その日はとても幸運だった。普段と同じように暇つぶしの徘徊をしていたところ、シャーレについてしまった。普段は私も場違いだからと来ることは無い、しかし──
「暇だったからなぁ」
シャーレがある馬鹿でかいビルを見上げてボヤく。つまり、暇には勝てないのである。私が場違いである事は間違いないが、だから嫌いかと言われればそれはまた違う。むしろ好んでいる。私にとってシャーレは何が出てくるか分からないびっくり箱だ。カヨコやムツキから又聞きするだけでも笑える、いい刺激になる場所。それがシャーレ。
だからこんなに退屈している私も、行ってみれば楽しそうだと思った訳だ。私は学生ではないから『当番』は出来ない。そうなると先生でもないやつがいる場所ではないだろ?
話が逸れたな、閑話休題。まあそんな訳でシャーレへと足を踏み入れた私が見たのは、発泡スチロールの箱を抱える先生の姿だ。ご丁寧に冷蔵のシールがしてあるそれを指差し
「おっす先生。暇だから遊びに来た……って何だそれ」
──いらっしゃい、鬼巫女。あぁ、これ?福引を引いたら当たったんだ。
そう言って嬉しそうに箱を揺らす先生。福引ねぇ?私にはあまりに縁がない事柄だ。
「中身は?」
──なんと、高級牛肉セット。もう仕事もひと段落したし、今日はすき焼きにしようかと思ってたんだ……食べる?
まじで?すき焼きなんて久しぶりだ。ラッキーだな今日は。
そんな肉が入った箱から目を離さないでいる私を前に
──うーん、もしかしてまともに食べてなかった?
なんて、苦笑しながら先生は箱をずいっと、横にずらす。連動するように私の目も釣られる。
「いや……別にそういう訳じゃない」
先程まではただの箱でしかなかったそれは、今の私からすれば極上のものにしか見えないのである。食えるとわかった途端、私の腹は既に空腹の音を告げている……現金なものだと自分でも思う。
が、しかしだ。社長達に私1人だけ抜け駆けで食べた事がバレたら、恐らく小言が一週間は続くだろう。それは嫌だ。別に気にする訳ではないが面倒な事は避けたい。後で先生を口止めしておけばいいだろう。
「それで?いそいそとそれ運んでたって事は準備してたんだろ?他に誰呼んだんだ」
1人でこっそり食べる、なんてガラでもないだろ。私じゃあるまいし。
──ゲーム開発部かな、モモイがね。
あの猫耳双子の片割れか。確かにアイツの性格なら絶対聞けば来るだろうな。となると酒はお預けかねぇ……すき焼きを肴に飲む酒も良いが『先生』が子供の前でそれをする事に良い顔をしないからなぁ。
別に今更じゃないか?と思いもする。既に私の酒飲み癖は周知の事実だ、お陰で毎回ゲヘナの医学部やトリニティの救護やらに目をつけられてて面倒だけどな。中でも酷いのは救護のとこにいる盾もったやつだな。毎回物理的に止めようとするんだ。なんでこう、医療に携わる奴ってのは過激なんだ?私の知り合いにも居たぞ、治療とか言いながらベットぶん投げてくる看護の天使が。
「んじゃ用意するか、下拵えは済んでるのか?」
──まだ。ゲーム開発部の皆には野菜とかお使いを頼んでるから、それ待ちかな。
つまりほぼ準備出来てないわけだな。バカだなー、年頃の少女の胃袋舐めちゃダメだ。すき焼きだけ、なんて言ってたらすぐに無くなるのが目に見えてる。あと何個かつまめるものが必要だろう。
「ほれ、先生も手伝え。ちゃっちゃと何個か料理作るぞ──ガキの好みなんて分からん、適当に味の濃いもの作りゃ良いだろ」
袖を捲り、適当に事務机の上にあった輪ゴムで長い髪を後ろで束ねながらキッチンに足を向ける。
── …………
急にだんまりして、先生は真面目な顔になる。
「ん?どうした」
先生の視線を追う。どうやら袖を捲った私の腕を見ているようだ。腕が好きという変な趣味でもない。すぐに何を見てたのか理解した。
「別に先生が気にする事ないぞ。これくらい慣れたもんだよ」
私の腕には古傷も含め沢山の傷跡が残っている。女性の柔らかさとは無縁でゴツゴツしたボロボロの腕。服で隠れちゃいるが、私の全身は大体こんなもんだ──私自身がこの傷の一つ一つに納得している。だから『先生』がそんな責任を感じる必要はない。
──ごめんね。
そんな傷の一つを作る理由になってしまった事か。それとも女性の私にそんな傷をつけさせてしまう環境にか。或いはその両方──
なんにせよ、この人はお人好しすぎる。そんな事に心を痛めてたらキリがない。が、それを言ったところできっと、色んなものを勝手に背負って生きていく人なんだろうから。
私は『先生』に背を向けてヒラヒラと手を振りキッチンへ向かった。
おかしい。最初はもっとほんわかした日常回になる筈だったのに何故かシリアスな事に。