原作:葬送のフリーレン
注意:原作キャラ未登場
メレは毎朝生まれる。前日までのことがまったく頭にない。全てを忘れているわけではないが、実感がともなわず応用が効かない。寸分違わず同じことでなければ対処法も浮かばず、浮かんだところで能力が足りず対処できない。頭の悪さと魔族的な情緒の薄さとの悪魔合体である。つまり今ここがどこで、誰が主人で、なにをしたら折檻を回避できるのかということが長年の経験から導き出されることはない。ガラクタさえつまっていない伽藍堂な脳内には蜘蛛の巣が張り、餌の虫さえいないものだから蜘蛛は死んで干からびた蜘蛛の巣だけが残っていた。
メレの周囲には見知らぬ人間の女が二人居た。メレには聞き取れなかったが早口でなにかをまくしたてながらメレの世話を焼いた。まず全身を磨き上げようと服を脱がせたところでメレの体に刻まれたおびただしい古傷に悲鳴をあげ、それは本来こらえるべきだったと恥じ、それから黙々と使命をまっとうした。
次第に慣れてきたのかどんな服が似合うかしらと雑談をまじえて髪を洗おうと頭に触れ、そうして雑に折られたツノに気づいた。根元に近いところで折られているから目立たないが、それはガサガサと荒れた質感で、折れた割り箸のようにトゲトゲと毛羽立ち、髪の毛を執拗に絡みつかせていた。二人の女は悲鳴をあげた。うろたえながら洗髪だけはどうにか済ませると、また別の人間を呼んだ。
呼ばれた男は木材を研磨する仕事をしていた。男は動物のツノを研磨する職人もいるのだからそちらに頼んで欲しいとぼやいたが、二人の女は頑として譲らなかった。今すぐにとなると他の職人は見つからなかったのだ。髪は女の命である。とにかく迅速にガサガサトゲトゲのそれをスベスベにすることが望まれた。もちろん完成度は重要であるが、しかしこのままにはしておけなかった。二人の女は拙速に事を運ぶ必要があると主張した。
急遽呼ばれた専門外の、しかもそれほど腕の良くないと自他共に認める三流職人であったが、それでも彼は職人だった。作業は滞りなく遂行されて、無惨なツノの残骸は一見すると髪飾りにしか見えない滑らかなものとなった。これ以上となると彫刻家を手配しなければならないだろう。腕のいい彫刻家の伝手はあったが腕がいい故に今すぐにというわけにはいかなかったのだ。ひとまずそれで了とした。
女二人は気を取り直して服を着飾らせ、髪を編み込み、凝った意匠の髪留めをとっかえひっかえとした。そうやってコーディネートにせいをだした。
着飾ったメレは喧騒につつまれていた。それはメレに魔法で癒された人々だった。大人も子供も老人もいた。メレをとりかこんで口々に「ありがとう」と言った。これだけの人々が繰り返し言うのだからそれは魔法のような言葉に違いないとメレは確信するが、しかしそれはいったいどんな意味のある魔法なのだろうとメレは思った。
メレは子供に手を引かれてなにかの会場につれていかれた。広さ相応の数の椅子が並べられている。メレはそのうち一番豪華なものに座らされると、まわりの席に子供たちが座った。そのさらに周りに大人たちの席があった。演壇のような設備はなく、向かい合うように席が並べられていた。最初にそこに座ったのは音楽家たちだった。
砂嵐の荒れ狂う砂漠で、オアシスは枯れ、魔物が襲いくる。そんな絶体絶命の窮地に降り立つ天使、人々は癒され、というような音楽だった。随分と誇張されてもはや原型がないがメレのことを称えるものだった。しかしメレに音楽はわからない。やかましいと思うだけだった。
それから子供たちによる催しものであったり、大人たちからのかしこまった感謝の言葉であったり、いくつかのメレにとっては煩わしいだけのイベントが行われた。それらが落ち着くと食事がふるまわれた。参加せずに帰る者や逆に食事のためだけにやってくる者もいて、どうやらここで一区切りのようだった。
メレは宝石のようにつややかなラズベリーをひとつだけつまむと、疲れ果てて食事という気分ではなかったから少しでも静かな場所を求めて端の方に移動した。ぼんやりと周囲を見まわすとひとりだけで会場から出ていく子供の姿が目に入った。メレの魔族の本能があれは獲物になりうると反応した。残念ながらそれは誤作動なのだが、狩人になったような気分でメレはそれを追いかけた。
子供はふらふらとあちらこちらへと徘徊した。この子供は静かな場所が好きなようで、にぎやかな人混みを避けて移動した。木を隠すなら森で、人を隠すなら人混みである。よって人混みではないここではメレのつたない追跡は即座に見破られ、いつのまにやら二人で静かな場所を求めて移動することになっていた。子供は手を差し出し、メレはその手をとった。メレは殺傷目的で魔法をすかさずかけていたが、やはり期待するような効果はなかった。
二人の好む人の気配のない静かなところというのは、人目をはばからなければならない輩も潜んでいる。つまり治安が悪いということでもあった。着飾った女子供、それは絶好の獲物に見えたことだろう。
手を繋いで無防備に歩く二人を悪徳なる人間は見逃してはくれなかった。そいつは一人だったがメレ三人分はある大柄な男だった。帯剣もしていたし、腕に覚えがあった。卑しく笑って二人に声をかけた。その下劣な品性がにじみでた耳障りな声をしていた。メレはあまりの気色悪さに耳から虫が這いでたのではないかと思った。子供もふるえた。
メレには男が獲物を横取りしようとしているように見えた。不快感はあれども危機的な状況であることにメレは気づかず、いまだに狩人を気取っていた。メレは横取りされてはたまらないと子供に逃げるように言った。逃げる先はきっとあの会場であろうから男は知らないはずで、時間さえ稼げば逃げおおせるだろうと浅知恵をはたらかせた。メレ自身の逃げる算段は伽藍堂の脳には少しもよぎることがなかった。
子供は葛藤したが身をすくませながらも駆け出した。助けを求めることこそが最善だと考えたのだ。メレよりもよほど賢明であった。
メレは阿呆で貧弱極まりない存在である。なんの策もなく立ち向かい当然のよう組み敷かれた。
悪徳なる人間にのしかかられたメレはわずかばかりの抵抗を試みるものの、相も変わらずな細腕は火事場の馬鹿力を発揮することもなく、まるで誘っているかのように柔らかく触れるだけだった。男からはその気色の悪い声に似つかわしいヘドロのような汚臭がした。メレは多大な不快感からうめいた。それさえも悪徳なる人間には興奮の呼び水になった。なにをされるのかは定かではないが、主人となった人間以外に折檻をされると種々の争いが生まれ、それはもうやかましいことになることをメレの小さな頭は覚えていた。誰が主人であるかの優先順位を違えると人間にとっても魔族にとっても、ろくなことにならないことをメレは知っていた。主人(ペトリファイド)に許可はとったのだろうかとメレは思った。
ツノを折られた時のことをメレは思い出した。主人の目を盗んだ何者かにツノは折られたのだ。その輩は人を拷問して殺害するのが三度の飯より好きという異常者だった。異常者はお気に入りを見つけると飲食を忘れて拷問に耽ることがあった。魔族だからそう簡単には壊れないメレを気に入り、他人のものであることを知って尚ことに及んだ。ツノを折られた時の衝撃といったらチカチカと目の前に星が飛びちり、首がひどく傷んだ。そして全身を削られたり穴をあけられたり「神経を眠らせる魔法」では追いつかないほどにメレは痛めつけられた。それを見つけた当時の主人は怒り狂い、異常者の所属する組織との大規模な抗争に発展したのだ。それは今までにない騒々しさだった。良くも悪くもメレは重症を負っていてやかましさを気にする余裕もなかった。
抗争が終わる頃には傷もほどほどに癒えて、無事とはいいがたいがなんとか生き延びたことにメレは安堵したものだ。ついでに主人にも折檻を受けたがそれは慣れたものだった。
自分にのしかかる悪徳なる人間は、メレにはその時の異常者と同じ目をしているように見えた。
下手を打てば殺されかねないとやっとメレの鈍い小さな脳でも理解したようだった。今更ではあったが狩人気取りののぼせた思考を即座に忘却した。何にたいしてなのかもわからぬ謝罪をして、泣いて命乞いをした。メレは魔族だから悲しいわけでも悔しいわけでもなかったが、この手の人間はこうすると喜び、そして殺意を失うのだ。メレの生きる環境で「おかあさん」は魔法の言葉ではなかった。親の顔など知らぬ悪鬼羅刹ばかりだったからだ。みじめな姿の「ごめんなさい」こそが魔法の言葉だった。殺意を愉悦に変える魔法のような言葉。
悪徳なる男はメレに対して悪徳を成すことはできなかった。石のつぶてが飛来して悪徳なる人間の背中にめりこんだのだ。それは石の種だった。石の種は爆発的に成長して悪徳なる人間の体を穴だらけにした。穴だらけの体からは出血もなく、内臓がこぼれるようなこともなかった。それは石のように静かに穴だらけになった。そして綺麗な石の花を咲かせた。
それを成したのは物静かな石のような男ペトリファイドだった。彼の「石の種を植え付ける魔法」によって悪徳なる人間は水晶のように綺麗な花を咲かせた。悪人の血ほど綺麗な花を咲かせるとどこかの偉い人も言っていた。
相変わらずの静かな男だったが、メレにはペトリファイドが怒っているように見えた。メレはその怒りをどうにか愉悦へと変えられないかと泣きじゃくり魔法の言葉を繰り返したが、ついに愉悦を引き出すことはできなかった。
ペトリファイドは鞄から小瓶を取り出した。中にはラズベリーが詰められていた。取り出されたラズベリーはペトリファイドの手によってメレの口に詰められた。