……!?」
やや天然気味な発言をした騎士らから、手のひらにエレガントなキスを二回も頂戴した立香は倒立し、魂から叫ぶ。全力で分裂せん勢いで小刻みに震えながら手のひらをぐっと押さえて。
マテェッ!! そっちに行くんじゃない!! 幸せそうな表情で欲を零しながら、欲望も一緒に叫んだ。なんて子だ……。強すぎる。
「マシュもしてくれたら我が生涯に一生の悔いは無し…。でも、死ぬほど嬉しいですありがとうございますぅうううーーーーーー!!」
「いや、素直か。」
気が落ち気味だった彼も、どうやらマリー王妃に続きアーサー王や騎士の日本人には滅多にない“応援”で元気になってくれたようだ。
そこに、賊に身を堕とした兵士たちがやってきた。
情報を提供してくれた街を放って、それを見過ごすのは彼らの矜持に反する。立香はライダーではなく、あえてエミヤと英雄王に狙撃を頼んで『気絶する程度』に頑張ってもらった。
怪物の類ではなかったが故に、当然のことながら結果は圧勝だった。英霊の名は伊達ではなく、一介の兵士であれば難なく相手どれるのだ。
気絶したままの元兵士たちを役人に引き渡し、カルデア一行は再びリヨンへと出発した。目的も明らかになったし、リヨン手前の小町に着くまでよりも気持ちは楽だった。今度はみながライダーが召喚した馬車に乗り込んだ。吹きそよぐ風の中、草原を颯爽と二頭の馬が駆ける。その身の重さからは感じられぬ軽やかさだ。
「ふわ~、相変わらず凄いよね。ライダーの、ええーっと……」
馬の名前って、なんて言うの? きょときょととした瞳で立香が見上げながら言い、ライダーもまた馬の名を尋ねられるは思わずに一拍を開け、答える。
「…ハウオリとフェリチタです。」
名づけは、外つ国の商人から貰った候補の中から行われた。幸福を意味する別国の言葉が用いられている、らしい。
意味はともかく、その名にした理由としては。あの二頭の馬は、アーサー王の愛馬たちから産まれた子らである。その馬を相棒として授かることが出来た幸福をそのまま名につけたのだ。さらりと口にしたライダーに、かの騎士王は嬉しいやら照れくさいやらで肌をじわりと染めた。
「戦車重いはずなのに凄く軽やかに走ってるの、すごいよね!」
「ああ、重装備の騎士らを運んだ回数がありますから、おのずと鍛えられたのでしょう。」
改めて見ると、その背に繋がれる紐で大きな戦車をひいているようには見えない軽やかさを二頭には感じる。戦場を駆け抜けるための馬であったから、自然と鍛えられたのもあるだろうけれど、馬の訓練を怠らなかった騎士たちの訓練配分も良かったのだろう。騎士が守るべきと定めたもののために尽力するのは至極当然のことなので、特別語るようなことでもない。
ライダーの素が見られる乱暴な肯定の後に、納得しやすいよう例題をあげて愛馬たちの頑張りを素直に褒め称える。そうあれかしと律せねばならぬ
パカラッと映画で聞くよりも、カラッカラッと蹄の音を目立たせぬ前進は風を切るように速く。朧げにではあるが、街並みのようなものがぼんやりと見えてくる。
「……そろそろかしら?」
「ええ、そろそろです。……また、滅んだ街を見なければならないと思うと、」
麦のような髪色と同じ睫を伏せながら、聖女ジャンヌは憂い気に息を吐く。
同じ顔をした魔女ジャンヌによる暴虐の限りを尽くされた街並みを、フランスを守るために東へ西へと懸命にひた走る彼女は幾度となくその眼で見てきたのだろう。戦時中に駆け巡りながら、あわただしくも穏やかな平和がそこにあった事実を知るゆえの葛藤である。
慣れ親しんだ時代にあったはずものが、もう一人の自分に破壊されていたのならば、誰もがそう思うだろう。憂鬱です、とはっきりと言葉にされたそれに、誰もがかける言葉をなくした。
「到着しました。目立つので、此処からは徒歩で参りましょう。」
目と鼻の先には、未だ戦火が煙る街並みがあった。悲嘆に暮れる時間などないだろう。
時間が有限であると実感が強すぎるゆえのライダーは聖女ジャンヌの心情を慮りながらも、騎士王の円卓に連なる一席としての役目を果たさんと会話を強制的に切り上げる。銀で覆われた兜の奥にある燃えるような紅蓮が、灯台にさす光のようだった。
「あなたの為すべきことは、なんですか。」
自分で自分を叱りつけ、奮い立たせた意思はなんですか。女性であろうとも、その身は一介の戦人である以上はライダーの応答は厳しくも優しいものであった。
憂慮に濡れた瞳を彼女は淑やかな聖女像とは結び付かない、田舎娘の強がりのようにちょっぴり乱暴な手つきで拭い去り、迷わぬ瞳で前を見据えて飛び出した。為すべきと自分で決めたこと。定めたこと。天啓を受けて、それを行おうとしたこと。
どうして、こんなにも大事なことをわたしは忘れてしまっていたのでしょう。出来ることから着実に。パンをうまく捏ねられなくて泣いて拗ねた過去を思い出した。
倒れ行く故郷の愛しき日々。突如として祈りの間に訪れた天啓。あのうつくしく穏やかな麦畑の圀を、守りたかったから。―――だって、そのために、わたしは旗を揮ったのです。
「生存者を一人でも多く、救助します!」
誰よりも早くフランスに寄り添うべく駆ける聖女を追って、カルデア一行もまた、戦火に焼かれる町リヨンに足を踏み入れる。
けたたましく鳴る轟音は、誰かの戦闘音だろう。先に出ると言ったライダーは、一本の槍を手に煙る空の中に消えて行ってしまった。行く先々で音が鳴り響き、綺麗に額やら胴体やらを貫かれた魔獣たちの残骸は魔力が溢れて溶けて消えてゆく。
「……誰も、いませんね。」
さらさらと消える魔物の音しかそこにはなかった。
泣き叫ぶ声も、助けを乞う声も、今やもうなに一つとして聞こえない。身を隠す人間が存在するかもしれないと少しでも期待したが、その期待を裏切って、そこには誰も存在しなかった。情報を求めてドクターに声をかけても通信の不調なのか応答が何もなかったので、節電を心掛けるべきとマシュは一時的に通信を切る。通信時の電力は魔力として減るのだ。
生存する魔術師はあまりおらず、現地での魔力供給はサーヴァントの身である以上マシュは除外されてしまう。そうなれば、現地の魔力供給者は唯一のマスターである少年になる。正しく一般人である彼に心労的な負荷もかけ続けてしまうと、すべてが終わってしまう。
この先輩と一緒に居られる時間が、無くなってしまうから。だから、不要ならば切っておく必要があった。そうすることで先輩への負担が少しでも軽くなるだろうと信じての行動である。
「さて、」
ぱっ、と軽やかに対の銀白が花畑を蝶が踊るように舞う。切り替えるように両の掌を合わせた乙女は、その声の明るさと一致する華のような顔を綻ばせて言った。
「どちらが『竜殺しさん』を見つけるのか競争ね。わたしとアマデウスは西側を選びます。」
「では、ジャンヌさんと私たちは東側ですね。」
王妃のノリに、出来る後輩マシュ・キリエライトはノッた。唯一ついて行けなかったライダーは、すっぱりあっさりと同行する班を選択する。
「ミセスマリー、ミスターヴォルフガング、私もご一緒してもよろしいでしょうか。」
「ええ、構いませんわ。騎士様がご一緒だなんて心強いですもの。」
「僕もマリーも武芸はからっきしだからねえ。」
「お任せを。」
それこそが使命なのだと言うように何処か揚々とした態度で言うものだから、ごく当たり前に感じる騎士の頼もしさに王妃はふんわり微笑み、音楽家はそうこなくてはと戦火を感じる土地で肩膝から力をすこしだけ抜く。
出自が敵国の騎士とは言え、今はカルデアを通して味方同士なのだという事実が彼らを仲間と言葉に結び付け、近くに感じる気配には彼の実力を知る今ではただ頼もしさだけがある。
ライダーが投げ寄越した一瞬の視線に了解したのは、エミヤである。視線の意図を理解したアーサーもまた、立香の頭部へ輝ける顔を近づけて耳打ちした。戦闘においてそれなりに経験を積んだと言えどもライダー抜きでの人選を心掛ける必要があるのは、シミュレーションルームで修行を積んだ時点で分かっていたことだが、マルタの助言が後押ししたのだ。
サーヴァントである以上、退去する可能性もある。使い潰しだとは立香本人が思わなくても、基本的に死者であるサーヴァントの身は重く、けれども身軽。必要とあらば捨て身の特攻をも厭わぬそれは、立香の嫌がるところであろう。
そんな無力に苛まれる場面に、一般人の身である彼はより多く晒されることになる。此処で詰んだ経験こそ彼を活かすための武器ゆえに、戦力を分けるためライダーを別陣営に推奨し、なんとか立香の不安を和らげる。「危険を察知したら即座に駆けつけます。だから、気をつよくお持ちください。」とは、立香から離れる際にライダーが残した言葉であった。
マルタと相対したとき以外の戦闘では、確かにライダーに負担が傾く。故の、ライダーの力にやや依存しがちの立香に、君は立派なマスターだと勇気づけるための一歩。
彼抜きでも、戦い切れる自信をつけてほしかったとも言うカタチ。アーサー王が言う間でもなく、あの騎士は望む形をとってくれた。そう言えば、昔からそのような感覚はあったような気がする。視線や指先一つで動く彼。わざわざ口にせずとも望むことを、出来得るだけの力を発揮してやり遂げてくれる騎士なのだ、彼は。
花の魔術師とは、アーサー王視点では悪くも良くもない関係を築き、アグラヴェインとは偏見無しで語り合う仲で、女癖のあるランスロットとトリスタンの面倒をよく見て、執事としてもあくせく働くケイやベディヴィエールに頼みごとをされても嫌な顔を一つもせずに、逆に自らすることを手助けする姿も見た。
『休むよりも卿らと動く方が好きだ』と、『王の為に繋がるのが嬉しい』と、かすかに微笑んだ顔を見たことがある。あれは、彼なりの年齢相応の、少し幼い、屈託ない、無邪気な笑顔だったのだろう。近くで義兄とベディヴィエールの温かな眼を思い出し、アーサーは無意識に微笑む。あの子は今もブリテンの地を愛してくれているのだ。
「では、任せたよ」
「お任せを。必ずや、お二人を守り通してみせましょう。」
ライダーは相変わらず変化は聞き取りにくいが、やや嬉しそうな声色で、力強い返答だった。戦火に呑まれた街を前にすると、どうにも落ち着かない。けれど、そんな雰囲気でもライダーとアーサー王のやり取りは日常へと引っ張り戻してくれる穏やかさがあった。
恐怖やら痛みやら小刻みに震える立香の手は、隠して、東側と西側にわかれた竜殺しのサーヴァントの探索が始まったのである。