解放されたままの身体でライダーは杖代わりに赤銀の剣を手に持った。
本能のままに振りかぶられた剣の気配は、彼が慕う王のもの。両手両足の自由を束縛する鎖が破壊された時点で、霧がかったように朦朧とする意識はすっかり目覚めていたのだ。
しかし、肉体が受けたダメージは洒落にならず戦力として数えるには些か無理がある。大人しく戦力外宣言をするほかなく、聖女は慌てて手を貸した。戦場で倒れそうになる騎士様方に肩を貸したこともある彼女はその重みに安堵を抱きながら、状況を冷静に分析しようとして。
「フランスの乙女よ……お気づきかも、しれませんが………
「は、はい。」
身の内側に流れる魔力ゆえか本質を視る目は優れており、それゆえに、ジャンヌ・ダルクと似た結論を裏付ける発言をした。
「貴女が当たり前に持つものを想像して補うことも出来ぬ
甲冑の奥に潜む燃えるような瞳と聖女の目が合う。意志で猛る瞳は、ほんの一瞬痛みを堪えるように歪んで。ぱちり、と瞬く。
言葉の続きを促そうとした乙女は、ボロボロな状態のライダーが歩きやすくなるよう補助として貸した肩に回された腕に引き寄せられて場違いにも素っ頓狂な声を上げる。ベチョッ、と粘着みのある液体が地面で弾け飛ぶ音がして視線をやると、酸のようなものだろうか。シュウシュウ煙を立てながら石造りの床が溶ける瞬間を見て、息を呑んだ。
「……どうか、倒しきる前に祈ってください。思いの力は、人の見えぬ力となって、一つのことだけを証明するべくとされた存在を、結ぶものとなりましょう……。非常に申し上げにくいのですが私は―――ゴホッ、……ッ、ごらんの、とおり、…お、役に、立てません……。」
「―――…ええ、ええ! そうでしょうとも!」
「ジル!!」
「もうその騎士に頼ることは出来ないでしょうねえ!! あの、ジャンヌのォッ!!! 憎悪に焦げ付くほど燃え盛る炎に! その身の内側から余すことなく!! 抱擁して頂けるなぞとォォ…! 羨まけしからん褒章を頂戴したのですから当然のことかと!!」
「……
喋るだけでも精一杯のはずです。言葉だけでなく、そこまで動けるのも驚きですよ。燃えるような魔力を隅から隅まで丹念に流し込まれて、ただのエネルギーを放出するだけの燃料としたはずなのに。忌々しそうに吐き出し、そして戻って来たジル・ド・レェは嗤う。
人の意思をもって行動する壊れた人型の存在を前に、ただ可笑しそうに。拷問など生ぬるいことをせずに殺して差し上げるべきだったのだ。
「嗚呼、嗚呼、我が親愛なる聖処女ジャンヌ!! 愛しき故郷の乙女よ! 貴女の手自らに殺される名誉を背負うはずだった男を、わたくし……ジル・ド・レェが殺してみせましょう……!」
通常時ではただでさえ追いつかぬ魔力の貯蔵や放出の回転がさらに早まるものだから、魔力による熱暴走を起こしたライダーの肉体は、確かに魔力タンクとも取れるような機能を果たす。
明日のために戦う者が集うカルデアでは、そのような扱いを許した。未来のために立ち上がろうとするカルデアには、そのような扱いを許可した。
けれど、相手の命を丸ごと蹂躙することしか曇った眼に映らぬ外道には、騎士の身を預けた覚えはなく、妖精としての魔力をライダーの意識・無意識関係なく扱う許しを渡した記憶もなく、此の身の内に秘めたる竜の因子を持つ臓腑は敵対生物を焼き尽くせと咆えるのだ。
燃える。臓腑を起点に廻る魔力が、人間の身を焼き尽くす烈火の如く熱を帯びる。竜の息吹きに肌身を撫でられたかのような熱気に襲われながら、前を見据えた。
息が途切れる。息は途切れる。今にも意識は切れそうなほど満身創痍。―――
「……戦力外であることを自己申告したつもりしたが、取り消します。」
「えっ」
カシャン、とひび割れた兜が地面に落ちた。アルトリウス・ペンドラゴンのように、柔らかそうな質感の淡い陽だまりのような黄金の髪がふわりと揺れて風になびく。
けれども、鎧にも付随する<隠蔽の魔術>のおかげで素性は露呈せず、霧の中に居るかのようにぼんやりと隠してくれる。花の魔術師は過保護なのだと言ったそれは確かに異なる次元より招きを受けるライダーの身を守る術だった。
「アイツは俺の手でぶっ潰してやる……命を弄ぶ下種めが、……――――ッッ」
這うように、唸るように、咆えるように、言った。顔を隠す兜は無くなったと言うのに、表情の一つすら見ることは出来ぬままライダーは海魔の中に飛び込んで行った。ウラァだとか、オラァだとか、彼の声で乱暴な言葉が聞こえてくる。
バーサーカークラスに適性があるのですと教えてくれた通り本能のままに暴れまわる嵐のようにしか見えず、赤き稲妻を取り込んだ暴風によって召喚のたび壁に叩きつけられる悪辣の化身はいとも簡単に切り捨てられて山のような塵を形作って逝った。最初の戦力外申告はなんだったのか彼が戦禍に飛び込んでから屍の塵で一面が埋め尽くされるまで、実に数秒間の出来事である。
「……い、い、怒りのあまり痛みをお忘れになっておられる――――!!!?」
「そっ、そそそ、そのようです……!」
「逃げんじゃねェ!!」
離れた場所から赤雷の剣が飛翔し、ガーゴイルらしき何かの脳天を貫き粉砕する。崩れ落ちたのは立香を襲おうとした想像上の悪魔の形をした石像の姿だった。
「ひぇぇ…っ」
「お、お守りしますっ…!」
岩が砕けた破片に立香とマシュ襲われることもなく、塵のようにサラサラと風に吹かれて飛んで逝く姿はあまりにも―――頼もしさと憐憫を両立させる不思議な状況を生み出した。
「僕をあてにしてくれても構わないんだよ。期待に応えてみせるから。」
立香の隣でふんわり微笑んでくれるアーサー王と、オロオロとする菫色の少女が、立香にとってフランスにおける戦場での唯一の癒しと化した。
「あの、……それじゃあ、えっと、ライダーを休ませることって、出来たり…?」
「もちろんだとも。では少し失礼するよ。」
「は、はいっ!」
一呼吸の間に、アーサー王がライダーに接近する。
忠誠を誓う相手との接触事故を避けるために彼が一歩下がった仕草を見て、アーサー王は遠慮なく踏み込む。バツの悪そうに揺れて驚愕に満ちた紅の瞳は、アーサー王をアルトリウス・ペンドラゴンとして写し続けてくれた最愛の姉が抱く焔を連想させる脈動を感じた。
気持ちとしては「お手を煩わせてしまった…」だろうか。露わになった顔の輪郭をなぞるように頬からゆっくりと顎に手を添えて、首元で止める。
「耐えなさい。」
苦し気な声は、ライダーの母親である彼女も同じ言葉で、同じ声色で、知ったものだった。母が一度きりのものだと言って施してくださった術式を自らの意志で破ったのだ。
生き方は変えるつもりもなければ早々に変えられぬ。あの場面に再び相まみえることがあれば何度だって同じ選択肢を選び取るだろうことは、自分でよく分かる。それ故に、後悔はなくとも親から与えられた無償の愛に報いれなかった罪悪の感情はあるため謝罪の意も混じり、きゅう、と喉奥から小竜の嘶きのような音が鳴った。
アーサー王はやわかな笑みを零しながら自責の念に駆り立てられる騎士の心を宥めるような手つきで喉から胸元の中央まで滑らせ、指先で何かを描くようにしてそっと離す。
ぐんっと何かが引きずり出されるような感覚に柳眉を潜める。ライダーの胸元で魔法陣が浮かび上がり、欠損を補うように緩やかに線を結び合う。魔法陣の外回りの崩れた円陣がゆっくりと結び直しが行われ、内回りの魔術師も幾つかは穴抜けのまま補強が為される。術式を補強するのも書き換えるのも彼自身の魔力を用いる必要があるために仲介したアーサー王は燃え盛る熱のような魔力を肌身に感じ、ひくりと頬肉を引きつらせた。
アーサー王の肉体は人間のものであるが、人間以上の存在、竜の因子(心臓)を持った人と竜の混血として生まれた、即ち竜の機能を持った人である。数多の生物の頂点に君臨する存在であるがゆえに、アルトリウスはライダーの魔力にも耐え得る希少な存在であった。
「……君は無茶ばかりをするな。何のことか最初は分からなかったけれど彼女がたくさん持たせてくれた魔石で、なんとか誤魔化す術をかけることは出来たよ。それでも
そんなアルトリウスですら顔をしかめたくなるほどのその身に余る炎を、臓腑を、生まれた時からあの子が抱える問題を、実際にかかわることでようやく知ることが出来たような気がする。このような調子ならば、はじめて術式を編まれたときも相当な痛みを伴ったはずだ。
今までの戦闘や拷問の中で受けたダメージもある中、よくぞ声をあげることなく耐えたものだと感心と健気な献身に涙すら浮かぶ。
今も痛みで麻痺したことによりカタカタ震えるライダーの指先を、弱みを見せることを苦手とするこの子のために弱点をさらけ出す様を誰にも悟られぬように自身の身で隠し、頽れそうになる身体を支えて立たせてやることしかアルトリウスの頭では案が出なかった。
「…っも、もうしわけ、」
「気持ちはわかるさ。僕とて多くの命を弄ぶ行為には思うところがある。しかし、■■■■■■。我が騎士よ。まだやるべきことがあるだろう。此処は、今だけは、休みなさい。」
こうして声をかけて半ば強引に休ませてやる術しか、義兄であれば何かしら思いつくのだろうけれど王であったアーサー王は、王であることしか出来なかったアルトリウスは知らぬ。
彼が父兄として慕うのは、予言の子を盲目なまでに信奉す家臣であるエクターやその実息子であるケイだ。なにせ、アルトリウスにとって血の繋がった父が亡くなると、空席となった後継者の座を巡って戦が始まってしまったので、興味があっても
その後も気が遠のきそうなほどの長き修行の旅の末、当時の選択に後悔はなけれど、とある大会で剣を引き抜くこととなり目まぐるしくも王座に着くこととなったので、一般的な家庭の関係性も分からずして当然のことなのである。今は頼れる義兄も実姉もおらず、ああだこうだと手探りで善し悪しを探って往くしかなく、このように殺伐とした空間でもなければ嬉々として彼是と手を拱きライダーの世話係に名乗りを上げたことだろう。
「ほら、どうか僕に任せて。」
「―――……は、い。」
身体を支える手とは別の手で、柔らかな金の糸を撫でつける。ふわ、ふわ、と風になびく蒲公英の綿のように揺れる頭に微笑み、ひび割れた甲冑を手に取って魔力を流し込む。確か姉上が特殊な魔術を施したから、周囲にある金属を吸収してしまうけれど、魔力を流し込んでさえしまえば魔力と金属を対価に自動的な修復が行えるはずだ。
創られたその日から創作に携わる彼の母によって魔術が施されたのだと素性の知れぬ頃であったのにふわふわとした声色で教えてくれたことを、細やかなことですけれど我が子のために施しましたと自慢げに言う姉の顔を、アルトリウスは昨日のことのように覚えていた。
その効力は、御覧の通りに新品のように輝く兜がライダーに手渡され―――…否、身動きがあまりとれぬゆえにアルトリウスの手ずから被せられる。素性を隠すことに
事実として、素性を隠すその行為は、アルトリウス・ペンドラゴンの御身を守るためにライダーによる警護の意味を持つ。守りを受ける側であるアルトリウスの知らぬところであるのだが、立香たちの住まう世界とは異なる、異世界の住民であるアーサー王並びにライダーらの身柄の安全の為。また、