Die schritte von uns beiden sind von nun an.【エイシンフラッシュ】 作:奈良ひさぎ
原作:ウマ娘プリティーダービー
タグ:ウマ娘 エイシンフラッシュ 男トレーナー ケーキ 空港 再会
※pixivにも掲載しています。
「……ほっ」
再び日本の地をこの足で踏んだ瞬間、安心してため息が漏れた。フランクフルト19時40分発、日本航空408便。成田空港の到着は日本時間で翌日の16時5分になる。この瞬間を、私は待ちわびていた。
「15分遅れ……いいえ、気にしない」
フライトが予期せぬトラブルで、離着陸の時に少々遅れることなどよくある。それどころか、1時間や2時間ずれることも。分かっているはずなのに、「昔の癖で」つい気にしてしまう。
『……私は不器用なようなので、1度引いた線からはみ出せば修正の仕方がわかりません。だから別の視点から、私の線が真っすぐかどうか見てくれる方が必要だと思いました』
『この先、私はウマ娘としてレースを走りぬいていかなければなりません。そのスケジュールの中に、貴方も組み込んでおきます。――ともに、誇りある仕事を全うしましょう』
今思えば、あれはプロポーズ以外の何物でもない。けれど以前――あの人と一緒にトゥインクルシリーズを走り出す前は、それすら分からなかった。
あの頃は、予想外のことが起こり、自分の決めた計画、スケジュールから外れることを極端に恐れていた。予想外の事態になる可能性そのものは考えてスケジュールに加味しているはずなのに、実際に可能性の低い予想外のことが起こってしまうと、途端に頭が真っ白になる。どうやって立て直せばいいか、何から手をつけるべきか、それらがいったんすべてリセットされてしまう。自分で自分のことがもどかしいとは思っていたけれど、それが不器用である証拠とまでは考えていなかった。
「この日を……どれだけ、待ちわびていたことか」
トレセン学園を卒業して5年と7か月と3日の間。私はドイツに帰り、実家で修行を重ねた。元よりトゥインクルシリーズをもってレースの世界から身を退くことは決めていた。勇退と称されるだけの華々しい実績も残せた。あとは、私を受け入れてくれたこの日本の地で、お父さんに負けないケーキ屋さんになるだけ。そこにトレーナーさんまで手を挙げてくれるとは、思っていなかったけれど。
「……トレーナーさん」
トレーナーになるには、それはそれは厳しい試験を乗り越えなければならないという。私たちウマ娘の青春という、大切な期間を預かるがゆえの責任の重さ。中央のトレセン学園のトレーナーというだけで、その名誉は計り知れない。けれど私のトレーナーさんは、私の夢を聞いて、即決でトレーナーをやめると宣言した。私の修行が終わり、店を開くことになった時点で、トレーナーをやめると。それがどのような意味かは、いくら私といっても理解できた。
「私は、立派になれたでしょうか? あなたの隣に、立つ者として……」
私とトレーナーさんとの婚約は、私の卒業の時点で約束されたようなものだった。けれど私は、自らトレーナーさんと連絡を取ることを制限した。お父さんの技術を学び、未熟であってもお店を開くまで、きっちり5年間で終わらせると決めていたから。トレーナーさんに気持ちがなびきすぎると、きっと私はトレーナーさんのことしか見えなくなってしまう。ケーキ屋さんを開いて、お世話になったみんなに恩返しをするというのは小さい頃から決めていたから、たとえ相手がトレーナーさんであってもうつつを抜かすわけにはいかなかった。お父さんも、私の覚悟を理解してくれた。
「トレーナーさんは、立派になられましたね。まさか、最後の教え子が、凱旋門賞に勝つなんて……」
ウマ娘にとってはかけがえのない、二度とやってこない青春の3年間であっても、トレセン学園のトレーナーにとってはほんの一部に過ぎない。同じタイミングで複数人のウマ娘を担当するトレーナーもいる。私を二度もG1勝利に導いてくれたトレーナーさんは、当然その後もたくさんのウマ娘に勝利をもたらした。私が卒業してからの5年と7か月と3日の間だけでも、G1優勝11回。重賞勝利の数は数え切れない。そして最後の最後に凱旋門賞勝利まで。他の子になびいてもおかしくないと思っていたのに、トレーナーさんは生涯を添い遂げるために、私のことをずっと見てくれていた。
「……いけません、あまり気負い過ぎては」
トレーナーさんのことを気にしないようにしていても、ニュースを見ていれば日本から果敢に凱旋門に挑むウマ娘とトレーナーの情報は何度でも入ってくる。特にここ最近の凱旋門賞はドイツ出身のウマ娘が健闘している。国内でももっと凱旋門賞の頂を、という声が聞かれるようになった。ついこの間まであのロンシャンで歴史的な瞬間を作り出した人と、これからはずっと一緒。そう考えるだけで、ぎゅっと体に力が入ってしまう。
今年の凱旋門賞には、トレーナーさんの担当の子以外にも何人か、日本のウマ娘が参戦していた。担当の子は優勝インタビューやら何やらで数日残ってから、別のトレーナーの引率で先に帰国したようだが、トレーナーさんはもう数日パリに残ってから、遅れて出発した。そして今日の朝には、すでに日本に戻っている。
「写真が1枚……どのお店でしょうか」
トレーナーさんは私が成田空港に到着する1時間17分23秒前に、ショートケーキとともに写った写真を送ってくれていた。あの時と同じ、柔和な笑顔だ。写真越しなのに心臓が高鳴って落ち着かない。まだ式すら挙げていないのに、これからのことをあれこれ考えてしまう。早くトレーナーさんに美味しいケーキを作って、嬉しさで顔をほころばせるのを見たい。トレーナーをやめて、私とともに歩むことを選んで正解だったと実感してほしい。トレーナーさんは、5年以上も待ってくれたのだから。
「toi, toi, toi……」
1Fの国際線到着ロビーから4Fのレストラン街まで上ってくると、いよいよ体が熱くなってくる。近くにあった非常扉に少し体を預けて、ゆっくりとおまじないを唱える。レース前に緊張していた時も、トレーナーさんに気持ちを伝える前も、いつだって私を助けてくれた魔法。いったん頭の中をリセットして、しばらく深呼吸していると、勇気が湧いてきた。一番目立つカフェに入り、それとなく懐かしい姿を探してみる。先に彼の方が、気づいたらしかった。こちらに向かって手を振るのが見えた時、思わず笑みがこぼれた。
「久しぶり。立派になったね」
「えっ……?」
まるで私のことをずっとそばで見てくれていたかのような言葉。先回りされて固まっていると、彼が私をそっとハグしてくれた。
「おかえり。まずは、積もる話でもしようか」
「……っ」
「ん?」
「はい……!」
鼓動が伝わるほどぎゅっと力のこもった2分18秒のハグを、私はきっと一生忘れないだろう。