テーマ「人外」
サカヌキ様に選ばれた者は、必ず大切に扱わなければならない。
孤児となり捨てられる筈だったボクはサカヌキ様に生かされている。それ故にこの集落そのものを満たしている雰囲気は、どうしようもなく苦手であった。
「どうかサカヌキ様に、失礼のないように」
叔母の言葉を背に、山を目指す。
登りきった先には開けた境内があり、奥にはサカヌキ様が住まわれるとされる大社がある。
社へと近づくに連れて、空間の彩度が落ちていくような錯覚を覚えた。
息を吐く。ごくりと唾を飲み込む。
「サカヌキ様、私が参じました。本日も御奉仕をお受け取りください」
目を閉じて、何度も繰り返しながら復唱する。
やがて数秒の耳鳴りがキーンと響き、まぶたを閉じてても分かるほどの影が立った。
生きてる者として気配はするのに、生物としての温度はないような違和感がする。
ゆっくり目を開けると、眼前に黒が広がった。
頭上を遮るような女が現れる。
喪服で覆ったように黒を身に纏い、その背丈は三メートルありそうなほどに大きく、まさに人としては異質な高さであった。
それでいて肌は乳白色のビスクドールみたいに輝いており、彫刻家が何年も手掛けて刻んだような美しい貌をしていた。
大きな双眸がギョロりとこちらを覗く。この世の夜を集めたみたいに光のない瞳孔が、彼女を深淵なる存在だと知らしめてくる。
『今日も、来てくれた、ね』
ニッコリと、嗤う。
心臓はバクバクと音が鳴り、血の巡りは加速して体温が熱を帯びていくようだ。不気味さと美しさは同席できるのだと。まだ二十歳にも満たない若さでボクは学んでしまった。
「はい、今日も来ました」
『嬉しい、いつも楽しく、お話できる、から』
「ボクだって貴女とお話してるときは幸せですよ。集落の皆は怖いだとか言いますけど、こうして貴女に会えるなら嬉しいですね」
『照れる、照れる、ありがとう』
そう、本心から幸せだ。
実際のところ彼女はボクみたいな人間とのコミュニケーションを努める友好的な存在だ。十数年お世話をして危害を加えられたことなど一度もない。
「あ、これいつものお食事になります」
『わ、嬉しい、いつも美味しくて、好き』
風呂敷の包みを広げて重箱を並べると、色鮮やかな品々を前にサカヌキ様は目をキラキラと輝かせる。まるで童心そのものを体現したように可愛らしい表情と、うきうきとした手付きで食事を始めた。
「気に入ってもらえて嬉しいです。そんなに喜んでくれる姿を見ると、ボクもたくさん運んできた甲斐がありますよ」
『うん、うん、美味しい、いつもありがとう』
「そんな、ボクの方こそ感謝してもしきれません! 今こうして不自由なく生きているのも、貴女に選ばれたおかげですから……」
サカヌキ様はゆっくりとだが、人間の言葉を理解しようと学んでいる。片言なのは学習途中のせいだが、それでも気持ちを伝えてもらえるのはやはり嬉しいものだ。
だからボクも応えるべく、少し照れくさくなりながらも感謝を伝えた。
「ボクの両親が亡くなって間もなく貴女が現れて、選んでくれたおかげで、今の幸福が存在しております。きっとそうでなければ……悲惨な運命を遂げてたと思いますから」
『親、死んだ、のに?』
「それは確かに辛いことですが、誰からも拒まれて仕方なく捨てられるより、今の暮らしはまだマシと言えますよ。集落が好きなわけではないですけど、一応世話になってる恩は感じているので……」
『私、何もして、ない』
「いえいえ、そもそも貴女から始まった幸運なんです。それに集落の人々はボクと関わろうとしてくれませんけど、貴女はたくさん会話してくれますから。幼い頃から一番お世話になったのって、実は貴女なんですよ」
『嬉しい、嬉しい、大好き』
「ええ、ボクも好いております」
そよ風が二人の間を通り抜ける。
陽射しの少ない隔離されたような空間でボクと彼女、二人だけの朗らかとした雰囲気が心を満たしていくようだった。
昔からこの空気が大好きだ。
嬉しいときも、泣きたくなるときも、喜ばしいときも、怒りに震えそうなときも。ボクの近くで一番寄り添ってくれたのはサカヌキ様だから。
それで自分も子供が親へと甘えるように、何かあれば世話役という建前を使って、閉塞的な集落から逃げるべくこの社へと訪れていた時もある。
『本当? 好き?』
深遠なる双眸がこちらを覗く。
サカヌキ様は体育座りの姿勢で、こちらへと向いてきた。好意的と言ったところが気になるのか、うずうずとした様子で尋ねてきた。
「ええ、好きですよ」
『やったやった、嬉しい、嬉しいな』
白絵具みたいに穢れのない美しい手が、ボクの両手をぎゅっと握ってくる。
『じゃあ、【ケッコン】しよ』
一瞬で時が止まるようだった。
「……………………はい?」
『私も、キミが好き、だからケッコン』
「いや、その、えあっ、け、結婚?」
「うん、ケッコン、したい」
今までの流れから、まさかの逆プロポーズを貰うとは夢にも思わなくて、脳内よりあらゆる思考が一気に飛散する。
『嫌だ?』
不安そうな瞳がボクを捉える。
いや、何も迷うことなんてない。
たくさんのお世話になって好意を与えられて、今度は愛情まで与えてくれようとしてるのだ。
「はい……結婚しましょう」
それだけが答えで良い。
『やった! ケッコン、嬉しい』
両手を挙げてはしゃぐ姿に幸せを感じた。
これからたくさんの苦労があるだろうけど、サカヌキ様となら問題ないだろう。
ふと何だか彼女を見てるのが恥ずかしくなり、少しだけ視線を逸らすと。
自分の両足が崩れた豆腐のように溶けていた。
「は?」
左指がピーナッツみたいに小さな粒へぼろぼろと分解されていく。
右腕が枯れた流木のように細く長く、捻じ曲げられていく。
脇腹には蓮根みたいに小さな穴が空き、内側からは真っ赤なミミズが大量に這い出ていく。
『ケッコンした、ずっと、我慢していた』
右目は溶けたバターみたいにどろどろと流れていき、左目はガラス細工のように硬質化しては欠けていく。崩れた部位は直ぐに回復して、また新しい変化を強制させられる。
治った両足が今度はぐるぐると渦を巻き、左腕は内側から裂けるとそのまま裏返しになった。右腕から蛇が食い破ってきては元に戻って、正六面体のキューブに変換された肉が地面へと落ちる。
どうして、という前に舌が剥がれ落ちて蛙に変わる。喉奥から男女のげらげらと嗤う声が轟かされて、砂利を噛むような不快感に襲われる。泣いても涙ではなく機械油が流れていく。腹が開閉されては大量の砂金がこぼれ落ちていく。自分を構成するあらゆる要素が解けていき、圧縮されては再び分解されて、繊維のように伸びていく。人としての姿に戻ると中身を探られるように、肌や骨や筋肉だけが液状へと変換される。意識が失われることはなく、ボクは肉体が壊されることを俯瞰して体験して繰り返して味わっている。
『ケッコン、ケッコン』
ボクは、勘違いしてたんじゃないか?
最初から彼女は人ではない。
人の言葉を学んで、単に置き換えてるだけだ。
『ケッコン、したね』
だから彼女の言う単語の意味が違ったら。
怪異としての、神様としての、人外としての愛情表現が異なるとしたら。
人では絶対にありえない行為をする関係性を【ケッコン】という単語に置き換えているだけとしたら。
ボクは。
決して薄れない意識のまま、彼女を見た。
『これからも、ずっと、一緒だよ』
深淵の存在が、ニッコリと笑っていた。
『ケッコンしたから、ね』