付き合いの長い顔面至上主義なプロディーサーに頼まれてちょっとだけ出るドラマ。
出演するのはアバンだけ。
演じる役は主人公の母親。
でも母親になっても女であることを優先したそんな女。
信じた男が訪ねてきて無防備にドアを開けて殺されてしまう。
でも施設育ちだからドアチェーンの意味知らなかったって施設出身の人に失礼じゃないかしら?
この役は最後まで母親であることよりも女であることを選んで死んでいく、そんな女の役。
ああ、でも無理。
この子ったら最後の最後で女を母親に戻してしまった
お腹をナイフで刺されて倒れた母親にしがみついて「お母さん!」って泣き叫ぶ。
それがシナリオにある君の役割。
でも君は違った。
最初にしたのは刺された傷を見て止血しようとしたこと。
まるでお医者さんみたいにね。
そう、最初にこの場を支配したのは君。
それだけで、この狭いセットの玄関は君と私だけの舞台に変わるの。
演者は二人。私と君だよ、アクアくん。
「大丈夫?…は怪我とかしてない?」
口から出たのはシナリオにはないアドリブ。
我慢できない。
だって目の前で、吐息がかかるくらい間近でこんな演技見せられたら、演者なら誰でもそうなる。
舞台に上がればすべては演者のものだもの。
ああ、でも、演技じゃないんだね。
君は私を通じて誰かを見ている。一緒に挨拶してくれたマネージャーのお母さんかな?
でもそれが誰でもいい。
見て?
私を見て?
いま君が見るのは私だけだよ。
今度は私が支配する。この舞台の上で君からすべてを奪い取る。
演じる私は誰も彼もを魅了する。
たとえ君だって例外じゃないよ?
けれど君は抗う。その片目にまばゆい輝きを灯らせて。
まるで彼のように。
「…はおっきくなったら何になるんだろう?」
役者さん?
ふと浮かんだそのセリフを言葉に乗せてみる。
すごくしっくり来た。
うん。役者。君は役者になるべき人だよ。
明るい色の髪と青い瞳。
ああ、そういえば君、彼に似てるんだね。
いまはカツラとコンタクトで隠れてしまっているけど。
言葉を紡ぎあって、虚構を現実へと、嘘を本当に作り変えていく二人だけのダンス。
ワルツ?タンゴ?それともチャチャチャ?
君となら何でも踊れそう。
もっと続けたいけど、でも終わりは来る。
だからとびっきりのフィナーレで終わらせよう。
君の頬に手を伸ばして、そっと触れる。
涙で濡れたやわらかな君の頬についた血のりのマーキング。
でも、もっと鮮烈に刻みつけてあげる。
さあ、私を見て?
「愛してるわ」
君の名を呼び、そして私は力尽きる。
指先は君の頬をなぞりながら落ちていく。
私は満足げに眠るように目を閉じる。
そして静粛。
絶望 焦燥 喪失
やっぱりすごいよ、君。
目を閉じていても君は呼吸だけで、こんなにも焼き焦がすような感情を伝えてくる。
ああもう、いつまで撮るの?早くカットの音を鳴らしてよ。
早くこの子を抱きしてあげたいのに。
たまらず、ちょっと片方だけ薄く目を開く。
あ、だめ。子どもにこんな顔させちゃいけない。
「ばあ!お母さんこんなんじゃ死なないよ?」
おどけながら目を開けて抱きしめてあげる。
あ、君の衣装に血のり付いちゃった。
まあいっか。私が自腹で買取ってあげるね。
私の手のなかに収まったアクア君が恐る恐る私の顔を覗いてくる。
腕の中で震えてる小さな体がいとおしい。
もう、ホントにかわいい子。
うん、いいね。
またいつか君と共演したいな。
自分が出た主演したドラマを家族で見る、そんな恥ずかしいことに耐えられるはずもない。
時刻はもうすぐ午後九時。
よって僕はもう寝るといって逃げようとして……失敗した。
ルビーには足をつかまれて、アイには羽交い絞めにされて、そうしてテレビの前に鎮座させられていた。
覚悟は決めた。決めたのでもう放してほしい。
内容は幼少の頃に母親を殺された主人公が海外で傭兵になって帰国して母親を殺した相手に復讐を果たすという内容だ。
ドラマだからな。そのへんリアリティ求められても困る。
僕がやったのは男性アイドルが演じる主人公の子ども時代だがまあまて、慌てる時間じゃない。
本命は主役のアイドルであり、主人公の過去なんてアバン前に流れるくらいだと聞いている。
半日もかからず終わった撮影だ。ならホントにさらっと終わるくらいの出番のはず。
「ミヤコさんに聞いたよ。現場すごかったんだってねー」
「言いたくない。黙秘する」
「ええー」
ホントに言いたくない。
あそこには恥しかなかった。
僕は演じてなんていない。
前世雨宮吾郎の経験を、僕にとっての普通であることの異質さを切り売りしているだけだ。
あとはまあ若干、女転がすときのテクの応用で対処しているけど。
それもすべて子役という期間限定だからこそ出来ていることだ。
とても褒められたものではないし、子どもでなくなればその時点で優位性は失われる、その程度のものだ。
それを僕はあの現場で突きつけられた。
あの人は本物だった。本物の演者だった。そして対峙してわかった。
自分が何者にも成れないまがい物なのだと。
それに自分がこんなにも母親という存在にトラウマを持っていたのかと驚かされもした。
髪が長いことと面差しが少し似ている、そのくらいだと思っていた。
でも崩れ落ち、腹部から血を流している姿を見たとき、あの人の姿がアイと重なって見えてしまった。
あとはもう駄目だった。
自分がすることが頭から消えていた。セリフすら飛んでいた。初手からしてつまずいてしまった。
取り戻そうと焦って、焦りばかりが先走っていたそんなとき、あの人は手を貸してくれた。
無様で情けないガキの姿を見かねて手を差し伸べてくれたんだろう。
番組の冒頭に追悼テロップが流れる。
見るのが嫌だったのはこれのせいもあるのかもしれない。
ドラマが始まった。
始まったがアバン長すぎないか、これ。
タイトルまでが恐ろしく遠かった。
いやこれ撮影した分ぜんぶ流してるだろう。
特に母親が息絶えてからの、放送事故じゃないかってくらいずっと続く無音のシーンの長さ。
あ、ここ全然編集してねえ。
「お兄ちゃんなのにかわいそう……」
テレビの音に混じってルビーの鼻声が聞こえてきた。
見れば鼻をぐずぐずしながら泣いていた。
まあこう、見てくれた人に何かを与えられたのなら役者冥利に尽きますね、ありがたいことです。
なんていうと思ったか。お兄ちゃんなのにってなんだよ、お前。
ちょっと文句の一つでも言ってやろうと思ったとき、頭の上に熱いものが降ってきた。
アイが泣いていた。
子どもみたいにポロポロ涙を流して。
頭の上から落ちてきたのはそれだった。
「愛してる」
アイがその言葉を口にする。
あの人の演じた母親が最後にわが子に、演じた僕に向けて送った言葉。
でもこのとき僕には、あの人がくれた言葉より、アイのそれのほうがずっと素敵なものに聞こえた。
言ったあとアイは手で口を押えていた。
まるで自分が口にしたことを信じられないように。
「ママ?」
「どうしたのアイ?」
「うん、あのね、ちょっとうらやましくて」
何がうらやましいのか、僕とルビーが聞いても「ないしょ」とはぐらかされてしまった。
そしてドラマは終わる。
姫川愛梨。
それがあの人の名だ
すごい人だった。
その場全てを支配するばかりじゃない、対峙した相手の呼吸まで支配してしまう、そんな人だった。
そんな人が評価してくれたことはうれしいけど、僕ひとりであんなこと出来はしない。
あの人が作り上げた場に無理やり乗せられて初めて成しえたことだ。
正直、大変だった。
けど楽しかった。
終わってみればやり遂げた達成感があった。
もしも、もしも役者になれるのなら、あの人のような役者を目指したい、そう思える人だった。
でももう会うことは叶わない。
言葉を交わし合うこともできない。
だって彼女は遠くに行ってしまったのだから。
急な訃報だった。
詳細は教えてもらえなかったけど無理心中に巻き込まれたらしい。
また共演しようっていってくれたのに、それは果たされることのない約束になってしまった。
僕には今もまぶしく焼き付いている。
在りし日の、初めてお母さんと呼んだときの貴女の姿が。
それはすべて演技の上でのこと。
でもたとえ嘘だとしても……。
お母さん。
そう胸の内で呼ぶたびに、いまも最後に笑ってくれたあの人の顔が浮かぶ。
「ところでこの人なんでいきなりドア開けたの?怖いんだけど」
「簡単に粗忽な人って印象付けたかったんだろ?ドラマだしそのへんリアリティ求めてもどうしょうもないぞ。
さすがに施設育ちだからドアチェーンの意味知らなかったはご都合主義が過ぎると思うけど」
「ウン、ソウダネ……」
「ママ?」
「アイ?」
その夜、夜中に目が覚めて水を飲みに行った時のこと。
玄関の明かりが点いていることに気が付いた。
薄くドアを開けて覗いてみるとドアチェーンをカチャカチャいじってるアイがいた。
「なるほど。こういうことね。よーし覚えちゃったぞー」
よくわからないけど覚えちゃったらしい。
よかったよかった。眠かった僕は布団に戻った。