とある国の城。多くの名城のように立派ではなく、多くの名城のように美しくもなかった。誰も助けようとせず。誰も気にかけることをせず。その城は、ただただそこに佇んでいた。城には国の領主が一人。使用人が数人。もはや城の意義をなしてはいなかった。
寂れた孤城に領主は想いを馳せる。助けてほしいと願ったことがあった。国に住まう民のため、身を粉にして働いた。しかし、誰も。誰も彼もがいなくなった。領主は悲しんだ。けれど恨むことはなかった。領主は民のためにあった。民がいなくなったとなれば、その原因は領主自身にあると考えた。その自責はなにも、意味も意義もありはしなかったが。慰めにはなった。
領主はふと、池を眺めた。池には夕陽があった。夕陽は形を保っておらず、ゆらゆら揺れていた。風が吹いていた。それは、やがて夕陽とさえ見えなくなった。領主は眼を濡らした。夕陽は消え、代わりに月があった。
夜は長い。城に付いてから、領主はずっと思っていた。なかなか眠れない。池から聴こえる蛙の声が、領主の意識を引いた。
池のほとりに蜻蛉がいた。とても大きく、立派な、強く逞しい蜻蛉であった。他に左右されず、ただ道を真っ直ぐ進む蜻蛉であった。だが、蜻蛉の周りは雑草が生い茂っていた。蜻蛉の道を遮るように。未来を遮るように。また、領主を遮るように。
蜻蛉は動かなかった。領主も動かなかった。領主は、まるで蜻蛉がこちらを観ているように感じた。蜻蛉が訴えかけてきているようにも感じた。
領主は再び眼を濡らした。蜻蛉のように生きることのできない自分に泣いた。なにかに縛られ、自分以外のなにかのためにしか生きられなかった自分に泣いた。使用人は寝静まっていた。世界には、領主と蜻蛉。それだけであるように感じた。
蜻蛉は飛び立つ用意をした。なにを伝えてきた訳ではないが、領主は不思議とそうだと分かった。月光を映す蜻蛉の翅は力強く動き出した。領主の心を連れ去っていくように。領主の願いを背負うように。ひたすら真っ直ぐに進んでいった。
やがて蜻蛉はいなくなった。
蜻蛉のいなくなった池には、雑草だけが残った。月の光は雑草だけを照らしていた。
翌年、城は敵国の軍に攻め入れられ、崩壊した。城の領主や使用人は抵抗することなく、あっさり降伏した。
戦と呼べぬ。制圧とも呼べぬ。ただの呆気ない事象が起こった。
だが、国の領主。城に住まう領主の顔は、不思議と晴れ晴れとしていた。
蜻蛉は今も飛んでいる。