私は彼が嫌いだった。
イェルサレムにはもう日輪が姿を隠し、街は少ない遊び人を例外に静まり返って居た。彼が磔にされてから2日目、町はもう既に彼の話など飽きて、近況などの話しかして居なかった。
「どんな人間も、神を信じれば救われるのだ。」
彼はそう言っていた。飛んだ異端だ。
彼の出自である民族は、我が民しか救われぬと言うエゴイズムの塊達だったはずだ。私は笑った。だが、彼の話は面白かった。
与太話であるとするならば。
出会ってまもない頃の私は、イェルサレムに越してきて数日で、右も左もわからぬ私に彼は親切に話しかけてきて居た。あの頃の彼が数百人も人を連れて何かをしていた事は知っていたが、私は格段気にはしていなかった。
交流はあった。仲は良かったさ。
「私は一週間後に殺される。」
だから、驚いた。
何を言う。何を言ったのだ。
彼が磔にされる一週間も前、彼らそう私に語った。その日も今日の様に暗く、松明の火が遠くの家屋から顔を覗かせ、月が私の頭を照らしていた。
「しかし、案ずるな私は神の子なのだから。」
私は彼が奇跡を起こすと持て囃されているのは知っていた。目の前で人の病を癒したり、幽霊を追い払っただとか、そんな話ばかり聞く。
そして、次は予言らしい。それに自分が殺されると言う。
「なんてことを言うのだ、君は何を言っているのかわかっているのか?」
唾を勢いよく飛ばし、彼の顔目掛けて叫ぶ。
されど、彼は表情も変えず、月の影で余計にその彫りの深い顔をぽりぽりとかいては、真剣な目で私を覗く。
目は厳しく、まるで決意を決めたような目で私を見る。
「君も知っているだろう。イサク。君は私の友だ。」
「何を知っていると言うのだ。君が死ぬ事をか。」
日が沈む夜のイェルサレム。遠くの枯れた山にまで私の声は響く様であった。月に照らされて、落ちた影が慌ただしく私の身振り手振りを追う。
「私が神の子である事を、君は知っているはずだ。」
訝しむ気持ちはいつの間にやら消えていて、その時には一種の恐怖を私は感じていた。
"彼は何を言っているのだ"
自らの死を宣告し、それをあまつさえ私に言っているのに関わらず、何を"案ずるな"と言うのだ。
「いや知らん。何を言っているのか分からん。」
2日前、彼は二人の盗人と共に冤罪の上、磔にされた。
処刑場には行かなかった。行けなかった。
心の底からの疑問があった。
彼は何を考えているのか。
考えていたのか。
されど、私は今思い返し思う。
彼はあの時にはもう、人である事を諦めてしまったのであると。
彼が死んで、3日目の朝を迎え、私は外の騒がしい声を聞いて起き上がった。早朝の朝日が鬱陶しく、私の目を焼き、耳には有象無象の歓喜の声で埋め尽くされる。外に出てみれば、家を出た先にある少し高い丘に人が蚊柱のように集っている。
誰がきているのだろうか。ローマからの人間か。それともパンの配給でもしているのか。まだ弱い朝日に背中を押されるように照らされ、非力な一歩で群衆へと近づく。昨日は寝れなかった。またアイツの事を考えていた。馬鹿なやつだ。何か復活だ。アイツは死んだ。不眠症の脳内はぐわんぐわんと二日酔いの様な気持ち悪さを感じさせる。
煩い野次馬に混ざる様にして、ふらふらとその足を運んで外の群衆に目を向ける。まるで虫の死骸に釣られた蟻のように私はいつの間にか群衆に近づいていた。そうすれば、その群衆は口々に"メシアだ"、"神の子だ"と叫んでいる。その声を聞いた次の瞬間、私は驚いた。
彼が立っている。
彼が、喋り、歩いている。
その時私は彼が言ったことが、本当であったのかと思った。彼が神の子で、彼が私たちを救いに来て、彼が復活したのだと。そう、彼が戻ってきたのだと。
私は群衆に駆け込んだ。女も、男も、子供も、老人も押し退けて、彼の肩を掴んだ。在らん限りの力で引き摺り下ろされぬ様に、掴み声をかけた。
「イエス。生きていたのか。」
やつれた私の顔は日を背にして、より目の隈が目立っていただろう。久方ぶりの友の姿に私は涙を流し---
「、、、君は、、、誰か」
私の後ろから刺す朝日に照らされ、眩しいはずであろう目を閉じもせず、私を見つめる彫りの深い男。
その時。私の目にあったのは、不気味な程に何かに微笑む、かつての友の姿をした人形の姿であった。
3日後、蘇った彼を人はメシアと呼んだ。
彼に意識はあったのか、神にその身を捧げ、自らの死をも知りながら死ぬのは、度し難いほどに殉教者に相応しい。
主に使え、死を覚悟した彼は人ではなく、ただ主に使える奴隷でしかなかったのではと言う疑問がこれを書いた動機でした。