『ガールズバンドが人気な時代ですが、男も頑張ってみます。』のIF外伝です。1人のオリ主を使い回しすぎ? うるせぇ、私は私の子(関口海)が好きなんだ。
アタシ───今井リサには、好きな人がいる。
高校の頃に出会って、大学生になってからも親交のある男の子。
ギターがとっても上手で、気遣いが出来て、包容力があって、他人のために行動ができる、すごくすごくカッコイイ男の子。
びっくりするくらい優しくて、でも自分の“芯”はしっかりあって、怒る時は怒る。大人びてるくせに誰よりも子供な、そんな不思議な子。
アタシも、アタシの周りの女の子達も、その男の子に何度助けられたか分からない。彼がいなければ越えられなかった困難もある。
まぁ、彼がいたからこそ激突した問題もあるにはあったのだけれど。そこはほら、助けてくれた功績と比較してプラマイプラスってことで。
さて、そんな性格も良くて顔も良い素敵な男の子がモテないはずもなく。
アタシが知ってるだけでも、五人は彼に想いを寄せている。その中にはアタシが組んでるバンドのメンバーも入っていて。
そんな中で、『アタシも彼のこと好きなんだ』なんて言える勇気、アタシにはない。
言ったが最後、今まで通りの関係性を維持できるか分からない。...ううん。きっと上手くなんていかない。相手はともかく、アタシのメンタルが持つかどうか。きっとバンド活動にも支障が出る。そんなのはアタシの望むところではない。
だから、この想いには蓋をした。
鍵をかけて、奥底にしまいこんで、その存在を忘れ去ろうとした。
誰にもこの気持ちを勘づかせなければ、全部が丸く収まる。アタシが忘れれば、亀裂なんて生まれない。今まで通りみんなで
────そう、思っていたのに。
「スー......スー......」
アタシの隣で規則正しい寝息をたてる男の子。
同じベッドで、同じ毛布を被って、少し手を伸ばせば触れられる位置で、無防備に肌を晒して眠っている男の子。
自分の身体を見れば、こちらもまた一糸纏わぬ生まれたままの姿で。
「.........やっちゃった......」
ため息とは違う深い深い息とともに、アタシの声が薄暗い部屋に溶けていく。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
目が覚めたら、そこは知らない天井だった。
二十年間慣れ親しんだアタシの部屋じゃない。
昨日のお酒が残っているのか、少し頭痛がする。二日酔いってほどじゃなく、水でも飲んでシャワーを浴びれば大丈夫だろう。
...いやいや、そうじゃないでしょ。
ここどこ? アタシ、昨日家に帰らなかったんだっけ?
頭痛を堪え、軽く辺りを見回す。
薄暗いく細部までは見えないが、白を基調とした綺麗な部屋だ。が、アタシの知ってるどの友達の家とも一致しない。
薄暗いってことはまだ夜なのかな。
そう思い時計を見るが、アナログ時計の短い針が指していたのは九の数字。朝の九時なのか夜の九時なのか、そこの判断ができない。夜の九時なのだとしたら、自分は一日中眠っていたということになる。
まさか夜じゃないよね。
確認のためにスマホを見ようとするが、手元にない。どこにあるんだろうと視線を下げてみると──────そこには男の子がいた。
「────...............ぇ」
同じベッドの中に男の子がいる。
そう認識して、喉がヒュっと鳴った。
そこにいたのが知らない男の子ってわけじゃない。異性では一番親しいと言えるような、五年以上の付き合いがある男の子だ。
けど、アタシと彼は一緒のベッドで寝るような仲じゃない。ただの友達。ただの先輩後輩。ただのバンド仲間。そんな関係で、男女の仲だなんてことは絶対にない。あってはいけない。
「スー......スー......」
一定のリズムで寝息をたてる男の子───関口海くん。
寝顔を見るのは別に初めてってわけじゃないけど、改めてみるとなんとも可愛らしい無邪気な顔だ。化粧もしてないし、特にケアをしているわけでもないらしい肌はキメ細やかでハリもある。それは顔だけじゃなく、晒された上半身も色白で見蕩れるくらいに綺麗だ。羨ましい。どうしたらそんな肌になれるんだろうってそうじゃなくてさぁ!!?
「え、なんでなんでなんで? え? え?」
どうして海くんと同じベッドで寝てるの?
どうして海くんは服を着てないの?
どうしてアタシは服も下着も着てないの?
どうしてアタシ達は知らない部屋にいるの?
処理が追い付かない。寝起きの頭を回転させて頭痛が酷くなる。
まずはゆっくり。こういう時こそ落ち着いて冷静に考えよう。いや無理だけど、頑張って落ち着けアタシ。
そう、まずは昨日のことだ。
確か昨日は大学の授業が終わって、友希那と遊ぼうと思ったんだ。
けど友希那には別の予定があるって断られて、そしたらたまたま校内をブラ付いてた海くんを見つけて、ご飯でも食べに行こうよって誘った。うん、確かそう。
で、ほかにも誰か誘おうとしたけどみんな予定があってダメで、仕方ないねって言って海くんと二人でご飯食べて。
食べ終わってからちょっとお酒が飲みたくなったから、海くんを誘ってその辺のバーに入って。海くんがすごいペースで飲むから、アタシもって言っていつもより早いペースで飲んで。
そうだ。その後アタシ、立てなくなっちゃったんだ。 フラフラになって海くんに介抱されて、気付いたら終電もなくなっちゃってて。
その時点で正常な思考なんてできてなかった。
アタシが終電無くなっちゃったって言ったらタクシーを呼ぼうとした海くんにちょっと腹が立って、それで────────
「.........やっちゃった......」
思い出した。完全に、忘れて無かったことにしたい事実を思い出した。
鳥肌が立つくらい血の気が引く。今鏡を見たら、見たことがないくらい真っ青なアタシの顔が写っているだろう。
そうだ。あの後フラフラの足で海くんを引っ張って、ホテルに入ったんだ。「ここまでしてる女の子をタクシーに詰め込もうとか、何考えてんの!?」とか叫んで。いやアタシが何考えてんの。そんな先輩ヤバすぎでしょ。アタシだったらドン引きする。
その後「景気付けだー!」とか言って追加でお酒を入れたからか、それ以降の記憶が全くない。そこまでしか覚えてないけど、きっと、多分、十中八九、いや確実に、アタシは海くんを襲ってる。記憶があやふやになるほど暴走したアタシが何もせず止まるとは思えない。...自分で言ってて恥ずかしいな。これじゃアタシがビッチみたいじゃん。これでも初めてだったんだからね!!! ...誰に言い訳してるんだろ。でも海くんだから手を出した。誰にでも欲情するわけじゃないっていうのは知ってて欲しい。...いやだから心の中で誰に言ってんだろ。
とにかくヤバい。まずい。どうしよう。
酔っ払っていたとはいえ、後輩に手を出しちゃった。しかも爆弾を何個も抱えてる子に。
マジヤバいホントヤバい。どうしよう、ガチでどうしよう!?
いや、海くんのことが嫌いだとか、そういうことをしたのが気持ち悪いとか、そんなのは一切ないけど! むしろそういう妄想をしたこともあったくらいだけど!
でもダメ、これは本当にダメ。
海くんのことは好きだ。異性として意識してる。このまま海くんと付き合えたらなって思いがないわけじゃない。正直、こんなことになって少し嬉しい気持ちもある。一番大事なところを覚えていないのが残念で仕方ないくらい。
けど、これは抱いちゃいけない気持ちで、アタシがそんなことを想ってるだなんて、しかも肌を重ねただなんて、そんなの紗夜にでもバレたら一巻の終わり。Roselia解散の危機だ。
どうしよう、どうしよう。
海くんが起きる前に逃げる? それとも「昨日のはナシで」って、「忘れてください」ってお願いする?
どちらかと言えば後者の方が良さそうだ。
そう判断したところで、隣で寝ていた海くんが「ん...ンあ......ん〜...」なんて言う。目が覚めたのかな。
覚悟を決める。溢れかけた想いに再び鍵をかけ、もう二度と出てこないよう心の一番奥にしまって──────
「.........んぁ...おはようございます、リサさん」
寝起きで少しゆったりとした声音。
大きな目を細めて擦りながら、にへらとした柔らかくほわんとした笑顔を作る海くん。
...............これは、ダメかもしれないなぁ。
その笑顔は反則だ。可愛い。母性をくすぐられる。
さっきまでの覚悟は簡単に砕かれた。霧散した。もうアタシの心にはそんなものはない。
今にも押し倒してしまいたい衝動に駆られる。
彼の細くもしっかりと筋肉が付いている身体をギュッと抱きしめて、彼のクラクラしてしまうほど甘美な匂いに包まれたいという欲望が込み上げる。
もう、いいんじゃないかな。
そんな諦めのような気持ちが出てきて、己の欲に抗うことを放棄したくなる。というか、し始めている。
自分の本心に従って、ゆっくりと海くんに近付く。未だ眠気まなこな海くんを抱き締めるために両手を広げ────
「......ちょ、リサさん前! 前!!」
ヒラリと、寝起きにしては素早い動きで躱された。
なんで?
避けられるなんて予想外で、ポカンと間抜けな口を開いてしまう。
そんなアタシに目をくれることもなく、顔を真っ赤にした海くんはその辺に落ちていたアタシの服を投げつけてくる。下着も、三回くらい取るか悩む仕草を見せたあと、拾ってこちらに投げてきた。
「服着てください服! 前隠して! マジで!」
なんて言って、アタシに背を向けてくる。
そういえば、アタシ裸なんだった。海くんは...上は着てないけど下は履いている。寝る前に履いたのかな。
照れる海くんは可愛いし、裸を見られることに羞恥が無いなんてことはないけれど、言われたからには仕方なく服を着ることにしよう。
一線を越えたっていうのに、海くんはウブだなぁ。可愛い。
そんなことを思いながらブラを着ける。昨日着けてた下着は正直覚えてなかったけど、良かった、ちゃんと可愛いやつだ。しかも上下揃ってるやつだし。けど最近、ちょっと小さくなってきたんだよね。お気に入りだったのに残念。
そろそろ新しいのを買おうと思ってたけど、せっかくだから今度海くんに選んでもらおうかな、なんて気の早いデートの計画を立てながら、しっかり服まで着た。
「ごめんねー。服着たよ☆」
アタシが服を着ている間に、海くんもシャツを着たらしい。
もっと海くんの身体を見ていたかった、なんて思ってしまう。もうダメだ。気持ちにブレーキが効かない。もう抑えられない。隠せない。
けど、もういいか。ヤッてしまったものは仕方ないし、海くんは多分、そういう行為に対してしっかり責任を取ると言うタイプだろう。童貞臭い、なんて言ったら怒られるか泣かれるかもしれないが、アタシにとったは良い意味で童貞臭い考えなのは助かる。まぁアタシも処女だったわけだけど。...ふふ、「だった」。もう違う。相手は好きな人。こんなに嬉しいことはない。
小躍りしてしまいそうなほど気持ちが舞い上がっているアタシに、振り向いた海くんが未だ朱色に染まった顔を向けてくる。
「...頭、大丈夫ですか?」
「突然罵倒された!?」
え、何!? アタシ何か悪いことした!? 頭を疑われるようなヤバいこと言ったりやったりしたの!?
「あ、いや、違くて。昨日飲みすぎて頭痛いって言ってたんで、まだ残ってるのかなって」
「え? あー、そういう......う、うん、大丈夫だよ☆ ちょっと頭痛はするけど、そんなに問題ない感じ」
頭痛なんか忘れるくらい、今は気持ちがスッキリしてるし昂ってる。吹っ切れた。
紗夜とかひまりとか、その辺にどう説明したらいいかなって考えると気が重くなるけど、今は考えなくてもいい。今はこの幸せに全力で身を任せて、嫌なことは後で考えようと思う。
「そうですか、なら良かったです。一応水飲みますか?」
「あ、うん。飲みたい」
そう言うと、海くんは部屋の隅に置いてある冷蔵庫から「うわ、水でも金取るのか...」とか呟きながらペットボトルを取ってくれた。
ありがたく受け取り、コクコクと喉に流し込む。冷たい水がいつもより数倍美味しい。
「海くんも飲む?」
「じゃあいただきます」
飲みかけのペットボトルを海くんに渡し、それに口を付けて海くんも水を飲んだ。
関節キス。今までも何回かやってきた行為。今まで何でもない顔をして内心顔から火が出る思いで見ていたソレよりも、昨日の夜はずっとずっとスゴいことをした......んだろう。
ホント、なんで覚えてないんだか。人生で一度きりの“初めて”を覚えていないことに強い後悔が募る。
そういえば、キスをした記憶もない。
人差し指を唇に当て思い出そうとするが、やっぱりダメ。多分たくさんしたんだろうけど、全くもって記憶にない。
「......ねぇ、海くん」
初キスは何の味だったんだろう。お酒だったのかな。そんなことを思い、顔が熱くなるのを感じながら、柔らかくてよく沈むベッドの上をゴソゴソと移動する。
水を飲み、一息ついた海くんの側まで来て、こちらを不思議そうに見る彼の顔に、自分の顔を近付ける。
今度は逃がさないように、海くんの手首を掴んでグッと引き寄せ、そして彼の唇に自分の唇を押し付けようとし、
「な、はっ、え、何やってんスか!?」
またも逃げられた。
手を払い退けられることはなかったが、アタシが届かないところまで顔を引いて、困惑に染まった顔を向けてくる。
...これにはアタシも、ちょっとだけムッとした。
「なんで逃げるの?」
「なんでって......いや、リサさんこそ何してんですか...?」
「キス」
「キス!? なして!?」
驚いて、今度こそアタシの手から逃れる海くん。
ウブなのは可愛いけど、ここまでやられるとさすがに傷つくんだけど。
「え、リサさん、もしかしてまだ酔ってます...?」
「酔ってないもん」
初めての朝はいっぱいキスをしたい。ギューってしたい。
そんなアタシの理想が破れて、プイっと海くんから顔を背ける。
でも確か、男の子はやることやって満足したらしばらく性欲は湧かないし、イチャイチャするのも億劫になる、なんて話を聞いたことがある。女の子みたいにその後も、というかその後こそイチャイチャしたいって思う男の子は少ないんだとか。大学の友達がそう言ってた。
海くんもそんな感じなのかな。それはちょっと寂しいな。なんて思い、顔はそっぽを向けたまま横目で海くんを観察する。
オロオロしてるかな。それとも面倒そうな顔をしてるかな。
前者だったらいいけど、後者だったらすごく凹む。
ドキドキしながら海くんを見るが.........海くんの反応は、そのどちらでもなかった。
「............」
何か考え込んでいるような、難しい顔。怒ったり、面倒な奴だと辟易したり、そういう顔じゃない。
ちょっと不安になって、目だけじゃなく体も海くんに向ける。
「......あの、念の為なんですけど」
暫く黙っていた海くんが、ゆっくり口を開く。
もう寝起きのような舌足らずな喋り方じゃない、普段と同じ声音。なんだか緊張してしまって、生唾を飲む音がいやに響く。
「昨日の夜、別に俺、何もしてないですから。安心してくださいね?」
余りにも予想外なセリフが、身構えたアタシを撃ち抜いた。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
『確かにここはラブホだし、成り行きで一緒のベッドに入ってましたけど、マジで何もしてないんで。いや信用しろってのも難しいかもですけど、ホント、俺そういうことしてないんで』
そんなことを言い放ちやがった海くんと別れて数時間後。
苛立ち、不安、焦燥、悲痛。それらの感情を大きく上回る虚無がアタシを襲い、ホテルから家までどうやって帰ってきたのか、よく覚えていない。
いつもなら海くんが送ってくれそうなものだけど、今日は『いや、今俺と一緒にいるの、嫌だと思うんで』とか言って駅で別れた。
...何なんだ、一体。
結局、アタシが起きたのは朝の九時だったらしく、ホテルから出ると、外は目が焼けるほどに明るかった。
家に帰り着いたのはお昼頃。何の連絡もなく一晩中帰ってこなかった娘に対してお母さんが「大丈夫? お赤飯炊く?」なんて言ってきたが、本当に空気が読めてない。
応える元気もなく、無視して自室に入り、ベッドにダイブした。
頭が痛い。二日酔いかな。さっきまでそんなことなかったんだけど、あれはアドレナリンのお陰だったのかも。あれ、ドーパミンだっけ? まぁ、どっちでもいっか。
「......ヤバ。今日、五限あるじゃん」
本当は二限と三限もあるが、そっちはもう間に合わない。友希那と一緒に取ってた授業だけど.........あ、友希那から連絡来てる。『もう授業が始まるけれど』『何をしているの?』だって。こっちが聞きたいよ。悪いと思いながらも返信する気力が湧かず、スマホをベッドの端に投げる。
『何もしてない』と主張する海くん。彼のことだし、それはきっと嘘じゃないんだろう。だからこそ腹が立つ。自分にはそんな魅力がないのだと、手を出す価値がないのだと、そう言われた気がして。
もし仮に海くんが嘘をついている、つまりナニかがあったのだとしたら、それも傷付く。だって海くんは嘘をついてまでその事実を隠して、アタシとは何も無かったのだと言いたいってことだから。
どちらにしろ、海くんにとってアタシはその程度の女だったということ。異性として興味がないことはないのだろう。アタシの裸を見て赤面したくらいだし、今までも海くんがそういう目を向けてきたことはあったし。
でも、関係を持つには値しない。そう判断されたことは間違いない。
悔しくて、腹立たしくて、すごく悲しい。
溢れてきた涙を抑えるように、枕に顔を沈ませる。
怒っても仕方ない。悲壮に暮れても意味が無い。
むしろこれで良かったのだと自分に言い聞かせる。
アタシはフラれたんだ。これで紗夜の恋路を邪魔することはない。ひまりと不仲になることもない。ほかの女の子たちに恨まれることも、ない。
元より、諦めて、忘れようと努めていた感情だ。フラれようと何も問題はない。気持ちに整理がつく、という意味では良い結果なのかもしれない。
そう何度も何度も言い聞かせ、それでも溢れる嗚咽を枕で殺す。
儚い幸せだった。でも、何も無いより、たった一瞬でも幸福を抱けたことに感謝しよう。
けど、今は少しだけ、悲しみに耽ることを許して。
これが終われば大丈夫。明日からのアタシはいつものアタシ。海くんと上手く接する自信はないけれど、それも時間が解決してくれるはず。
その日は結局五限も休み、何人かからくる連絡や心配してくれたお母さんも全て無視し、ご飯も食べず、お風呂にも入らず。ただただ枕を濡らし、そのうち疲れて、気を失うように眠りについた。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
「おっはよー、ゆーきなっ☆」
翌日。
一日泣いて、ようやく気持ちが落ち着いたアタシは、授業を受けに大学に来ていた。
校門近くで友希那の後ろ姿を見つけて、駆け寄って声をかける。
「...おはよう。昨日はどうしたの?」
振り向いた友希那は今日も可愛い。相変わらず化粧はしてないけど、それでもその辺の子の数倍は綺麗だから羨ましい。これで化粧なんてしちゃったらどうなるんだろう、って考えて少しワクワクしながら隣に行く。
「あははー、ごめんね☆ 昨日はちょっと二日酔いでさー」
「そうなの? お酒を飲むのは自由だけれど、自己管理はしっかりしてちょうだい。Roseliaとしての自覚を───」
「それより昨日の授業、どんな感じだった? 何か課題とか出てる?」
「......? いえ、特には出ていないわ」
不自然に言葉を遮ったアタシに少し首を傾げたあと、アタシの質問に答えてくれる友希那。ごめんね。でも、昨日のことはあんまり思い出したくないから。
「それじゃあ、私はあっちの校舎だから」
「あ、うん! またお昼にね☆」
アタシが向かう校舎とは別の校舎に向かう友希那に手を振り、アタシも自分の授業がある
アタシは国際学部で、友希那は芸術学部。同じ授業もあるけど、やっぱり違う授業の方が多い。
友希那はアレで音楽以外はポンコツだし、出来ればそばで見てあげていたいけど、自分の授業もあってそうはいかない。コースこそ違うけど、燐子が同じ芸術学部だから、友希那のことは燐子に任せているところが多い。けれど、本音としてはやっぱりアタシが見てあげていたい。これはきっとエゴなんだろうな。なんて歌詞にでもできそうな思考を巡らせ、アタシは五号館に入った。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
「おー、リサー」
教室に入ると、すぐに名前を呼ばれた。
小麦色に焼けた肌。反するような銀色の髪は、何回もブリーチをかけたようで酷く傷んでいる。そんな髪をサイドテールで纏めて、へそ出し肩出し胸元出し脚出しのショート丈パーカー、ブラトップ、ミニスカートのホワイトコーデ。格好に負けないくらいメイクも強い。バサバサのまつ毛にキュッと切れ長のキャットライン、暗めのアイシャドウをグラデーションにして目元に立体感を作り、そこにギラギラのラメシャドウでメリハリをつけた、いわゆる『ギャルメイク』。長い爪にはストーンが散りばめられたガチネイルが施されており、頭から爪先まで『ギャル』を体現した女の子。
田中 節子。シワシワネームが気に食わないからギャルになったという、大学生になってから出来たアタシの友達だ。
「おはよー、セツ」
節子、と名前で呼ばれることを嫌う彼女をニックネームで呼ぶ。
手を振って隣に行き、席に荷物を置いた。
「昨日はどしたん? 五限、ブッチしてたけど」
「あははー。いやぁ、ちょっと二日酔いで☆」
「はい嘘ー。あーし、嘘見分けんのチョー得意だから」
うっ...
バレるかぁ。まぁアタシも嘘が得意な方じゃないけどさ。
「もしかして男!?」
「やっ、違うからっ」
「こりゃ男だ間違いない! リサにも遂に春がきたかー。今もう夏だけど」
違うって言ってんじゃん。声大きいし。
いい子なんだけど、ちょっとデリカシーがなぁ。
「ホント、違うから」
「嘘つくなし。あーしらの仲じゃん」
「もし何かあったとしてもさ、ここ、人多いし。そんな話する場所じゃなくない?」
ちょっと突き放してみる。
申し訳ないけど、これ以上は周りに注目されるし困る。実際問題、何も無かったわけだし。
「ふーん...? じゃこの
「蜜月って」
それ使い方は違くない?
「はいはい。まーなんもないけど、お昼まで暇だし、カフェは付き合うよ」
「リサの奢りね」
「いやなんで?」
「
「むむむ......セツってイイ性格してるよね」
「へへーっ」
いや褒めてないけど。
けどまぁレジェメは欲しいし、ちょっと奢るくらいならいっかな。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
「で? で? 何があったの」
カフェでアイスコーヒーを、セツの分のパンケーキとメロンソーダを注文し、それらが届くのを待っている時間。
前のめり気味にセツが聞いてきた。
「だーかーら、何もないって」
「いいじゃん、教えてよ」
「なんで何かあった前提で話進めるの。何もなかったんだって」
「はいはい恥ずかしい恥ずかしい。...待って。『何もなかった』があった、ってこと?」
なんでそんなに鋭いのかなこの子は。
正解を言い当てられ、一瞬顔が強ばった。それを見逃してくれるような相手じゃない。
「へぇ〜〜〜?」
うっわ、笑顔。完全にオモチャを見つけた子供の顔...にしては邪悪すぎるセツの顔を見て、失敗したなぁと内心嘆息する。
ここまできたら話した方が早いかもしれない。そうしやきゃずっと聞いてくる気がする。というかきっと、場所も問わずに聞いてくる。
今度は内心に留めずにため息を吐き出し、窓の外を見ながら口を開いた。
「......友達の話なんだけどね?」
なんて、いっそ形式美とさえ言えるような見え見えの前フリをしてみる。
「気になってる男の子と、なんてゆーか、一緒にホテルに入って」
「おん」
ホテルに入って、という単語に顔色一つ変えずに頷くセツ。この子はそういうの慣れてるんだろうな。前に学部の男子を指差して「あいつとあいつとあいつ、セフレだったんだよね」とか言ってたし。
「お互い...ってゆーか、その友達がすっごく酔ってて。ホテルに入ってからの記憶が全然ないの」
「あー、あるある。まだホテルに入った記憶があるだけマシじゃない?」
あるあるなんだ...
住む世界が違うなぁ、と思いながら話を続ける。
「それで朝目が覚めて.....友達は裸で、相手の男の子も上裸で一緒のベッドに寝てたの」
「まぁホテルだしね」
「別に二人が付き合ってたワケじゃないんだけど、まぁ、ホテルじゃん? 覚えてないけど“そういうこと”をしたのかなって思って」
「まぁ、だろうね」
「でも男の子に聞いたら、『俺は何もしてない』って言ってて。それ聞いて、自分の女としての価値とか、その男の子にとっては全然無いんだなーって落ち込んじゃって......あ、友達! 友達がね!?」
慌てて誤魔化してみるけど、最初からバレてるんだろうな。けど誤魔化さないよりマシか、と両手を小さく振ってアタシの話じゃないと強調してみる。
ちょうど店員さんがコーヒーとメロンソーダ、パンケーキを持ってきて、もしかして話聞かれてたかなとちょっと恥ずかしくなって俯いたアタシに、セツは「ふーん」と返してきた。
「『俺は何もしてない』って、リサが襲っただけでその男はされるがままだった、って意味じゃなくて?」
「アタシじゃないってば!!」
「あー、はいはい。友達ね。で?」
メロンソーダをストローで吸い上げながら、面倒くさそうに訂正してくる。
「あ っと...多分、そういうことじゃなくて。本当に何もなかった、んだと思う。その子、嘘つくような子じゃないし」
コーヒーの入ったコップにストローを差して、意味もなくクルクル回す。
メロンソーダから口を離してパンケーキを切り始めたセツは「んー」と少し考えたあと、パンケーキを食べるついでに口を開いた。
「いや、んなワケなくない? 相手も男なら、女とホテル入って同じベッド入って何もしませんでした、は無理でしょ。ホモなら分かるけど」
ホモなの? と言いながらパンケーキを口に運ぶセツに、否定を返す。
「多分、違うと思う」
「多分て」
「いや、確証はないけど...女の子に普通に興味あると思う。そういう本、持ってるし」
「え、何。そいつのエロ本の隠し場所知ってんの?」
「何回か部屋に遊びに行くことあって、ちょっと見つけちゃったことあってさ。ホント、偶然なんだけど」
「今どき本とか、アナログだなー」
二口目のパンケーキをメロンソーダで流し込むように食べながら、セツは「それなら」と続ける。
「そいつの趣味がロリコンとか、逆に熟女好きとか? エロ本見たなら好みくらい分かるっしょ」
「普通...かなぁ。いや、そんなにマジマジと見たわけじゃないから分かんないけど、若い女の人が載ってた」
「だったらそいつ、嘘ついてるね。間違いない。リサと同衾して理性保てるわけないっしょ。保てたとしたら相当のバケモンだわ。男かどうか疑うレベルの」
「そう...なのかなぁ...」
コーヒーを一口啜る。いつもより苦味が弱い。回しすぎて氷が溶けちゃったのかな。
「何? 良かったじゃん、そいつのこと好きなんでしょ?」
「いや...なんてゆーか、それもそれでってゆーか。嘘ついてまでアタシとの関係を否定したいってことでしょ?」
「まー......そうね」
もう一口パンケーキを飲み込み、肯定を返してくる。
うっ、と声が漏れ出た。自分で言ったことなのに、肯定されてダメージを受けるとかバカみたいだ。
「酔って相当激しい襲い方したんじゃないの? トラウマ級の」
「それは.........」
ない、とは言いきれない。だって記憶がないから。海くんが忘れたがるくらい、酷い行為をしてしまった可能性はある。
「てか、リサって初めて?」
「...?」
「セ〇〇ス。処女だっけ?」
「うえぇ!!?」
真昼間の公共の場で堂々と何言ってんの!?
「初めてだったらさー、違和感とかあんじゃない? あーしはあんま覚えてないんだけど、初めてシた後って股に違和感あるじゃん。それある?」
「い、違和感......」
言われて無意識に手が伸び、ハッとなってすぐに止める。
顔が熱くなるのを感じながら、俯き首を横に振った。
「な、ない...かも.........」
「あー。ならマジで何もなかったとか? あんま信じられんけど」
「そ、そうなのかな......」
確かに、そういう話は聞いたことがある。
昨日はいっぱいいっぱいで全然気にしてなかったけど、確かに、そういう感覚はない。いつも通りな感じ。
「つーかそのリサが気になってる男って一年の関口でしょ? 関口海。いっつも違う女といるヤツ」
「うん.........あっ、やっ、違う! 違うから! 海くんが好きってわけじなくて、てかそもそもアタシの話じゃなくて───」
「もう遅いっつの。途中から完全に自分の体験談として喋ってたし」
パンケーキの最後の一欠片を口に放り込み、呆れたように言ってくる。
恥ずかしい。いや、最初からバレバレの嘘だったけど、それでもすっごく恥ずかしい。
「あーしが聞いとくわ。関口に。『お前リサとヤったんかよ。リサのことどう思ってんの』って」
「ちょ、止めて!!!」
思わず大きな声が出る。
セツだけじゃなく、店員さんや周りのお客さんの注目も集めてしまって、申し訳なくなって周りに頭を下げた。
「どしたん急に」
「どしたん、じゃないって。止めて。海くんに聞くとか」
さっきまでより気持ち声のボリュームを下げる。
「でも聞いた方がスッキリしない?」
「......」
正直、本当の事は知りたい。
昨日、いや、一昨日の夜の真実。海くんがアタシのことをどう思っているのか。すごく知りたい。
けどそれと同じくらい、知りたくない。
海くんの気持ちがどうであれ、それを聞いてしまったら、今まで通りにはいかなくなるのはほぼ確定だ。それは嫌。
アタシは今まで通りでいい。今まで通り、海くんとは友達で、仲の良い先輩後輩でいたい。それがアタシにとって苦痛であっても、周りにとっては最善だから。周りの最善はアタシの最善だ。だから、このままでいい。何も知らなくていい。
「あのさ、それって優しさじゃないからね」
浮き沈みする気持ちをどうにか抑えようと黙っていると、セツがそう言ってきた。
「リサはさ、優しいじゃん。自分より他人優先。ってより友達? 友達が幸せになるなら自分の不幸は受け入れて、率先して自分を殺す、みたいな。今回もそーゆーので関口から手を引こうとしてない? それさ、普通に周りも不幸にするから」
「.........え?」
いつもみたいな軽薄な口調でもなく、真剣味を帯びた瞳でこちらを見てくる。その瞳に屈するように、少し背筋が伸びる。
「んなことされて喜ぶヤツはいないってこと。いや、性格悪いやつは喜ぶかもだけどさ。リサの友達ってあーし含めチョー性格良いじゃん? ...おい、キョトンとすんな」
「いや...」
別にセツの性格が悪いとは思ってない。イイ性格だな、とは思うけど。
「逆にさ、リサはそういうことされてどう思う? 例えば...そう、あんたが親友って言ってる湊さん? あの人に遠慮されて自分が何か恩恵受けたら、とか」
「......それは...」
嫌、かもしれない。
友希那には幸せになってほしい。アタシに遠慮して幸せを逃すなんてやっちゃいけない。
「友達が大事って言うリサはすごいと思うけど、自己犠牲って、そんな綺麗なもんじゃないよ」
───......ああ、そっか。
『優しさと自己犠牲は別物ですよ』
いつだかに海くんに言われた言葉と重なる。
そのことを、自分はまだ理解していなかった。
────だからどうした。
「...アタシは、海くんのコトが好き」
「おー、ようやく認めた。そのまま誰かに取られる前にゲットしちまちなー? あいつ、けっこー人気あるんだろ? あーしの知り合いでも狙ってるヤツいたわ。確かに顔は良いよな。あーしの趣味じゃねーけど」
優しさと自己犠牲。
アタシがやってることは配慮なんかじゃなく、ただの逃げ。
それは理解した。
「よぅし、だったらあーしが男を堕とす床の“
「でも、アタシは海くんとは付き合わない。この気持ちも伝えない」
「────は?」
自分の気持ちに蓋をすることを止める?
そんなことしない。するわけがない。
「ごめんね、色々話聞いてもらっちゃって。ありがと☆」
「あ、おいリサ!」
呼び止めるセツを無視して、お金だけ置いて席から離れ、店を出る。
紗夜のため。ひまりのため。全く、我ながら便利な免罪符を持ったものだ。
アタシは海くんが好き。そんなの、前から分かってたこと。その気持ちを抑えてここまできた。これからも、その想いは奥底にしまっておこう。
これは優しさなんかじゃない。アタシ自身を守るための、ただの言い訳。全部が全部自分のためとは言わないけど、もしアタシがこの想いを優先して、もし関係が壊れたら。海くんと友達ですらいられなくなったら。拒絶されたら。そう思うと怖くて仕方がない。
醜い自己犠牲でも、卑怯な自己満足でも、アタシは今まで通りを手放せない。手離したくない。
このままでいい。アタシは海くんにとって、ただの友達で先輩。それ以上でも以下でもない。それが現状、一番心地良い。
もし周りと今まで通りの関係性を保ちつつ海くんと付き合ったりだとか、そういう関係になれるのであれば、確かにそれに越したことはない。けど、そんなの有り得ないじゃん。だったら何も無かった方が何倍も良い。
一昨日のアレは単なる事故。海くんもアタシも、綺麗サッパリ忘れた方がいい不幸な事故。それでいいじゃないか。
アタシがアタシの気持ちを殺すだけで、周りはいつも通り、仲良く進んでいくのだから。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
「てめー、関口だな? ちょっとツラ貸せや」
五限終わり。
構内の喫煙所で一人タバコをふかしていたところ、突如として知らない
戦う
人を呼ぶ
▶︎逃げる
関口は逃げ出した。
「どこ行くんだよ。さっさと火ィ消してこっち来い」
回り込まれて逃げられない!
気分はさながら犯罪者。
手錠を掛けられた犯人のように、大人しくギャルの後ろに着いて行く。
五限も終わり、もう使われない教室にまで連行された俺は、震えそうになる脚を必死に抑えて立つ。そんな俺の前に、腕を組んだギャルは仁王立ちをキメた。
「な、なんですか......」
やっべ、声震える。ギャルは好きだけど見知らぬギャルとの対話は怖いんだよ。まずは遠巻きに眺めさせろ。それが
「お金なら持ってませんけど...」
「お前がバンドで稼いでるってのは知ってんだよ」
ガッツリ
「...いや、別にカツアゲじゃねーから」
「嘘だッッ!!!」
「うるせぇシバくぞ」
「ご、ごめんなさい......」
こっっっわ。いつものノリで巫山戯ただけなのに...いや、初対面の人に“いつもの”も何もないか。俺が悪い。
「あーしはリサの友達。同じ学部のセツだ」
異世界バトルモノみたいな自己紹介してきたな、この先輩。転生の始まりか? 平和が一番だよ。農業しようぜ。
「リサの件で話にきたんだけど...あ、これリサにはオフレコな。お前とは話すなってリサに言われてっから」
「はあ...」
オフレコとか今日日聞かねぇな。
つーかなんで俺と話すことに対してリサさんが禁止令出してんの? 俺が食い物にされるって思ったのかな。
「めんどくせーから単刀直入に聞くけど、お前、リサとヤったの?」
「ブッ!」
ヤダお下品。まだ陽も高いですよ!
なんて返せれば良かったが、あまりにも心当たりがありすぎてそれどころじゃない。
まずい、昨日の朝見られてたのか?
リサさんの体裁の為にも知り合いに見られないようにってのは気を付けてたつもりだが、さすがに俺の知らない相手まではフォローできない。
リサさんはうちの大学内でも相当人気のある女性だ。現役アイドルの丸山さんや白鷺さんがいる中、彼女らと比肩するほどの人気を有している。友希那さんや白金さんもすごいらしいな。まぁあの人たちも《芸能人》って意味じゃアイドルと同じか。
とにかく、Roseliaメンバーとして今をときめくリサさんの迷惑にならないよう、ここは絶対に全てを隠し通す必要がある。
「...いや、確かに仲良くはさせてもらってますけど、別にその、やったとかは全然...」
「あーしに嘘とか通じないから。つーかこっちはリサからお前とホテルに入ったって話聞いてんだわ」
リサさん!!??!?
なんでそんなこと言うの!!! こっちが頑張って隠そうとしてんのに!!! Roseliaのスキャンダルとか見たくないし相手が俺とか本当嫌だからな!!!
「あのー...ちなみにその話、どれくらいの人が知って...」
「あ? あーしだけだけど。リサ、そういうの周りには言わない系だから」
な、なるほど...
つまりこの先輩を懐柔すれば全て丸く収まると。理解理解。
「すみません、今の手持ち三万くらいしかなくて...あ、銀行行けば百万くらいすぐ降ろせますけど」
「だからちげ......百万!?」
お、揺らいだ。もう少しか?
「もう少ししたら音楽印税入ると思うんで...もう少しくらいなら上乗せも可能です...はい...」
下手に出る。こういう相手に強気の交渉はダメだ。いや、ダメじゃないけど今じゃない。半分以上傾いてからが勝負。
百万だろうが二百万だろうが、リサさん、引いてはRoseliaのスキャンダルを揉み消せるってんなら安いもんだ。
「ひゃ、百万.........あっ、いや、違う! そうじゃない! お前話そらすなや!」
チッ、失敗か。
「金じゃないなら何がお望みですか」
「返事だよ。お前がリサとヤったのかって質問への返事」
「やってません」
キッパリと断言する。
これは嘘なんかじゃない。だから、引け目を感じることもない。
「...ふーん。嘘じゃないっぽいな」
なんで分かるんだよ。いやありがたいけど。
「じゃあ次」
「まだ続くんスか」
「あ?」
「なんでもないです」
俺は!!! 弱いっ!!!
「リサのこと、どう思ってんだよ」
リサさんのことをどう思ってるか?
「...えー、美人な先輩だなって」
「それだけ?」
それだけ???
「あー...えっと、ベースが上手い」
「他には」
他には??????
「料理が上手」
「他」
「家庭的で包容力がある」
「次」
「面倒見が良い」
「別」
「スタイルが良い」
「思ったよりポンポン褒め言葉が出てくるな...」
「まぁリサさんは素敵な人なので」
是非もないね。残当。
...残当も今日日聞かねぇな。
「つーかそうじゃなくてさぁ。こう、女としてどう思ってんのかって話で」
「絶対に良いママになる」
「んな変態発言は求めてねぇんだよ気持ち悪ぃな」
私の心は深く...深く傷つきました......
「そうじゃなくて! リサのこと好きかどうかって聞いてんの!」
「好きですが」
「即答!?」
? 何か不思議なことがあるだろうか。
「リサさんのこと、嫌いな奴の方が少ないでしょう。ってかリサさんのこと嫌いな人とかいるんですか? この世界に?」
「いやいないけど」
そっちも即答じゃん。ウケる。
「でもお前のそれ、人としてって事だろ。あーし言ったよな? 女としてどう思うかって。逃げてんじゃねぇぞチキン野郎」
どんどん口が悪くなる...
にしても、そういう質問か。ここは慎重に答える必要がある。
さて、どう答えるのが正解か。
「誤魔化そうとしたらキン〇マ潰すぞ」
「ヒュッ」
縮み上がった。何がとは言わないが死ぬほどキュッてした。目がガチだよこの人。こっわぁ......
「...その、素敵な人だと思います」
「好きか嫌いかで言えよ」
ダメかぁ。
さて、本当にどうしたものか。
どっちと答えてもろくなことにならない。だったらいっそ本音を言った方が良い気もするが、この話がどこでどう漏れるかも分からない以上、気軽に言えたもんじゃない。このヤンキーギャルの口が堅い保証はないわけだしな。リサさんに止められてるのに俺に接触して来てる辺り、軽い可能性の方が高いまである。
「あーし、口は堅い方だから。ダチの秘密とかゼッテーバラさねーし」
「ホントですか?」
「疑うってんなら.........どうしようか」
ノープランなのか。
契約書とか言われたら笑う自信あったけど。
「そうだな。あーしの秘密も教えとくか。あーしの性感帯は右乳首だ」
なんだそれ意味わかんねぇし必要なさすぎる情報だろ全然等価交換ですねありがとうございまァす!!!
とはならねーわ。いや一瞬なりかけたけど、冷静に考えて意味が分からん。見知らぬヤンキーギャルの性感帯を知ったところで何になる。夜お世話になるかもしれないくらいだろ。
つーかこのギャル、今ナチュラルに人の心読まなかった?
「あーしのギャルセンサーの感度はビンビンなの」
何それ卑猥。
いわゆる女の勘ってやつの上位互換的な何かなんだろうか。ギャルセンサー、怖いなぁ。
しかし困った。
これで逃げ場もなくなった。いやマジで先輩の性感帯とか知らんし全然答える義理はないんだが、逃げたり嘘をついたりしたら何をされるか分からない。いや俺のナッツがクラッカーされるんだけど。
...........................仕方ない。
先輩の口が本当に堅いことを信じよう。
「安心しろって。股は緩いけど口は堅いセツさんで界隈じゃ有名なんだよ、あーし」
一気に心配になってきたな。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
ヤンキーギャルの強襲を受けてから早一週間。
いつどこで噂が立つかとビビり散らかしアンテナを張り続けていたが、どこからもそんな話を聞くことはなく、平和で拍子抜けな一週間が過ぎた。
よく晴れた昼下がり。
構内の端っこに追いやられている人気のない喫煙所でタバコをふかす。
構内に複数ある喫煙所のうち、最も辺境にある屋外の喫煙所は滅多に人が来ない穴場となっていた。大抵の喫煙者は校舎内にある綺麗で冷房の効いた喫煙所に行く。別にそちらでも良いのだが、晴れた日は外の風に吹かれながらタバコを吸うのが俺の好みだ。あとはひっそりした場所で一人孤独に吸うタバコ、というシチュエーションがカッコイイという理由もある。タバコなんてカッコつけてなんぼ。
最近吸い始めたタバコは、まだ肺に入れると噎せてしまう。姉に聞いたら「最初はふかせ」と言われたので、それに大人しく従った。
口の中に煙を溜めて、しばらくしてまた吐き出す。ふかしタバコはダサいと言うが、タバコの香りや味がよく分かるこの吸い方が俺は好きだ。
ふーっ、と吐いたタバコの煙が風に攫われ、例年よりもいくらか早く出てきた蝉の声と共に空気に溶ける。
気がつけば、今年も夏本番が近付いてきた。
七月の頭。もうすぐしたらテストやらレポートやらが始まって、そしてすぐに夏休み。大学初の長期休暇が目の前に迫っている。
今まで経験したことがないような、約二ヶ月半の夏休み。何をしようか、どう過ごそうか。夏の思い出に夢を馳せ、そればかりを考えて浮き足立つつもりが、どうにも気分が上がらない。
「はァ〜......」
煙と共にため息を吐き出す。
「今日も避けられてたなぁ」
誰もいないことをいいことに、ポツリと独り言を零す。
避けられた。その相手はリサさんだ。例のあの日以降、明確に避けられている。
今日も、二限目の終わりに構内のカフェで紗夜さんと二人でいたリサさんを見かけたが、こちらに気付いたリサさんはそそくさと何処かに行ってしまった。悲しくて泣いたことある。
原因は分かっている。だが、それを解決する手段は、今のところ時間しかない。いや、ほかにもあるが、あまりそっちの手段は取りたくないという方が正しいか。
あの日、俺は間違えたんだろう。
リサさんを気遣ったつもりで、恐らく彼女を傷付けた。一体何を間違えたのか。そこが分からない限り、解決法はやはり時間しか存在しない。
こういう時に相談できる相手がいれば良いのだが、あてにできるのは身内ばかり。そこであんな話をするのはリサさんの為にもならないと、結局一人で抱え込むしか選択肢がない。
「はぁ......」
二度目のため息が漏れる。
時間が解決してくれるだろうと期待はするが、それでもやはり「リサさんに避けられている」というこの現状は、確実に俺のメンタルを苦しめていた。
もし、時間が解決してくれなかったら。
もし、今後もずっとこんな状況が続いたら。
嫌な方向に進む思考を掻き消すように、タバコを無理やり肺に流し込む。
よく晴れた昼下がり。俺は一人、咳き込んだ。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
「今井さん。貴女、最近海くんを避けていない?」
Roseliaの練習終わり。
珍しく紗夜と二人きりで帰っていると、突然紗夜にそう言われた。
「え〜? そんなことないよ?」
「嘘おっしゃい。見ていれば分かるわ。何かあったの?」
上手く隠していたつもりだったけど、どうやらバレバレだったみたいだ。
けど、何があったかなんて言えない。紗夜には特に。
「なんもないって。紗夜の勘違い」
「......まぁ、言いたくないのならそれでも良いけれど。友人同士がギクシャクしていると、こちらも少し気まずいわ」
友人同士、か。
紗夜こそ、バレバレな気持ちがアタシにバレていないと思っているんだろうか?
気持ちの整理をつける。
言葉にするのは簡単だけど、実行するのは難しい。海くんのことが好きだと改めて認めて、そして再び蓋をした。忘れたつもりだった。けど、紗夜にも分かるくらい、アタシは態度に出していたらしい。まだ整理がついていない証拠だ。
ハッキリ決着をつけなきゃいけないのかもしれない。
そう思い、少し踏み込んでみる。
「紗夜はどうなの?」
「? どうとは?」
「海くんとのこと。バレてないつもりかもしれないけど、アタシや燐子は気付いてるからね?」
何を、とは明言しないが、これだけで十分伝わるだろう。
友希那やあこは気付いていないかもしれないが、少なくとも燐子は気付いているはずだ。そういうところ、あの子は存外聡いし、周囲をしっかり見ている。
「...なんのことかしら」
「隠さないの☆」
無理に明るく振る舞ってみる。
そうでもしないと、今は少し耐えられそうにない。
「アタシだってさ、
友達同士という自分の発した言葉に、胸の奥がチクリとする。あぁ、ダメだ。やっぱり全然割り切れてない。思ってるより盛大に引きずってるなぁ。一度顔を出した感情を再び抑え込むのは案外難しい。
「......別に、何も無いわよ」
「え〜? ほんとに〜?」
何か進展でもあれば踏ん切りもつく。そう思って聞いたが、我ながら中々下世話な言い方だ。自分が嫌になる。
「ええ、本当に。私が高校を卒業してから約一年半、何も無いわ」
「卒業してから?」
妙な言い回しだ。その言い方だと、卒業した時に何かあったみたいに聞こえる。
「ええ、そう。......もう、隠す必要もないかしら」
一度言葉を切ってふっと遠くを見る紗夜の顔に、哀愁というやつが漂った。
「あまり他人に言うことじゃないのだけれど。卒業式の日、私は海くんに告白をしたの」
「え!?」
初耳の新事実に、思わず声が大きくなる。
幸い周りに通行人はおらず、注目を集めることは無かったが、もし人の目があってもアタシの声が小さくなることは無かっただろう。そのくらい驚いた。
「な、何それ! 聞いてないんだけど!」
「ええ。言っていないもの」
言う必要もないでしょう? と言う紗夜の顔には、儚げな微笑が浮かんでいた。
それだけで大体の予想はつくが、ゴクリと生唾を飲んで聞き返す。
「...え、っと......そ、それで、返事は...?」
「予想はついているのでしょう? 断られたわ」
紗夜の表情は変わらない。引きずってはいないということだろうか。それとも、何も感じられないくらい未だ心に深く突き刺さっているのか。
そこのところは分からないが、紗夜は続けて思い出を語る。
「Roseliaのスキャンダルになるだとか、自分は紗夜さんに釣り合わないだとか、色々と理由を並べられたけれど...きっと、本当の理由は最後の言葉」
そこで言葉が終わってしまう。
待って、ここで終わり? 本当の理由って何? そこからが大事なところじゃないの?
なんて、フラれた紗夜を慰めることも忘れて興味が先頭をひた走る。
「......最後の言葉って?」
続きを待つアタシを見ず、まっすぐ前を見て歩く紗夜に、我慢できず催促してしまった。
アタシの質問に答えるためこちらを向いた紗夜の顔に、もう哀愁はない。
そこには何故か、意地の悪い笑みがあった。
「それは自分で確かめるのが良いわ。だって、卑怯でしょう?」
「卑怯?」
質問ばかりするアタシを、尚も貼り付けたような顔で見つめてくる。その顔はいつも通り綺麗だったけれど、どこか少し怖い。
「ええ、卑怯よ。私が傷付いて得た彼の本心。好意を寄せている人の想いを傷付きもせずに知ろうだなんて、それはとても卑怯なことだと思わない?」
「それは......て、てかアタシが海くんのこと好きみたいな言い方してさ? そんなこと全然────」
「これでも貴女とは五年も同じバンドを組んでいるのよ? そのくらい分かるわ」
それは確かに卑怯だ、って言葉を飲み込んで、代わりに出た誤魔化しの否定を、紗夜は正面から切り捨てた。
心が波立つ。ザワザワとうねり出す。
紗夜に遠慮して身を引こう、気持ちを隠そう。そんなアタシの、想いを抑える免罪符が一つ消え失せた。ニョキニョキと種が芽生える。欲望が顔を出す。
でもまだ大丈夫。免罪符は残ってる。仲の良いひまりっていう便利な免罪符が─────
「......これは私が言うことではないし、上原さんの尊厳を傷付ける最低の行為だけれど。今の貴女には必要だと感じたから言うわ。ごめんなさい、上原さん」
ひまり...?
アタシがちょうど思い浮かべていた相手の名前が紗夜の口から出た。
嫌な予感がする。鼓動が跳ねて落ち着かない。
「────上原さんも海くんに告白しているわ。ちょうど四ヶ月前...彼女たちの卒業式の日よ」
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
「はぁ......」
心の内を渦巻くぐちゃぐちゃな気持ちが、ため息になって口から零れた。
ベースを弾く手が止まる。いつもは何でもない慣れ親しんだベースの重さが嫌に鬱陶しくなって、スタンドに立てかけた。
そのまま倒れるようにベッドに沈み、枕に顔を
今日はお母さんが布団を干してくれたのか、太陽の匂いが鼻を抜けた。
ゴロンと寝返りを打って天井を見上げる。
照明の明かりが目を突くのを遮るように腕を顔に被せた。
ついさっき、紗夜から聞いた話を思い出す。
紗夜とひまりが昔、海くんに告白していたという事実。ひまりの方の結果は聞いていないが、多分フラれたんだと思う。
「............知らなかったなぁ」
今思えば、紗夜もひまりも、卒業式後のしばらくは元気がなかった気がする。単に卒業ってイベントを通してセンチになっているんだと思っていたけど、そうじゃなかったみたいだ。
失恋なんてショックなことがあれば真っ先に相談されるだろう。
アタシはそんな風に思っていた...んだと思う。自惚れでしかないけど、アタシはそういう役回りなんだと自覚していた。
でも、そんなことはなかったんだって思い知らされる。
......いや。
「アタシだから、相談してくれなかったのかな......」
紗夜はアタシの気持ちを知っていた。隠していたつもりだったけど、とっくにバレてたんだ。
恥ずかしい。紗夜に「バレてないつもりかもしれないけど」なんて上から目線で言っておいて、自分の気持ちを隠せていなかったなんて。
この分だとひまりにもバレてるんだろうな。
「......ダメだなぁ、アタシ」
全部中途半端。
海くんへの想いを忘れるだなんて一丁前に大人ぶって、その実全然忘れられてない。
周りの子たちに遠慮してだなんて言い訳をかざして、自分が傷付くことを恐れて安全圏から眺めていただけ。
こんなアタシのことを、覚悟を通した紗夜やひまりはどんな風に思っていたんだろう。
『貴女が今後どうするかは分からない。それは私がどうこう言える問題ではないもの。けどこれだけは覚えておいて。たとえどんな結果が生まれようと、私も、そしてきっと上原さんも、貴女を恨むようなことはしないわ』
別れ際、紗夜はそう言っていた。
こうも的確にアタシの防壁を破ってくるなんて、本当にアタシのことはお見通しなんだろう。伊達に五年も一緒にバンドをしてないってわけだ。
免罪符を失った。いや、探せばまだまだあるんだろう。海くんに好意を寄せているのは何も紗夜とひまりだけじゃないし。分かってるだけでもたえや有咲、花音。あと月ノ森の子達も怪しい。
それだけの数の言い訳がある。けど、そういうことじゃないって、さすがにアタシだって分かる。
......ってゆーか改めて考えると多すぎない? ハーレム過ぎるでしょ。漫画の主人公並じゃん。
「......まぁ、でもなぁ...」
言い訳を取っ払って、顔を出した気持ちに従って。それで告白したところで一体どうなるというのか。
好きの気持ちに蓋をする必要はなくなった。そうなると正直、海くんと付き合いたいとか、そういう気持ちはある。大いにある。
けど、告白したところで断られてはい終わり。その結論は決まっている。
海くんはきっと、好きじゃない相手とは付き合わないだろう。誰でも良いんだったら紗夜やひまりの告白を断る理由がない。
そして、海くんはアタシのことが好きじゃない。人としては分からないけど、少なくとも女としては好きじゃないと思う。だって、あの夜に何も無かった、ないし誤魔化されたのだから。
傷付くと分かりきっている行為に挑むのは、中々に難しい。
「......ん?」
どんどん気が重くなり心に雨が降り注ぐ中、スマホが鳴った。
ふと画面を見ると、LINEの通知が来ているのが分かる。相手はセツ。
気怠い気持ちでポチポチ操作してアプリを開く。
セツ『急だけど明日の夜暇?』
セツ『足立で花火あんじゃん?』
重要なことが書いてないけど、多分これはお誘いの連絡。
明日の夜か。
カレンダーアプリを開き、予定を確認してみる。
昼はRoseliaの練習があるが、夜はフリーだった。
Lisa『空いてるよ! 花火大会行ける』
Lisa『学部の人ら呼んで行くの?』
Roseliaの面々で行くのも楽しそうだが、それはまた別の機会。というか、来週にある別の花火大会に行くことになっている。
学部での繋がりも大事だし、みんな行くなら行こうかな。
セツ『今何人かに声掛けてるとこ〜』
Lisa『りょ!』
了解と敬礼するポップなイラスト猫のスタンプを添える。
さて、何を着ていこうか。最近は夜も暑いし涼しい格好を────
セツ『ちな、服は浴衣指定な』
マヂか。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
満員電車に揺られる。
電車で浴衣は恥ずかしいなと思っていたが、案外浴衣を着ている人が多く、ホッと胸を撫で下ろした。
ついでに自分の格好を見下ろしてみる。
深紅の生地に黒の鉄線が描かれた浴衣、そして濃紺の帯。靴は最近セールで買ったDr.Ma〇tensのAUDRI〇K10 ホールブーツ。最初は下駄にしようと思ったけど、歩きにくいし、浴衣とブーツを合わせるコーデも可愛かったからこれにした。
浴衣の着付けはお母さんにしてもらった。というか、この浴衣自体お母さんのものだ。高校の時から借りてはいたけど、未だに自分で着付けができない。
だから、もし着崩れたら自分じゃ直せない。せめてみんなと合流するまでは保たないとマズイ。
満員電車に揺られながらそればかりが気になる。
しばらく揺られて、目的の駅に着いた。
せき止められていた水の様に、一気に大勢の人が電車から雪崩れる。みんな目的は一緒なんだろう。
流されるように構内を抜け、気が付けば改札を出ていた。
少し歩いて、待ち合わせに指定された場所まで来る。
さて、みんなはどこだろう。もう着いているのか、それともまだなのか。
とりあえず到着したことを伝えようと小さながま口ハンドバッグからスマホを取り出したところで、背中に誰かがぶつかった。
「あ、すんませ────」
ブーツだったからなんともなかったけど、これがもし下駄なら転んでたかも。
そんなことを考えながら、ぶつかった人へ「大丈夫です」と言うために振り向く。
「いえ〜、だいじょ............海くん?」
そこにいたのは、驚いた顔をしたアタシの想い人だった。
若干濃いめな無地の紺色の浴衣を着ている海くん。少し胸元が開いていて鎖骨が見える。
首の後ろから鎖骨にかけての筋肉に目が行き、例の夜がフラッシュバックして恥ずかしくなり視線を斜め下にズラす。
「あー...っと......その、お疲れ様です」
首に手を当てながら、どこか気まずそうに挨拶をしてくる海くん。
「お、おつかれさま......」
無視するのも違う気がして、でも目を合わせることはできなくて、下を見ながら返事する。
きっと誰かと一緒に花火を見に来たんだろう。今は一人だけど、この後友達と合流するのかもしれない。
気持ちを抑える必要がないとなると、いつもより緊張が大きくなって襲ってきた。話したい気持ちと、早くどこかに行ってくれないかなという願いが入り乱れる。
だが、しばらく経っても海くんが移動する気配がない。周囲はこんなにも人で溢れて騒々しいのに、この空間だけ気まずい無言が流れる。
「えっと......か、海くんも花火大会、見に来たの?」
耐えきれず、未だ目を合わせられないままそう聞く。
「あー...まぁ、多分? そんな感じっす」
あまり煮え切らない返事に、疑問を覚えて思わず海くんを見る。
あっちもアタシを見てはおらず、気まずそうに後頭部を掻きながら人の流れを見ていた。
「須田くんとか、Capliberteのメンバーと?」
「あー......いや、違うっすけど...。なんていうか、脅されて?」
なんで疑問形? というか脅されてって。
「脅された?」
「はい、まぁ......はい。俺の大事なものを潰されたくなければ浴衣着てここに来いって言われて」
「何それ。そんなこと言う人いるの?」
思ったよりもしっかりとした脅迫に、少し気分が悪くなる。
でも海くんの「大事なもの」ってなんだろう? 潰すってことはモノなのかな。楽器とか? いや、そしたら潰すじゃなくて壊すになるのかな。
「...別に口止めはされてないしいっか。その、リサさんの友達にギャルいますよね? 肌が黒い」
「え? あ、うん」
セツのことかな。
...え?
「もしかして、セツが...?」
そう聞いたのと同時、アタシのスマホが鳴った。
チラっと画面を見てみると、今まさに話題に上がりかけていたセツからの連絡だ。
セツ『突然だけと今日アレがコレしてあーしもほかのヤツも祭り行けなくなった!』
確信犯だこれ!!!
いや確信犯の使い方が違う気がするけどそれはどーでもよくて!
Lisa『は?』
セツ『メンゴメンゴ☆』
絶対謝る気ないでしょこの子。
問いただそうと追加の文を打っていると、アタシの打ち込みが終わるより先にあっちからの追いラインが届く。
セツ『まー代わりの相手は見繕ってあるから』
セツ『もう合流したころっしょ?』
やっぱり狙ってたな...?
打っていた文を消し、文句の一つでも言ってやろうとするが、またもアタシより先にセツからの文が届いた。
セツ『めんどくせーからしっかりケリつけてこい』
めんどくさいはこっちのセリフですけど?
めんどくさいってより余計なお世話。思わずため息が出る。
「......は? マジで言ってんのかあの人」
隣でそんな呟きが聞こえてきた。
横目で見れば、海くんがスマホを見ながら悪態をついている。あっちにもセツから連絡が来たんだろうか。
短く『余計なお世話!』と返信し、もう一度深く、けれど海くんには聞かれないよう気をつけて息を吐く。
「あー...っと......リサさん」
「...分かってる。ごめんね、アタシの友達が」
「あ、いえ」
『頑張れ』や『必勝!』なんていうスタンプが送られてくるが、無視だ無視。セツの通知を切ってスマホをしまう。
けど、まぁ。セツのお節介に付き合わされるってわけじゃないけど、こういう状況になったからには、アタシなりに“ケジメ”ってやつをつけなきゃいけないのかもしれない。
「.........えっと、どうします?」
やはり気まずそうに海くんが聞いてきた。
どうします、か。ここで「発案者が来ないなら帰りましょう」って言わない辺り、セツに乗せられてアタシと二人で花火大会に参加すること自体は嫌じゃない、ってことなのかな。海くんは相手のことを考えて、いっそ考えすぎなくらい尊重して自分を殺すことも多いけど、嫌なことは嫌だと言う子でもある。
けど、そうじゃない可能性だって十分あるわけで。『ケジメをつけなきゃ』なんて意気込んでおいてすごく情けないことだけど、ここで「一緒に回ろう」なんて言う勇気は、残念ながら今のアタシには無い。
「......海くんはどうしたい?」
だから、そんな逃げるみたいな言葉を選んだ。決定権を放棄して、選択を海くんに委ねる。ズルい言い方だけど、海くんだって最初はアタシに決断を任せてきたんだからお互い様だ。
じっと、未だアタシを見てくれない海くんの横顔を見つめる。
たっぷり五秒。考える素振りを見せた海くんが、ゆっくりと口を開いた。
「じゃあ.........いや、そっすね。リサさんが嫌じゃなければ、二人で行きたいかな、って」
その時のアタシの顔は、一体どんなだっただろう。
嬉しそうに小さく頬がほころんだのか、あるいは決まりが悪そうに固く口を結んだか。
きっとその両方だ。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
「人、めちゃくちゃ多いっすね。大丈夫ですか?」
隣を歩く海くんが、心配そうにこちらを覗き込む。
「うん、大丈夫。今日ブーツだし」
「あ、ホントだ。めちゃくちゃ似合っ.........浴衣とブーツ合わせるのセンス良いですね」
「む。何、似合ってない?」
言い淀んだ海くんを糾弾するようにジっと海くんを見上げる。
...やっぱり身長、高いなぁ。アタシが158cmで...海くんは178cmだっけ。20cm差かぁ。...厚底靴で底上げすればアタシも163cmくらいになれるかな。
「いや......似合ってます」
「なんか言わせた感あるなぁ」
頑張って『普通』を装う。
海くんが気まずそうにしている中、アタシまでそうなったら楽しいと思ってもらえない。
アタシだってちょっと気まずいけど、海くんにアタシといることが楽しくないって思われるのは嫌だ。好きな人に「お前といるのは楽しくない」なんて思ってほしくないっていうのは、ごく自然な感情だろう。
それにしても、「二人で花火大会を回りたい」なんて言っておきながら未だそんな態度を取るなんて、海くんにも困ったものだ。
「具体的にはどの辺が似合ってる?」
「どの辺が???」
そんな、答えるのが難しい質問を投げてみる。
案の定困った様子の海くんに、思わず笑ってしまった。
冗談だよ、と質問を撤回しようとするが、それより先に海くんが口を開いた。
「なんていうか、普通に浴衣を着てるだけじゃいってとことか。俺もそうですけど、普通浴衣着たら草履とか、スリッパとかが多いじゃないですか。浴衣って古風だし。けどそれに現代的なブーツを合わせるってのが良くて、リサさんっぽさがあるっていうか。ワインレッドのその浴衣と黒のブーツって合ってるし、リサさんの色って感じがします」
なんて、頑張って言葉にしてくれる。
それブーツじゃなくて浴衣含めた全体の話じゃんとか、結局似合ってるとかじゃなくてセンス良いねの話じゃんとか、ツッコミ所はあるけど、それら全部を吹っ飛ばして手放しで嬉しい言葉。
「...えへへ、ありがとっ☆」
あんまりこっちを見てないなって思ってたけど、しっかり見てんじゃん。さっきまで言葉数少なかったのに、突然たくさん喋ってさ。
緩んでくる口元を隠すように下を向く。
それがいけなかったんだろう。向こうから歩いてきた人にぶつかってしまった。
「わっ......!」
相手は大きく、多分男の人。体格差でこちらが力負けして、後ろによろける。踏ん張ろうとしたけど、浴衣の狭い可動域では足が上手く動かなかった。無理に足を広げようとしてさらにバランスを崩し、倒れそうになったところ、
「おっ、と」
肩を何かが支えてくれて、アタシは倒れずにすんだ。
一瞬、何が起こったか分からず呆けてしまう。すぐに我に返って周囲を確認すると、目と鼻の先、少しアタシが頭を動かせば触れてしまいそうなくらいの距離に、海くんの横顔があった。あ、海くんって右目にホクロあるんだ。......じゃなくて。
「すんませんっすー」
アタシの肩を抱き寄せ支えてくれたらしい海くんが、アタシがぶつかった相手に軽く謝罪をする。
これラブコメで五億回見たやつ!!! って頭の中で三回叫んだ。口? 突然の供給で麻痺ってますが何か。
「大丈夫ですか?」
ぐっ、と背中を押されて、倒れかけていた体が元に戻る。
「う、うん...」
顔が熱い。
なんとか返事をするけど、顔は上げられないまま。さっきよりも深く目線を下げてしまう。
「人、多いっすね」
話題が巡り戻る。
あんなラブコメ主人公みたいな真似をサラッとやってのけて、こうも平然としているのか。慣れてるのかな。...慣れてそうだな。
「海くんはあんまり花火大会とか来ないの?」
「行くは行くっす。地元のやつとか」
「あー。そういえば高校生の時一緒に行ったよね。Roseliaの皆と」
「行ったっすねー。あの時もその浴衣でしたよね、リサさん」
「あ、『この女、高校生の頃と同じ浴衣着やがって』とか思ってる?」
「いや思ってないですよ」
「冗談冗談☆ 海くんの浴衣は初めて見るなー。前はバンTと短パンだったもんね」
「よく覚えてますね。俺が覚えてないっすわ。何のバンTだったっけな...?」
「確かねー、Wi〇gerだったかな? ピカソみたいな顔の目から緑のビームが出てるやつ」
「ほんとよく覚えてるっすね。そうだったっけなぁ」
「そうだよ☆ アタシ、それでWi〇ger聴き始めたんだもん」
「リサさんWi〇ger聴いてるんですか!!?」
「うわびっくりした......そんなに驚く?」
「そりゃ驚きますよ! 周りにあんまりWi〇ger知ってる人あんまいないですし。Wi〇gerいいですよね〜。当時は色々あって『北米で一番ダサいバンド』とか言われてめちゃくちゃ貶されてましたけど、普通にカッコイイメロディックハードロックですよね。解散後に再評価されて二千年入ってから再始動、新曲を収録したベストアルバムを引っさげて北米ツアーを決めて、その後も解散や再結成を何回か繰り返して今年出した九年ぶりの新譜Sev〇n! キ〇ププロデュースってだけあって期待度大でしたけどめちゃくちゃ満足な仕上がりになってて────」
止まらないなぁ。昔からそうだ。音楽の話になるとすごく楽しそうに話す。本当に音楽が大好きなんだろう。
半分くらい...いや七割くらい理解できてないけど、こうもウキウキと話す海くんを眺めているのが好きだ。子供みたいに目を輝かせて、本当に可愛い。
「そんで活動休止期間も含めるんですけどデビュー三十五周年のアニバーサリーに元祖キーボーディストのポールテ〇ラーも復帰してくるとかいう激アツが─────あ、すんません」
「んーん。全然大丈夫。好きなんだね」
「めっちゃ好きです。音楽は全部好きですけど」
そういう海くんには、さっきまでの気まずさとか、そういったものは無くなっていた。音楽の力かな? 音楽は偉大だなぁ。
この勢い(?)を無くさないよう、音楽の話を続けてみよう。
「ハードロックとかメタルってさ、昔の人達の曲が多いよね。最近の人達だとそんなにいないの?」
「まぁ流行りじゃないですからね。でも今もHR/HMの魂は脈々と受け継がれてますよ。最近だと...そうですね、SINNER'S BL○ODとかALL F○R METAL、BL○ODYWOODってバンドが俺は好きです。あと日本でも明○の叙情ってバンドや、PARAD○XXっていうガールズメタルバンドもきてますね」
「へー、そんなにいるんだ。日本HR/HMの最終兵器って言われたCapliberteリーダーとしてはどう思うの?」
「最終兵器が本当に最後の刺客だと思うなよ、って感じですかね。HR/HMは、今はまだ人気が薄いが、そのうち覇権を握るようになる」
「え〜?」
「あと十...いや五年したらきっと! 歴史は繰り返すんだ!!」
「え〜??」
「信用なくて草。Roseliaだってメタル路線っぽい曲、何曲かあるじゃないっすか」
「例えば?」
「FIIE BI○Dとか。十六分(音符)のブリッジミュートやオルタ*1、トレモロ*2、ドラムも十六分刻みのツーバスでこれはもうHR/HM。ボーカルとピアノイントロからのシンバルカウントでドカンと全体が鳴るとか、初めて聴いた時『おいおいX JAP○N始まったで! ジャパメタの夜明けぜよ!』って叫びましたからね」
「叫んでたねぇ。友希那や紗夜に怒られるレベルで」
「あの時はすみませんでした」
客席に駆け込んで来たと思ったら最前列まで一気に出てきてお客さんと一緒に、っていうかあの場で一番はしゃいでたからなぁ。
曲が終わった後「ありがとー!! ありがとォ!!!」って叫びながら客席から出ていった時は笑うとか通り越してポカンとしちゃったよ。
「でも、あれってメタルになるんだ?」
「なるっすねぇ。いや俺がそう思ってるだけですけど。所詮ジャンル分けなんて個人の解釈ですよ。俺がメタルだと思ってても、人によっては『これはメタルじゃねぇ』って言う人もいると思います。めんどくさいオタクはそこから戦争になります」
「そんなに」
音楽は奥も深ければ闇も深いなぁ。
「紗夜も好きだよね、メタルみたいな曲」
「そうですね。紗夜さんはどっちかっていうとハードロック側ですけど」
「紗夜とそういう話で盛り上がったりするんじゃない? そういう話、しないの?」
「あー...言われてみればしたことないですね。いや、ハードロックについて話したことはあるんですけど、そんなに深くはしたことないです」
「そうなんだ。意外。紗夜と普段どんな話するの?」
「え? ...えー......いや、特にこれといって中身のある話は...基本俺が怒られてるっていうか」
「そうなの? あ、でもそうかも。海くんがお酒飲んだ時すごい怒ってたよね」
「俺だって大学生だもん」
だもんって。
まぁ大学生なら仕方ないよねぇ。アタシも人のこと言えないし。*3
「けどまぁ、海くんお酒強いし。問題は起こさないでしょ」
「えへへ」
褒めてはないんだよなぁ。
「酔っ払って記憶飛ばしたこととかある?」
「今んとこないですね」
「そうなんだ。この前も?」
「この前? .........あ」
勇気を振り絞って、あと勢いに任せてちょっと踏み込んでみる。
というか、ケジメをつけるに当たってそこはハッキリさせなきゃ。
「正直アタシ、ベッドに入ってからの記憶がないんだよね」
周りに人は多いけど、こんな場所で他人の話に聞き耳を立てるような暇人はいないはず。たまたま聞こえたとしても断片的にしか聞こえないだろう。...それでも恥ずかしいけど、本当はもっと人気がない二人っきりの場所で話したいけど、今ここで攻めないとアタシは一生勇気が湧かない。そんな気がした。
「逆にそこまでの記憶はあったんですか...?」
「あった、っていうか思い出した? いや、色々悪いなっては思ってるんだけど、今論点そこじゃなくて」
攻め攻めで行く。そうじゃないと勇気が以下略
「結局あの夜、何があったのかなって。......本当のこと、教えてほしいな」
アタシの顔はきっと真っ赤に染まっている。
けど、目は逸らさない。海くんをしっかり見据える。
「...ちょっと場所、変えましょう」
そう言って、海くんはアタシの手を取って、人の流れに逆らって歩き出した。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
お互い無言のまましばらく歩いて、路地を抜けてた先。コンクリートジャングルの中にポツンと佇む神社に出た。
「ここ、花火が見える穴場らしいんですよ」
花火会場からは少し離れた場所。穴場なんてものは実はいろんな人が知っていて、実際行ってみたらわりと混雑してました、ってことはよくある話だけど、ここには誰もいない。本当に穴場なのかな。
夜。薄暗い神社の境内で男女が二人きり。
ちょっとだけイケナイ雰囲気がある。不良とか出てこないよね...? アタシ知ってるよ。神社はヤンキーの集会所になってるんだ。実写化されたヤンキー漫画で見たことある。
「......あの、えっと...その、あの日のことなんですけど」
アタシが少し不安に思っていることにも気付かないくらい余裕がないのか、上を向いたり、そっぽを向いたり、後ろ髪をかき上げるように頭を掻いたり、落ち着かない様子の海くん。
ようやく決心が付いたのか、彷徨っていた目をこちらに向けて口を開く。
「本当に、誓って襲ってないです」
出てきたのは、あの日聞いたことと同じ内容のもの。
それを聞いて、やっぱりアタシの心に闇が差す。
...けど、どうなんだろう? アタシは海くんに襲って欲しかったんだろうか。いや、確かにそういう事を求めて海くんを半ば拉致したのは疑いようがないんだけど、いざアタシの記憶が無い時に海くんがアタシに何かしてたんだとして、それをアタシは喜ぶんだろうか?
ここにきて、そんな自分の中の矛盾が生まれる。
「...一応確認なんだけどさ。アタシが襲った、なんてことは...」
「..................」
「黙んないでよ!?」
え、嘘。ホントにアタシが襲ったの!?
「...いや、なんていうか...突然全裸になって抱き着かれたっていうか......いやほんとそれだけなんですけど......」
はいアタシ襲ってますねごめんなさい!!!!
というか「それだけ」って何!?
「その後リサさん、すぐ寝ちゃって」
はーーーーっ!!! 何アタシ、痴女? ビッチ? 自分が本当に嫌いになりそう。
...え? 待って?
「...え、それで海くんはそのまま寝た...の? アタシが裸で抱きついて、それを無視して...?」
何それ。やっぱりアタシには魅力がないってこと? フツーさ、女の子がそんなことしてきたらさ、男の子としてはさ、あるじゃん。何かあるじゃん。
「いや無視してってことは............え」
自分でも情緒が無いなって思うくらい感情がぐちゃぐちゃになってきて、堪えきれない涙が出てくる。
「...あれ? え、ごめっ、いや、違くて...っ」
手の甲で拭うけど、全然止まってくれない。
化粧が落ちちゃうなとか、そんなことを考えるくらい俯瞰してるような自分もいる。自分が自分で分からない。制御できない。
「...........................あの、リサさん」
突然泣き出したアタシに困惑していた様子だった海くんが、絞り出すようにアタシの名前を呼ぶ。
ダメ。ここで謝罪とか、慰めとか、そういうのが来たら、もうダメ。何かが壊れてしまうかもしれない。
そう思ったけど、海くんを止める言葉は出てこなくて─────
「これ、罵ってもらって全然いいっていうか、むしろ俺殴られてもおかしくないことなんですけど...その、あの時『何もしてない』とか言いましたけど...あれ、嘘で」
──────........................ん?
「その、ですね............いや本当に申し訳ないごめんなさいなんですけど...あの............お...む、胸を.........」
...............胸を?
再び視線を彷徨わせる海くんに、いつの間にか涙が止まった目をぐっと向ける。
「胸を...も、揉ん.......っ...................い、いやマジほんともうガチでごめんなさい我慢できなくていやそれ以上は全然マジでしてないんですけどいやホントごめんなさい」
さっきまでのしどろもどろが嘘みたいに早口で言い、土下座でもするのかって勢いで頭を下げる海くん。............海くん?
「.........揉んだの?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「いっ いやっ! そんな謝んなくていいから! てか寧ろそれ怖いからやめて!」
土下座でもするのかって思ってたら本当に土下座をし始めた海くんを全力で立たせる。土下座とか人生で初めてされた。こっちが気まずくなるんだね土下座って。知見知見。そんな知見得たくなかったなぁ。...じゃなくて。
「...えっ、と...どうしてあの日は、そんな嘘ついたの?」
色んなことがあるけど、とりあえずこれは聞きたいと思って質問する。
なんとか立ってくれた海くんは、暗闇で見えにくいけど、酷くどんよりとした絶望しきったような顔で答える。
「......その、嫌われたくなくて...」
「嫌う? アタシが? 海くんを?」
そんなこと天地がひっくり返っても...は言い過ぎにしても、そうそうあるとは思わないけど。
「......いや、だって気持ち悪いじゃないですか。寝てる間に胸揉んでくる男とか」
「そんなこと言ったら、ホテルに連れ込んだアタシはどうなるのさ」
「リサさんは酔ってたし...俺あの時、実はそんなに酔ってなかったから酒の力で〜みたいなのも通用しないし...」
いや、酔ってる酔ってないとかそんなの言われなきゃ気付かないけど。
っていうか海くんあの時そんなに酔ってなかったの? 覚えてるだけで生ビール五杯にハイボール七杯、ワイン一瓶は空けてたんだけど。こわ。
「...え、でもさ、なんていうか、それって大丈夫なの?」
「犯罪ですごめんなさい」
「いやそうじゃなくて! その〜...我慢っていうかさ? そこで終われたのかな的な...」
「? あー。あの時はシャツで自分の首絞めて無理やり寝てどうにかしました」
「いややめな!!?」
びっっっっくりした!!! 自分で自分を絞め落とすとか正気じゃないから! それ永眠だから! マジで!
「そ そんなことするくらいならいっそ襲ってくれた方が.........なんて」
「え? 今なんか言いました? ちょっと聞こえなくて」
「〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!」
「!? 痛い痛い痛い!? やっぱおっ、胸触ったの怒ってるんですか!?」
今の聞こえないとかある!!?? 難聴系!? バンドで耳イカれたのかな!? いい加減にしろこのハーレム主人公!!!!
「
「や、やっぱり怒ってる......」
なっっっんにも分かってない!!
アタシの好きな人、マヂで有り得ないんですけど!! なんでこんな女心分かってないのにモテてんの!?
「こんなの紗夜もひまりも付き合わなくて正解だよ!! .........あっ」
「え?」
やば、思わず口に出ちゃった。
ここで「いや例えばの話だから」とか言えれば良かったんだけど、マズった、って顔で口元を押さえるとかいうことをしてしまう。
「...あー、聞いたんですか?」
「え、っとぉ.........ご ごめん」
「いや、別に俺に謝ることじゃないと思うんで」
「そっかー」と言いながら、また後ろ髪をかき上げるように頭を搔く海くん。あれ、クセなのかな。
...言っちゃったし、もう聞いちゃおっかな。
「紗夜とひまりフッたって、マジなの?」
そこは紗夜本人から聞いてるから別に疑ってないけど、一応ね。
「まぁ、マジです」
「なんで?」
一番気になっていたところ。
海くんは普段から年上好きって言ってたし、その辺紗夜はクリアしてるはず。ひまりだって、アレだけ可愛くて献身的な子、好きにならないなんて信じられない。
「...まぁなんつーか、好きは好きなんですけど、異性としてっていうか、結婚したいかって言われたら違うかなって」
「...え、結婚? 何? 色々すっ飛ばしてプロポーズされたの?」
そりゃ断られるよ。重いもん。
「いやプロポーズはされてないですけど、付き合うってそういうことでしょ?」
「うわ重っ」
「うわ重!!?!?」
そっかー。重いのは海くんだったかー。これは予想外。そりゃ無防備なアタシに手を出さないわけだわ。納得した。
こんなこと女の子側が言うことじゃないかもだけど、付き合うってもっと軽くていいんじゃない? まして大学生だよ?
「紗夜もひまりもかわいそー」
「どうしてこんな言われよう.........」
海くんが悪い。いや別に悪いってわけじゃないんだけどさ。
ドォオン
何とも言えない感情を目に込めて海くんを見ていると、大きな音が聞こえてきた。花火が始まった。
ビルの隙間に、半円の華が見える。
「人がいない理由、これかー」
「す、すいません......」
静かとはいえ、花火がちゃんと見えないならそりゃあ人が来ないわけだ。
海くんは謝るけど、まぁそんなこともある。別に怒ってなんてない。
「別にいーよ☆ 半分しか見えないけど、静かでこれはこれで風情? があるよ」
そう言い、花火が上がっている方を見る。
花火ってお腹の底に響くバスドラみたいな音だけど、ここはビルに反響してさらに大きく太く聞こえた。
最初は一発ずつ、少しの間隔を空けて上がっていた花火。時間が進むにつれて少しづつその間隔も無くなってくる。絶え間のない爆音。
「────ねぇ海くん。アタシ、海くんのこと好きだよ」
難聴系主人公の海くんは、きっと花火の音で何も聞こえていない。
ラブコメの王道。花火の音に紛れての告白。あとは「え? 何か言いました?」って返してくる海くんに「何でもないよ」と笑顔で返してやれば完璧だ。
悪戯の成功を確信してニマニマと海くんの方に目を向けると、
「...............え?」
茹だったのかってくらい顔が真っ赤に染め上がった海くんが見てとれた。
夏の夜。
花火の音が届かなくなるくらい、静かな時間がゆっくりと流れる。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
「ふぅ」
一息ついて、休憩でもしようかと三時間ほど触っていたギターをスタンドに置く。
アンプに繋がっているヘッドフォンを耳から外すと、窓を揺らすほどの低音が外から聞こえてきた。
そういえば、今日は花火大会があるとかって日菜が言っていたかしら。
生憎と日菜は仕事で、私自身あまり花火大会に興味が無かったため見に行くことはしなかったが、部屋で花火の音を拾うのもまた乙というものだ。
パックの紅茶に氷を入れてアイスティーを作りながら、そういえば昔、Roseliaと海くんの六人で花火を見に行ったことがあったなと思い出す。
「...あの時から、彼の目には彼女が映っていたのね」
私が告白した時に彼の言っていた、おそらく本音であろう断り文句。
何時ぞやの花火大会で、花火そっちのけで彼が見ていた相手。
「『好きな人がいるので』、か。全く......今思い出しても悔しいわね」
出来上がったアイスティーを口に含む。
砂糖はたっぷり入っているはずなのに、何故だか甘みは感じなかった。