ある夏の日の夜、僕と先輩は放課後の学校にこっそり潜り込んで二人だけの部活動に勤しんでいた。

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僕と先輩、ある日の夏のこと。

古ぼけた校舎。明かりが付いた二階の一室。

最近新築したらしいのだが、壁の漆喰の剥げやワックスが中途半端な床の質感からか、随分と古く感じる。その部屋の中には、恐らくはその校舎より以前から存在していたであろう椅子が二脚。それと机が一つに、いくらかの小物があるだけだった。

 

「……先輩。流石に、もう少し物とか置けないんですか?これで部室っていうには無理がありますよ」

 

あぁ……もう一つ部屋の中には物があった。

 

「仕方ないじゃないか。まともな活動もしていない、部員がこれだけのオカルト研究部なんて予算が降りるわけないだろう?喜べ、今期も部費はこれだけだ」

 

親指と人差し指で輪っかを作り見せてくる、もう一人の部員兼部長の、三年の先輩。

 

「だから活動が出来ないんだと思うんですよ……自費で黒魔術の本とか、クトゥルフ関連のものとか買ってきたらもう少し体裁が整って部費が出るんじゃないんですか?」

 

黒髪ロング。高身長。カラコンを付けているのか、特徴的な赤目でいつも先生に注意されているのを見ていた。

 

「一年の時に試したさ。黒イモリとか、乾いた血液で一杯のガラス瓶とか、こっくりさんの紙とか。結果は、一年の文化祭の時以来この部室は空になってしまったという事が物語っているじゃないのかなぁ」

 

碌でもない性格で、少し螺子が飛んでいるんだろう。今も二人で挟んでいる机に足を乗っけていて、僕に対する配慮といったものが何も感じられない。

 

「部費降りてない理由って、絶対それですよね。先輩のせいじゃないですか……やっぱり実費で何か買ってきて下さいよ。補填ってことで」

 

一目惚れだった。校舎の中を歩いている先輩を見た瞬間、これまでの人生で感じたことのない感覚を覚えた。それが恋という感情であると認識するまでには少々時間を要したが、それよりも早くに僕は先輩に声をかけに行っていた。

 

「嫌に決まっているだろう。そのくらい後輩である君がするべきじゃないのかい?それに、私はこの広々した部室が好きなんだ。余計な物を置きたくはないね」

 

開口一番、貴方と同じ部活に入りたいです!は流石にやってしまったと今でも後悔している。暫くそのことで弄られたし、誤魔化すのに苦労した。

 

「一年の時の先輩に教えてあげるべきでしたね。その言い訳は通用しませんよ」

 

恐らくは、誤魔化せていないのだけど。

 

「失敗したな、その話をするべきじゃなかった……だけど、私は何も買わないからな。撤去されたのは酷くキツい体験だったんだ。私はそれを二度も経験したくない、だから君も体験するべきなんだよ」

 

だから、今の距離感で。今の、関係性で。それで良い。良いんだ。

それが、良いんだ。

 

「それ、意味通ってないでしょう?僕にも苦労して集めた物たちを喪失する体験をさせて面白がりたいだけにしか思えませんよ……死んでも御免ですね。一度経験したなら二度目はまだ楽でしょうし、やっぱり先輩がするべきでしょう」

 

自分に付く嘘は、誰も苦しまない。だから、それでいい。先輩と一緒に居たいだなんて。

僕には、過ぎたる欲望なんだ。

 

「私のコレクションは別のところに既に保管しているからね。そっちが失われることはもう無いようにしているんだ。ただ、金欠の私が苦労して買った本やらをこんなところに放置して、失うのは嫌だという話をしているわけだよ。分かるだろ?苦労の方向性こそ違えど、どちらも大切なのには違いないんだから」

 

それでも、僕は、考えてしまう。嘘で誤魔化して、脳を痛めつけてもまだ湧き出てくる思いを止めることができない。

もし許されるなら。僕は、先輩。貴方と……

 

「分かりますけどね、僕だって嫌なものは嫌ですよ。自分の物は失いたくない。それに越したことはないじゃないですか。僕の物だって撤去される可能性はゼロって訳じゃないんですから」

 

薄暗い廊下に、一筋の光が見えた。どうやら階段の電気がついたらしい。

 

「あぁ……もうそろそろ時間みたいだね。それじゃあ、私は一足先に失礼させてもらうとするよ。君も気をつけて帰るんだよ」

 

待ってください。僕も一緒に。そういう言葉を口から零れさせることが出来たのなら、きっと僕はもう少し幸福な、それでいて複雑な人生を送れたのだろう。

 

「えぇ、気をつけて帰ってください。後始末は僕がやっておきますよ」

 

そう僕が言うと、先輩はにへらと笑って窓から飛び降りていった。

足早に、ブーツが床を叩く音が近づいてくる。

 

「おい、君……なんでこんな時間に学校に居るんだ?帰りなさい」

 

引き戸が開く音と同時くらいに、顔を付き出してきた老けたおじさんがそう告げた。今日はもう終わりみたいだ。

 

「それと、ここにもう一人誰か居なかったか?」

 

その問いには答えられない。

 

「……いいえ、居ませんでしたよ。それより、あなたのほうこそ見たことない顔ですけど、警備の人ですか?」

 

確かに、見たことはない顔だった。しかし、きっとこの人は警備じゃないだろう。

 

「あぁ、そうだ。電気がついていたからな。生徒の不法侵入は本当なら咎めるべきなんだろうが、今日は見逃してやる。だからもう帰れ」

 

若い頃は俺もやってたからな、と豪快に笑うその男に顔をしかめて、今日はさっさと帰ることにした。

 

「それじゃあ、帰りますよ。お元気で」

 

早めに彼が死んでくれることを、僕は祈っている。

 

「あぁ、気をつけて帰れよ」

 

軽く舌打ちをして、もう一度心から祈る。

それしか、僕には出来ないから。


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