「なるほど、確かに。この実験には構造上の欠陥があった」
水の抜かれたプールの中で、怪人は独り呟く。
「非日常的なエロスは文脈としてギャグに近接し、ギャグはホラーと展開が近接する。精神の変質、その強制という手段を執った時点で、ジャンルを変換しうるエントロピーは内包されていたと言える」
救護騎士団の這いよる少女。トリニティの走る閃光弾。比較の理の獣。正義と風紀の委員長。
いずれもギャグやホラーの文脈にジャンルが再定義され、無力化されていった。
「特に、ホラーの文脈の影響が大きい。隣人が脅威へと変質する様は感染系のホラーと展開が近似しすぎていた」
ゲヘナ風紀委員長が発症した際に、一度撤退を選んだのが象徴的だ。現時点では打倒不可能な怪異を序盤に見せるのは、典型的なB級ホラーの構造である。
「一応、ここへ至る順路に無邪気なる暴君を誘導してはおいたが――アレも多分にホラー展開との親和性が高い。先生たちがここに到達するのも時間の問題だろう。しかし……」
先生が持つであろうジャンル変更の能力、その強度と限度を確認する実験のはずが初期時点でジャンルが変化しやすい状態であった。故に、ここまで難無く対応されてしまっている――理屈としては成り立つが。
「否。私の観測は、それを否定している」
エロスはギャグやホラーに近接する。であれば、逆に、ホラーはエロスに近接するのだ。
ホラーの展開へ変化することは、エロスが無くなることを意味しない。寧ろ、R-15程度のエロスはホラー展開に付き物である。なのに。
「ジャンル変化では説明し切れない、執拗で徹底的な、日和見的エロスを遮断する大きな力」
それはもはや個人の能力では説明不可能、世界を俯瞰する観測ができて初めて可能な現象だ。つまり。
「文脈を、ジャンルを、変更し規定する能力を持つのは、先生ではない。より大きな意思があるのだ、青春の物語へと矯正し強制する、神の如き意思が!」
であれば、それを検証し濫觴しよう。やることは簡単だ。安易なエロスを遮断しようとしてくることは分かっている。より強く色彩を作用させ、淫靡な空間を形成してしまえばよい。
フランシスは色彩を通じて更に強力な波動を発現させようとし、
「…………うむ?」
全ての文脈が無視され、フランシスは清らかな水底に居た。
「プールの水が急に張った? いいえ、違いますね。ここはプールではない。それどころか――キヴォトスですらない」
光輪の無い空。神秘の無い空気。代わりに存在する、高次元の現実感。
「おお、おお、ここは――であるなら、ジャンルを編纂し規定する意思とは!」
フランシスが何かを理解したと同時、またも文脈を無視し出現した獰猛な魚の群れが彼を蹂躙した。
鋭い牙に全身を削られ消滅する刹那、フランシスの目に映ったのは。
偉大さを伴う、男のシルエットであった。
飛行迷宮学園キヴォトス 了