タイトルの通りです。
この話のトレーナーとトプロは、トレセン学園は既に卒業済みでボロアパートで同棲中です。



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同棲トプロの、夏のお留守番

 

 時間というのはイジワルです。

 向こうの都合で勝手に早くも遅くもなります。

 

 

 アパートの一室のリビングにて。

 私、ナリタトップロードは備え付けのちゃぶ台の前に座っていました。片方の手は頬杖をついて、もう片方の手にはスーパーの特売のチラシが握られています。

 そんな状態で何をするでもなく、私はひたすらにボーッとしていました。

 

 

「…………」

 

 

 掃除はしましたし、洗濯物も問題なく干し終わり、掃除も一通り終わり、晩ご飯の買い物も昨日の内に済ませていました。この部屋で私がやるべきことは一通り終わった形です。

 そうなると、なんといいますか。

 

 主人の傍に控える女の宿命といいますか。

 

 

 

 すごくすごく暇です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『七月』のカレンダーを破って早一週間。

 太陽から発射される熱は勢いを増し、それに負けないようにアパートの外にいるセミたちも求愛行動に勤しんでいます。壁の隙間から入ってくる風でベランダに設置された風鈴が微かに揺れてますが、残念ながら清涼感に貢献している実感はありません。

 

 

 現在の私は、無事に大学生になれていました。

 

 本来なら今日も講義があるはずなのですが……今日は休みです。……いえ、休みという言い方は少し語弊があるかもしれません。

 正確に言うと、元々今日は一限しかない日で、その一限が教授側の用事によって休講になったということが昨日メールで送られてきた、ということです。だから、今日は私にとっては急遽できた祝日ということですね。

 ということで今朝は早起きして、普段は半分ぐらい昨日の残り物で済ませてしまっているトレーナーさんへのお弁当をしっかり作ることにしました。

 トレーナーさんは『そんなの気にしなくていいのに』と笑っていましたけど、いやいやこの辺りの不甲斐なさは私が気にしてしまうんです。

 私はここに居候させてもらってる立場だというのに。

 

「ふぅっ……んっ……!」

 

 もう三周はしたチラシをちゃぶ台に置くと、私は軽く伸びをします。汗に濡れたシャツが体に張り付き、背骨と胸骨がパキパキと小気味好い音を立てました。

 

 

 

 

 トレセンを卒業し、レースウマ娘を引退して早数年。

 いつの間にか、私はお酒が飲める年齢になっていました。髪も少し伸びましたし、体も成熟してきました。トレーナーさんが頻繁に『なんかトプロ、最近また綺麗になった?』と言ってくれるので、これはすごく嬉しい変化です。

 ……もちろん良い変化だけではなく、時間が過ぎたことであの頃と比べると体力が格段に落ちてしまい、今では3000mはおろか、1600mを走るだけでも体がボロボロのガタガタになってしまいますけど。本格化を終えるのってヤですね……。

 

 ともかく、寮を出た私は紆余曲折あった末に、トレーナーさんが前々から住んでいたらしいボロアパート(築三十年、駅まで徒歩十三分。壁は薄め、風呂とエアコンは完備)に居候させていただくことになりました。

 最初はちゃんと家賃を払おうと思ったのですが、トレーナーさんが「いや気にしなくていいよ」と笑い、「いやいやそこは私が気にします」と食い下がり、いやいや合戦の末に私が大学に通いながら家事全般を引き受ける(一部気づいたトレーナーさんが手伝い)ということで手打ちになりました。

 

 そんなわけで現在、私とトレーナーさんはど……同棲、みたいな感じで、それなりに平和に楽しくやれています。

 

 もちろん、全部が順風満帆だったというわけではありません。

 現役時代からウマが合ったとはいえ、やっぱり一緒に過ごしてると言い合いのケンカだってしますし、脱衣所をノックなしで開けられたり、洗濯物の畳み方でプチ派閥戦争が起きたりと色々ありました。

 

 それでも、やっぱり楽しいです。

 

 ……これ以上言ってるとイマジナリーアヤベさんにジト目をされそうなので、本題に戻りましょうか。

 

 

「あ~つ~い~で~す~……」

 

 

 夏の猛暑にやられそうになりながら、私はトレーナーさんの帰りを待っています。

 

(トレーナーさん……今日はお昼で帰ってくるって言ってましたのに……)

 

 カチコチと鳴る時計はようやく『2』に差し掛かろうとしていますが、未だにアパートにやって来る足音は聞こえません。

 犬みたいにだらしなく舌を出しながら、花火の絵が描かれたうちわで体を仰ぐ。汗を吸った髪と部屋着が化学反応を起こしたように冷えて、未だ流れ足りない様子の汗が風に吹かれていきます。それでも日光の勢いの方が強くて、結局ジワジワと体温が上がっていってしまいます。

 さすが地球温暖化です……。私たちの代も相当な暑さでしたが、更に暑くなっています。あのちびっこクラブの皆は大丈夫でしょうか……。

 

 汗が気持ち悪い、シャワーを浴びたい、という思考が脳裏をよぎりますが、仕事帰りのトレーナーさんならともかく、家にいる私なんかが浴びるのは水道代節約のために我慢します。

 ならばと壁に設置されたエアコンに目が吸い寄せられますが……かなり……かなり揺らいで、これも我慢します。

 

 共同生活を始めるにあたって、私とトレーナーさんは既にいくつかの家庭内ルールを定めていました。その内の一つが、『電気代節約のためにもエアコンはせめて正午を過ぎてからつける』というものです。このご時世何が起きるかわからないので、なるべく貯金はしておきたいですしね。

 

 ですが私はこれに更にプラスして───あくまで自分の中だけのルールとしてですが───『エアコンは自分一人だけの時は付けない』という事柄を定めていました。

 ……ただでさえ、トレーナーさんにはお酒を控えてもらったりお肉のグレードを落としたりと、日頃から節約のために我慢を強いているのです。そんな苦労をかけておいて、自分が苦労を前に折れるわけにはいきません。

 現役の頃と同じです。トレーナーさんに強いている分は、自分も応えないとなんです。

 

 

 なん、です、が。

 

 

(暑い……本当に、殺人級の暑さです……)

 

 

 もはや氷になったような気分。自分の輪郭が溶けている錯覚すら覚えそうな暑さに、私は思わず部屋のとある一点を見ました。

 そこには、備え付けの冷蔵庫があります。

 

(……あの中に、確か……)

 

 冷蔵庫から件のモノを取りに行こうと、折り曲げていた足がほぼ無意識に伸びかけます。

 しかし、立ち上がる寸前で私はどうにか理性を取り戻し、ブンブンと首を振りました。

 

 

(いやいや……!アレはダメです……!アレはトレーナーさんが帰ってくるまでお預けだと自分で決めたじゃありませんか……!だからっ、その……とにかくダメです!)

 

 

 必死で言い聞かせ、冷蔵庫の中のモノへの誘惑を断ち切る。しかしそれを嘲笑うように、窓から入る日光は更に強くなっていきます。

 グチョグチョになった部屋着の袖で新たな汗を拭いつつ、どうしたものかとちゃぶ台の回りを見渡していると……ふと、ちゃぶ台の足許にナニカが落ちているのを見つけました。

 

「あ───」

 

 砂漠でオアシスを見つけたような気分で、それを拾い上げます。それは、二週間ほど前に百均で購入した、ウマ娘の耳のようパーツが付いていて、レバーを握って回すタイプのハンディファンでした。

 最近行方不明になっていましたが、まさかこんな近くにあったなんて、ラッキーなタイミングで見つけられました。

 これなら恐らくうちわ以上に強く風を浴びることができる。

 ウキウキで私はハンディファンを手に取り、レバーに指をかけてみました。

 

 ウマ娘の力によって命令を与えられた羽が、機械の構造に従って高速で回り始めます。

 ブオオオ……と控えめな音を響かせながら、待ち望んでいたうちわ以上の風が、私の髪を揺らしに来ました。

 

 ……来たの、ですが。

 

 

「んー……熱風……」

 

 

 風は風でも、顔にかかったのは生暖かい、湿気を含んだような気持ち悪い風でした。思わずハンディファンを止めてます。

 ……そういえばハンディファンって、ある程度外部の気温が高いと、むしろ熱風が体に当たり続けることになって、却って熱中症になるリスクが高まるんでしたっけ……。

 テレビかなにかの受け売り知識を思い出すと、私はため息を吐いてハンディファンをチラシの上に置きました。

 

 ……期待した分、裏切られました。

 まぁ現役時代に応援してくれた人の期待をまぁまぁ裏切り続けた私も人のことは……物のことは言えませんけど。

 

「……あっ、そうだ」

 

 と、まつ毛にかかりかけた汗を拭ったとき、また新たな妙案を思い付きました。

 折り曲げていた足を伸ばして立ち上がり、冷蔵庫へと……じゃなくて、洗面所へと向かいます。そこで入浴時に使っている洗面器と、オペラオーちゃんから『買い過ぎたから』という理由で譲ってもらった少しお高めのタオルを持ってきます。

 そうして洗面器に蛇口で最大限冷たくした水を張ってちゃぶ台に置くと、そこにタオルを浸しました。

 その間にも流れる汗を拭ってから……七割ぐらい、少し水分を残す形でタオルを絞ってから首筋に当ててみると……。

 

 

「はーーー……気持ちいい……」

 

 

 穏やかな心地好さに思わず声が上がる。

 首に通る動脈がタオルによって冷やされて、穏やかな心地好さが体に染みていきます。

 

 どうやら、思惑は成功だったようです。

 

 あー……と我ながらオッサンのような声を上げながら、温泉に浸かるカピバラのように(やってることは冷却ですが)目を細めます。

 

 これぞ……えっと……その……『すごく冷たいタオルによる無限涼み』……ですっ。

 

 タオルの冷たさが無くなってきたなと思ったら、水に浸し直して絞り直します。そうして、今度は腕や頬にも当てていき……ちょっとテンションが上がった時は小さく畳んで頭の上に乗せてみたりしました。

 ……思ったより良いですね、これ。

 これならトレーナーさんが帰ってくるまでの時間、持たせられるかもしれません。

 猛暑の中ようやく見えた光明に顔をほころばせながら、私は通算五回目となる洗面器へのタオルの入水を───

 

 

「あっつっ!」

 

 

 ───しようとした瞬間、指先に感じた予想外の感覚に思わず悲鳴を上げてしまいました。

 いえ……実際には悲鳴を上げるほどではなかったかもしれません。あまりに突然すぎたので、ついオーバーなリアクションになってしまったというのもあったと思います。

 困惑顔となる指を宥めながら、私は魔女の煮込んでいる釜を覗き込むようにおそるおそる洗面器へ目を向けました。

 

「もっ……もう熱くなってる……」

 

 油断していました。

 普通こういう時は水と一緒に氷も浮かべておくべきでした。出した瞬間は冷たい水だったのだとしても、この窓からと部屋からの熱気で暖められた結果、張っていた水はすぐに温水になってしまっていました。

 これではもう冷たさは期待できそうにありません。水だけに、策に溺れることになってしまいました……。

 

 ならば今の温水を流してもう一度水を張り直そうかとも思いましたが……張り直したところですぐにまた温水になるでしょうし……先にも言った通り節約を心掛けているのに、自分なんかの熱を冷ますためにこれ以上水を使うのは……少し躊躇われました。

 それに正直……何度も冷たい水でタオルを絞ってを繰り返してると、さすがに夏場といえど指もちょっと凍えてきますし……。

 

 

「あー……どうひまひょう……」

 

 

 結局、さっきと同じように、ちゃぶ台前に座って生暖かくなったタオルを頭の上に乗せます。

 暑さのあまり、舌も動かなくなってきました。

 

 ……そうやって万策尽きてくると。

 

 これまで考えまい考えまいとしていたことが脳裏を横切っていきます。壁にあるエアコンと、冷蔵庫。

 お前が倒れたら元も子もないだろうさっさと解禁してしまえという私と、いやいやこれは今までお世話になりっぱなしのトレーナーさんへの義理立てという意味合いもあるのだから、という二人の私が脳内で争い始めます。

 暑さのあまり体の主導権を放棄して精神の流れに身を任せる私は、さながらコロッセオの観客です。

 とはいえさすがに身の危険が迫っているからか、戦いは前者の私の方が優勢のようで、私の体は錆びたロボットのように緩慢ながらも少しずつエアコンの方へ傾きつつありました。

 

 

(あーー……もうダメですぅ……)

 

 

 ……恐らくあと二秒遅ければ、私は誘惑に負けていたでしょう。

 

 

 その前に玄関から鍵の鳴る音が響いて、三人の私は同時に耳を立てました。

 

 

 誰の物か、迷う必要はありませんでした。

 さっきまでぐったりしてたのが嘘のように一気に気力が湧いてきて、私はバネ仕掛けの玩具のように足を一気に伸ばして立ち上がります。

 そうして一直線に玄関へ駆け寄───ろうとして、ちゃぶ台の足に思い切り小指を打ち付けました。

 

 

「~~~~っ!!」

 

 

 ガン!とすごい音がして、私は悶絶しながら傘のお化けのようにその場で三回ぐらい跳ねました。

 それでも、痛みに耐えながらなんとか玄関へと向かいました。

 

 果たして、そこに立っていたのは

 

 

「ただいまー!帰ったよトップロード」

 

「トレーナーさん!」

 

 

 トレセン職員用のスーツを着て、顔に汗を浮かべたトレーナーさんでした。

 ……我ながら現金なもので彼の姿を見ただけで、小指の痛みも、これまで感じていた熱さも全て吹き飛んでしまいました。

 

 

「おかえりなさいですトレーナーさん!今日もお仕事お疲れ様です!」

 

「あはは、ありがとう……まぁ、今日はお昼までだったからいつもほど頑張ってたわけじゃないけどね……」

 

 

 苦笑いするトレーナーさんからカバンと上着を受け取り、代わりに新しいタオルを渡します。

 

「いや今日も暑かったよホント……いい天気だ」

 

「でしょうね……例年の最高気温更新したらしいですから……」

 

「毎年言ってる気がするねそれ……ってか、この部屋あっつ!?えっ、クーラー付けてないの!?」

 

「えっ?あ……あ、あはは……その、さっきまで、うたた寝してしまってたので私……」

 

 ……私が勝手なルールを設定していることを知られてはならないので、それとなく誤魔化します。こんな部屋でよく寝れたねぇ、というトレーナーさんの呟きを聞きながら、私はエアコンのスイッチを入れました。

 ようやく戒めを解かれ、本来の力を発揮できるようになった文明の利器が、暑苦しい部屋へ向けて精一杯に口を開き息を吐き出し始めます。

 

「外暑かったですよねトレーナーさん……シャワー浴びますか?」

 

「いや、今はいいかな……。疲れてるから、お湯浴びたら浴室でそのまま寝ちゃいそう……。ちょっと休んでから浴びさせてもらうよ」

 

「わかりました!」

 

「それまでさ、ほら、帰りのコンビニで麦茶たくさん買ってきたから。部屋が涼しくなるまでこれ飲んでよう」

 

 バッグを受けとるときは気づきませんでしたが、見ればトレーナーさんはもう片方の手にビニール袋を提げていました。中にはトレーナーさんの言葉通り四本くらいのペットボトルの麦茶が見えます。

 

 ……それはもちろん嬉しいのですが、せっかくトレーナーさんが帰ってきたのですから。

 

 

「それも後でいただきますが……トレーナーさん!もう少しここで涼むつもりなのでしたらっ」

 

「うおっ、トプロ引っ張らないでって。こけそうになって危ないから……」

 

 

 言葉の割に抵抗する様子がないトレーナーさんの手を引きながら、私はついに冷蔵庫の前までやってきます。

 まず忘れないうちに麦茶のペットボトルを空いたスペースに入れてから……私はようやく、朝から出そうと思っては我慢し続けていたものを、冷蔵庫から取り出しました。

 

 

 

「じゃじゃーん!パピコですっ!実は昨日の夜にコッソリ買ってたんですよ!せっかくなので、二人で半分こして食べましょう?」

 

 

 

『今日』も、『夏』も、『私たちの人生』も。

 

 長距離走と同じぐらい、まだまだ終わりまでの道は長い。

 

 

 そんな道を、今日も私たちはのんびりと、平和に歩いていきます。

 

 

 


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