小鳥遊ホシノはアビドス自治区の一角を歩いていた。いつも照らす陽の光はなく、冷たい風が吹き抜ける。ブルリと肌を震わせ、肩を抱く。
「うへぇ、まだ冬には早いでしょー」
季節は夏を過ぎ、秋へと突入しているのにも関わらず、こうして感じる寒さはまるで冬のようだった。何か上に着るものでも持って来ればよかったか。そんな風にホシノは思った。
冷たい夜の中、ホシノはアビドス自治区の見回りを1人でしていた。というのも、ここアビドス自治区は人が居なくなってから久しく、犯罪の温床になる危険性があった。不良達ならともかく、またカイザーPMCのような組織がここに根を張らないとは限らない。
2度とあんな事が起こらないよう、こうして時々見回りをしているのだ。で、よからぬ事を考える不良生徒達を叩き出している訳で。
ほわほわと歩いているように見えて、今も痛いほどの静寂、その中で微かに聞こえる足音を聞き逃さないよう集中しているホシノはすぐに足音を聞き取った。すぐさま音を立てずに物陰へ身を隠し、こちらに迫る足音に集中する。
──スタ、スタ。
かなり近い。持っているショットガンの安全装置をカチリと切る。1、2の。
──3!!
心の中で数を数え、3と同時に物陰から飛び出しショットガンの銃口を向ける。
「ッ!!」
しかし相手の反応は早かった。向けられた銃口を即座に蹴られて狙いがブレる。暴発した散弾が地面に着弾。急いで狙い直そうとするも、銃身を掴まれる。咄嗟に蹴るが、それも掴まれ不安定な姿勢を強制される。
「随分と激しいな。アイドルの追っかけだってそんなに熱烈じゃねぇぞ?」
そんな一言が上から聞こえて一気に頭が冷える。よく見ればそこに居たのは鬼巫女。以前便利屋とのいざこざの時に居た「大人」の1人。
そんなこちらの様子に掴んでいた手を離し。先ほどの攻防だろう、上に投げて落下してきた紙パックをキャッチする鬼巫女。
「落ち着いたか?」
襲われたはずの鬼巫女はケロッとしており呑気にチューチュー紙パックから伸びるストローを咥えて中身を飲んでいた。手を離したのはこちらが何をしようとなんとでもなるという余裕の表れか。
「なんだてっきりおじさん、不審者かと思ったよ」
そんな態度に自分が下に見られているように感じ苛つきを覚えるが、その様子はおくびにも出さず答える私。
「こんなイカした不審者がいるかい」
そう言って目を細めニヤリと笑う鬼巫女になんだか見透かされてるような気がして顔を逸らす。それを誤魔化すように私は思いついた事をそのまま聞いてみた。
「それ、何飲んでるの?」
どうでもいい事だけど、この空気を無かったことにできるならどうでも良かった。彼女も気にした様子もなく答えた。
「これか?この前受けた「先生」からの依頼の報酬。やっと酒が飲めるんで気分良く散歩しながら飲んでた」
「へぇ……」
お酒。ここからでも匂いがするくらいの強烈な奴。大人を象徴するような飲み物。飲んだ事はないが私も大人になったら飲むようになるのだろうか。酒で酔い潰れて机に倒れる自分の姿が想像できて何だか嫌だ。
「おめぇにはやらんぞ。「先生」に何言われるか分かったもんじゃないからな」
不満げな顔で持っていた酒を隠すように動く彼女の姿が少しだけ子供のように見えて笑った。
「で?」
そんな様子の彼女は訝しむようにこちらを見て尋ねる。
「こんな夜中に1人で何やってんだ?面白いもんでもあるまいに」
触れてほしくない事について尋ねられて、少し心が跳ねた。なんでこんな時にこんなにも勘がいいのか。苛立ちが増える。それでも表情には出さず、いつもの様に答えた。答えられた。
「何って、散歩だよ〜。たまにこうやって歩くのが、おじさん好きでね」
心の中で違うと誰かが言った。うるさい。私はもうあんな思いをしたくはない。先生は助けてくれたけど。コイツだってそうとは限らないんだから。
「その割にはひでぇ顔してんな、ちゃんと寝れてんのか?」
うるさい。そんな顔でこっちを見るな。夜の闇が私の心を剥き出しにしつつある。今なら間に合う。さっさとこの場を立ち去るべきだ。
「大丈夫大丈夫、このくらいなら──」
話しながら彼女の横を抜けようとして地面の起伏、ひび割れたコンクリートに足を取られて転びそうになる。
「おっと、あぶねぇな」
そんな私を腕で抱きしめる様に受け止める彼女。ふんわりと酒の匂いがする。
「やっぱり調子悪いんじゃねぇか?んー、このままだと後で「先生」に怒られそうだしな……うし、ちょっと体貸せ」
「え、ちょ──」
私が止める間もなく、彼女は私の腕を引いて軽々と背中に乗せた。いつもと違う高さの目線に少し体が強張る。
「ほれ、道案内しな。送ってやるから」
なんで私にそこまでするのか。それはただの親切心か来るものなのだろうか。それとも義務感?普段の私ならそれを素直に受け取ることができたのだろうが、捻くれた今の私にそれは無理だった。
どうせ、何か目的があるのだろう。このまま私を攫って何かの実験をするのだろう。そんな邪な考えが頭の中でグルグルと巡る。
そんな私の考えが口に出ていたのか。彼女は一通り聞いた後に笑った。
「なんだ、そんな事か」
そんな事?私の思いをバカにされたようで腹が立った。その衝動のまま背中で暴れる。
「おいおいあぶねーだろ、わかったわかった」
怒る私を宥めて彼女は言った。
「まあ、確かに目的や理由があるかと言われたら……いやないな。うん。結局のところ気まぐれでしかないからな。酒飲んで気分がいいし」
なんだそれは。大人とは理屈をこねくり回して悪意を撒き散らす者ではないのか。そう尋ねる。
「そう言う奴がいるのは否定しない。「先生」と違って、私は大手振って善人名乗れるほど清廉潔白って訳じゃ無い。お前や「先生」便利屋の連中だって知らないところで、悪事を働いたことも沢山ある」
そんな人が何故?カイザーPMCの時も、彼女は便利屋と共に協力したと聞く。
「だから言ったろ。理由なんてない。強いて言えば……そうしたいと思ったから、かね?」
そんな事で?悪人なら損得勘定で動くものではないのか。少なくとも私と取引をした黒服はそうだった。
「あれと一緒にされるのもな……よし、いい事を教えてやる」
背中で私を背負い、スタスタと歩く彼女。
「よく言ってる事なんだが。人を動かす時には大層な理由が必要だ。耳触りのいい綺麗事だったり、はたまたバカでかい理想論だったり。しかしだ」
言葉を区切って彼女は続ける。
「自分が動くことに大層な理由なんて必要ない。思ったままに動けるんだよ。どーでもいい、取るに足りないクソみたいな思いや理由で動けるもんだ」
「だから、アビドスの仲間はお前を助けたんだろ?理屈をこねれば幾らでも見捨てる道はあった筈だ。でもそれを『気に食わない』って理由で動いた」
「欲望とは望んだ欲と書く。よく言ったもんだ。睡眠欲、性欲、食欲。3大欲求と呼ばれるアレを満たしただけじゃ人を人とは言わん。ただの獣だ」
その言葉には何かの拘りを感じさせた。この普段からおちゃらけて不真面目な大人の地金。その一端を感じさせる声色だった。
「望む欲の為に動けて人は人たり得る。その点で言えばアビドスの連中は見どころ有りだ。だから私は協力した。面白い」
「ま、こうやって納得できそうな理由を並べたが。結局のところ赤の他人の為に動けるほど善人ではないけどな?」
カラカラと笑い彼女は軽い調子で声色を変え、言う。
「ダチを見捨てるほど悪人でもない、って話だ。こうして会話をした、飯も食った。ならそれはダチと変わらんだろう?」
ダチ、友達。私と、彼女が?
「なんだおかしいか?歳の差も見た目も関係ないだろ。例えば60過ぎたヨボヨボの爺さんと友達になったってそれは何もおかしくはないだろう。やろうと思えばどんな奴とだって友達になることは出来る」
「お前が大人を信用できない、信頼もできないって言うなら。いつかその時が来た時に覚えておくといいさ」
そう言って背中越しに荒く頭を撫でられた。何の遠慮もないガサツな手だったが。私の中で噛み砕き、咀嚼して。胸の中にストンと落ちていく感覚を覚えた。
そう、かもしれない。と。いまだに他人を。ましてや大人を信用するというのは難しく。やっと「先生」を……と言った私では難しいけれど。
その日がいつか来るかもしれない、と納得したら眠くなった。元々夜更かしをしていた私にこの大きな背中に等間隔で来る揺れは眠気を誘い、すぐに意識は夢の中へと誘われていった。
そうして、次に目を覚ました時に私はアビドス高校の対策委員会の部室だった。体を起こしてみると手元でカサっと何かが触れる。拾ってみればそれは簡単なメモだった。
──二日酔いになったら言え。あとこの事は「先生」には内緒で頼む。事故とは言えお前を酔わせたのは流石に怒られそうだ
追伸 将来で酒を飲むなら気をつけろよ?匂いで酔うあたり弱そうだからな。
昨日のらしくない私の言動の理由が書かれていた。なるほど、と理解するのと同時に仕返しをしようと考えた。本来なら聞かれたくない事を言ったのだ、その代償くらい払ってもらわなくては割に合わない。とりあえず先生にチクっておこう。
僅かに口角をあげ、メモをグシャリと握りつぶして投げ捨て、まではしないが。そのままポケットに突っ込んだ。
この時の私が生徒曇らせ概念に触れ「悪くないやん……」と暗黒面を出して書いたものがこちら。曇らせ……曇らせ?なってるといいな