かつて、ジャパンカップに出走するために来日したウマ娘が、ジャパンカップについてどう思うか質問され、少し悩んで『おこづかい…稼ぎ…です、ね?』と答えたことがあった。
それは、言語のニュアンスの違いや本人のうっかりなども重なって出てきてしまった言葉であったのだが、そのウマ娘が楽々とJCを制したことも含めて、日本と海外の差を表すひとつの好例となってしまっていた。
いつしか、ジャパンカップでの日本ウマ娘の勝利は、トゥインクルシリーズに関わるものの共通目標となり、今年こそは、と盛り上がっては悲嘆のため息が東京レース場に響くのが通例となった。
そして時は流れ、その年のジャパンカップは、例年にもまして大きな盛りあがりを見せていた。
デビューから8連勝、トゥインクルシリーズ史上初めて無敗のまま今年のクラシック三冠を達成したシンボリルドルフ。どのレースでもきっちり好位につけ、圧倒的な安定感をもって勝利を重ねるまさに『皇帝』。
そして、昨年のクラシック三冠にして、ルドルフとは対照的な最後尾からの追い込みという大胆不敵な戦法で、今年の天皇賞(秋)をレコードで制し4冠ウマ娘となった『英雄』ミスターシービー。
彼女ら二人がついに激突する。それもジャパンカップという最高の舞台で。
日本ウマ娘初勝利の栄光をいずれかがきっとつかんでくれる。勝利するのは果たしてどちらか。
ファンたちは夢想した。
いつものように直線から抜け出し、並み居る強豪たちを突き放していくシンボリルドルフを。
綺羅星のごとき外国ウマ娘を大外からごぼう抜きにし、突っ込んでくるミスターシービーを。
こうして、その日の東京レース場に先年までの怖いもの見たさのような空気はどこにもなく、熱気と希望にあふれた大観衆に埋め尽くされたのだった。
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パドックも終わり、シンボリルドルフはゲート前で静かに時を待っていた。
ターフに目をやれば、総勢10人の海外ウマ娘たち。
米国のG1を4勝し、現状の米国芝レース界の頂点と言ってもいいマジェスティーズプリンス。
事情があり母国イギリスではG1には出られぬものの、数々の重賞を圧倒的な強さで制しているベッドタイム。
昨年のJC3着、今年もミラノ大賞典を制したフランスのエスプリデュノール。
ほかにも米国トップクラスのウィン、オーストラリアのストロベリーロード、カナダのバウンディングアウェイ…
いずれも世界的に名前の知れた強豪ばかり。彼らの視線は、大なり小なりルドルフともう一人に注がれていた。
シンボリルドルフはもう一人の視線を集めるウマ娘へと目をやる。相変わらずの泰然自若。のんびりとした表情でどこか遠くの空を見ている。
ミスターシービー。自らのやりたいことを追い求め、他人の期待にも無関心。
クラスメイトではあるが、常に飄々として、授業態度もあまり真面目とは言えず、友人の世話になっている姿をよく見る。
が、強い。レース場においてはタブーを踏み越え常識を塗り替え、我が道を行く天衣無縫。天馬の名を継ぐもの。
(外国の強豪たち…そしてミスターシービー。いずれも、私が真に『皇帝』となるために避けては通れぬ道。受けて立つ…)
ルドルフは自らを奮い立たせる。その視界の隅に、見慣れた黒髪に二重流星のウマ娘が映った。
(…カツラギエース、か)
当然知っている。クラスメイトでシービーと仲が良く、彼女の面倒を一番よく見ている。
恵まれぬ生まれ、乏しい才能。そしてそれを補って余りある闘志の持ち主である。
その闘志に振り回され、走りに安定感が欠ける面もあるが、好調時ならばシービーに
環境に腐らず努力を続け、とうとう宝塚記念の栄冠を手にした、紛れもない一流のウマ娘。
(だが、それ以上ではない)
尊敬できる友人ではある。だが、『皇帝』としてのルドルフは冷静に判断を下している。
いつの時代も存在する、その時代限定の強者であり、自らが導くべきウマ娘の一人であると。
その彼女は、レース場においてはしゃかりきに闘志を燃やし、シービーに食って掛かっていたが、今日は違った。
押し黙って静かに目を閉じている。どこか覇気に欠ける印象だ。
シービーが近づいて何やら声をかけているが…生返事を返すばかり。
(緊張だろうか?無理もない。)
もう一頭の日本ウマ娘、ダイアナソロンに至っては顔色を青くし、ガチガチと歯を鳴らさんばかりだ。
今年の桜花賞の勝者ではあるが…あまりにも役不足。ああなっても仕方はない。ルドルフは、彼女が出走することになった原因であるURAの体制について想いを馳せた。
その時、開幕を告げるファンファーレが鳴り響き、ルドルフは思考を中断した。
ウマ娘たちは三々五々、ゲートに向かっていく。
(全てのウマ娘達が幸福に過ごせる時代を。その理想のため、私はウマ娘の模範たらん)
三つの勲章に手を添え、何度も誓った望みを胸に、ルドルフもゲートへと向かった。
『第四回ジャパンカップ、スタートしました!』
レースは静かに始まった。有力ウマ娘たちが互いを意識し一塊となる。ルドルフは集団の前方につけ、ミスターシービーは最後尾。ここまでは大方予想通り。
『おっと、カツラギエースが行きました!カツラギエースが先手を取った!』
ルドルフは唯一の例外のウマ娘、顔を伏せ、集団を大きく引き離し先頭に立つカツラギエースを見る。
(まさか逃げを打つとは…)
『しんがりにはミスターシービー、そしてカツラギエース飛ばしてリードは10バ身ほどに広がりました』
誰も追わないが故の消極的なそれではなく、明らかに狙った逃げ戦法。
シービーとは対照的にスタート勘に優れた彼女はこれまで基本的には先行策で戦ってきた。
そんな彼女がここで普段と違う手を打ってくる理由を想像する。
(シービーへの援護、か)
考えられることではある。
もし仮に逃げ馬に引っ張られてペースが吊り上がり、最終直線で先行集団が足を残していない展開になれば後方待機のウマ娘…つまりミスターシービー有利の展開となる。
開始前の覇気のなさもそれが原因か。友人にジャパンカップ初制覇の栄誉を。その気持ちは理解できる。
(だが…それは通じないよ カツラギエース…)
ルドルフは軽い失望とともに周囲を確認する。外国ウマたちはみな自分のペースを守っている。逃げに引っかかるものは誰もいない。鼻で笑っている者すら見える。
海外では、同じチームや友人の勝利のために逃げでレースを作る『ラビット』と呼ばれる役割が浸透している。強豪たちは当然それに対する対策も把握している。つきあわないことだ。
そして、過去のジャパンカップにおいて、日本のウマ娘が無謀な逃げを打ったことは何度もあり、そしてすべて潰れている。
そういった世界の事情、過去の情報を把握せず、無駄な試みをしている同級生に一瞬、同情の視線を送ってルドルフは表情を戻した。今はレースに集中するべきだ。
レースは淡々と流れた。相変わらず集団は固まり、ルドルフは集団の前方、ミスターシービーは最後方。そしてカツラギエースは顔を伏せたままより無謀な逃げを展開し、10バ身以上先を走っている。
そろそろか。誰が最初か、先団のウマ娘たちは第4コーナーから加速をし始めた。
10バ身以上あった差がみるみる縮まっていく。
『カツラギエース今だ先頭!しかし差がつまってきた!世界の強豪が追い込んできます!』
「どきなチビ!」「ここまでですわ!」「道を開けなラビット!」
無謀なペースに付き合わず、脚を十分に残した外国ウマたちが次々とエースに襲いかかる。
ルドルフも脚を残しているのは同じだ。遅れじと足に力を籠め…わずかな違和感。
(脚が…残りすぎている?)
先を走る耳飾りのないウマ娘、ベッドタイムがついにカツラギエースをとらえた。
その瞬間、カツラギエースは顔を上げた。
(限界に達し、顎が上がったか…よく頑張った。ここから先は私たちのっ…?)
エースの表情を見たルドルフが凍り付く。
カツラギエースは、
「ふふ…あはは ははは…ははははははははははは!!」
ルドルフは、海外ウマたちは見た。
獰猛に笑う彼女の全身から炎のようなオーラがあふれ出すのを。
そして、カツラギエースの口がわずかに動き、何かを口にしたのを。
大歓声を浴びるレースの中、聞こえるはずもない。だが、ルドルフは、海外ウマたちは確かに彼女の声を聞いた。
「してやったり、だ!」
ルドルフの頭の中ですべてが繋がる。
(見誤った…っ! この逃げは、無謀な玉砕でも、シービーへの援護でもない…!)
(大逃げに見せかけてペースをスローに落とし、脚を残したまま私たちを迎え撃つ…ただ勝利を掴むため、我々を、いや日本を、世界を巻き込んだ、一世一代の大仕掛け!)
(…闘志をなくしていたのではない!いつも燃え上がらせていたそれを…内に押し込め、…圧を高め…そしてこの直線で解放した!)
『葛城栄主』
目の前で走るエースの背中。金糸で刺繍されたその文字が、彼女の纏う気迫で燃え上がるように輝き、ルドルフ達の目に焼き付く。
『カツラギエース粘っている!カツラギエース粘っている!外からシンボリルドルフ、マジェスティーズプリンス!』
「馬鹿な…届かんだと!?馬鹿なっ!」「追い…着けない?ジャパンのチビに!?あたしが?」「
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
『カツラギエース、逃げ切ったゴールイン!!カツラギエース!世界を相手に堂々と逃げ切りました!日本ウマ娘初のジャパンカップ制覇を成し遂げたのは、なんとカツラギエースだああああああ!!!!』
実況の声が響き、レース場が一瞬静まり返る。
そして、大歓声に包まれた。
喜びを爆発させ、トレーナーと抱き合うカツラギエース。
(…っ!)
ルドルフが沸き起こった感情を押さえ込むのに要した時間は僅かだった。
「完敗だ。見事だったよカツラギエース。まさに飛龍乗雲といったところだな」
姿勢を正し、勝者に拍手としかるべき祝福を送る。
その姿は負けてなお強しと感じさせるもので、観客達は年上のシニア級相手にこれだけの勝負をしたルドルフの今後の活躍に対する確信を深めた。
こうして、この年のジャパンカップは、伏兵カツラギエースの勝利として記録され、年末の有馬記念はシンボリルドルフ、ミスターシービー、カツラギエースの三つ巴で争われることとなった。
そんなシンボリルドルフが、有馬記念でカツラギエースを抑え込んで勝利するまでの間、時折昏い目付きで誰かを見つめていたことに気がついたものは彼女のトレーナーを含め、ごく僅かであった。