ここ数日、それぞれ満ち足りた休息を得られたと言えるだろう。
フランスでの戦争を経験した少年は、それでも足を止めずに進むと言ってくれた。明日への道を切り拓くために踏み入れたばかりの界隈で必須の魔術を習得しようと尽力し、魔術礼装ありきだけれどもなんとか三つほどの基礎魔術を形に出来たのだ。
「さて、早速で悪いんだけど、立香くんに召喚ルームに来てもらったのには理由があるんだ。」
「りゆう?」
きょときょと。空色の瞳をぱちくりと瞬かせてロマニの言葉を反芻する。シミュレーションルームでの特訓ではなく、クー・フーリンら英霊たちを召喚した部屋に招かれたこと。
問題が生じたとかそんなものであれば技術班が早々に招集を受けるので、マスターである少年が呼ばれた理由はきっと英霊召喚に関することだろう。とは、分かったのだけれども、少年の魔術回路が立派なものであれば数人だけでも魔術師の魔力だけで賄えるのだとも理解はしたけども、召喚したサーヴァントたちの原動力はカルデアと言う組織のエネルギーを消耗する。
ゆえに、新たな英霊を召喚することはカルデアのリソースを消耗させるも同然なので、立香は自分の魔力で賄えるのは逃亡用の目くらまし程度だと自覚もあったので、きょとんとしたのだ。
「う、うん、だよね。ボクたちが先に
まさかの選択肢である。
オルレアンを攻略する前の召喚は、奇跡だとも言えるだろう。魔術師としてはヒヨッコどころの問題ではない少年による召喚が必ずしも成功するとは限らず、つま先を見つめて魔力と言う貴重なリソースを消耗させるだけになるかもしれないと不安を寄せる。
「……酷なことを言うけれど、たとえそうなったとしても。これは立香くん自身を守る為の術でもあるんだよ。現地で味方サーヴァントに出会える可能性は、決して確実ではないからね。」
君たちが頼れる大人を増やしなさい。
君たちの頼れる人を増やしなさい。
「……あってほしくはないし、あってはならないことだけれど、はぐれてしまっただとか、うっかり巻き込まれてしまっただとか。もしものときを考えて、君と共に行動してくれるサーヴァントを一人でも多く召喚するのが現状としては良いだろう。」
オルレアンでは、聖女や竜殺しが味方になってくれた。歴史/母国を守るという信念のもとで結ばれた利害関係も否定はしきれず、ある意味では彼らの善性のおかげでもある。
もともとは生きた人であったがゆえに多くのサーヴァントたちが、それぞれ抱える思いをもって行動していた。一つ選択肢を間違えればきっと敵対していたかもしれないし、そもそも出会う事すらままならず共闘出来なかったかもしれない。
それに、と声量を落としてロマニは柔らかな髪を揺らした。医者としての発言は何処か悄然としていて、魔術としては悔しさを滲ませるような声だった。
魔術師の界隈で一般的に知られる『魔力過多症』とは、保有する魔力が肉体の限界量を超えて、暴走することだ。制御不能な地雷そのもの。ひとたび暴走すれば、まず間違いなく患者は命を落とす、それと共に周りへの被害も相当なものになるだろう。すなわち、ライダーの病弱スキルも改善されたとは言えど、油断は出来ない状況であることを示す。
彼が魔力を暴走させていないのは、強靭な精神力あってのこと。王への忠誠心が彼の心を強くしているのだろうと推測の域は出ないが、あそこまで真っ直ぐに忠誠心を向けられるライダーは本当の稀有な存在である。あれはもう忠誠心の塊だとすら。
勿論、彼も例外なく暴走してしまえば死ぬし、周囲への被害を出すことになるだろう。それも、制御しつつあれだけ膨大な魔力が外にも漏れるんだったら想像がつかない。
「ただ、ちょっと特殊なようで、不思議な点が幾つかあるんだ。彼も何かしらの対策は練っただろうが……、ああ、うん、医者として気になることがね? でもまあ、あの性格上、本人が無理な事は無理だと口にするだろうし、
自分から離れてひっそりと孤独に消えるだろうと
過去に、事実として彼は今際の際には誰にも見つからぬよう誰も巻き込まぬよう何も遺さぬよう意図して崖から身投げしたことがあるのだけれども。
手を掴んで引き込む前に発見したあの子が、満身創痍で命辛々にかろうじて生きながらえて逃れて来たのだと思い込んでいるアルトリウス・ペンドラゴンへ
エミヤはそっと現実から目を逸らした。自分の思考の中に浮かんだ考えではあるのだけれども、可能性を否定しきるには前例があってしまったので。
ライダーによる円卓の騎士数名と徒党を組んで計画した運命への叛逆を企画した書面はしっかりとモルガンの手に渡っており、それをエミヤと読みほどいた直後に
「彼らの秘密を暴こうとすれば、
ステータスの数値がてんでバラバラになってしまうときやパラメータの変動が激しかったりするので、その原因を特定しようとした矢先にエミヤが牽制した理由が以上である。
たったそれだけ。たったそれだけのことで、運命の権能を背負った女が敵対する。あの子等はすでに役目を果たした。世界の臍を守り通して見せたのだ。なのに、人間一人に縋りつかねば生きながらえることの出来ぬ世界などさっさと滅んでしまえと呪ってくる。
エミヤにとっては理解も納得も共感も出来るので。神々にとっても
平然と周囲を巻き込んで焼き尽くそうとする。彼女の大事以外は、彼女にとっては有象無象。煙に巻くのが得意だと言うマーリンすら魔術に巻き込まれた際にはちょっと焦げたし、神も竜も容赦なく焦がした女である。愛する弟のように倒せなかったけれど。愛する我が子のように倒せなかったのだけれども。倒せなかったってことは、つまり―――
もし、特異点で消滅してしまえば下手すれば彼らはカルデアに戻れず死んでしまうかもしれなくても、言外にあの少年マスターと盾の少女には伝えるなとお達しなのである。余計な荷物を背負わせるつもりは一切なくても、絶対なんてものはないからと気配りは不要だと言うのだ。
「彼らは、運命をひっくり返した世界より来訪した騎士なのだから。」
エミヤは途中で退場したけれども、歴史は世界に刻まれる。
たどった道筋は奇しくも運命通りであったけれど、その過程は。歩み続けた足跡は、そのどれもが同じなどではなかった。他とは逸脱したあの子が進み続けた
「だからマスター、思うようにやりたまえ。」
「じゃあ、始めます!」
大人の会話は途切れ途切れで分からなかった。やっぱり何も分からないままだった。けれども、英霊たちも魔術師たちも、立香にそれを許す。立香がそうであることを願ってくれる。
だから、魔法陣に沿うように媒体となる魔力結晶―――聖晶石を並べて置く。エミヤが言ってくれた通り好きなように、思うように。頭に浮かべたのは鳥居だった。
だって馴染みのある神秘なのだ。召喚の際に令呪を掲げたけれど、今度は手を組む。祈りを凝縮させるように手を組んで、令呪のある方の手に意識を集中させる。魔力は、魔力を流すのはこっちの手。誰かに助けを求めるように、手を伸ばすイメージをした。
ううん、本当はイメージなんて必要なかった。立香は助けを呼ぶ。誰か助けて。懸命に手を伸ばして手探りで呼ぶ。あの日を取り戻したくて叫ぶ。誰かこの声に応えて。そして離れて、立花は令呪のある手を突き出した。言葉が紡がれる。記憶力の心配をしたが、口は勝手に動く。
―――天体を観測する我らが機関カルデア。
―――世界の未来を拓く鼓動に応える英雄たちよ、その名を示せ。
―――汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
―――聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。
―――誓いを此処に。
もう十分に泣き叫んで嘆き散らした。だから明日に進むために、今度はなんでもないことをなんでもないのだと笑えるほどの力がほしい。
マシュと一緒に笑い合える穏やかな日常、彼女や立香自身の故郷を一緒に散策できる心地よさの平穏。それを得るために、それを守るために。魔術を覚えたばかりのへっぽこだけれども、どうか一緒に戦ってください。冴えないマスターなりにも頑張るから、人類を見捨てないで。情けない懇願だ。けれども本音だった。どうか助けてください。手を貸してください。
ふふ、ええ、ええ、よろこんで。
もちろんです。
任せたまえ。
次こそ力になろう。
噓つきはわたくしめが焼き尽くして差し上げます。
鈴の音を転がしたかのような柔らかな声から始まる音の共鳴。凛々しくも穏やかな声。高低差のあるリズムに乗った声。頼もしさを抱かせる声。狂気を宿しながら寄り添おうとしてくれる声が、立香の頭の中に響く。
―――我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。
―――汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!
ヒカリに呑まれる。
強風に耐え得るだけの足腰にまでは鍛えられなかったようでたたらを踏んだ。ぐわんと揺れた視界のままになんとか手応えを感じ、油断に足を掬われる。踵を滑らせて尻餅を着きそうだった立香を支えたのは、ふんわり花弁の如く広がった赤きドレスをまとった麗しき乙女だった。
「ヴィヴ・ラ・フランス! ふふ、お久しぶり、と言うのかしら?」
「マリーちゃん!? あっ、アッごめんなさっ」
「まあっ、マスター。マリーちゃん、そう呼んでくださるの?」
花のように微笑む淑女を前に、立香はなすすべもなく直撃して瞳を細める。青ざめた表情など一瞬にして照れくさそうに赤く染まった。
「平穏を
初心な少年を母のような眼で見つめて微笑み、マリー王妃は踊るように手を引きながら立ち上がらせた。自覚も知覚もさせぬままであったのに、支えてもらったからと事実だけを素直に受け止めた少年は、これまた性根の素直さを表すかのように感謝の言葉を表現する。
「手を貸してくれてありがとう。召喚にも、応じてくれてありがとう。」
支えてくれてありがとう、なのでしょうけれども。なんて素直な子なのかしら。ニコニコが止まらなくなってしまうわ? なんて律儀な子なのかしら。たくさんの感謝を天の恵みのように降らせてくれる子だわ。太陽の光を浴びてまっすぐ伸びた花のような素直さでしてよ。
場を譲るように半身をずらした王妃の横から聖女が少年の手を握り締める。座から抉り込むように殴れば声が聞こえたのです。心細さに震える声に応じたのは、彼女が最初だったのだ。
「改めましてルーラー、ジャンヌ・ダルクです。本当にお会いできて、よかった…!過酷な運命を歩むあなたたち。ああ、主よ。力添えをさせて頂ける此度の
「ジャンヌさん! 俺の方こそ、来てくれてありがとうございます…!」
わあ、わあ。かの地で共に戦場を駆け抜けた救国の聖女も、記憶があるようだった。特異点を共に駆け抜けたそれ。そして、カルデアの目的も。
ジャンヌさんの勘、当たりましたね。カルデア一行が本来の時代へと帰る前に交わしたほんの少しの会話を振り返り喜ぶマシュの声に聖女もまた笑みをたたえて同意する。何より早めの段階で人類を救済するための旅路へと参戦することが出来たのは僥倖であった。