時間が止まり自分以外の誰もが認識できない隙間の中、鬼巫女は走る。強引に『先生』達と、道化師が放った攻撃の間に身体を滑り込ませて、両手を広げて体全体で受け止める姿勢に入る。
その瞬間、時間は再び動き出し、止まった全てのものが動き出す。その瞬間を、鬼巫女はある種の諦めというか、呆れのような目で見ていた。
(ほんと、なんつーか)
馬鹿だと自分でも思った。ガキ共は関係ない、それが巻き込まれるのは御免だ。しかし、私がここまでする必要はない筈だ。だというのに、こうして盾になろうとしている。
その事実に私は心底自分に呆れたのだ。何故?どうしてそこまでする?
(こんな時にそう考えるってのは、いわゆる走馬灯ってやつか……)
死を前に、冷静に物事を見ていられるのはそういう事なのだろう。死を前に、私は自分の行動に疑問があった。
私は他人の為なんて行動はできない。結局のところ、人は人、自分は自分だから。そんな風に考える私がこのような行動をする理由が何処にあるのか?
それとも──そんな事を分かった上で『それでも』と言えるものが、私の中にあったのだろうか。
(……ない、と思っていたが、こうして体が動く以上何かあるんだろうな)
はたして、それは何か。攻撃が自分に迫る瞬間はまだこない。スローモーションのように遅く感じさせる走馬灯は、鬼巫女の思考を更に深いものにさせるきっかけとなった。
私は今までの自分を振り返ってみる。
いつものようにだらけ、ガキ共の、はしゃぐ姿や、困難を前に『それでも』と向かっていく姿を、テレビに齧り付く子供のような、観客として見ていたと思う。
(それがどうして、こうなったのやら)
私の過去、その因縁にガキ共を付き合わせたくないという意地があったのは確かだ、間違いない。しかし、それだけでは説明がつかないこの感情はなんだろうか。
今までの行動を振り返るうち、言葉にできない噛み合った何かを感じた。
(あぁ……そういう事か)
何故こんな事をしたのか。その理由に気づいて、彼女は笑った。こんな、取るに足りない、どうでも良い理由だったとは思わないだろう。
(関係ないと思っていた私にも、ちゃんと『それでも』と言えるものがあったじゃないか)
──ズチュリ
納得したと同時に、生々しい、斬撃で肉が裂ける音と共に、彼女は自らの血で作られた池の中に沈んだ。
時は少し遡り、ナピュシュティムの本船の自爆を止める為、生徒達は走った。その中で、『先生』は行方不明になっていた砂狼シロコを発見し、2人で敵の本拠地、本丸。其処と向かった。
そして、対峙したのはもう1人の砂狼シロコ、そして──別世界線の自分、『プレナパデス』となった先生だった。
2人のシロコがぶつかり、後から1人、また1人と生徒が集まり、決戦が始まった。
大人のカードのぶつかり合い、そうして延々に続くかと思われた戦いは、別世界のシロコが倒れたことで決着した──
そう思われた、その瞬間であった。
──え?
惚けた声が漏れる。突如として私たちの前に現れた穴から閃光が漏れ出す。思わず、その場にいた生徒も含め皆が目を瞑る。
その中で、別世界のシロコだけは見てしまった。恐らく、色彩に触れた事で他の者より耐性があったせいだろう。
悍ましい空気を纏う男がこちらに放った攻撃を。そして、それを庇いこちらに背を向けてその攻撃を体で受け止める1人の女性を。
「──し」
後に言葉は続かない。光が収まった時、穴の向こうで倒れたのは──
──鬼巫女!
己の血で汚れた床に倒れ伏す鬼巫女の元へ走る先生。それに続く生徒達。突如現れた穴の危険性も、その中で不気味に嗤う男も、今の先生の目には入らなかった。
汚れるのも構わず血の池のようになった床をズカズカと走る。
倒れ伏す鬼巫女を抱き抱えて顔を見る。触れた手から伝わる冷たさはまるで氷のよう。顔は青白く、目は閉じたまま。
──鬼巫女?
まるで死体だ。しかし、そんな事認めない。認めてはならない。
『解析終了、その空間に生徒を送ります!すぐに手当を!』
通信の向こうで、ヒマリの焦った声が聞こえる。穴が現れたことで解析が一気に進んだのだろう。
テレポートで飛んできた生徒達は倒れ、先生の手で抱えられる鬼巫女を見て血相を変えてこちらに来た。
「鬼巫女!?大丈夫!?」
「ッ──!下がってください!手当は私が!」
生徒達に鬼巫女を預けて、先生はゆらりと立ち上がる。その手は硬く握られ、もう片方の手には──
──鬼巫女をこんな目に合わせたのは、貴方?
何も言わず、そのやりとりを嗤う男に問いかける。
「そうなるね、これを非難される謂れはないよ。殺し合いをしてるのだから、こうなる事だって彼女は理解してた筈だよ?」
彼女は何も言わなかった。息をすることすら苦しく感じる目の前の男の事も。それとたった1人で対峙するなんて事も。
いつも助けられてばかりだった。その癖、助けを求めたことなんて一度もなかった。悔しいが、その判断は間違いじゃなかった。目の前の男は私の。そして生徒達には到底敵わない相手だと、対面するだけでわかる。
しかし、しかしだ。それでも。
──貴方は許さない。私の大切な友人を傷つけ
片手で持つ大人のカードを強く掴む。そして、目の前で掲げる。
──私の生徒達をこんなにも悲しませたのだから
私の弾は全て外れた。既に瀕死で、今にも死にそうな師匠の動きはまるで獣のようで、全てを回避してこちらに迫る。
でも、私はそれでも構わないと思った。この地獄にピリオドを打つのが師匠なら、私はそれでもいいと思った。しかし、いつまで経っても、その時は訪れず、私は不思議に思って、受け入れて瞑っていた目を開ける。
ふわり、と私は抱きしめられた。酒の匂いが鼻につく。師匠の顔は見えない。耳元で、師匠は言った。
「泣きたい癖に泣き方も忘れたか、ガキが無理して背伸びすっからだぞ」
「……うん」
ジワリ、師匠の体から垂れる血が私の服を汚す。それを見て、師匠は笑った。
「助けてやりてーが、どうやらここまで、らしい」
「……」
何も言えない私を見て、しょうがねぇやつ、と師匠は呆れてくしゃくしゃっと私の頭を撫でた。
「私に出来るのはこれくらい、か」
触れる手が頭を通じて私の中で何かを解くような感覚がした。
「シロコ、人生ってのはな。目が覚めてるだけで楽しいもんだぞ」
ニカッと、弱々しく笑って、そのまま師匠の体がぐらりと後ろへ傾く。
「あ……」
何か言わなくてはならない。でも、分からなくて、私は無意識に手を伸ばした。しかし、倒れる師匠の手を掴む事はなかった。
あれだけキツいと思っていた、酒の匂いが、消えた。