「こうして東の地を荒らしていた大魔獣は討伐されました」
ぱたりと開いていた本を閉じる。楽しそうに話を聞いていた子供たちが、幼さ特有の高い声でお礼を言いながら散っていく。これからごっこ遊びでも始めるのだろうか。それはきっと微笑ましい光景なのだろう。
視線を離れていく子供たちから手元の本へと落とす。やや不揃いな一つ一つのページを背表紙でまとめる青い紐。艶やかなそれを指先で撫でながら、満足感に耽る。我が事ながら綺麗に作成できている。人の輝きに満ちている英雄譚の本の自主製作。それが私のライフワークであった。
からんからんと、備え付けのベルが来訪を告げる。
酒類や肉体労働者特有の体臭などを混ぜ合わせた臭いがする。この匂いがするとギルドにやってきた実感が沸く。冒険者、迷宮探索者、傭兵、魔物ハンターなど。地域や国ごとに呼称は異なるが、民営の荒事専門の何でも屋の互助会というものは、ある程度の規模の街ならどこにでもある。賊手前のごろつきから、名高い英傑までピンからキリまでのごった煮。様々な人間の行き交う、独特な雰囲気が好ましい。
野卑なチンピラもどきの不躾な視線。受付の事務的な視線。腕の立ちそうな者達からのささやかな興味交じりの視線。一つ一つに取り合うことなく、受付へと迷いなく進む。
「旅の護衛を雇いたいのですが、依頼をお願いしてもよろしいですか?」
視線の通り、事務的な受付が定型通りの受け答えと用紙を差し出してくる。ギルドごとに様式の違いはあれど、手慣れたものだ。すらすらと必要事項を書き込んでいき、空欄を埋めた用紙を受付へと返そうとしたとき、手元に影が落ちた。不躾な視線を向けてきていたチンピラがいつの間にか手元の申請書を覗き込んでいた。
受付の職員が注意を口にするも、意に介した様子もなくへらへらと笑いながら申請書をかっさらっていく。そのままこちらに向かって何かしらを語り掛けてくるが、意味のある言葉として頭の中には入ってこなかった。興味のない相手の言葉が、通り抜けていく音程度にしか認識しないのは変わることのない悪癖だ。だからといって、どうでもいい相手に、時間も思考も割きたくない。本能に根差しているため、どうしようもない。
長々とご満悦顔でご高説を垂れ流しているようだけれど、護衛をお願いするには不適格なことは論ずるまでもない。
「弱そうなので結構です」
一瞬の静寂の後、併設されている食堂から一人の笑い声が上がる。そうして、笑い声は次第に増えていき、ギルド内はやかましさに満ち溢れていく。チンピラの顔が赤らんでいくのは、先程まで口にしていた酒のせいではないだろう。申請書を放り投げると、腕を掴み上げてきた。
ひらりひらりと風に揺蕩う申請書が気になって、行き先を追いかけてしまう。再び書くのは面倒なので誰か拾ってくれないだろうか。申請書が床へ落ちるのと、来訪のベルが鳴るのは同時だった。
来訪者はちょうど足元に落ちた申請書を拾い上げ中身をざっと流し見した後、屋内を見渡し、受付前の状況に気が付いたようだった。
「これ、君のかい?」
こちらに歩み寄り、差し出された申請書を空いている手で受けとる。軽く会釈を返せば、穏やかなうなずきを返された。揺れる金髪の奥に、きらりと光る耳飾りが垣間見える。
「ちょうどそっち方面に向かう予定があるんだ。その依頼、俺が引き受けてもいいかな?」
完全無視される形となったチンピラが、闖入者たる彼に向って何事かをがなり立てる。気分を害した様子もなく、チンピラへ顔を向ければ、やかましい騒音に躓きが生まれた。
横向きでは見えていなかった、片耳だけに着けられた飾り。ギルドの荒事屋たちは、首や耳などの目に付きやすい場所に力量を示すための飾りをつけている。それは過去に討伐した中で最も強敵だった生物の一部を加工して作られたハンティングトロフィーだ。
彼の耳に着けられたそれは、光を吸い込みそうなほど黒い鱗。その生物は多くのものが知り、けれども本当の意味では知りえない生物。その鱗だ。
「……
思わずつぶやいた声は、思いのほかギルドに行き届いた。乱入者の登場に面白半分で眺めていた者たちが様子見のために少しだけ静かにしていたためだ。ざわめきが起こり、チンピラがおびえたようにたたらを踏んだ。掴んでいた手が離れたことを確認すると、用は済んだとばかりに再びチンピラから視線を外した。
「それでどうだい?」
「構いませんよ。お願いします」
旅はすこぶる順調だった。賊がこようと、魔物が出ようと、彼は剣一本で全てを切り払った。力量に疑いようはない。誰かを守りながら戦うということにとても慣れている立ち回りは、安心感と同時に、興味も掻き立てられた。
どのような冒険をし、どのような戦いを経て、今の彼へと至ったのか。彼という人間に強い興味を覚えるようになるまで、そう時間はかからなかった。
旅のさなか、野営のたびに彼は私に話をせがんだ。護衛を受ける前、街で子供相手に英雄譚を読み聞かせていた所を目撃していたらしい。
それを断る理由も別段ないため、夜が来るたびに様々な英雄譚を語ることとなった。邪教をせん滅し、都市の破滅を未然に防いだ剣士の話を。船を沈め、海運を邪魔する化け物を仕留めた狩人の話を。圧政に苦しむ人々のために、無償で立ち上がった傭兵の話を。夜が来るたび、数多の英雄の話を語り続けた。
そして今日は汚染された沈黙都市を浄化した賢者の話を語り終えた。
「君は……」
何かを問いかけようとして、言葉を探しあぐねたのか続きは音にならなかった。ぱちりと薪が爆ぜ、わずかに組み上げられた焚火の形を崩した。火の背丈が一段低くなる。焚火の火は、互いの口元あたりまでをわずかばかり照らしていた。
「どうやってそれだけの英雄譚を集めた?」
闇に隠されたため、どのような視線を向けての問なのかは分からない。
「旅をしながら各地で細々と集めています」
「そうか。だが、どの村や街でも英雄譚を調べているようには見えなかった」
「何をお聞きになりたいのでしょうか?」
端的な問いかけに、すぐさま返事はなかった。代わりに、わずかな身じろぎとささやかな金属音が奏でられた。
「君は詳しすぎる」
「なるほど」
「当事者でもなければ知らないことを知っている」
「そうでしょうか」
「俺と彼女しか知らないこの剣の銘が何故その本に記されている?」
声には静かな怒気が込められていた。ひざ元の本を一撫でする。今宵語った英雄譚がまとめられたものだ。その本を彼へと向けて緩やかに弧を描くように投げ渡す。
「見覚えは?」
暗がりのなか、伸びた手が投げられた本をつかみ取った。
問いかけに何か思うところがあったのか、彼の手が本を検分するために持ち上げる。夜闇が隠す彼の瞳はどのような感情を抱いているのだろうか。
「この頁を止めている紐の色は……」
「では手触りに心当たりは?」
「何を……まさか」
ひゅっと息をのむ音が聞こえる。気が付いたのだろうか。
「皮のページ、骨のペン、血のインク、臓器のインク壺、髪の紐」
彼が立ち上がる。闇の中の白刃が火の光を反射した。
「あなたの探し人だったかな?」
その言葉を最後に、それ以上の対話が交わされることはなかった。
「あぁ、難しいな。私はこんなにもあなた達を理解しようとしているのに」
新たに書き上げた彼を読み始める。