ベースキャンプを抜けた先には、『密林』の名にふさわしい緑が広がっていた。
キャンプを出れば、そこには絶対的な安全圏など存在しない弱肉強食の世界が待っている。
既に警戒態勢に移行しなければならない場所に移ったにも関わらず、アルはそれをしなかった。否、そうするだけの余裕がなかった。
手近にあった大木に拳を叩きつけ、内に溜まった激情を吐き出していく。
しかし、くすぶった怒りは消えない。その底にある後悔も。
「アル」
背後からかけられた声に、ピクリと反応を示して振り返る。
立っていたのはジェイだった。軽く右手を挙げて気楽な表情をしている彼は、先程のアルとエイナのやり取りについて、さして気にしている様子がない。
「お前、先に行くんじゃねえよ。パーティ組んで狩りに来てんだからよ」
「……ごめん」
「ま、別にいいけどな。追い付けねえ距離じゃなかったし、最悪ババコンガに相対したとしても、今のお前ならなんとかなんだろ」
「……ごめん」
「あ?」
再度謝罪したアルに、ジェイは表情を変えた。楽しげな物から、いぶかしむ物へと。それを確認してから、アルは口を開いた。
「つい、カッとなっちまって……。多分、言い過ぎた」
「……まぁ、な。確かにハンター辞めろ、は言い過ぎかもな」
『ハンターを辞めろ』
それをハンターに言うのはタブーだ。どんなハンターであっても、ハンターをやっている理由がある。ろくにそれも知らない人間に辞めろと言われて、腹が立たない人間はいない。
加えて、ハンターは自分の誇りを大事にする。ハンター辞めろ、という台詞は、その場でぶっ飛ばされても仕方ない言葉なのだ。
「けどまあ、エイナも言われても仕方ないこと言ったと思うぜ? お前が謝る必要、ねえんじゃねえの?」
「……けどよ」
「殴らなかっただけマシだろ。俺も聞いててムカついたしな。
つうか、アレが片手剣じゃなくてボウガンだったら、俺が殴ってただろうし」
「ジェイ、お前……」
「別にてめぇに気は遣ってねえぞ? 正直な感想だ。けど……」
「うん。分かってる」
ペロリと舌を出したジェイに、つられるようにアルは笑った。くすぶった怒りが徐々に消えていくのを感じる。
「アイツだって、あんな事言うつもりじゃなかったってことくらい分かってる。
けどやっぱ、俺をバカにするためだけに武器を引き合いに出したのは許せねえよ。
……俺は、別にそこまで片手剣に思い入れなかったけどさ。それどころか重量武器に憧れてたくらいだし。
だけど、そういう根っからの片手剣士じゃない俺でも、腹が立ったんだよ。だから、他の人間が聞いたらと思うと……」
「許せなくて当然。そんだけ分かってんなら良いだろ」
言って、ジェイはアルの隣に並び立った。そのまま流れるような動作で、ボウガンに弾丸を装填する。
「とりま、この話題はこれで終了だな」
「ああ」
促すようなジェイの台詞に、アルもまた刃を抜くことで応えた。
直後、二人の前方で大きく茂みが揺れる。
「おいでなすったか」
ジェイが呟く。
果たして、茂みの中から飛び出してきたのは桃色の毛皮をまとった獣だった。その数、七頭。
二人は一度だけ視線を交わらせると、薄く笑った。
「援護任せた!」
「おし! 行ってこい!」
先程の会話は、既に頭にない。意識は眼前の敵を屠ることだけに切り替わる。
「さぁ、一気にカタをつけてやんよ!!」
※※※
「何よ、アイツ……」
ベースキャンプに残されたエイナは、半ば呆然と呟いた。
言うだけ言って出ていったアルを追って、ジェイもベースキャンプから姿を消した。つまりここに残っているのは、エイナとレオルドの二人だけだ。
そのレオルドは、先程からずっと沈黙を保っている。彼はそもそも寡黙な男なので、こういう沈黙は珍しくもないのだが、『今、この場において』この状況は痛かった。
嫌な空気を払拭すべく、エイナは口を開く。開いてしまう。
「た、高々武器のことだけで熱くなっちゃってさ。ガキっていうかなんていうか……」
「……エイナ」
「か、軽い冗談だってことくらい分かんないのかしらね。そ、そりゃ、ついつい言い過ぎたとこもあったかも知んないけど、それでも……」
「エイナ」
「っ」
二度目の声はやや鋭かった。エイナは怯えたように肩を震わせて口をつぐむ。
レオルドは基本的に声を荒げない。しかし彼の持つ重い雰囲気は、僅かな言葉で相手を威圧するのに充分だった。
加えて、エイナは長く彼に師事していた。故に、レオルドが何を言いたいのかが分かってしまう。
「ごめん、なさい」
絞り出した声は、アル相手にまくし立てた時に比べて遥かに勢いがない。
分かっている。自分が口にしてはいけないことを、口走ったことくらい。
普段は心地良いくらいの沈黙が痛いのは、自分にやましいことがあるからだ。レオルドはただ、いつもと同じく、表情も変えずに沈黙を保っているだけなのだから。
「アタシ……、あんな事言うつもりはなくて……」
それは本当だった。
自分の使う武器を侮辱されるなど、ハンターには耐えられない。エイナだってハンマーを貶されたら殴りかかっていたかも知れない。
だから、そんなつもりはなかった。
ただ、実力も知れない相手がレオルドに認められていた。その事実に焦燥し、動揺し、嫉妬した。自分の方が彼よりも優れていると、レオルドに主張したくて、多分そんな子供っぽい気持ちから、アルを罵り続けたのだ。
「アタシ、バカです。あんなこと言われたって仕方ないようなこと……」
「エイナ」
「……はい」
かけられた声に、覚悟を決めて顔を上げる。恐らくは、怒られる。
「謝罪する相手を間違えるな。お前が謝るべき相手は別にいるハズだ」
「師匠……。はい、分かっています」
「なら行くぞ。奴等だけを先行させ過ぎると、そのまま決着が着きかねん」
しかしエイナの思っているような説教は飛んでこなかった。どころか、レオルドの声色からはどんな感情をも読み取ることが出来ない。
いつも通りの、彼女の師匠のままである。
その彼は、擦れ違いざまにエイナの肩を軽く叩いた。それが、自分がまだ彼の信用を失っていない証明だと気付いて安堵する。
同時に、この信用をこれ以上落とさないようにしようと誓った。
「はい! 行きましょう、師匠!」
────さぁ、まずはアイツに謝るとこからだ。