嘗ての先生、其の成れ果て   作:低品質なプリン

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少し短めです。



ペット化計画

 

白い天井に、消毒液のような独特な匂い。

 

布地が擦れる音に虚しさを覚える。寝起きで誰も居ない事に物悲しさを覚えたのは、いったいいつからだろうか。

存外、イツキも気に入っていたのかもしれない。定期的に部屋に忍び込み、同衾してくる少女との日常も。無論見つけ次第通報するのだが。

 

だが今は独りだ。しかし自分に覆い被さる少女の幻視を振り払うと、覚えのある光景だ。

 

既視感のあるそれらは、この場をトリニティの救護院であると知らせてくれる。仕切られたカーテンの向こうからは淡い月光と、微かな街灯の光のみ。妙に軽い身体と、気怠い精神。神秘解放を繰り返した弊害だった。

 

――何故ここに居るのか。

 

寝起きで鈍い頭では咄嗟には分からなかった。しかし既視感のみが答えを教えてくれる。身体の端々までが妙に軽くて、感覚が鋭い。それなのに心に虚無感が生まれて、理由も意味も分からない其れに嬉しいとも悲しいとも感じない。

少しづつ自分が『水面(みなも)イツキ』ではなく抜け殻の人形になる感覚だけには、多少の不快感を抱ける。

 

天井を眺めながら、再度考える。何故自分は此処に居るのか。

 

思い返すのは美甘ネルとの激闘と逃亡。

 

あの後、走り去ったイツキが向かったのは当然ゲーム開発部の部室だった。皆と合流して、作戦の成功に労いの一言でも言えればと思っての事だった。

その後の記憶は薄い。精々、アリスが自分に向けて復活の呪文を連呼している光景くらいだ。それが最後の記憶なのだから、気絶したのだろう。救護院に運び込まれているという事は、アビドスでの件と同様に長期の昏睡状態だった可能性もある。

 

「………はぁ…」

 

「ため息ですか?イツキさん」

 

「……セリナ…?」

 

ふと横に目を向けると、鷲見セリナが椅子に座っていた。場違いな笑顔なのに目が笑っていないのが印象的だ。暗い部屋で爛々と光る双眸には、恐怖心を捨てた筈のイツキすら叫びかけた。

 

重い圧を感じるが、見て見ぬふりをした。案外、それでやり過ごせる事柄もあるのだ。イツキが先生であった頃は、定期的にそうしてユウカに説教をされていた。

 

「ど、どれくらい寝てたかな?」

 

「二週間です……言いたいこと、分かりますか?」

 

「ひぇっ……て、寝坊してごめんなさい……とか?」

 

浅く笑って誤魔化した。

 

セリナは真顔になった。つられてイツキも真顔になって凍りついた。

 

――二週間の昏睡。

 

それ自体に驚きはない。

 

アビドスで神秘解放を過剰使用した時と同じだ。使い過ぎると長期間意識が戻らなくなる。睡眠とは記憶を整理する時間で、そも、正確には『喪った』のでなく『存在しない』事になったのだから、通常のそれとは規模も仕様も異なるのだろう。神秘解放の擬似再現で過去の軌跡を消費し続ける限り、この仕様は仕方がないと割り切るしかない。

無論()()()()で二週間の昏睡状態にはならないのだが。

 

無言で十数秒。居た堪れなくなって、また誤魔化すために愛想笑いをした。瞬間、セリナの真顔に怒りの色が芽生えてしまった。

 

「無理を!しないでください!って!八億回は言ってますよね!?もう!もう……もうっ、拘束して私の部屋で飼うしか……」

 

「セリナ……セリナさん?目が据わってるよ?怖いから。怖いし顔が近い……え、その手錠どこから持ってきたの?待って待って、無言で施錠しないで。壊しちゃっても弁償出来ないから…」

 

「首輪は何色がいいですか?大丈夫です。毎日よしよしして、膝枕もしてあげます。今なら耳掻きと……三食プリン付きです!ちゃんと、あーんしてあげますね」

 

「自宅軟禁に魅力的なオプション付けないで?」

 

「ダメ……ですか?」

 

「ダメです……………………ダメです」

 

「葛藤はしてくれるんですね」

 

「ははっ」

 

取り敢えずまた笑って誤魔化した。何にも縛られない純粋な生徒の身であれば、彼女に飼われるのも悪くなかったのかもしれない。膝枕と耳掻きが、特に魅力的だったので。

だがイツキには役割がある。命と引き換えにして遺すべき未来がある。

 

近い将来、キヴォトスに■■が――

 

「………あれ?」

 

――疑問符が生じる。

 

形容し難い感情に苛まれた。まるで空気の形を定めるような。確かにある筈なのに、その形が分からない。説明出来ない。そんな感覚が胸内を占める。

 

何か、キヴォトスに危機が訪れる筈だ。其れは災害のように唐突で、脆弱な『大人』には抗いようがなくて、大切なナニカを壊して変貌させてしまうモノだった。

白銀の少女が瞼に浮かび、光の粒子となり霧散する。アレが誰だったのか、もうイツキには分からない。頭の中には既に姿も形も存在しない。

 

漠然とした不安だけが情緒を灼き尽くす。今、この瞬間にも其れがキヴォトスに襲いかかるかもしれない。明日か、明後日か、或いは瞬きをしたこの瞬間に事が起こる可能性もある。

きっと手帳に書き記した『軌跡』も、綺麗に白紙へと戻っているのだろう。もう存在しない『軌跡』は、最初から存在しなかった事になるのだから。消費した瞬間から、『記録』は『記録』としての意義も理由も喪い、帳尻合わせの為に消失する。そうして忘れ去られた人が、事柄が、そして神が。この世界には有り触れ過ぎていた。

 

吐き気がする。

 

気持ち悪い。胸を掻き毟りたくなる衝動。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。

 

「イツキさん?だ、大丈夫ですか!?」

 

「……ごめん、セリナ…」

 

「酷い顔色です……!安静にしていてください、検査の準備をしますので!」

 

「ごめん……ごめん、なさい……大丈夫だから…本当に、大丈夫……なんだ…」

 

セリナの腕を掴み、逆の腕で同時に過呼吸気味になる自身の胸に拳を打つ。気道が空気を求めて大きく開き、痙攣するように圧縮し。想定を超えた身体の動きに鞭を打つように、痛みを与えて精神の安静を図る。

 

医療とは決して言えない行為にセリナの顔が曇る。二度、三度、拳で胸を強く打ち呼吸を落ち着けるイツキが痛ましくて、少女は泣きそうになった。

 

セリナの知るイツキは、ずっと()()だった。いつも申し訳なさそうにしていて、泣きそうな顔で、でも気丈に振る舞う人だった。

イツキの過去に何があったのか、セリナは知らない。きっと生涯知ることはないのだろう。

 

それが、泣きたくなるくらい歯痒いのだ。大好きな人が決して報われないと、心の何処かで理解してしまったから。いっそ、全てを忘れてしまうくらいイツキをセリナ自身で満たしてしまいたくなる。それがどれだけ烏滸がましく、身勝手な行為だったとしても。無力なセリナには、それしか『救護』の方法が分からないのだから。

 

――だから。

 

「イツキさん……ッ」

 

「せ、りな……?」

 

強く、抱き締めた。壊れそうな『子供』を、いっそ壊して別のモノに造り変えてしまうくらい強く抱き締めた。

 

「イツキさん、私を見て」

 

「…………」

 

「今は……私だけを、見て」

 

十秒にも満たない抱擁を解き、然し肩に手を置いたままに目を合わせる。灰色の双眸だ。酷く曇った、元の色も分からなくなるくらい悩みと葛藤、自己犠牲に溺れて疲れ果てた灰色の瞳だった。

何も映らない其れに、セリナは自分を刻み込む。無謀でも、無力でも、セリナの存在がイツキの生きる理由になるのであれば。少女は喜んでイツキの『唯一』になれる。

 

「……イツキさんは頑張り過ぎたんです」

 

それは優しい言葉だ。

 

「たくさん……誰かを助けたんですよね。本当は戦いたくないのに、無茶をしちゃったんですよね」

 

甘く、優しく。それは『大人』を殺す()だ。

 

「少しだけでいいんです。休んで、心を整理する時間がイツキさんには必要なんです……そんなの、悪い事なんかじゃないんですから。誰だって疲れたら止まって、息を整えるんです」

 

また、抱き締める。今度は優しく、繭で覆うような愛情と優しさの抱擁。ピシリ、とイツキの胸で何かが軋む。

 

「さっきみたいに『飼う』だなんて言いません。少しだけ、一緒に住みませんか?イツキさんが落ち着くまででいいんです……一緒にご飯を食べて、テレビを見たりして。別に何もしなくて、ボーッと過ごすだけでもいいんですよ?」

 

優しい毒が脳髄を撫で回す。張り詰めたイツキの精神に妥協を促す。飾らない言葉は確かにイツキの心を緩ませ、甘い毒を流し込む。

 

故にイツキは鈍い頭で考えさせられる。本来は必要のない存在、『水面イツキ』。イツキがどれだけ頑張っても、未来は変わらないのかもしれない。現にイツキの軌跡だって、今の先生と同じだ。

無価値な歩みと解ったら、イツキも止まれるかもしれない。破滅すると知り、寧ろ自身の破滅を求めるイツキにとって、何よりも怖いのは停滞だった。故に、成果も出せず、身勝手な行為で周りを振り回すのであれば――敢えて停滞して、止まりきって。それを自身への罰とするのも良いのかもしれない。

 

――vanitas vanitatum, et omnia vanitas.

 

意味の無い努力。空回り、虚無に帰す行い。

 

嗚呼……虚しい。何処か安堵したような溜息をつく。力の抜けた身体のまま、彼女の名前を呼んだ。

 

「……セリナ」

 

「はい、イツキさん」

 

優しい声だ。

 

少女の体温も泣きたくなるくらい暖かく、イツキの存在を肯定する。そんな彼女にならば、無価値なイツキの人生をあげても良いのかもしれない。

 

無価値な人生に、初めて意味を見出し――

 

()()()。それは……そんなのは、私が止まる理由にはなれないんだ」

 

「…………………えっ」

 

そっと抱擁を解いて、立ち上がる。昏睡から回復したとは思えない程、身体は軽い。立ち眩みもなく、体調も万全に近い。

 

「行かないと。ごめんね、セリナ。君の未来に、きっと私は居ないから。私は私の道を往くさ……これまで通り」

 

「……わたし、じゃ……ダメ、なんですか…?」

 

「逆だよ」

 

それだけを言い残し、イツキは部屋を後にした。残された少女の涙に見て見ぬふりをして、それすら近い未来には"無かった事"になると割り切って。

 

小さな背中は微かに震えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……イツキさん……絶対に、絶対に独りになんて……させません……ッ」

 

――セリナは知らない。

 

無力に打ちひしがれようとも。セリナの献身が、確かにイツキの『破滅』に罅を刻んだ事を。小さくて意味の無い罅、然し確かに刻まれてしまった。

 

相手を見誤っていたのは、セリナか。或いは――

 





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