思ったより短くなったけど今回は日常回です。
暇潰しになれば幸いです。いつも見てくださってる方達ありがとうございます。
カスティエルが本調子ならすぐ話が終わるから、毎回デバフ付けられてて草。
今日の陽射しは穏やかだった。
とあるマンションの一室。
窓の隙間から入り込んだ風が、薄いカーテンをゆっくり揺らしている。
爽やかな空気が部屋の中に満ちていて、遠くを走る車の音だけが微かに聞こえていた。
部屋内には、昨夜脱ぎ捨てた服や転がった雑誌の影をぼんやりと映していた。
そして、鷹宮 由香は布団の中で目を開いた。
モゾモゾと体を捩る。身体はまだ眠気を引きずっている。
だが今日は仕事が無い。怪異も報告書も、夜中に鳴る緊急連絡も無い。
「…ん」
だから慌てて起きる必要もなかった。
枕元へ手を伸ばし、スマホを引き寄せる。
午前11時過ぎ。
それを見て小さく鼻で笑った。
「…まぁこんなモンか」
いつもなら昼過ぎまで寝ていた。
最近になって多少は生活も改善されたが、それでも元々寝起きのいい人間ではない。
スマホを片手に、ベッドから降りる。
ダボダボの部屋着の中に手を入れ、脇腹の辺りをポリポリと掻く。
裸足のまま冷蔵庫へ向かい、炭酸飲料を取り出した。
蓋を開けた瞬間のプシュッという音が妙に心地良い。
喉へ流し込むと、炭酸の刺激が頭の奥に残っていた眠気を少しだけ追い払ってくれた。
そのままベランダへ出ると、風が頬を撫でた。
タバコを咥え、ライターを鳴らした。
赤い火が灯る。
肺へ流し込んだ煙を吐き出し、ゆっくりと身体の力を抜いていく。
何も考えなくていい、この瞬間だけは好きだった。
怪異や他の事も、誰かを助けられなかった日の事も全部、一旦忘れる事が出来る。
何も考えなくていい朝は意外と少ない。起きなければならない理由もなく、誰かを助けに行く必要もなく、木庵に呼び出されることもない。
煙を吐きながら街並みを見下ろす。
誰も知らない場所で何かが起きているかもしれない。
それでも人は朝を迎え、昼を過ごし、当たり前のように今日を生きている。
そんな光景を見ていると、人々が言う日常とは案外こういう退屈な景色なのかも、と柄にもなく考えた。
犬を散歩させる老人や、買い物袋を持った主婦。
何でもない日常の風景。
だからなんとなく、少しだけ術式を使ってみようと思った。
暇だった。
それ以上の理由はない。
「術式発動…」
由香の視界が静かに広がる。出力効果を絞り、視力だけを強化した。
遠くの景色が近付いてくる。
普段なら見ない場所まで見える。
便利な術式だと皆は言う。
由香も否定はしない。リスクに目を瞑ればだが。
視界が静かに広がり、駅前の人混みや喫茶店の窓際が近付いてくる。
向かい合う男女がいる。最初は普通のカップルに見えた。
だが女がテーブルへスマホを叩き付けた瞬間、男の顔色が変わる。
男が何やら弁明をしているようだが、女は怒った様子で出ていった。
「浮気バレてんじゃん、ザマァ」
術式を解除する。
視界が元へ戻った。
タバコの煙を吐きながら空を見上げた。
吸い終える頃には、今日の予定も何となく決まっていた。
新しいピアスを探して、服も少し見る。
気が向いたら何か食べる。その程度で十分だった。
非番の日くらい、普通の24歳でいたかった。
そんな事を思いながら部屋へ戻り、鏡の前へ立つ。
伸びた髪を軽く整え、ネイルの色も少し変えようか。
そう考え始めた時点で、もう仕事の事なんて頭から消えていた。
今日は平和な休日だった。
少なくとも今のところは。
非番の日くらい、それで十分だ。今日は自分なりの普通をやろう。
由香はタバコの煙を吐き出しながら、そう思った。
ベランダを抜ける風が、ふわりと街の匂いを運んでいく。
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河川敷の風は、走り終えた身体には少しだけ冷たかった。
猿渡 洸太は膝へ手を置いたまま、しばらく呼吸を整えている。
肺が焼けるように熱く、喉は乾いている。
それでも、その苦しさがどこか心地よかった。
汗を吸ったシャツが背中へ張り付いている。
陽射しは穏やかな筈なのに、身体の内側だけが熱を持っていた。
川面は光を反射していて、犬を散歩させる人や、子供とキャッチボールをしている親子の姿が見える。
何でもない普通の光景だった。
その中で自分だけが、立ち止まるのを避けるみたいに走っている。
洸太はペットボトルの水を飲みながら苦笑した。
残りを頭から被る。
冷たい水が頭から首筋に行き渡ると、冷たさで身が締まる。
今日は誰にも呼ばれていない。環から連絡も来ていない。
怪異の気配もない。休んでいい日だ。
なのに身体を動かしていないと、なんだか鈍る気がした。
狒々王の仮面。
"アレ"を被れば、確かに強くなれる。
だが、その力に甘えたままじゃ駄目だ。仮面無しでもせめて中級怪異を祓い切れるくらいにはならなければならない。
そうでなければ、いつか力に振り回される。
環に何度も叩き込まれた言葉が頭の中へ残っている。
環は面と向かってあまり褒めない。
たぶん今日の走りを見ても、「まだ追い込めるだろ」としか言わない。
いつだったか朝の5時に叩き起こされた挙句、山道を走らされ、終わったと思えば組手が始まる。
思い返すだけでげんなりするが、それでも無駄だったとは思えなかった。
「趣味ねぇな、俺……」
独り言は風にさらわれた。
映画でも見に行くかと考えてみる。駅前のシネコン。
話題の新作アクション映画。悪くないはずなのに、2時間じっと座っている自分が想像できない。
結局、帰り道で見つけたスポーツショップの前で足が止まり、新しいトレーニング用のシューズを眺めていた。
重症だな。
そう思いながらも、洸太の視線はしばらくショーウィンドウから離れなかった。
ガラス越しに差し込む午後の光が、並んだ商品を淡く照らしている。
穏やかな陽射しは街のあちこちへ降り注ぎ、その先では別の誰かが同じようにこの日常を過ごしていた。
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ミーコは犬の肉球について真剣に考えていた。
どうしてあんなに柔らかいのでしょう。
どうして肉球からあんなに香ばしい匂いがするのでしょう。
まるでそう、ポップコーンの香り。
どうして触っているだけで胸の奥がふわっとするのでしょう。
窓際の席に座り、膝の近くへ頭を預けてきた大型犬の前足をそっと撫でながら、ミーコはさっきからずっと同じ結論へ辿り着いていた。
かわいいです。
本当にそれしか言えません。
動物カフェの空気は穏やかだった。
客達の笑い声も、犬達の爪が床を叩く音も、猫が椅子の下を通る気配も、全部が柔らかい。
怪異の現場にある張り詰めた空気とはまるで違う。
ここには、ただ静かに流れていく時間があった。
肩の上で、半透明のアキが頬を膨らませていた。
『ミーコ』
「なに?」
『オイラの方が可愛いだろ』
ミーコは大型犬を見る。アキを見る。もう一度大型犬を見る。
『考えるなよ!』
「アキも凄く可愛いですよ」
『“も”って何だよ、“も”って』
不満げに尻尾を揺らすアキを撫でると、足元の影が僅かに揺れた。
ハルは人前では姿を見せない。
影の中に沈んだまま、だが感情だけは静かに伝わってくる。
呆れているのか、少し機嫌がいいのか、その両方なのか。
ミーコには何となく分かった。
「ハルも可愛いですよ」
影がほんの少しだけ揺れる。
それで十分だった。
ミーコは微笑み、紅茶へ口を付けた。
温かい液体が喉を通り、身体の奥へ広がっていく。
怪異は怖い。現場へ向かう日は今でも胃がキュッとなります。
でも、こうして何も起きない午後もある。
誰かと他愛ない話をして、温かい飲み物を飲んでいられる時間もある。
そういう時間があるからこそ、頑張れるのかもしれない。
窓の外では、陽射しが少しずつ傾き始めていた。
穏やかだった一日は、誰にとっても同じように夕方へ向かっていく。
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夕方の街は、昼間とは違う温度を帯びていた。
由香は買い物した紙袋を提げ、駅前の交差点で信号を待っていた。
予定より少し買い過ぎた気もするが、後悔はなかった。
紙袋の中で揺れる新しい服やネイル用品が、妙に気分を軽くしてくれる。
爪の色をどう変えるか考えながら歩いていると、向こう側からスポーツウェア姿の男が歩いてくるのが見えた。
洸太だった。
オフの日だというのにたった今、走ってきましたみたいな格好をしている。
由香は思わず呆れた顔になった。
向こうもこちらへ気付き、少しだけ眉を上げる。
「何だその荷物」
「女子の買い物」
「多くねぇか?」
「だったら何だよ」
いつも通りのやり取りだった。
その少し後、横断歩道の向こうでミーコが立ち止まっているのを二人は見つけた。
両手に紙袋を抱え、肩には半透明のアキが偉そうに座っている。
「あ、ミーコじゃん」
由香が声を掛けると、それに気付いたミーコの表情がぱっと明るくなった。
「由香さん。それに洸太さんも」
「偶然だな」
洸太が言うと、ミーコは少し嬉しそうに頷いた。
3人とも別々の休日を過ごしていたはずなのに、こうして街の真ん中で顔を合わせると、それだけで少し可笑しくなる。
アキが肩の上で腕を組んだ。
『なーなー、何すんの?ご飯?』
「まだ分からないよ」
ミーコが小声で返す。
由香は笑った。
「でもまぁ、このまま帰るのもアレだし飯でも行くか」
洸太も特に断る理由は無さそうだった。
ミーコは少し迷ったが、由香が「飲めって言ってる訳じゃねぇから安心しなって」と言うと、小さく頷いた。
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夕暮れの風に乗って焼き鳥の匂いが混じっていた。
3人は自然と飲み屋街へ歩き出す。
祓い屋としてではなく、ただ休日の終わりを惜しむような3人として。
店に入ると、温かい空気と人の声が身体を包んだ。
店内は決して広くない。木目の濃いテーブルが並んでいる。
焼き鳥の香ばしい匂いに、グラスの触れ合う音、厨房から聞こえる油の弾ける音。
任務帰りではない居酒屋は、どこか肩の力を抜かせてくれる場所だった。
そんな喧騒の中にいると、自分達が祓い屋だという事を忘れそうになる。
少なくとも今は。
やがて、頼んだ飲み物が届いた。
カシスオレンジを頼んだ由香は最初の一口で喉を潤し、ようやく肩の力を抜いた。
洸太はハイボールを飲み、ミーコは烏龍茶を両手で持っている。
年齢は近いのに、妙にバラバラだった。
そのバラバラさが少し面白い。
隣の席では会社員達が上司の愚痴を言っていた。
それが耳に入った瞬間、由香はふと笑った。
「なぁ」
2人が顔を上げる。
「最近、お前らんとこの師匠はどうなん?」
その言葉で、洸太の顔が露骨に渋くなった。ミーコも分かりやすく目を逸らした。
由香はそれだけで満足した。
「……話、長くなりそうじゃん」
洸太はハイボールのグラスを置き、しばらく黙っていたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「環さん、マジで休みって概念ないんだよ」
その声には本気の疲労が滲んでいた。
朝5時に叩き起こされた話。山道を走らされた話。頂上で終わりかと思えば組手が始まった話。
聞けば聞くほど酷い。
けれど洸太の口調には、ただの愚痴では終わらない何かがあった。
腹は立っている。当然だ。早朝に走らされた挙句、組手と称してボコボコにされたからだ。
それは間違いない。
だが、環を否定してはいない。
強くなりたいと思っている洸太にとって、あの滅茶苦茶な師匠は確かに必要な存在なのだろう。
「環さんが師匠じゃなくて良かったー」
由香が笑うと、洸太は真顔で頷いた。
「俺だから耐えれるけど、他のヤツならとっくに死んでるぞ」
ミーコは少し怯えたような顔をした。
「環さん、すごく怖そうですね……」
「実際、クソ怖ぇよ。ミーコのとこは?」
洸太が振ると、ミーコは烏龍茶のグラスを握り締めた。
顔がもう嫌がっている。
「宗近さんは……怖いです」
「お前そればっかだな」
「だって、本当に怖いんです」
ミーコの声は小さいが、妙に切実だった。
結界を解くまで帰してもらえなかった話。
特に説明もなく、気付いたら試練が始まっている話。
聞いているだけなら笑えるが、当人からすればたまったものではないのだろう。
それでもミーコは、最後には少しだけ表情を和らげた。
「でも……あの人だけはちゃんと見ていてくれるんです」
その一言で、場の空気が少しだけ柔らかくなった。
由香はグラスを揺らしながら笑う。
「結局そこなんだよな」
木庵の愚痴なら山ほどある。
説明は雑だし、面倒臭がりだし、すぐタバコを吸うし、部屋から追い出そうとする癖に本気では追い出さない。
腹が立つ事など考えれば考える程、いくらでもある。
だが、あの人がいなければ今の自分はない。
それは由香も分かっていた。
「木庵のアホも大概だけどさ」
由香は呟き、酒を飲んだ。
洸太が少しだけ笑う。
「でも嫌いじゃないんだろ?」
「嫌いだったらとっくに撃ち殺して辞めてるっつーの」
即答だった。
ミーコも小さく頷く。
「はい」
3人とも師匠への愚痴は尽きない。
だが、その愚痴の底には確かな信頼がある。
だからこそ言える。だからこそ笑える。
居酒屋の喧騒の中で、3人はしばらく師匠達の悪口を言い続けた。
窓の外では夜がゆっくり深まっていく。
明日になれば、また怪異と向き合う日々が始まるのだ。
to be continued…
16話目見てくださった方達、ありがとうございます。
これからも頑張りますのでよろしくお願いします。
次は木庵と怜のメイン回にしようと思ってます。