黒川あかねは困惑していた。この撮影の現場がいつもの舞台とは異なりすぎて。
いつもなら舞台の脚本に従って役を理解し、演じるだけでよい。間違っている部分、不足している部分は、演出家が指摘してくれ、微調整をすればよい。だが、まずこの撮影には脚本がない。演出家の代わりとなるディレクターから抽象的な指示は飛ぶが、それだけだ。どういう風に行動してほしい、というだけで〇〇をしろという指示はない。もともと、引っ込み思案で自分から行動することが苦手なあかねにとっては鬼門のような現場だった。
いつものようにディレクターに聞いても抽象的な答えしかない。もっとも、それは『恋愛リアリティショー』という現場を考えれば当然だ。脚本がないことが売りの現場で、脚本を求めることがどれだけ愚かだろうか。つまり、ディレクターのこんな絵が撮りたいという助言を基に自分でどのような言動をするか考えなければならないのだが、それがあかねはすこぶる苦手だった。元々の性格という面もあるのだろうが。
現に第一話の配信では、自己紹介の場面以降は、あかねの姿はほとんどなく、星野アクア、MEMちょ、鷲見ゆき、熊野ノブユキがメインで構成されていた。同じく場面が少ない森本ケンゴだが、そこはアクア、ノブユキ、ケンゴの三人で談笑している場面も使われていたため、わずかに多いというところだろうか。あかねの場合は、引っ込み思案なところと人見知りなところもあって、まだまだ、ゆきとメムとの友人同士の会話が難しいというのも影響しているのだろう。
「黒川さん、ちょっと二人で話さない?」
「星野くん……」
だから、もしも星野アクアが、『今ガチ』の撮影現場で、こうして人のよさそうな笑みを浮かべて、声をかけてくれなかったら、おそらく、この番組では、あかねは埋もれたままになっていただろう。普通の状況で、ナンパのように声をかけられてもあかねが応えることはなかっただろう。だが、ここは『恋愛リアリティショー』の『今ガチ』の現場で、あかねはその参加者なのだから、アクアの誘いを断る理由はどこにもなかった。
「黒川さん―――は、少し他人行儀すぎるな。これから仲間になるんだから、あかねでいいか?」
「え、あ、はい」
アクアの提案に思わず頷いていた。普通の同級生に言われれば、名前で呼ばれるほど親しくない、と否定はできずとも、肯定の言葉を口にすることもなかっただろう。だが、この現場で、それを言ってしまえば、もはやお前など眼中にない、と宣言するのと同じで、アクアとの絡みがなくなってしまうことは、いくら今のあかねでも想像できた。
「俺のことは、アクアでいいから」
「えっと、じゃあ……アクアくんで」
いきなり呼び捨てにできるような度胸はなかった。
ここまで話してようやく、そういえば、前回、鷲見ゆきとMEMちょがアクアと似たような話をしていたな、と思い至った。つまり、口説き文句ではなく定型文なのだな、と思うと少しだけ気が楽になった。口説かれた経験などない少女の最初の相手がアクアのようなイケメンでは、最初から魔王に立ち向かっているようなものだ。ドキドキしないほうがおかしいが、これが定型文であると納得できれば、その胸の高鳴りも少し軽減される。
「あかねは女優やってるって聞いたけど、実際に何の作品に出たんだ?」
「えっとですね―――」
アクアが振ってくれた演劇の話題のおかげで、ようやく自分から話すことができそうだった。演劇についてはあかねの得意分野だから。演技に関することならいくらでも話せるとあかね自身思っている。それに、テレビドラマや映画ならなともかく、演劇について語れる同年代というのは貴重だった。もちろん、劇団ララライのメンバーと演劇について話すことはよくある。ただ、それはあくまでも同じ劇団に所属する同僚だ。アクアは、役者ではあるが、異なる業種の同年代に演劇について話すことは初めてといっていい経験だった。しかも、興味深げに聞いてくれ、相槌を打って次の話題を促してくれるため、引っ込み思案なあかねでも話しやすかった。気づけば、収録が終わるギリギリまで話しており、もう少し話したかったな、と思うほどである。
どうやるかで頭を悩ませて余裕がなかったあかねには分からなかったのだが、あかねが誘われた場所は定点カメラからもほど近く、会話も入っていたため、使われやすい環境にあったようだった。ちゃんと撮影にも気を使ってくれていることが嬉しかった。
なお、その撮影が編集された配信でアクアとあかねが会話しているシーンがズームされ、SNS上でも話題に上がるぐらいだったのだが―――
「え、演劇オタク……ま、間違ってないけど、なんか複雑……」
あかねがひたすらにアクアに演劇について―――ストーリーや演じた役への解釈などを―――語っているあかねへの印象は、自分の仕事と趣味が同じな演劇オタクと言うことになってしまったのだった。
成功体験というのは、甘露のようなものだ。一度、味わえば、もう一度と思ってしまう。最初の配信では出番がほぼなかったあかねだが、二回目の配信ではアクアと会話している―――一方的にあかねが語っていただけのような気がするが、内容はともかくあかねとアクアは楽しそうだった―――場面が多く使われていた。
つまり、あかねが番組に出るためには、アクアと絡めばよい、と学習したのだ。もちろん、毎度毎度、同じネタで会話はできないことは承知の上だが、男性陣の中で一番慣れたのはアクアだし、いつもであれば異性と話すのは躊躇してしまうのだが、アクアとは自然と話せており、楽しいという記憶があるため、あかねからでも積極的に話せそうだった。メンバーにはノブユキやケンゴもいるのだが、自分から話しかけに行くにはハードルがまだ高い。そのため、狙いは自然とアクアになるのだった。
今日は、前回の会話の中で、アクアが「実際にあかねが演じてるところ見てみたかったな」と言っていたので、過去の演劇のDVDを入れたタブレットを持ってきていたのだ。親はともかく親しい友人に出演している演劇を見せたことはなかったため、どんな反応をしてくれるか楽しみにしていた。
「アクアくん、前に話していた演劇の動画持ってきたから見よう?」
「へぇ~、あかねの演劇か。興味あるな」
そう誘えば、嫌な顔せずに応諾してくれるのが、アクアだった。タブレットであるため、隣同士に座って、肩を寄せ合って一つのタブレットを見る。最初は一緒に演劇を見られるだけでも、嬉しいと思っていたが、タブレットが小さく、また音声は一つのイヤフォンを二人で使っているため、肩が当たるほどの至近距離で鑑賞することになってしまい、あかねは動画には集中できず、すぐ横にあるアクアの顔に集中してしまい、心臓は近くのアクアに聞こえないか、と不安になるほど高鳴っていた。
時折、あかねが解説を入れながら演劇を見ている最中にふと影が差した。
「アクアくん、ちょっといいかな?」
話しかけてきたのは、鷲見ゆき―――今ガチのメンバーの一人だった。自分とは異なり、異性に慣れていそうな態度に思わず下を向いてしまう。男の子はこういう女の子が好きなのかな、と思いながら、たぶん、ゆきについていくのか、と憂鬱になっていた。そのはずだったのだが―――
「悪いな。今はあかねと話してるから」
「そう、じゃ、後で来てね!」
アクアの言葉に思わず顔を上げて信じられないものを見たような目でアクアを見てしまう。ゆきには気づかれてないといいな、と思いつつ、断ったアクアに悪い感情を持っていないような声色でゆきはその場を去っていった。
「それじゃ、続き見るか」
今断ったことが普通であるかのように振る舞いながら、アクアが動画の再生を続ける。ゆきよりもあかねを優先したことを嬉しく思いながら、ゆきが話しかけてくる前と同じくアクアと演劇を観賞するのだった。
「そういえば、私の事ばっかりだったけど、アクアくんはどの作品に出演してるの?」
「あ~」
少しアクアに慣れてきた頃、あかねは今まで、自分の出演作や好きな作品についてしか話題にしていないことに気づいてアクアに聞いてみた。だが、言いにくいのか、やや渋い顔をして、ポツリと題名を口にした。
「『今日は甘口で』っていうネットドラマなんだが」
「『今日あま』」
思わぬところから出てきたタイトルを思わずつぶやいてしまう。
「知ってるのか? あの大半は素人なんだが、有馬かながヒロイン役で出てるドラマなんだが」
「知ってるよ」
そう、あかねはよく知っている。あの有馬かなが出たドラマを知らないわけがない。もっとも、あまりのひどさに、こんなドラマに出演しなければならない有馬かなの惨めさに一話で見なくなってしまったような作品ではあった。
「そこの最終話のストーカー役っていうちょい役だな」
「あ、あの少しだけ話題になってた」
最終話だけでも見て、という投稿がSNS上にやたらと投稿されたあの最終話。あかねとしても興味はあったが、あの作品の出来から考えると、あまり見る気にもならなかった。あの作品の有馬かなを見限っていたと言ってもいいだろう。だが、そこにアクアが出ているのであれば見るべきだっただろうか、と今にして思う。もっとも、ネット配信のドラマなのだから、今からいくらでも見られるのだが。だから、胸にある感情は一つだけだった。
―――二人はもう共演したんだ。いいなぁ。
果たして、それが星野アクアと有馬かなのどちらに向けられたものか。今のあかねにはよく分からないことだった。
撮影が終わった後、『今ガチ』のメンバーで焼肉屋に晩御飯に来ていた。しかも、メムの奢りという太っ腹な晩御飯だ。もっとも、事務所間の割合を揶揄した半ば脅しのようなものだが、事務所間の割合が8:2のあかねからしてみれば、羨ましいものは羨ましい。メムも半ば無理やりだったせいか、自棄になっているような気もするが。
そして、あかねは今日もトングを手に肉を焼いていた。
「アクアくん、お肉焼けたよ。はい、どーぞ」
「いや、あかね、さっきから全然、食ってないだろう。自分の分は自分で食うから気にするな」
「いえ、自分、精進の身なので―――」
そういって、あかねは自分のこだわりを口にするが、アクアは呆れたものを見るような目であかねを見ていた。そして、大きく、はぁ、と溜息を吐いたのだが、あかねは次の肉を焼くことに集中しており、まったくアクアの挙動に気づいていなかった。
「あかねは、肉食う時、何派?」
「え? 私は、いつもタレだけど」
アクアからの思わない質問に、思わず反射的に答えて、顔を上げると肉を挟んだ状態で箸を差し出すアクアの姿があった。あれ、あれ? と困惑するあかねを見ないふりをしているのか、微笑みながら箸を差し出すアクア。どう見ても食べろと言っているような気がするのだが。
「はやくしろよ、箸は新しいものだし、タレが落ちる」
そう言われてしまえば、早く食べないといけない気になってくるのが不思議だ。だから、本当にいいのか? などの羞恥心を忘れて、差し出された肉に食いついた。
「どう?」
「……お肉の味」
「そりゃそうだ。もっとも、焼いたのはあかねだけどな」
自分で焼いたものを食べさせられるとは何とも不思議な気分だが、決して悪いものではなかった。特に相手がアクアともなれば。
「あっ! こらっ! そこ! カメラの外でおいしいシーンを撮るんじゃない」
「食事のシーンはないんだからいいだろう」
確かに、と両方の言葉に思ってしまう。「あ~ん」というシーンは昔から使い古された恋愛シーンだ。だが、その一方で、『今ガチ』は放課後に高校生が集まるという体で行われている配信のため、このようなご飯シーンは採用されない。あってもクッキーなどのような小物ぐらいだ。
「ここにいるのは、『今ガチ』の仲間で、友達だ。別に劇団みたいな振る舞いはしなくてもいいんじゃないか?」
「でも……」
「まあ、それでも、焼くことに集中したいっていうなら、俺が食べさせてやるけどな」
それはそれで……と思わなくもないが、さすがに全員がいる場所では恥ずかしい。ならば、二人の空間なら、と言われれば、それはそれで回答に困るのだが。それに、何より問題なのは―――
「私、友達とこういう風に焼肉に来たことなくて……」
「あぁ~、それは―――」
本当は言いたくなかったのだが、どう振る舞っていいのか分からないのも事実。だから、思い切ってカミングアウトしたのだが、それでもアクアはやや気まずそうな表情をしていた。やっぱり言わないほうがよかっただろうか、と思っていると、半ば無理やりに持っていたトングをアクアに取られた。
「あっ……」
「今度は、俺が焼く。適当でいいんだよ。友達なんだから」
「アクアくん……」
あかねとは異なり、焼き加減はいい加減なものもあったが、食べられる焼き方で肉を渡してくるアクア。いつもは自分で焼いて余った物を食べていただけに新鮮だった。その後は、周りで騒いでいたメムやゆき、ノブユキ、ケンゴも騒ぎに参加し、初めてあかねは友達同士の焼肉というのを楽しめたような気がした。おそらく、最後にメンバー全員で撮った写真は宝物になるだろうと確信できたのだった。
『今ガチ』の収録は進む。イベントをこなしていく中で、少し早い花火大会のイベントがあった。業者に頼むようなものではなく、個人で買える花火を寄せ集めた小さなものだ。もっとも、男性陣も女性陣も浴衣に着替えるほどに装いには気を使ったものではあったが。化粧などもテレビのスタッフが行う本格的なものだ。あかねも舞台で慣れているとはいえ、アクアの前に顔をだすとなるとそれなりに緊張した。だが、その緊張もアクアに浴衣姿を見せた後に、少し驚いたような表情をして、「綺麗だね」という一言で舞い上がるような気持ちになるのだから不思議だ。
なお、その後の配信で、ゆきにも似たようなことを言っていたことに気づいたときには胸の中がもやもやしたものだが。
だが、この後で、完全に流れが決まったことはあかねにも分かった。『今ガチ』の主役は『星野アクア』と『鷲見ゆき』だということは。彼が誰と、彼女が誰とくっつくかを注視している。その中に自分の名前があることは光栄だが。もはや、この段階まで来るとあかねとしては、最終回でアクア以外の相手は考えられなかった。それが恋と呼ばれる感情かどうかについては考えないようにしていた。幸いなことにヒロインレースには、あかねの名前も残っているためか、アクアへの自分で考えたアプローチに対してはメムは引いてくれることが多いし、ゆきは、アクアとノブユキの二人に対して動いている以上、有利になっていることは自覚できていた。時々、作為めいたものを感じるが、それはそれであかねとしては好都合なので、気にしないことにした。
世間の評判はいい。『星野アクア』『鷲見ゆき』『熊野ノブユキ』『黒川あかね』の関係性について、毎回の配信で注目されているのがわかるから。だが、関係性を決定付ける最後の一押しが足りない。
そんな風にもやもやしながらもあかねは、日課の事務所での稽古を行っていた。柔軟、発声―――いつもの稽古だ。そして、それが終われば、稽古室のカギをスタッフルームに返しに行く。その時だった。社長の怒声が聞こえてきたのは。
「どうなってるんだ!? あぁ!?」
突然聞こえた怒鳴り声に、スタッフルームの入り口で固まるあかね。一瞬、逃げようとも思ったのだが、次の言葉でその場で聞き耳を立てることにした。
「最近、あかねが出ているリアリティショーが人気だっていうから見てみたら、なんだこれは!?」
そう、社長が怒鳴っている原因は、あかねが出演している『今ガチ』の話題だったのだ。だが、思い返してみても、社長が怒鳴るような要素はないように思える。アクアやノブユキ、ケンゴ、ゆき、あかね、MEMちょといった幅広い層からイケメン、美女を集めておりターゲットとしていた中高生からの注目度も高く、ネットニュースにも時折なるぐらいだ。だから、視聴率の悪さ、露出度の低さで怒鳴られるようなことはないと思う。だから、余計に気になってしまった。
「あかねがどう見ても星野アクアに誑かされてるじゃねぇか!」
「あの……社長、あかねが出てるのは恋愛リアリティショーで、そもそも、恋愛が前提なんですが?」
マネージャーが困惑するのもよくわかる。むしろ、あかねとしても社長が激怒している理由がよく分からない。
「分かってるよ! だが、男で転ぶ女優なんて山ほどいるんだ! それにどう見てもこいつは質が悪い男だ!」
「そうですかね? 最初からあかねにも気を使ってくれている好青年に見えますけど……そもそも、アクアくんがあかねに気を使ってくれなかったら、ここまで注目されることはなかったでしょうし……」
「分かってるよ! だから、あかねにはしっかり指導しておけ! 目を曇らすんじゃねぇって!」
「はぁ」
マネージャー自身も飲み込めてないのか、曖昧な返事をする。聞いていたあかねとしても、『今ガチ』で注目が集まったのはアクアのおかげだと思っている。それに、今ガチの態度を見ても常にあかねを立ててくれていて、社長の言うように悪い男には見えないのだが、と困惑しているところに頭を下げて退出したマネージャーが現れた。
「あ、あかね。聞こえていたのかい?」
「あ……その、はい」
マネージャーに対して嘘が言えないあかねは俯いて、頷くが、マネージャーは咎めることなく、苦笑するだけだった。
「別にうちの事務所は恋愛禁止じゃないし、あの番組に送り込んだ社長の責任もある。好きにしていいんだよ。いいじゃないか、アクアくん。俺は『アクあか』いいと思うよ」
それだけ言って、あかねの肩を叩いて去っていくマネージャー。いい人だとは思う。だが、その期待に応えるためには一歩足りない。期待してもらったエンディングへのパズルで言う最後のワンピースは、すぐそこに存在していた。
ある日の収録。もうすぐ『今ガチ』も最終回を迎えるという直前に、いつものようにMEMちょがアクアにダル絡みしていた。ゆきとあかねが絡まない一瞬の隙をついて「どっちが好きなの~?」と視聴者の内心を代弁するような役割で、メムチェックとか言われているとかで、好感度測定のような役割を果たしていた。今回は、珍しくメム、ゆき、あかねがいる空間だが。
「そういえば、アクたんは結局、どういう女が好みなの?」
あ、それ知りたい、とあかねは耳をすませていた。
「どうした? 藪から棒に」
「いや、藪から棒っていうか、もうすぐ最終回も近いから、どっちが本命かなぁ? って。でも、名前を聞くのは反則だから、どんな女が好みかって興味本位だよ?」
普通なら、そんなことを聞かないでくれ、となるのだろうが、この時ばかりはあかねの心情としては、「よくぞ聞いてくれた」という感じだった。
「そうだな……顔のいい女っていうと、全員に当てはまるから別の要素がいるか」
あ、顔がいいとは思われているんだ、と盗み聞きしながら思った。ほかの二人も顔を赤らめているのは気になるが、今まで交流を深めてきた近しい男に言われれば、無理もないことか、と自分を言い聞かせる。その後も、アクアの好みの女性像が聞かされる。だが、どれもすべて抽象的だった。
「ん~、あ、もしかして、あれかな。B小町のアイみたいな」
その言葉に、確実にアクアが肩を震わせて反応したのをあかねは見過ごさなかった。まるで図星をつかれたような態度。メムやゆきは「こういうのが好きなんだ」「メンクイだ~」と騒いでいたが、あかねの耳には入ってこなかった。むしろ、十数年前に死んだアイドルの情報をどうやって集めるかについて集中していた。
その日の『今ガチ』の収録が終わると、あかねは早速、資料集めに奔走した。国立図書館からユーチューブまで、存在するありとあらゆるアイに関する資料を集めようと躍起になっていた。
「愛情の抱き方に何らかのバイアスあり」「秘密主義と暴露欲求」「破天荒な言動に反し完璧主義」……
あかねの頭脳が、その与えられた役への深い考察と洞察によってB小町のアイという人間が少しずつ丸裸にされていく。それは、あかねのそれらを理解し、演じる才能へと昇華され、アクアの好みの女であるアイという人間を完全にトレースするまでに至っていた。
そして、その成果が今日、証明される。少女の小さな願いと共に。
―――アクアくん、好みの女の子を演じたら好きになってくれるかな?
「行くぞ」
「そうだね、アクア」
目を開けば、そこにいるのはアイをトレースした黒川あかねだった。
その時、振り返った時に見たアクアの驚愕と、懐かしさと、愛おしさと、悲しさが入り混じったような表情をあかねは一生忘れないだろうな、と予感するのだった。
※ ※ ※
「いや~、アクたんさ。もう少し、アラサーの体力を考慮してくれてもいいんじゃない?」
「普通だったと思うが?」
息も絶え絶えに胸を上下させながら言うメムに、困惑した表情で言うアクアだが、明らかに今日はいつもとは違った。激しいというわけではないが、いつもよりも感情的だったというべきだろうか、「愛してる」や「可愛い」と囁かれる言葉に反応してしまうというか、恥ずかしい言葉で言い換えれば、いつもよりも愛されていると言えるのだろうか。それに心当たりがないわけではない。
「まったく、あかねのあの変化には驚いたけどさ。なにも、その欲情を私にぶつけなくても―――あいたっ!」
「違う。そんなんじゃねぇよ」
手のひらでチョップされた頭を押さえながら、抗議の意味を含めてアクアを睨むが、アクアとしても、その返答は自信のなさそうなものだった。
「大体、メムもよくあの抽象的な表現でアイが分かったよな。世代じゃ……いや、世代だったわ」
「アクたん!? 年齢の事は不可侵だよね!?」
アクアに指摘された通りなのだが、今更、その点をつかれても困る。ただ、まあ、いい機会だとは思った。ここまで来たら、前回、年齢の話をしたときに隠したことを素直に話そうと思った。
「前に話したことに秘密があってさ。実は私、アイドル志望だったんだ。これでも大手のオーディションの最終審査に残ったりしたんだよ。でも、まあ、途中でお母さんが倒れちゃった影響でさ。その後はアクたんもご存じの通り――――って、アクたん!?」
なぜか途中から手のひらで顔を覆うように後悔しているアクアがそこにいた。
「アイドル志望なら、最初から言えよ……」
「へ? どういうこと?」
「新生『B小町』はアイドル募集中なんだよ……」
なるほど、と持っている情報を繋ぎ合わせる。確かにB小町の事務所は『苺プロ』でアクアの事務所も『苺プロ』である。ならば、その内部の情報としてアイドルの情報を知っていてもおかしい話ではない。つまり、今、メムは新しい『B小町」に勧誘されたともいえるだろう。
「『B小町』に私が? ……あはは、でも、ほら、私、もう25だし」
「JK名乗って番組出てる女が今更日和ってんじゃねぇよ」
「で、でも……私、アクたんとこんな関係だし」
未だに一糸まとまぬ身体をシーツで隠しながら言う。アイドルに求められるものは、それぞれグループごとに異なるだろう。だが、ただ一つ共通するとすれば、清純性というのが必要ではないだろうか。汚された、とは言わないが、男がいるアイドルというのは、まずありえない。今まではそう思っていた。
「苺プロは申告制で男を認める事務所だから問題ねぇよ」
「いいの!? アイドルなのに!?」
いくらメムとは言え、すべてのアイドルが清廉潔白とは思っていない。だが、それでも、いきなり認める事務所があるかもしれない、ということには驚きを隠すことはできなかった。
「実績あるから」
「……大丈夫? 新生『B小町』」
実績あるから、と言われるということは、すでにメンバーの一人は男がいるという前提である。それはそれでいいのだろうか、と疑問に思うメムではあった。だが、アクアに抱かれた時に一度は諦めた夢だ。別にグループをどうしようとは思っていない。だが、もしも、この年で、この状況で手を伸ばしても届かなかった夢に手が届くのであれば、それを望むことは悪であろうか。正義だ、とは言われないまでも、夢を追うことを諦める理由にはしたくないと思った。
「な、なら、『今ガチ』が終わった後にお願いしようかな」
「了解。事務所には伝えておくよ」
一度は手放した『アイドル』への夢。だが、それがまさか、すべてを捨てた後に手元に戻ってくるとは夢にも思っていなかった。もっとも、そのアイドルグループも、実際に合流してみれば、頭のおかしいグループだったと思うのだが、今だけは長年の夢が叶うかもしれないという夢想に浸らせてほしいと思うのだった。
※ ※ ※
「それで~、やっぱり、今日、激しかったのは、あかねが原因なのかな?」
「………」
沈黙が答えとは、よく言ったものだ、とゆきは思う。いつもならもう少し手加減があったものだが、今日は特に愛してくれた、というべきだろうか。囁きも、扱いも、まだ両手で数える程度しかない小娘を相手にした百戦錬磨の男がするものではないことぐらいはゆきにも理解できた。そして、その原因が、前回の撮影で見せたあかねの態度であろうことも容易に想像できる。
「最初の撮影で話した初恋の人って、覚えてるか?」
「ああ、あの……」
ゆきの脳裏に浮かぶのは陰のかかった表情で初恋の人を思い出すアクアだった。だが、それが今更と思っていたのだが、意外なところに答えはあった。
「アイが、俺の初恋の人だ」
「ああ、なるほど……」
思わず同情してしまった。あの後、調べてみれば、アイは十数年前に殺されたアイドルだ。つまり、アクアとしても生まれて数歳の頃にアイドルをやっていたことになる。つまり、幼稚園や保育園の先生を好きになるようなものだろうか。それが、アイドルだったという話だが、さらに殺されたともなれば、感情を拗らせても仕方ない。
「ふぅ~ん、じゃあ、予定通り、あかねとはビジネスの関係で終われるんだ?」
「………」
「しっかり惹かれてるんじゃない!?」
ぱしん! と思わず頭をはたいてみた。全力ではなく、あくまでも窘める程度の痛さしかないはずだ。ただ、後ろめたさは倍増したかとは思うが。
「もしかしたら、俺はあかねとはビジネス上の関係ではいられないかもしれない。だから、それが嫌なら―――」
妙なことを口にしようとするアクアの唇を初めて自分の唇でふさいだ。それ以上の言葉をたとえ仮だとしても口にしてもらいたくなかったからだ。
「誰か本命がいる火遊びもいいと思っていたけど、もっとドキドキすることを見つけたわ」
「嫌な予感がするが……それはなんだ?」
「誰かの好きな人を奪う愛っていいと思わない?」
あかねがアクアの事を好きだと思った時、その陰に隠れて付き合うのも興奮した。だが、こうしてアクアが本格的にあかねをビジネス的な関係以上に狙いだした時、改めて考えた。つまり、この状況であかねから隠れながらアクアと付き合うのは興奮する。そして、さらにあかねから自分に好意を向けさせるのもさらにドキドキする、と。
つまるところ、それも愛だ。ただし、世間一般的に言うのであれば、略奪愛だろうか。誰かのものが欲しい、というのは一般的な感情だ。いや、誰かが欲しがるからこそ、それを手に入れることに意味がある。だからこそ、今、ターゲットを変えようとしているアクアにゆきの女としての自尊心が刺激されて、それがゆきに振り向かせるという原動力になっていた。
「最初に手を出したのはアクアくんなんだから。ちゃんと、私に付き合ってもらうわよ!」
これからずっと狙い続けるというゆきの宣言に対して、アクアは観念したのか、あるいは、もう仕方ないと思ったのか、両手を挙げて降伏するしかないのだった。
おかしい、途中までは少女漫画風味だったのに、後半はヤングジャンプ風になってる・・・
黒川あかねさんはじっくりタイプでお送りいたします。次回は、『今ガチ』完結編・・・あかねちゃん②です
星野愛久愛海
・黒川あかねのアイトレースを見て、子供の頃、アイに抱いていた感情を複雑に思い出す。
・今の女(MEMちょ、ゆき、かな)を愛して、あかねに抱いた感情と差を考えた結果、アイへの親へ向けるものと理解する。
・ただし、今後、アイをトレースしたあかねを愛すれば、父親へ近づけるのではないか? と考える。
⇒全力で黒川あかねを落としにかかる。
・ゆき、MEMちょ、かなの関係をどうしよう? と悩んでいるが、今は保留中(クズの発想)