あれから事務所でゴロゴロしながら適当に雑誌を読み耽っていると。来訪者が現れる。
──鬼巫女、いる?
「なんだ「先生」か。社長達は留守だぞ。何やら準備があるとかで……」
──知ってる、そこで会ったよ
いつに無く「先生」は真剣だ。いつものようなホワホワした空気はない。なにやら真面目な話のようだ。雑誌を両手でバタンと閉じて事務机に放り投げる。
「その様子じゃ何かあったのか。もしかして私に依頼か?」
──まあそうだね。そこまで心配する必要は無いかもしれないけど。もしもの為に
「ふむふむ、護衛の依頼?いいけど報酬弾んでくれよ?」
──酒でいい?私がいつも飲んでたやつだけど。
「商談成立、それじゃ行こうか」
「先生」は頷き、私を連れてキヴォトスの某所にあるビルへと向かった。一言二言受付に言えばすんなりと中に入れた。エレベーターに案内され、勧められるがままに歩けば目的地へ到着だ。
そこにいたのはヒビ割れたのっぺらぼうのような男だった。黒い服に身を包み、表情を表現するものは亀裂から漏れる光が笑みの形を作っているくらいだ。
「……あなたの事は知っています。連邦生徒会長が呼び出した不可解な存在。そして『外』から現れた特異点の如き存在の貴女も」
そう言ってこちらに視線を向ける黒服。「先生」だけでなく私も気になってるようだ。
「……『外』を知ってるのか、珍しい」
咥えていた煙草を手に取り弄びながら呟く
「ええ、私も噂程度でしたが貴女を見て確信しました。『道化師』の話は本当だったようだ」
『おい』
その瞬間、空気が冷える。凍てつくような空気に変貌したその空間で至って平坦な声が響く。
「その名前は出すな。死ぬか?」
鬼巫女は俯き、その表情は見えない。しかし髪の隙間から覗く目は何処までも深く全てを「否定」するかの如く赤く相手を見据えていた。
──鬼巫女
目だけでこちらを見る「先生」を前に私はため息一つ。それで先程までの空気は薄れて消える。
「わりぃな、話が逸れる所だった。今の私は護衛だ、気にせず進めてくれ」
煙草を吸い直し、私は目を細めたまま話の行方を守ることにした。
「……ええ、まずはっきりさせておきましょう。私達はあなたと敵対するつもりはありません。むしろ協力したいと考えています」
「先生」からの返事はない。そのまま話を続ける黒服。
「私たちの計画において、最大の障害になり得るのはあなただと考えているのです。私たちにとってアビドスなんて小さな学校は全くの些事です。しかし先生。貴方の存在は決して無視できない。できる事なら敵対する事を避けたいと考えています」
──あなたたちは、一体何者?
「おっと、そういえば自己紹介をしていませんでしたか?私たちはあなたと同じ、キヴォトスの外部の者。ですがあなたとはまた違った領域の存在です。今はゲマトリア、と名乗っています。私の事は黒服とお呼びください。この名前がお気に入りなのです」
そう言って黒服は微かに笑ったように見えた。
「『私たち』は、観察者であり、探究者であり、研究者です。あなたたちと同じ「不可解な存在」と考えていただいて構いません。一応お聞きします。私たちと協力するつもりはありませんか?」
──断る
一瞬の逡巡もない即断で「先生」は答える。
「……左様ですか」
そう答える黒服は残念そうだった。そうして額をトントンと指で叩き黒服は続ける。
「真理と秘義を手に入れられるこの提案を断ってまで、あなたはキヴォトスで何を追求するつもりなのですか?」
──少なくとも、そんな提案に興味はない。私はただ、ホシノを返してもらいに来ただけ。
その言葉に呆れ笑う黒服。
「あなたの行動に正当性がないことにお気づきですか、先生?今のあなたに一体何があって、そんな要求をされているのでしょう?」
ホシノとやらが誰かは知らないが、「先生」はどうやら奪われたものを取り返しに来たらしい。いいねぇ、楽しそうだ。
「ホシノはもうアビドスの生徒ではありません。届け出を確認されていないのですか?」
──まだだよ。「顧問」である私が、まだサインをしていない。
「……ほう?」
──だから、ホシノはまだ対策委員会の所属だし、アビドスの副生徒会長だし、今でも私の生徒だ。
これは宣言だ。何があっても彼女達の先生であるという静かな、しかし明確な。
「なるほど。あなたが「先生」である以上、担当生徒の去就にはあなたのサインが必要。そう言うことですか」
なるほどなるほど、と呟き椅子の背もたれに背中を預けてギジリと音を鳴らす黒服。
「学校の生徒、そして先生。……ふむ、中々に厄介な概念ですね」
──あなたたちはあの子を騙し、心を踏み躙り、その苦しみを利用した。
黒服を見据える「先生」の目に鋭さが増す。
「ええ、確かにその通り。他人の不幸より私たちの利益を追求したのは事実です。それを否定はしません。善か悪を問えばきっと悪でしょう。しかしルールの範疇です。邪智暴虐とは言えない」
「そこは誤解しないでいただきたい。彼女らに降りかかった災難は決して私たちのせいではない。私たちはあくまでその機会を利用しただけです。例えば砂漠で水を求めて死にゆく者に水を提供する。ただし一生奴隷として働いても返済できない額で。ただそれだけの事です」
黒服の言うことには一理ある。感情的に言えばクソもいい所だが、理屈としては一理あるものだ。
「さして珍しくもないでしょう。世の中にありふれた話です。何も私たちが特別心を痛め、すべての責任を取るべきことではありません。私たちが初めて作った事例でも無ければ、私たちがそれをしなかったところで消えるものでもないのですから」
「持つ者が、持たざる者から搾取する。知識の多い者が、そうでない者から搾取する。大人なら誰もが知ってる。厳然たる世の中の事実ではありませんか?」
「そういうことですから、アビドスから手を引いていただけないでしょうか、「先生」ホシノさえ諦めていただければ、あの学校については守って差し上げましょう。PMCの件も私たちの方で解決いたします。あの子たちもどうにか、アビドス高等学校に通い続けることが出来るはずです」
──断る
「先生」の言葉に迷いは一瞬もない。
「……どうして?」
本当に黒服は分からないようだ。疑問を口にする。
「どうあっても、私たちと敵対するつもりですか?」
「あなたは無力です。戦う手段など無いでしょうに!」
──いや、ある。
そう言ってポケットから取り出すのは一枚のカード。唯ならぬ空気を纏うそれはただのカードでは無い。何かを代償に願い事を叶える魔法みたいだと鬼巫女は経験則をもって考える。
「……先生。確かにそれはあなただけの武器です。しかし、私はそのリスクも薄っすらですが知っています。使えば使うほど削られていくはずです。あなたの生が。時間が。そうでしょう?」
「先生」は答えない。しかし、その目は依然として鋭さを持ったまま。
「……放っておいても良いではありませんか。元々あなたの与り知るところでは無いのですから」
──断る
「なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?理解できません。何故?なぜ断るのですか?どうして?先生、それは一体何の為なのですか?」
──あの子たちの苦しみに対して、責任を取る大人が誰もいなかった
「……何が言いたいのですか?だから責任を取ると?あなたはあの子達の保護者でも、家族でもありません。あなたは偶然アビドスを訪れ、偶然あの子たちと出会っただけの他人です」
トントンと指で机を叩きながら黒服は尋ねる。
「一体どうして?そんなことをするのですか。なぜ、取る必要のない責任を取ろうとするのですか?」
──それが、大人のやるべきことだから
その言葉にクツクツと喉を鳴らして私は笑いを漏らす。なるほど。覚悟キマッてるなこの「先生」は。
こりゃ面白い。これもまた一つの戦いだろう。その戦場において「先生」は全てを背負うと言っているのだ。
「……そうですか、大人とは「責任を負う者」、そう言いたいのですか?先生、それは間違っています。大人とは望むままに社会を改造し、法則を定め、規則を決めて、常識と非常識を。平凡と非平凡を決める者です。権力によって力のない者を支配する。それが大人です。自分とは関係がないとは言わせません」
「あなたはこのキヴォトスの支配者になり得ました。この学園都市における莫大な権力と権限、そして存在する神秘。その全てを一時的にとは言えあなたの手の上にありました。しかし、それを迷いなく手放した。理解できません。一体何故ですか。その全てを捨てるなんて無意味な選択を、どうして!」
「全てに意味を求めるなんて疲れるだけだぜ、人ってのは合理だけで生きる生き物じゃねぇからな。無意味、無価値。そこに価値を見出すから人なのさ」
黙って見ていたが口を挟むことにした鬼巫女は続ける。
「お前の言ってる事は正しい。世の中なんてそんなクソッタレで溢れるもんだ。しかしだ。それだけで世の中を語るなんて烏滸がましいんだよ」
吸っていた煙草を握りつぶし、鬼巫女は黒服を見据える。
「理解できません、それが全てだ」
「どっかのピエロみてぇな奴だなお前も。人を動かすことには大層な理由が必要だが、自分が動くのにそんなもん要らないんだよ」
「それでもお前が分かりやすい答えが欲しいんならこう言ってやろう」
「大人はガキに振り回されるのが仕事なんだよ。そして、ガキは思うがままに周りを振り回して突き進むのが仕事だ。その背中を押すのが「先生」なんだろうさ」
「……理解できない」
──言っても、理解できないと思うよ。
「……いいでしょう。交渉は決裂です、先生。私はあなたの事を気に入っていたのですが、仕方ありません」
そう言って黒服は「先生」の欲しい情報と捨て台詞を言う。
用事は済んだ、「先生」は踵を返し、来た道を戻る。私もそれについていく前に立ち止まり振り返る。
「あぁ、私もついでに言っておくわ」
軽い調子で黒服に告げる
「2度とあの名前は出すな」
それだけ言って私も「先生」の後を追った。
多分この人、劇物かもしれない(今更)
キャンパスに描かれた絵をボタン一つでまっさらに出来てしまうのはゲマトリア的によろしくない。