―――〇月〇日。汗が滲む快晴。
モルドレッド。12歳。
とうとう母、モルガン・ル・フェイのもとから旅立つ日がやって来てしまった。
モルドレッドは汗ばんだ手のひらを握りしめながら、ひやりとする眼差しの母を見つめる。眉をしかめるこれは、泣き出してしまう直前の冷静になれと己に言い聞かせるときの母の表情だと知っていた。
知っていたのだけれど、夢を諦めることも、手放してしまうことも出来なくて。この道に進むことを認めてほしくて。ただ、母の行動を見つめたのだ。
震える手で大ぶりな木箱を、今までともに食事をとってきた円卓に置き、母は木箱の留め具をゆっくりと外した。
「これが、貴方の剣となり、あなたの鎧となるでしょう。」
今もなお時を惜しむような手つきで開かれる蓋の隙間からは、銀色を主体とした赤き剣が露わになる。その剣から感じる気配は、赤き雷竜。モルドレッドが腕試しに挑み、しかと討伐してみせた竜の気配を濃厚に感じた。
隣の木箱も同じように開けられて、剣と装飾の似通った鎧があらわになる。動きやすさを重視してくれたのか、甲冑と呼ぶにはほどほどに薄く、革で作り込まれた部分が多かった。
「かの王が、ブリテン島の美姫ギネヴィアを妃に迎えたことはもう知っていますね?」
「はい。」
「……よろしい。貴方が顔を隠すのは、かの城で不和を招かぬためだと理解しています。これを被って、その正体を隠し通しなさい。」
「はい。」
実際に鎧を身につけてみる。採寸はすこし大きめにとったのか、隙間があった。まだ成長するでしょうから、と未来を視た目の物差しで繕ったのだと言う。
鎧も似たようにすっきりとした風貌でありながら、弱点として守るべき部分はしかと鎖が編み込まれて外敵の攻撃を阻む仕組みとなっているようだった。加えて、隠蔽の魔術と耐久の魔術が施されている。これは、見間違うはずもない母の魔術だ。
身に覚えのあるそれに、思わず母の顔を見た。相変わらずしかめたままだったけれど、否定はされなかった。だって、こんなふうに、魔術を施すほどの―――情を、期待してしまっても良いのだろうか。
「……此処を出たら、二度と踏み入れることは許しません。」
「……承知、いたしました。」
声が震えそうだった。当然のことだ。
母は、姉としてあんなにも弟のことを王にしたくなかったのに。モルドレッドはそんな王に強く憧れて、騎士となるとまで言ってしまった。あまつさえ、母のもとを去って、父に正体も明かさず騎士となると宣言したのだ。
母からは、息子であることを伝えて行けと言われたのに。かたくなにそれを拒んだ。あなたの息子であることは私にとって誇りです。けれど、周囲から言われもない汚名をかぶるのは、魔女として名を馳せるモルガン・ル・フェイ。愛する母だから、それはどうしても嫌だったのです。私情ばかりの騎士入隊に加えて、両親との関係を自ら壊してしまったから、あんなにも愛してくれた母から嫌われて当然のことをしたのだ。
キャメロットへの招待状に返事をしたその日からぎこちなくなってしまった関係に、モルドレッドはそう思い込んだ。
すこし前まで、本気で思い込んでいた。とても真面目な人だから、腕利きの鍛冶師を紹介してくれたのだろう。とほんのすこし前まで思っていたのに、この永続的に続く魔術を施された装備の数々は、深まるばかりの、息子の意図を汲み取ってくれた母からの愛情だった。
最後に涙を零しながら早々に塔の中へと消えてしまった背中を見送り、小窓に向かって深々と頭を下げる。きっと、きっと母親としての彼女に会えるのは最後だろうから。ちょっぴり恥ずかしかったけれど、後悔なんてこれっぽっちもなかった。
「母上、あなたの息子に産み、育ててくださったこと、私にとって、とても幸せな日々でした。私はあなたに恥じぬ、あなたの愛情に報いることの出来る立派な騎士となることを誓います。」
ありがとう、愛する母よ。どうか、お元気で。最後にその二つだけを伝えて、招待状を懐にモルドレッドは彼方に見える憧れた白亜の城を目指した。
―――〇月〇日。
モルドレッド。12歳。
いつ頃からか“魔女の森”と呼ばれるそこから抜けた先には、だだっ広い草原があった。
その草原を道なりに進んで行くと、小さな村が見えてくるから。今日はそこで一泊し、次の町へ向かうとしよう。緩やかな旅路を計画した。
―――〇月〇日。
モルドレッド。12歳。
キャメロットの招待状の期間は記されておらず、ただ一言。好きなときに。とだけあったから。声がする方へ、声が聞こえる方へ。風の向くまま気の向くまま。ゆったりゆらりと足を運んだ。
きちんと土地やその柄を把握していなかったが、賑わう宿で過ごすうちに一つだけ。分かったことがある。
ここは島の南部。どうやら白亜の塔があったのは、かの”アーサー王”の生まれ育った土地。コーンウォールのようだった。
そこで、見たものすべてを殺すと言わんばかりの目つきをした男と知り合った。剣の腕から情報収集の手腕、人心掌握などもお手の物。文武両道を素で行く男の名は、奇しくもアーサー王の義兄と同じ名前だった。
宿場の子どもたちが逃げ出しそうな目つきの鋭い男は、昼間から酒を飲みながら宿屋で情報を集めているようだった。異形の化け物―――ゴブリン族の集落を発見したこと、その集落を一人で叩き潰したこと、化け物を駆逐したことを伝えると、男は肩を組んでくる。酒臭い。
酒の香りをまとった男の瞳は酔いを感じさせない。だが、上機嫌に一つだけ情報をくれると言う雰囲気は酔っ払いのそれと似通ったものを感じる。彼はコーンウォールの情報屋なのだろうか。流れるように酒をすすめられたが、流石に遠慮した。まだ見回りをしてくるつもりだったので、剣先が鈍るのは望ましくなかったからだ。
「なら何でも聞け。答えてやれることなら答えてやるからよ。」
それならば、と母が教えてくれたことを尋ねた。コーンウォール―――の情報屋ならば、ティンタジェルに居る彼らならば、知っているだろうか。アーサー王ではなく、アルトリウス・ペンドラゴンについて。
男はかすかに目を見開き、兜に顔を隠したままの俺を見た。剣呑な色ではなく、じろじろと観察するかのような、見定めるかのような目だ。
「それを聞いて、どうする。」
「どんな
「人が、王!」
男は笑った。
大口をあけて、酒を飲み干して水を注文する。あまり酒に酔えない体質ではあるらしいが、この上機嫌ぶりは酔っ払いのそれに見えた。出された水を一気に飲み干した男のツボは未だおさまっていない。冷やすならもっと冷やしてやろうか、と考えがよぎったあたりで男は折り曲げたままだった背中を伸ばした。
「どんな
男は、ケイと名乗った。騎士王にお仕えする義兄の方と同じ名前なのですね。と言うとケイは顔をくしゃくしゃにさせながら、さらに笑って。コーンウォールにまつわるアルトリウス・ペンドラゴンを語って聞かせてくれた。
ブリタニア諸王の一人ユーサー・ペンドラゴンは、敵国コーンウォールの王妃イグレインに恋をした。コーンウォールきっての美姫であった彼女をどうにか我が手におさめたかったユーサーは、魔術師に相談を持ち掛ける。
そこで魔術師は、ユーサーの子どもが生まれたらその身を預かることを条件に、一夜限りの魔術を施した。ユーサーをコーンウォール王ゴルロイスに変身させるものだ。
それにまんまとそれに騙された王妃イグレインと、ユーサー・ペンドラゴンは結ばれる。本物のゴルロイスは戦場に出ており、戦場でユーサーと妻が結ばれたと知らせを受けたショックで動きが鈍り、戦死してしまったのだという。
時は流れて、やがてユーサー王と王妃イグレインの間に子が誕生する。約束通り魔術師マーリンに預けられたのが、アルトリウス・ペンドラゴンの誕生話だ。
「……マーリン、ですか。」
「―――…お前、魔術師殿を知ってンのか。」
「…ええ、母も魔術を嗜んでいましたから。」
あらゆる意味で有名なのだと告げると、ケイは顔をしかめながら同意した。
ろくでもないことも含めた発言だったが、窘めるどころか意図を拾い上げることが出来るのだから彼もまた、マーリンの被害者なのだろう。
この日はケイから尽きぬ花の魔術師に対しての愚痴を聞きながら、コーンウォール周辺を巡回した。どうやらゴブリン族の集落に囲まれる手前だったようで、ケイと協力して片っ端から殲滅することに成功。腕前を認められたから、キャメロットの騎士が一人。アグラヴェイン名義の招待状を見せて騎士を目指していることを告げた。
とても嬉しそうな、我が事のように喜んでくれたのが、どうもくすぐったい。共に戦えることを待ち望む、とだけ残されて、次の日には出立したことを宿主から教えられた。せめて挨拶ぐらいはさせてほしかったものだ。
―――〇月〇日。
モルドレッド。12歳。
ティンタジェルから海岸沿いにコーンウォール地方の北東めがけて旅を続けた。ばったりケイと再会を果たしたので、問答無用に力強く手を合わせる。三白眼の瞳を驚かせたケイを見て、無事であることを確認した。
今日は港町に来たのだ。海辺の異形も生息確認が行われており、それの討伐もしくは情報収集のためにケイは巡回の旅の最中であると言った。
どうやら最終目的地は同じのようなので、時間の許す限りは同行することになった。図らずともすぐ共に戦えることになりましたね、と言えばケイは口角を引きつらせて、頭を抱える。
違う、そうじゃない、とは…?
海水をまとった溶けた人型の化け物が消える。塵のような形をとったそれを神父が火にくべて神へ浄化を求めた。それを見届けてからモルドレッドは、旅の相方を探す。
共闘した民と言葉を交わした彼は、すぐさま出立の準備を、と口にする。キャメロットの威光が遠くにある土地の報告を急がなくては。焦燥感に駆られるケイの様子に見かねて、モルドレッドはせめてもの情けで銀に覆われた籠手を外す。軽く振りかぶって、ケイの脳天へと叩き下ろした。
「っいてェ!?」
「……落ち着いたかよ。」
「お、おう……」
冷静であれと口にする割には、焦りっぱなしで呆れてものも言えない。ケイの言葉を真似てみると、今度は面白いぐらいにケイは硬直した。
モルドレッドは確信した。ふむ、これは使える。次から暴走しそうになったケイを止めるときに使ってみよう。モルドレッド12歳、乱暴な言葉遣いを覚えた。
「……まずは港町の問題を記録するべきでは? コーンウォールでも似たようなこと、してたろう。」
「あ、あァ、そうだな。悪ィ―――ってなんで知ってやがンだ!?」
「真後ろで記録取ってたのに……?」
ゴブリン族の集落を駆逐する際、戦闘中のモルドレッドの真後ろで唐突に紙とペンを取り出して記録を始めたのはケイである。
それで気づかないというか、分からないというのは可笑しいという訴えかけのモルドレッド。バーサス。あの実力なら任せてもよさそうだったし、戦闘中だから気づかれんだろうというケイの間で”常識”が衝突した。
しかしながら、戦闘中にすべてを相方にほっぽり出して行くのは”非常識”なことだし、戦闘中に付近すべての状況を把握することもまた”非常識”なことだったので、その結果は当然のことながら相打ちとなる。
お互いの実力を見誤った(?)という結論に落ち着き、何故かモルドレッドの監修の下、記録付けが行われた。異形の化け物については修行中に何度か相手をしたことがあるし、白亜の塔から旅立ってからもよく見かけるから多少の知識はある。あれは良くないものだと感じて積極的に討伐してきたこともあり、モルドレッドの知識を合わせた記録帳となった。
「分厚ィな……。」
「ここまで厚くなるとは思いませんでした。」
「地図の位置も正確に記しておかねェと行動予測が立てられんからな。先んじて潰しておくなら、相手の情報はあればあるほど有り難いモンだ。」
港町からの報酬を断ったモルドレッドは、その後、旅の出費もあるから貰えるものは貰っておけとケイに突かれた。しかし、異形の化け物を討伐してきたおかげとでも言うのか。現物交換でしばらくは賄えてしまう。
逆に不要な金銭などは旅の邪魔になるからと告げると、なら情報ならどうだとケイから報酬を受け取ることになった。
それはモルドレッドにとっての、一番の報酬だった。