ヴェスパー部隊が用いるACのガレージ。
専用に組まれた足場の上で鉄柵に寄りかかり、ため息をつく男がいる。
「ふぅ……」
寒気の中、白く吐き出された吐息が宙へと消えていく。
彼は自身の愛機『スティールヘイズ』の前で、物思いに耽りながら静かに佇む。
そんな男に歩み寄るものが一人、カンカンと足音を立てて近づいてくるのに気づく。
男の両手には湯気の立つマグカップが一つずつ握られており、その一つを差し出しながら声をかける。
「考え事か?ラスティ」
「オキーフ、ありがとう。……この状況では、考えないことの方が難しいな」
「それもそうだ。コーラルに、それに伴う解放戦線の反撃。そして、ここに来て惑星封鎖機構だ。うんざりする」
彼等はアーキバスグル-プが誇る強化人間部隊ヴェスパー、その番号付き。それぞれ名を『V.Ⅳラスティ』と『V.Ⅲオキーフ』という。
番号付きともなれば、当然その実力は他のそれとは一線を画す。その上で更に役職にもついていることが多く、多忙な日々を送っている。
その中でもラスティは主に現場での仕事を、オキーフは情報部門の長官を務めていることから。ルビコン各地での情報収集に努めている。
そんな彼らの話題はもっぱら、戦況と部隊配備の話ばかりだった。
それがここに来て、僅かに風向きが変わる。
「だがお前が悩んでいるのはそれじゃない、そうだろう?」
「……参ったな。どうやら私には、隠しごとが向いていないようだ」
ほんの少し困ったように眉を寄せるラスティの姿に、オキーフは静かに微笑む。
困った時、悩んでいる時。ラスティはそれを滅多に表に出さない。
弱みを見せないのだ。見せるのは余程気心の知れた人間、それこそオキーフくらいだ。
そんな彼になら、胸の内に抱えた問題を吐露するのに躊躇いはない。
「この間、レイヴンが駐屯地に来ただろう。その時、短いながらも直接話す機会を得られた。その時のことが……どうにもな」
「旧世代の強化人間手術の被験者だったか。あまり気にしすぎるものではないぞ、ラスティ」
「頭では分かっているんだ。……だが事実として、彼らの膨大な亡骸の上に今の強化人間はある。レイヴンと視線を合わせると、それを否応なく感じてしまう」
ラスティはガラにもなく、レイヴンと会えることを心から楽しみにしていた。
ハンドラー・ウォルターの猟犬と言えば、その手の道では名声が高い。
任務に忠実、それでいて戦力として一流。目的こそ不透明だが、彼ら独立傭兵『ハウンズ』を雇うことは企業にとって一つの、状況を打開する切り札としても有名であった。
そんなハウンズの一人と共に戦場で肩を並べ、そして『壁越え』という困難を乗り越えた相手だ。
きっと気が合う。
そんな期待を寄せ、初の邂逅を済ませた二人だったのだが、ラスティの希望が叶うことはなかった。
「レイヴン……彼女は私に失望してしまったかもしれないな」
その容姿に、一瞬とはいえ怯んでしまった自分が恥ずかしくなる。
光の無い眼、虚ろな表情、触れれば折れてしまいそうな細い四肢。
全身を覆う包帯は痛々しく、またそれが無くともきっとその下は手術痕で埋め尽くされているのだろう。
車椅子に座る彼女の手を取り交わした時、その手の冷たさと脆さを感じ取ってしまい、それを表情に出さないよう苦心していた。
「あれだけの戦果を挙げていたんだ。どんな益荒男が出て来ても不思議じゃない。だというのに、まさか女の子だったとは思わなかったんだ」
「ACの操縦適性は強化人間手術による所が大きい。ロマンも何もない話だが、まぁそういうこともあるな」
「私としては、あってほしくなかったな。いや、この場合は可憐なお嬢さんでよかった、になるのかな?」
二人とも苦笑いを隠し切れず、フィーカを一口啜る。
相変わらず黒く苦いだけで香りは微か、オキーフが常日頃から泥水のようだと例える気持ちが、ラスティにもよく分かる。
現行最新の強化人間手術は第10世代。当然ヴェスパー部隊にはその恩恵にあやかっている者がいる。
その筆頭と言えば『V.Ⅱスネイル』『V.Ⅷペイター』の二人が真っ先に挙げられるだろう。
前者はアップグレードを重ね続けた結果、後者は最初から最新型であるという点は異なる。
それと比較すれば、レイヴンが施された強化人間手術が如何に古く、劣悪なものであったのかが窺い知れる。
「恥ずかしい話だが彼女は……私が思い描いていた人間とは随分違った。ハンドラー・ウォルターの意のままに動く、目的は持つが背景を持たない不安定な強者だと……会うまでは確かに、そう思ってたんだが」
「どういう意味だ?目的と背景は何が違う」
「彼女にはコーラルを得る目的がある。恐らくは、強化人間手術で失った
「……なるほどな。レイヴンからすれば、ある程度の纏まった金さえ手に入ればいい。逆に言えば、それだけならコーラルを求める理由がない」
「そうだ。だから正確に言えば、今も背景は見えないままだ。最近はベイラム、とりわけレッドガン寄りになったそうだが。それもハンドラー・ウォルターの方針と、あまり関連性があるとは思えないな」
ハンドラー・ウォルターの行動原理。ルビコンで活動する情報屋なら誰しもが疑問を持っていることだ。
彼の行動には一貫性がある。このルビコンに眠る、集積した大量のコーラルを探し求めているという点は否定しようがない。今までの行動からそれは明らかだ。
では何故コーラルを求めているのか?聞く話によればウォルターは決して豪奢な暮らしを求める類の人間ではない。
むしろ派手に着飾ることの少ない、人によっては無機質だとすら感じる人間性だという。
それでいて『壁越え』ではあのスネイル相手に作戦参加をもぎ取り、今回の共同作戦でも橋渡し役を務めている程の辣腕。
そんなウォルターが俗な理由でコーラルを求めているとは思えない。
そして、そのウォルターに付き従う彼女、レイヴンが何を考えているのかも、未だ明確な答えは得られていない。
もどかしさ。ラスティが抱えている焦燥の正体はそれだった。
戦場を共に渡り合えるほどの力を持ちながら、レイヴンはどの勢力からの依頼も分け隔てなく請け負う。
ラスティは『戦友』の行動原理が知りたかった。それさえ知れれば、
独りで飛ぶよりも、ずっと高くに。
「あれほどの力を持ちながら、何のために力を振るっているのか。私は、それが無意味なものだと思いたくは───」
「ラスティ」
「っ、すまない。少し熱くなってしまったようだ」
思わず強く握ってしまったからか、マグカップの手元部分が小さく軋んでいる。
感情表現は豊かな方だが、激情という形で現れることの少ない男の不手際に、オキーフは内心で興味を沸かせていた。
これほどまでに
ある種の尊敬の念すら抱いてしまう程だった。もちろんそのことはおくびにも出さず、努めて冷静に言葉を投げかける。
「世の中には、つまらない理由で戦いに身を投じる者が大勢いる。大儀や生存本能ではない。惰性や逃走、略奪に嗜虐。そんなネガティブな理由で戦う者達だ」
「彼女はそんな人間ではないぞ、オキーフ」
「分かっている、レイヴンは違うだろう。だが
オキーフからすれば、確かにレイヴンやウォルターの背景情報は気になることではあった。
しかしそれはあくまで諜報活動の一端での話。好奇心という観点で見れば、それほど気にするべきものではない。
戦う理由が何であれ自分の役割は、成すべきことは変わらないのだから。
「ラスティ、力を持つ者が必ずしも
「それは……」
「そんなものだ、人間なんてものは。ただ明日を。いや、今を生きられるならそれでいい。レイヴンだけがそうでないなんて、誰も言えんさ……っと、呼び出しか」
オキーフの懐から甲高い通知音が響く。ヴェスパー全員に配られている通信用端末からだ。
画面に目をやればそこには『V.Ⅱ』の文字が浮かんでいる。オキーフに当てた仕事のメールだ。
「まったく、スネイルも人使いが荒い。すまんな、行ってくる」
「あぁ、気を付けて」
「……あまり気負い過ぎるなよ」
カップの中に僅かに残ったフィーカを一気に煽り、空っぽにしてからオキーフはラスティに背を向ける。
最後に何か一言残そうか。そう考えて告げた言葉を最後に、オキーフは踵を返してその場を去った。
足場をカンカンと鳴らして出ていくその背を、ラスティは見送らなかった。
周りに誰もいないことだけ確認し、溜息をついてから独り言ちる。
「……彼女が、失った何もかもを取り戻したいだけの少女だというのなら、これ以上私の事情に巻き込むべきではない」
「だが……私はもう、これ以上何かを失うことには、耐えられそうもない」
「すまないな、戦友。友として、最後まで付き合ってもらおう。……運が悪かったと諦めてくれ」
「───つまり、621のそれは幻聴ではない、と?」
「まぁ、そうなんじゃねぇの。あといい加減テメェのとこの犬を引き剥がせ!せめて力弱めろ腕が千切れるだろうが!!」
「レイヴン、手を離してはいけません。彼を通せば意思疎通がスムーズになる、見逃す手はありません」
「ぐっ、オイあんま喋んじゃねぇ、テメェの声は耳が痛くなりやがる……!」
621を迎えに来たウォルターと、その隣にいたミシガンが目にしたのは、イグアスの腕をガッチリと掴んで離さない621の姿だった。
普段の朧げな姿からは想像もできない程にしっかりと腕を固めており、訓練を受けた軍人とてそうそう抜け出せない程だ。
強化人間である621は確かにほとんどの人間的な機能を失っている。が、それは身体の強度が弱いこととは直結しない。
彼女の筋力は(イグアスにとって不幸なことに)、並のレッドガン隊員のそれと同等であった。
全力を出せば抜け出せる。だが無理に振りほどけば怪我をさせるかもしれない。
配慮の心が僅かにだが芽生えつつあるイグアスに、その選択肢は選べなかった。
「ミシガン、彼から少し話を聞きたい。借りてもいいか?」
「いいだろう。俺はアーキバスと渡りを付けてくる」
「そうか。感謝する」
「厄介事は持ち込むなよ。ここに来て、遠足の邪魔になるようなアクシデントは御免だ」
そう言い残すと、ミシガンは部屋を出てズンズンと歩き去っていった。
そのまま通信室へと向かい、アーキバス陣営との対話に向かうつもりだ。
そんなミシガンに感謝を告げつつ、イグアスに引っ付いて離れない621に行動を促す。
「621、彼と少し話がしたい。離してやれ」
「……クソッ、やっと離しやがったか。で?アンタが噂のハンドラー・ウォルターってんだろ。言っとくが俺ァ何も知らねぇぞ。一番何も分かってねぇまである」
「構わない。ありのまま、あったことを教えてくれればそれでいい」
「そうかよ。だがあったことって言ってもよ、こいつの顔見に来たらエアとかいう女の声が聞こえて……この部屋には俺と野良い……レイヴンの野郎しかいねぇから誰の声だつったら、後はこのザマよ」
イグアスも流石に621の
幾つもの修羅場を潜り抜けてきたであろう貫禄を持つ、ウォルターの鋭い視線がイグアスを見つめている。
じっと話を聞く態勢なのは、彼の放つ一言一句全てを余すことなく聞き届けるためだ。
ウォルターの心臓は、未だかつてない程に早鐘を打っている。
それを毛ほども悟らせず、可能な限り静かに、穏やかにイグアスへと質問を重ねる。
「今までに、前兆のようなものはあったか?頭痛や幻覚、幻聴は?」
「どれもねぇ……いや、最近は耳鳴りが酷かった。今はそうでもねぇんだが、任務中は特に酷くてよ……」
話を聞いてみれば、先の任務では噴出した大量のコーラルを浴び、今はその直後。
戻ってくれば621を介して幻聴が聞こえるようになったという。
それは奇しくも、ウォッチポイント襲撃時の621と酷似したシチュエーションでもある。
そう、621が幻聴を訴えた時と、全く同じシチュエーションだ。
(621の幻聴……いや、意思を持ったコーラル『エア』からの呼びかけというべきか)
(強化人間の体内に残るコーラル。恐らくはそれの共鳴。そしてその切っ掛けが先の任務と仮定しよう)
(自由意志を持ったコーラル。もし本当にそんなものがいるのならば……)
半面、ウォルターと会話しているときのイグアスは不思議と、普段よりもずっと落ち着くような心地でいた。
年で言えばそう離れていないであろうミシガンやナイルともまた違うタイプ。まるで腕のいい医者を相手にしているような気配。
自分を責めるような気配を含まない、純粋な興味と思案の視線。それにはどうにもむず痒い心持でもあったが、胸の内に抱えていたものを吐き出すのに躊躇いはさほど起きなかった。
「G5。お前もまた、強化人間だったな」
「あ?それがどうかしたかよ?」
「俺の記憶が正しければ、第4世代型と聞いている。間違いないか?」
「あぁ。野良い……そいつと同じだとは聞いてるぜ、ムカつくことにな」
「……そうか」
ウォルターの思案は、深い所まで及ぶ。
一見して思案中の彼の心には、強い後悔が波のように押し寄せていた。
誰よりも
(ザイレムを調査させた時に感じた妙な手際の良さは、コーラルの意思によるサポートがあったからか)
(海を渡った時の提案も……なるほど。621の提案にしては突飛なものだと思っていたが、それならば納得できる)
(621の訴えを、所詮はありきたりものだと……ハンドラーが聞いて呆れる)
今まで幻聴を訴えてきた猟犬は621だけではなかった。
男の声、女の声、そういったものが任務中に聞こえることがあるのだと、そうウォルターへと訴える者はいたのだ。
しかしながら、幻聴や幻視は本人の感覚でしか知覚できない。そして多くの強化人間が訴える症例の一つでしかない。
621のそれもその一つ。ウォルターの判断はごく自然なものであった。
だが、621と同じものを知覚できる第三者によって、その前提は覆ることとなる。
「……」
「ふざけんな、四六時中テメェらといるなんざ死んでもごめんだ。いいか、俺はテメェより強くなる。近くにいられちゃ面倒くせぇだろうが」
「レイヴン、これを機にベイラム……いえ、レッドガンとの交流の機会をより増やすよう提案してみてはどうでしょう。私としても、あなたのハンドラーに直接私の意思を伝えられるのはとても意味があります」
「俺を介してる時点で直接ではねぇだろ……」
ウォルターには聞こえないが、沈黙を貫く621に対してイグアスが話しかけ続けている姿がそれを証明してる。
この場面だけを切り取れば、ようやく見つけた(少々ひねくれてはいるが)意思疎通が可能な人間との出会いのワンシーン。
片や姿が見えないが、あの621がまるで友人と歓談しているかのように楽しげなのだ。
本来、621のハンドラーとしてこれ程までに喜ばしいことはないだろう。
(……すまない、621)
(俺はこれから、その友達を……奪わなくてはならない……)
二人、否。三人が和気藹々と話すその場から、冷徹なハンドラーは目を逸らすことしかできなかった。