はぎれ   作:檪楾

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原作:私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!

注意:逆行


学力向上委員会

 

仕事でくたびれた体をひきずって帰宅した私がその身を縛る制服から解放されたのは夜も更けた深夜だった。連休をもぎとるための連日連夜の残業の日々がようやく終わりを迎えたのだ。

 

恋人はおろかペットの小動物さえもいないこの家で燃え尽きて白い灰になった私を癒してくれるのはお酒だけで、着替えもそこそこに冷蔵庫を開けた。開けた先には冷えたビール、ワイン、ソフトドリンクも含めた種々の飲料があるはずだった。しかしそこに命の水は存在せず極彩色にちかちかびかびかと彩られた名状しがたき現象が発生していた。照明が点灯せず暗く濁ったしかし内臓のように鮮やかな冷蔵庫の中の空間そのものが膨張し収縮し脈動し痙攣的狂気に浮かされてはしゃいでいた。私は即座に扉を閉めた。ぱりんというガラスが割れたような音がした。それと同時に部屋の中の空間が大きくひび割れた。私は全身の感覚が失われ立っていることができなくなり床に倒れこむ。そして意識がとぎれた。私の連日連夜の勤労はまったくの無意味となった。

 

目を覚ました私は見慣れていながらも懐かしい光景に目を奪われた。そこは働き始めてから一人暮らしをするために引っ越したマンションではなかった。私が生まれ育った、今では両親が二人きりで住む家だった。私の私物は整理されて綺麗に整えられているはずだった。それが昔のままに物にあふれている。物置の方がずっと整っているだろう部屋は随分とあらくれていた。恥も外聞もなく積み上げられたオタクグッズが乱舞していた。

 

奇妙な現象は多々あれど良くも悪くも仕事で疲弊した精神は深く考えることができない。現状の把握よりも体は命の水(酒)やら命の草(タバコ)を欲していた。そしてなによりも足りないのが睡眠だった。私はカーテンの隙間から降りそそぐ朝日を無視して二度寝を決めこんだ。しかしそれを押し通すことはできなかった。懐かしい母の起床を促す声が聞こえた。

 

食卓にはもはや過去になった見慣れているからこそ違和感のある光景が広がっていた。かなり若い両親にヒゲも生えていない幼い弟。そもそも私も弟も独立して離れて暮らしていたのだ。弟に至っては家庭を持っていたわけで。

 

「さすがに始業式は寝坊しなかったわね」と母が言う。黒木智子、中学二年生。違和感しかない現実がそこにあった。なにせ年号が変わっている、年も取ろうというものだ。しかし疑問とか原因究明とか、そんなことよりもずっと重要なことがある。もしこの若返りがただの夢でなく永続した現象ならこの先数年はお酒も飲めないしタバコも吸えないし性的なコンテンツだって人目をはばからなければならないということだ。大人ならば認められる当然の権利を有していないという非情な宣告だった。私の連休は、優雅なる独身貴族の権利は無情にも奪われたのだ。

 

格好をつけるために無理をして飲み始めたブラックコーヒーも、気分が悪くなってしまって味以前の問題だった酒もタバコも、職場での付き合いを重ねるうちにいつしか慣れた。そして習慣になり収入が増えてあれこれとこだわり始めて、いつのまにか欠かせないものになっていた。ああ、得られないとなると余計に渇きを感じる。連日の残業のために控えていたそれらをせめて一口だけでも得られるのなら信じてもいない神にも媚を売るであろう。しかし私が神の奇跡で幸福になれるのであれば、私が不幸になるのも神の仕業ということになる。幸福にも不幸にもならぬというならそれは神のサボりであろう。どう考えても全部お前らが悪い。なんらかの上位存在が私の冷蔵庫にあらぬ細工をしやがったことは間違いないのだ。あれが幻覚幻聴の類ではないことを私は確信していた。私は私の優秀な記憶力を遺憾なく発揮した汚い言葉のボキャブラリー全力全開の罵倒を神をかたる上位存在へと吐き出した。

 

邪神に翻弄される干物女が燃料切れでカピカピになっていても日は昇っては沈みまた昇り日常生活は進んでいく。学校生活は始まり通常授業も開始されていく。何事もないように見える日常。しかし爆弾はおだやかそうな国語教師によって投下された。

 

「席替えしたけど給食は好きなやつ同士で食っていいぞー」

 

学校という環境に適応しきった大人がなる職業が教師だとするならこれが共感されることがないのは道理だろうが内向的な生徒がそれによって席を奪われる恐怖といったら筆舌に尽くしがたい。いや、それよりも恐ろしいものがある。あいつの席座りたくないなどと席を奪うことさえ否定されようものなら心臓は破裂し脳は焼けこげ諸々の臓器不全により死に至るだろう。団体行動が苦手な人への配慮がない。だれもが人とコミュニケーションをとることに喜びを感じるわけではない。しかしこのように思春期のこまやかな情動反応を理解せず教え子の動向を把握していない人物に文学を教えられるのか誠に不安である。一度は教わっているはずなのだがこの教師の授業はまったく記憶にない。学問の徒としての能力も所詮その程度に違いないと私は決めつけた。

 

しかし今の私は見てくればかりは思春期であるもののその精神は大人だった。いや、所詮は思春期に毛の生えたようなものかもしれないが、社会の七難八苦に押しつぶされて起き上がり小法師のようにはうまくいかず七転八倒し、それでも社会の沈澱したよくわからぬどろどろした何かの中でどうにか生きてきた経験があるわけである。適性はなくともグループをつくることの益もそのやり方も知っているのだ。なにより孤高を気取れるほど自分が強くないことを知っていた。

 

辺りを見回すと小宮山、成瀬、佐藤といったグループからあぶれたやつもちらほらと見られる。声をかけるならここは順当に小宮山だろうか。中学から始まって以来やつとの交友関係は長く高校、大学、就職してからも何かと縁がある。生活のなにもかもが野球に通じるディープな野球狂いであり我が愚弟に発情する悪趣味だが、さりとて気が合わないわけでもなかった。オタク同士ジャンル違いだからこそ解釈違いにもならないという、まあ腐れ縁であった。

 

それから成瀬優、ゆうちゃん。私と彼女が親友であることは自他共に認めるところではあるが、実はここしばらく会うどころかメールすらもしていなかった。若返りという異常現象を差し引いても距離感をはかりかねていた。学力の差、学校が違うことによる時間的距離的な制約は人間関係の構築にしだいに悪影響を与えたのだ。それでも細々と関係は続いていたのだが、ゆうちゃんが結婚したことが決定打となった。ちょうど私も仕事が忙しくなった時期でそれから疎遠になってしまった。物理的な距離が心の距離に作用してしまった。もちろん、いつのまにか彼氏持ちになっていつのまにか結婚していたことへの嫉妬もあったであろう。結婚式では心から祝福もしたし感涙もしたのだが。それはそれとして思うところはあった。歳を重ねても私の偏狭さは表に出さなくなっただけで改善するどころかむしろ悪化の一途をたどっていた。

 

とはいったものの一人だけで給食をつつくゆうちゃんを見ていられなくなって結局は誘ってしまうのだ。彼女はチワワとか子猫とかそういう類の魅力をもっていると思う。アニマルセラピーを感じる。触れれば切れるナイフのようないかつい不良であっても雨の日につい傘を差し出してしまうのだ。

 

佐藤に関しては、おとなしい内向的な彼を女ばかりのグループに入れるというのは逆にはばかられた。私であったら異性ばかりのグループは嬉し恥ずかしであるが、やはり恥ずかしさが勝ると思われた。なにより調子に乗って黒歴史の量産に貢献することは確定的明らかであった。佐藤がそうなるとは思っていないが。

 

もこっちという相も変わらない変なあだ名をつけられ小宮山をまきこんで、こみっちというあだ名をつけたりしながら給食は和やかに進んだ。補助輪付自転車に乗っている人がいたという話題になったので、それが私であることを申告した。いずれジャイロホイール搭載の倒れない自転車が発売されるからなにも問題ないことを力説しておいた。未来知識をこのようなくだらぬ雑談でしか活用できない私を笑うがいい。

 

二週間も経てば多少は馴染むもので、ゆうちゃんは言わずもがな小宮山もじりじりと歩み寄ってきている。野球の話がなに言ってるかわからなくてうざいとか、なんでもかんでも野球の話に繋げるのがうざいとか、思っても口に出さない。たったそれだけのことで人間関係とはいい方向に勝手に転がっていく。心理学的には嫌いでない相手であれば毎日顔を合わせるだけで好感度は高まるらしい。挨拶さえなくてもいいらしい。そうやって人間関係に割く労力は極力減らしていきたい所存。楽してズルして、やっと私の人生はノーマルモードに突入できるのだ。

 

そういえばなにやら小宮山の髪の毛がぼさぼさである。ゆうちゃんが「今日はいつもと髪型ちがうねー」と無邪気に言った。私にはとんでもない寝癖か暴風に煽られたようにしか見えなかったが、もしかするとセットしてきたのかもしれない。しかし私に舌が三枚あったとしてもこれを無造作ヘアと表現することはできないであろう。小宮山の名誉のため円満な学生生活のため私は固く口を閉ざした。

 

厳しい現実は誰が何と言おうとも学生生活の花形は勉学であると指し示している。しかし残念なことにゆうちゃんは勉強ができない。やる気もあるのかないのかわからない。そもそも成績という制度を理解しているのかもわからない。いくらなんでも頭脳が子犬すぎると思うのだ。これは過去の、いや今からすると未来の話だが最低評価のならぶ通知表を片手に普段と変わらぬ朗らかな笑みを浮かべられるのは、もはやのんびりした性格というには度が過ぎているように感じられる。恐怖すら感じた。ゆうちゃんの阿呆さは得体がしれない。なにせ長年この干物女たる私の親友をやってこれたのだから、程度は推して知るべしである。

 

ふと思ったのだが阿呆だから恋人ができ結婚もして薔薇色の新婚生活を満喫できたのではないだろうか。実際ゆうちゃんは相当に程度の低い高校に入学しそこであのように世俗にまみれて、そして彼氏ができた。一方で進学校に進んだ私と小宮山は男女交際などという淫らなものが一切混入しない清浄な空気に包まれながら勉学に励んだ結果、行き遅れ嫉妬にまみれた。もちろんあの高校にも相応にリア充と呼ぶべき悪鬼羅刹どもが存在したが低学歴の世俗の人間に比べまだ節度を持っていたように思う。つまり清らかなゆうちゃんが清らかなまま成長するためには学力の向上が求められるのではないか。

 

そういうことだったのか。私は私の聡明さに惚れ惚れとし強く確信した。小宮山も学力は高いのだから巻き込んでしまおう。あいつもゆうちゃんのための努力は惜しまないだろう。しかしゆうちゃんの成績の悪さは相当なもので2年生の今になってから多少のテコ入れをしたところで果たして受験までに間に合うかどうかわからなかった。この難事を乗り越えるのに並大抵の努力では足りないだろう。だが私は諦めない。純情可憐なるゆうちゃんを守護らねばならないのだ。決して淫らな男女交際などという世俗に触れさせぬよう戦わなければならない。早速ゆうちゃん学力向上計画を練るべく小宮山に一報を入れた。

 

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