私はヒフミに誘導され、戦車の中で座席に座っていた。大まかな操作は自動化されているらしく、眼前でレバーが勝手に動いている。
座席にただ座っている私に、ヒフミが後ろからしなだれかかっていた。
戦車の中はじっとりと暑い。空調は動いているはずだが、狭い空間に人が居れば暑くもなろうもの。
だから――やけにヒフミの頬が赤くても、それはおかしなことではない、はずだ。
「どうかしましたか? 大丈夫ですか? 先生」
ヒフミの囁く声が頭の上から落ちてくる。
後ろから後頭部を抱えられた状態、首元に二つの膨らみが当たっている。柔らかな感触が直に伝わる。本来上着やシャツなど複数の布越しで当たるはずの双房が、首筋に直接触れている。
”ええと……どうして水着なのかな?”
「これですか? 下に着てたんですよ」
彼女はそう答えながら、体重をより強く預けてくる。
汗ばんだ谷間が、うなじにむにゅりと密着していく。
「ところで……これは水着なんでしょうか?」
ヒフミが着ているのは間違いなく以前海へ行ったときの水着だ。恐らくは小テスト後、みんなとプールに入るつもりで着こんでいたのだろう。
しかし、水着は水着であるという理論は、こと私と補習授業部との間では、危うい緊張を孕むロジックだった。
「ねえ、せんせ。本当にこれは水着なんでしたっけ。私は下着のような気がするんです、だから下着なのではないでしょうか?」
左耳を舐めるほどの距離でヒフミは囁く。明らかにまともな様子ではない――気づくのが遅かった。この席に座ってしまった時点で、腕力で勝る少女相手に脱出する術はない。
「私が下着だとすると……ちょっと困ったことになると思いませんか?」
ヒフミの指が私のシャツの上から胸骨をついと撫でる。そのまま指先が下へと滑り、
へその周りをくるくると回る。
「下着だけ着けた女の子に密室へと誘われて、入ってきてしまったんですよね。それって、その、OKってことですよね?」
左腕と双房でぎゅっと、私の上半身を拘束しつつ、右手はためらいがちに下へと伸びていく。ベルトを越え、その下方へ……いや、その内側へ指が這っていく。
ワイシャツを引き出し、腹部を直接なぞり、更に下。下腹部の毛の生え際をさわさわと細い指が撫でる――これは、非常に、よろしくない。その先へと触れてしまう前に、何とかやめさせなければならない。
”水着じゃなくて下着だと思えば、それは下着だけど――”
”下着じゃなくて水着だと思えば、それは水着だからね”
「うーん、先生は水着だと思うんですか? 多数決だと1対1ですね、困りました。
――どう思いますか? ハナコさん」
ヒフミは右へと声をかける。いつのまにか、ヒフミと逆の側に、例の『水着』を着たハナコが笑みを浮かべ立っていた。いつものニコニコとした表情で私を眺め、ヒフミを上から下まで眺め、最後に自身の装いを眺め。
はふぅ、と熱さをもつ溜息をつきながら太ももを軽く擦り合わせる。
「まさか、こんな凄い場面が見られるとは……ふふっ、少々悩みましたが、こちらについてきてよかったですし――下着か水着か。これは私たちにとって、とても大事な問題ですね」
そうして、数瞬の逡巡の後、または逡巡のフリをした後。頬に手を当てながら艶やかに、ハナコは場を定義する判決を下す。
「水着ですね、間違いありません!」
◇ ◇ ◇ ◇
「えっ???」
ヒフミの戸惑う声が響いた。自分への賛同でなかったという点と、どう見ても下着である代物を水着と言い張っているという点、二重の意味で。
混乱しているヒフミを見て、ハナコは余裕の表情で論を続ける。
「少なくとも、私が着ているのは水着ですね。そして私の水着とヒフミさんの着衣を比べると、ヒフミさんの方が生地といいデザインといい、より水着らしいですわ。つまり――ヒフミさんもまた、水着と言えるでしょう」
自分が水着なのでヒフミも水着だ。ハナコはそう言い切った。自信満々で言い切る姿は歴戦の論客、あるいは堂々とペテンを働くギャンブラーを思わせる。
「いや、いやいやいや、そのピンクのストライプはどう考えても下着ですよね?」
「いえいえ、これは水着ですよ。だってプール掃除のときに着ていたじゃないですか」
「で、でも、そもそもハナコさんの水着ってピンクのビキニ――」
「なんのことでしょうか……? 7月22日には脱稿しているはずなので、よくわからない話ですね」
ハナコはくすりと笑いながらヒフミの追及を躱していく。
元々、ロジックでハナコに勝つのは至難の業だ。ヒフミは続ける言葉が見つからずに、しおしおしてしまう。
「さて、これではヒフミさんが主張していた多数決だと、水着ということになってしまいますね……けれど安心してください、まだセクシーシーンを続ける手は残ってます!!」
「あえ!? ハナコさんはどっちの味方なんですか!?」
「私はいつだって皆さんの味方ですよ。というわけで脱ぎましょうねヒフミさん」
ハナコはわきわきと手を動かしながらヒフミの水着に手をかける。
「本当に味方なんですか!? っていうかなんで脱がそうとするんですか!?」
「なんでって……セクシーシーンをしたいのでしょう? だったら脱げばいいのですよ。ほら、先生に見せつけてあげましょう」
「いや、その、急にそんな、恥ずかし――」
「その恥ずかしいことをしたいって言ってたのはヒフミさんですよ? ほら、しっかり先生に見てもらいたいんでしょう? やわらかな乳房も、ぷっくりとした乳頭も、つるつるの鼠径部も、その中の綺麗なピンク色のお肉も」
ハナコはヒフミを抱きしめ、耳元で舐るように囁く。いや、角度的にギリギリ見えないが、チロチロと舌を出しているので実際に舐っているのではなかろうか。
「な、な、な……きゅぅ」
刺激が強すぎたのだろう。ヒフミは赤面して気絶してしまった。
ハナコはそっとヒフミを床に寝かしつけ、こちらを見て微笑む。
”ええと……結局ハナコは私の味方、正気ってこと?”
「ええ。補習授業部と先生でどろどろのぐちょぐちょをするのは吝かではないですが、正気でやってこそだと思いませんか?」
”ダメだからね、やらないからね”
「なるほど――普通の行為じゃ物足りないと」
”そういう意味で言ってるように聞こえたのかな??”
「そういうお噂は聞こえているような、そうでないような……冗談はこれくらいにして、そうですね。私は先生の味方で、正気です。どうやら私には色彩の影響がほとんどないようなので」
◇ ◇ ◇ ◇
「というわけで、あの赤い色彩の空には、思考の大部分をピンクな思考に染める効果があると考えられます」
”冗談でしょ――冗談であってくれ”
ハナコが語った色彩の効果は、にわかには信じがたい、信じたくない内容だ。
――あまりにも効果がギャグ過ぎ、そして厄介すぎる。
「あの怪人、フランシスと言いましたか。彼も言っていたでしょう、精神・欲求を変調させる効果だと」
洗脳するわけでも、不可逆の変質を行うだけでなく、ただ元からある欲求を強化するだけ。それであれば大幅に劣化した色彩でも可能なのだろう――たかが範囲精神攻撃を行うだけの攻撃を、ゲマトリア達すら恐れた色彩として扱っていいかは疑問だが。
しかし、引き起こされる事態は深刻だ。効果範囲内の生徒はすべて、よりによってティーパーティーやゲヘナ風紀委員も含めて敵、捕まれば教師として終了、しかも救援も望めないと来た。
常に思考の一部をピンク色にする効果――あまりに、あまりにも恐ろしい効果だ。
しかし、であればこそ、一つの疑問が残る。
”結局、なんでハナコには効いてないの?”
「効いてはいますよ? ただ、効果がないだけです」
禅問答だろうか――いや違う、言葉通りなのだろう。常に思考の一部はピンク色にされているが、思考や行動には影響が出ていない。つまり。
「あれの恐ろしいところは『常に』思考の一部を占められる点にあります。普段からそういうことを考えていない方や、並列に思考をされない方への効果は絶大でしょう。
逆に言えば――」
ハナコは豊満な胸を張って、堂々と宣言をする。
「元から常にピンクなことを考えていた者には効かないのです!」
むしろ思考の一部だけに限定された分、いつもよりも冷静なのだ。補習授業部の才女は誇るように語った。
◇ ◇ ◇ ◇
「す、すみませんでしたぁっ!」
硬い戦車の床で水着の少女が土下座をしていた。どうやら気絶した後、ヒフミは正気に戻ったらしい。
両脚を正座し上半身をぴったりと床につけた、完全服従を示す体勢。羞恥によりその耳は赤く染まっており、突き上げられた臀部は水着で最低限が隠されているものの、そのぷりんとした卵のような肌を惜しげもなくさらしており――本当に正気に戻ってるよね?
「大丈夫ですよヒフミさん。あれくらい年頃の女生徒なら普通です」
「そ、そうですかね? 普通ですかね?」
「ええ、ですから今後もチャンスがあればああいった攻め方をしてみては……」
「絶対しません! あ、あれは色彩のせいなんです!!」
わたわたと慌てる少女。うん、正気のようだ。
「どうやら、先生がセクシーなシーンを乗り越えたら効果が切れるようですね……これが『ジャンルが修正された』ということなのでしょうか」
確かに、フランシスは私のジャンルを修正する力の検証だと言っていた。R-18の展開がR-15以下のコメディに修正された結果、修正後のジャンルにそぐわない色彩の効果が消えたということなのだろう。そんなことあるか?
「実際にそうなっていますので。夏のイベントならそういうこともあるでしょう」
”そっか、夏なら仕方ないね……”
夏は奇妙な海産生物が出現しサメが空を飛ぶする季節だ。そういうこともあるだろう。
「じゃ、じゃあ、同じようにすれば皆も正気に戻せるってことですよね? コハルちゃんとアズサちゃんを助けに行かないと!」
「そうしたいのは山々ですが、同じようにというのが難しいかと。コハルちゃんは私と同じ理屈で無事だと思いますが、アズサちゃんとツルギ先輩は色彩の影響下にあると思われます。あの二人の行動を制限できる戦力無しでは、展開を変える前に先生の貞操がピンチです」
「そっか、アズサちゃんも……あ、アズサちゃんが……先生を……」
ヒフミの表情が緩んでいるのは気のせいだろうか。本当に正気に戻ってるんだろうか?
”ともかく――事件を収拾するため、もう少し人手が欲しいね”
「ええ。コハルちゃんの救出は必須ですが、戦力を整えないと。さすがに私と同じ理屈で無事な方はそんなに居ないと思いますが……別の理屈で大丈夫な方も居るはずです」
ハナコは色彩を撥ね退けうる条件を挙げていく。
元からそうであった者、分割思考に慣れている者、理性が尋常でなく強い者、正気でない者、そういった知識が皆無であるもの、欲求が皆無である者。より強く、常に、他のことを考えている者。
”該当しそうな人は居るけど……”
いずれも確定とは言えず、いずれもが強者だ。
例えばツルギは分割思考に慣れている者に該当しそうだったが、取り込まれてしまっている。可能性のレベルでハナコと私の二人で向かうにはリスクが大きい。
「あとはそうですね、性癖があまりに捻じ曲がっているため行動として現れない者、とか……いえ、忘れてください。さすがにそんな人は居ないですね」
”性癖が、あまりに捻じ曲がっている……”
◇ ◇ ◇ ◇
「なるほど、この異常はゲマトリアと色彩が……。状況は分かりました。分かりましたが――その理屈でここに来たのは一体どういうことでしょう?」
「それは勿論、お二方の理性を信じてのことですよ? 何と言っても、ゲヘナ風紀委員の行政官様と委員長様なのですから」
トリニティの一室。そこに居たのは不機嫌な表情のアコと、無言で佇むヒナであった。