愛してくれて……ありがとう!!!
劇団あじさい。それが俺たちの入ることになった劇団だ。
名前からも察せられる通り、主に子役が集まる事務所で、うちのような一般家庭にパンフレットを配って役者を募っている。
身も蓋もない話をしてしまえば、中堅ですらない事務所。それが劇団あじさいの評価だ。レッスン料としてそこそこの金を要求してくるあたり、収入のメインが演劇でなくそちらであることがよくわかる。しかしまあ、そんな所に子ども2人を容易く放り込めるあたり、我が家の懐事情は明るいな。
そんな事務所でもレッスンはきちんと行われるもので、無駄に広いレッスン室で、俺たちは何度目かもわからない発声練習を受けていた。
「あめんぼ あかいな あいうえお!」
この劇団に入った唯一のメリットは、天使のお声を拝聴する権利を貰えることだ。決して得意ではないはずの、大きな声を一生懸命に出しているあかねの姿は、なかなか見れるものじゃない。
あかねに劇団に誘われた時は驚いたが、既に家族の中(俺以外)では決まっていた話らしい。なぜ俺がハブられていたのか追求したいところではあるが、あかねが新しいことに挑戦できるようになったこと、兄として誇らしく思う。
あれだけ人前に出ることが苦手だった彼女が、今までの真反対の道を歩こうとしている。
「皆もかなちゃんみたいになれるよう、頑張りましょうね~」
講師のそんな激励が入ると、あかねはより一層目を輝かせて声を張り上げた。
本当に本当に、心の底から認めたくはないが、あかねの心を照らしているのは有馬かなだった。曰く、かなちゃんと友達になりたい、とのこと。そこだけ聞くと不純な動機に聞こえるが、そう考えるのも理解できる。
奇遇にもあかねと有馬かなは同い年。なんだかんだ言って年齢は大事だ。大人たちとの会話を強制されるこの業界、もし共演することになれば、親しみやすさから会話も増え、ただでさえ愛くるしいあかねの魅力が伝わり、相思相愛になってしまうことは想像に難くない。もちろん、兄として妹の友人事情に首を突っ込むなんて野暮な真似はしない。
「ま、不慮の事故が起きるかもしれんがな」
「おにーちゃんどうしたの?」
「なんでもないさ」
練習の合間に、独り言を聞いてしまったあかねの頭を撫でてやる。こてん、と首を傾げながらも、気持ちよさそうな妹の姿は最高だ。この笑顔を、俺が守らなくては……!
「はい、じゃあ今日はここまで!」
そんなこんなしている内に、今日のレッスンが終わった。第一次成長期の子もいる中、レッスンは緩いほうだと思う。やっていること言えば、発声練習と、せいぜいが台本読みだ。正直活発な子なら、なんてことない疲労感だと思う。
自分で言うのもなんだが、俺はこの劇団で頭一つ抜けているほうだと思う。少なくとも、台本を読み違えたり、セリフを噛んだりといった、明らかなミスをしてしまうようなことはない。お兄ちゃんなので当たり前だがな。
「黒川くん、ちょっといいかな?」
「はい。なんでしょう」
皆がお迎えに来た親御さんのもとに向かうさなか、俺だけ偉そうなおじさんに呼び止められた。自分の名字が呼ばれたあかねも、不思議そうにこちらを見ている。
「実は、君に出てもらいたい映画があるんだ。結構難しい役なんだけど、君にならできると思ってね」
「映画、ですか」
「おにーちゃん映画に出るの!? すごいすごい!!」
これはかなり珍しいことだ。劇団あじさいのように小規模な事務所では、自分たちでオーディションを受けることがほとんどで、事務所サイドから仕事を振るのは皆無のはず。何にも出演経験がない俺を、わざわざ起用する理由、それはおそらく、
「そうですか、兄としての資質を買われてしまった……ということですね?」
「いや全然違う」
なん、だと……! となるとますます分からんな。この劇団では優秀なほうだが、それは成熟しているといった意味合いが強い。演技力なんて、それこそ有馬かなの足元にも及ばないだろう。ただ台本が読めて、それっぽい動きができるだけだ。わざわざ弱小事務所の、それも無名子役を起用する理由なんて思い浮かばない。
「(ガシッ)この役はね……」
心なしか、肩を掴むおじさんの力が強い。なんだか息も荒いような……
「君のような未発達で顔が可愛い男の子にしかできないんだよッ!!」
「お断りします」
「なぜ!?」
今の絵面を見たら通報されてもおかしくない。人の趣味嗜好にとやかく言うつもりはないが、うちの妹が怯えてしまっているので万死に値する。
確かに俺の顔は可愛いほうだ。さすが黒川家の遺伝子と言うべきか、そんじょそこらの女児には負けないほどの完成度はしている。あかねに言われて、
「お願いだから出てもらえないかな? 未成熟な男の娘を出すって先方に言ってしまったんだよ」
「身の危険を感じるので遠慮します」
なぜわざわざ言い直したのか知らないが、向こうの現場もきな臭くなってきたな。このままだとイメージビデオまで撮らされそうだ。この年でデジタルタトゥーを彫られるのは勘弁願いたい。元々乗り気ではなかったが、丁重にお断りしよう。このおっさんには契約違反で地獄に落ちてほしいしな。
「本当に残念でなりませんが、この話はなかったことに――」
「あの有馬かなちゃんも来るんだけどなぁ」
「かなちゃん!?」
おじさんが呟いた言葉に、あかねが食いついてしまった。自他ともに認める有馬かなオタクであるあかねにとって、エサはその言葉だけで十分だろう。
変質者の口元がにやりとした。
「あかねちゃん、どこまでできる?」
「あっ野生のポリスメンが!!(ピポパ)」
「通報は止したまえっ!」
「かなちゃんに会えるならなんでもするっ!」
まずい……! 頼みの警察も、大人に手を抑えられてしまった今では呼ぶこともできない……! このままではあかねが、汚い大人の餌食になってしまう。それだけはなんとしても避けなくては。
「ハァーーー。わかりました、俺でよければ力になりましょう。」
「いや、この際妹でも構わないんだが」
「どうしても!! どうしても映画に出たいんですッ!」
「そうか! まあ君がどうしてもっていうなら仕方がない!」
この屑野郎が……! 人の妹を人質に取っておいてよく言う。
だが今は、この変態不審者の口車に乗るしかない。有馬かなの名が出た以上、俺が拒否したとしても、あかねが出演するといってきかないだろう。俺が出演し、あかねと有馬かなを引き合わせるしか道は残されていない。
「家族も一緒で構わないんですよね?」
「勿論だとも、事務所からは私が出るが、君はお母さんと一緒に来るといい。あかねちゃんも勉強になるだろうし、姉妹揃って現場に向かうといいさ」
「俺は男です」
やけに引っかかる言い方だが、とりあえずの目的は果たせそうだ。
そうだ、有馬かなと会えるのなら、こちらも準備をしておかなくては
「現場に持ち込みたいものがあるのですが……」
「まあぬいぐるみが無いと演技できない、なんて子もいるからねぇ。基本的に、危ないもの以外は持っていけると思うよ」
「そうですか、釘とバットだけなので心配は要りませんね」
「凶器はダメだよ!?」
「何を言ってるんですか。よりよい演技には心の安寧が重要です。心配しなくても凶器ではありませんよ」
「釘とバットに釘バット以外の使い道が!?」
失敬な、野球とかできるでしょ。ボールが誰かは言うまでもないが。
「じゃあ早速、この契約書にサインしてもらって……」
いつの間にか、目の前には白い紙が用意されていた。こういうのって普通、親が記入するものでは?
やけに難しい言葉で書かれたそれは、全てを理解するには知識が足りな過ぎた。いかに早熟といえど、俺はしょせん子供なのだ。ただ念のため、わかる範囲で読み解いていく。
「この違約金っていうのは?」
「ああ、これは事務所が払うものだから、君たちは気にしなくていいよ。端的に言えば、よりよい作品作りの為、ルールは守ってね、っていうこと」
なるほど、確かにルールがないと、みんなが好き勝手して作品作りどころじゃなくなるもんな。
「演者は小学生程度の男の子であること、とありますが」
「これもよりよい作品作りのためだよ。ささっ、ここに親指を付けてね~」
親指に朱肉が付けられる。そうか、ちゃんと募集要項を満たしてるか重要だもんな。
「最後に良いですか?」
「ん?」
「この女装少年っていうのは?」
「何度も言わせるなッ!! よりよい作品作りの為だッ!!」
「ふざけんな! 最初から俺にやらせる気満々じゃねぇかッ!!」
「はーい残念でした! もう拇印しちゃったので取り消せませーン!!」
そういうと、変態はどこかへ消えていった。やり口が完全に悪徳業者のそれだ。あんな奴が仕切る事務所なんて、とっとと潰れてしまえばいいのに。
ふと、俺の袖をつかんでいた妹の姿を見やる。教育に悪いものを見せてしまった。トラウマが植え付けられていなければいいんだが。
「おにーちゃん、楽しみだね!」
俺の心配なんて杞憂だったようで、普段通りのあかねがそこにはいた。この時ばかりは、有馬かなに感謝してしまった。
はぁ、あかねたんマジ天使。この子が喜んでくれるのなら、女装だろうがなんだろうが引き受けてやろうじゃないか。
母さんになんて説明しようか、なんてことを考えながら、俺たちは迎えを待つのだった。