大奥迷宮の深淵、信綱は微睡みの中で異邦の神と対峙する……
松平信綱とポカニキのイベ幕間的な短編です。大奥イベのネタバレ注意。pixvにも投稿しています。

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夢に死すとも、知恵出づる

 

 

 

仕置きだて せずとも御代はまつ平

 

 

ここに伊豆とも 死出の供せよ

 

 

 

———江戸の流行り歌より

 

 

 

 

 

 

「……ケホッ」

 

 小さな咳払い。

 色香でむせ返る大奥の一間にて、彼はうたた寝をしていた。

 将軍のために作られ、全国より選りすぐられた女の園。

 その最奥で、彼は愛欲の一切に溺れることなく、愛想のないと言われた仏頂面のまま目を閉じていた。

 深緑の着物から伸びた青白い首。三つ蝶が菊を囲う家紋の彫られた肩衣はよく整っており、江戸幕府の重鎮という重荷を背負うに相応しい着こなしである。その嫌味を言われるほどに潔癖たる知恵伊豆が、こくりと座った姿勢のまま眠るなど、従来の江戸城であれば露ほどもあり得ない、江戸城の者がみれば前代未聞と狼狽える姿である。

 

 夢の中で、男はこの先のことを考えていた。それは歪んだ大奥、引いてはこの江戸を元に戻す術であり、そのための算段を更に改めてより成功に導くことであり、さらにその後、この件が片付き、己がいなくなった後も、徳川の治世が長びくために今何ができるかまでをも見据えていた。

 

 残された家臣へ書を認(したた)めるには、女神の視線が邪魔をする。

 遥か先の世より来たりし子供らと春日局たち一行への支援ですら、薄々勘づかれながら見過ごされているのも、この松平信綱が一世一代の道化を演じていて何とか勝ち得た道筋。

 これ以上欲を張れば、遠山を見て足元の石を見ぬのと同じ、躓(つまづ)く羽目になるだろう。

 

(だが……)

 

 先のことを考えねばならない。

 なぜなら既に、彼の推測では、徳川の世が終わるということが確定しているからだ。

 平家も、源氏も、北条も、足利も。武士による幕府は数代を経た後に滅んだ。

 それは次代将軍の気質が故か、あるいは家臣か、それとも朝廷の謀か。何にせよ、人という歪な代物が治世に関われば、どこかで安寧にヒビが入り、いつか崩れることは必然。たとえ文武を決めた武士どもが国を支えようと、袂を分かつ者たちが現れ続け、いつかは抑えが利かなくなる。そうだ、あの島原の乱は、戦国最後の大戦(おおいくさ)にして、これから現れるだろう幕府打倒の党らへ続く楔でもあったのだ。

 

 だというのに、この大奥で作られた徳川家将軍の印籠は、確認できただけで明らかに少なかった。

 但馬守と共にいた未来の若者たちすら、

 例え大奥が広くとも、印籠が百はおろか二十もない。

 つまり徳川が二十代をいかずして滅ぶのだと、暗に示していた。

 

(それを承知している拙者こそ、道の石を取り除かねばならぬ)

 

 謀反の兆しがあってからでは遅い。そうする考えが浮かぶことさえできぬよう、手を打たねばならんのだ。

 大名屋敷、参勤交代、それでも足らぬ。

 徳川が栄えるのみではだめだ。諸藩の力を抑えつつ、日本(ひのもと)全てが栄えぬようでなければ、異国に飲み込まれる。

 それはこの大奥にて、天竺の神と相対したことで確信へと至った。

 

 確かに「さあばんと」なる神通力は無比のもの。

 しかし一方で、先の世ではこれ以上の荒々しき武器が必ずや生み出されるものだと、理解する。

 カーマという神がここにいるのも、神代では望みを達せられず、後の世においては望みを達せられない、この江戸という時代においてのみ力を振るえると確信したからに他ならない。

 

「如何にしたものか……」

 

 策を詰めていく。だが、元々細き紐の上を歩くがごとき策なれば、詰めるほどに先が読めなくなる。

 何より、自らをその鍵として組み込んだのがいけない。

 この身がどれほど苦痛に耐えうるか、それは矜持のみで計りきれない。

 

 

「……む」

 

 いかん、眠りこけていたか。

 あたりを見回すと、香の煙が濃くなっていた。

 襖や足元の畳すら明らかにならぬほど、あたりを煙が包む。

 囲炉裏の火が一際激しく燃える。

 なにかが、おかしい。

 

 

「よお、迷い込んだか」

 

 

 どこからか男の声がした。

 見れば、火を挟んで対面に、金色の長い髪を伸ばした男が座っていた。

 棒きれを弄ると、いつの間にか焚火となっていた炎はパチパチと音を立てる。

 

「ここに来たってことは、お前は相当な戦士だったわけだ。しかも……ほう、実に面白い。お前のような戦士に出会えるとは、俺も寄り道したかいがある」

 

「誰かある!」

 

 曲者の出現に、女形の傀儡を呼び寄せようとするも反応がない。

 己は今、大奥ではないところにいるのかと、即座に悟る。

 

「そう焦るな。肩の力を抜け、それがこの場所のルールでもある」

 

「貴様もまた、さあばんとなる者か」

 

 その容貌、尋常でなければ、ただの人間とも違う。

 ただ座っているのみで、あの女神以上の圧を放っている。

 

「ただの人間にしては飲み込みが早いな、それとも既に他のサーヴァントと合っていたか? どちらでも良いが、そう警戒するな。俺は敵じゃあない。それにお前ももう闘う必要はない」

 

 その真意を問い詰めようとして、信綱は己が身体の軽さを覚えた。

 あの女神を倒すべく、自らの血肉を代償に花札の形をした霊符を生み出してきた。

 そのため、先ほどまで空洞になっていく体の内側に耐え兼ね、常に苦痛と咳を覚えていた。

 それが今では、臓器の満ち溢れる感覚と、苦痛どころかすべての病が身から取れたと思うほどに、気分が良い。

 

「拙者は、死んだのか。であればここは三途の川が畔(ほとり)か」

 

「さんず? 太陽(Sun’s)ってことなら大当たりだな。なんだ、煙る太陽の名は、この時代の日本にも知れ渡っていたか」

 

「生憎と貴殿のことは存じ上げぬ。だが名のある神であるのだろう」

 

「フハハッ、良いねエ! そう、俺は名のある神だ。名前が多すぎるにな」

 

 ここは、この男神が生み出した死後の場所。

 とはいえ、神話にある冥界ほど大きな場所でもない。焚火の周り以外は作られておらず、ただ信綱と話すためだけに作られた小さな空間だった。

 他の異聞帯を渡る途中、少し面白い魂が見えたために、神の権能を使い、少しだけ時間を入れ替えながら覗き込んだのだ。

 もし気に入れば、自らの異聞帯まで男の魂を運んでやってもいいという、神の寛容さのままに。

 

「まあ、休めよ。お前くらいの戦士なら、何夜でも火を囲んで語り明かせそうだ」

 

 そんな事情を信綱は知らない。

 代わりに、一つ息を吸った。

 

「無礼を承知でお頼み致す。拙者を生き返らせてはくれぬか」

 

「……なんだと?」

 

 不敵な笑みを浮かべていた金髪の男が、眉間に皺を寄せる。

 

「聞き間違えか? それともこの国では、死んだ人間はそう簡単に蘇るのか?」

 

「否、この身は既に長くなければ、僅かに生き永らえればそれで良い故。その後に我が魂は如何様な罰を受けようとも合い構わねば、無理を承知でお頼み申す」

 

 そういって座った姿勢で深々と頭を下げた。

 舌打ちをして、煙る神はその顔を覗き込んだ。

 説教の一つでもしてやろうと思ったのだろう。だが、この顔は頑として譲らないものだ。

 

「これがサムライってやつか、話には聞いていたが厄介だな」

 

「何卒(なにとぞ)」

 

 そう言いながら、信綱は目の前の神について考えを巡らした。

 神は拒否する姿勢を示しているが、見放す様子はない。

 絶対に無理だと主張してこの場から立ち去るようならば頼み込んでも無駄だが、この神にはどこか抜け道がある。だから未だ目の前でこの身を見つめているのだと、信綱は思い至った。

 では、黄泉の国において神に望みを奉る方法は何か。

 

「或いは、命を吹き返すに見合う対価を差し出せば、宜しゅうござるか」

 

「あぁ? 何勝手に神と取引しようとしている。俺を侮っているのか」

 

 だが。

 神は興味を持った。

 マヤ、アステカの戦士とは異なる精神性。海を隔てた西で発達した戦士の極致、サムライ。戦に特化した理念と戦闘技術、時に自らの腹を切りもする、武士道という精神性。

 

 そしてこの男からは。

 

 かつて多くの死を経てきたという死の匂いが充満している。

 実に良い、戦場で迷いを捨てて敵を殺さなければ、こういう焦げた匂いにはならない。

 そして今もなお、逃げることなく己が正義を信じて立ち向かおうとしている。

 

「……良いだろう、お前は俺に何を差し出せるか、見せてみろ。だが言っておく。もし中途半端なものを出せば、神への侮りとみて、ここで話は終了だ」

 

 信綱は、少し考えた。

 この大奥の中では、彼の持ち物は殆どない。

 精々手元にある刀くらいだ。

 これを武士の魂と言うものもいるが、彼にとってみればただの道具だ。彼自身、そこに愛着は強くない。

 

 あるいは、これまで準備を進め、いくつも作り上げてきた花札二五枚。

 うち半数は既に大奥に隠し巻いて、かるであの者らに発見させている。これこそあの女神を倒す秘策の要であり、十分価値はありそうだ。しかし、これを手放せば例え生き返ったとて、今度は大奥を崩す手立てがなくなってしまう。

 

(さて、いかに)

 

 とは言ったものの、既に差し出すものは決まっていた。

 だが、それを差し出した途端、彼にとっては一つの未来を失うこととなる。

 男は一度瞬きをした。その僅かな間のうちに、心の動揺を静かになだめた。

 

「では、こちらを」

 

 胸元から取り出し、両手で持って差し出したのは

 

 

「なんだ、この札は……いや、これはお前の魂で作った呪符か」

 

 

 信綱はここまでに花札

 最後に隠し持っていた、26枚目の花札だった。

 男神は、その花札の礼装としての仕組みを見抜く。だけでなく、二六枚目に何が込められているのかを察した。

 

「なるほど……これはお前の命を延ばしてやるのに相応しい代物だ。お前の仕える王家の未来は、これに係(かか)っている訳だからな」

 

 それは、この大奥のために用意したものではある。

 自らの身体を限界まで削りとった後、更にギリギリまで削って生み出した花札。

 これこそ、女神を倒した後、幕府存続のために仕えるよう生み出した礼装だった。

 男神はそこに、信綱の思考が詰め込まれているのを感じた。徳川滅亡を防ぐべく、信綱が死してもなお、必要なことを告げられるようにと生み出された至極の札である。

 込められた想いの強さを考えれば、

 

「受け取っても良いが、本当にそれで良いのか? 折角命がけで作った未来への手紙を、今ここで破り捨ててしまうわけだぞ。あるいは、お前がこのまま死んだとて、その札さえあれば、いずれ誰かが見つけて未来へ繋げるかもしれん」

 

 確かに、信綱の命は生き返ったとて刹那。

 一方で遺物を後世に残せれば、この特異点を利用して「未来への対策を計算した徳川幕府」という存在が成立するかもしれない。

 

「その通りに御座います。であれば、その花札の価値が十分にお分かりかと」

 

「……これがサムライってやつか。良い覚悟をした戦士の目をしている。だが、それでも足りないな。死人を生き返らせるには、もう少し勘定が必要だ」

 

 神は冷酷に、平等に、そう宣言する。

 

「死んだばかりの男の心臓と、その男の心臓を生き返らせることを天秤にかけて見ろ。人間の中じゃ賢いほうのお前なら、重さの違いがどれほどか分かるはずだ」

 

 それは分かっている。

 しかし信綱に、切れる札はもうない。着の身着のまま、その身に残るすべてを差し出しても意味がない。

 古事記の頃より死者が生者となるは難き事である。

 ここまでか、と信綱は静かに目を瞑った。

 

 

 

「どうした。知恵伊豆ならば、ここからが知恵の見せ所ではないか」

 

 

「……おい。今お前、神が交渉をしている最中に口を挟んだか」

 

 誰かの近づく足音。

 神の怒る声。

 信綱は目を開けた。

 

「失礼、だが私は彼と同盟を結んだ間にて。その花札も私の魔術によるものであれば、一つ話に関わりたい」

 

「天海殿……いずこからここに」

 

 信綱は、その顔をはっきり見ようとして

 

「いや、貴殿はそのまま休め。ここは私がもう一つ、差し出せる物を用意した次第にござる。きっと異国にて供儀に関わる御神であれば、気に入るものかと」

 

 そういって天海が差し出したものを前に、神の目の色が変わった。

 

「……ハハハ!! おいおい、まさかこの国でも、こんなことをするのか。確かにこれは俺向きの代物だ。戦士から作った黄金の髑髏(カラベラ)とはな。黄金の国と言われたのも、あながち間違いじゃなかったか?」

 

「こちらはさる御方の復活の触媒として私が用意していたもの。しかし御神にお気に召されたのなら、恐悦至極に御座います。これで、信綱殿を蘇らせる帳尻は」

 

「ああ、十分だ。これで天秤は釣り合った」

 

 光が信綱を包む。

 視界に罹っていた霧が晴れていく。

 

「じゃあな、取引成立だ。しかしこうも簡単に死者を生き返らせては、商売人としては未熟だな。次はもう少し、吹っかけ方を変えてみるか」

 

「では、お行きなされ信綱殿。其方が真に救いたい人を、救ってみせよ。この世を変えるは生者のみに許されし所業。御主はまだ、霊でもサーヴァントでもない。今を生きる---」

 

 

 

 パチリ

 

 

 信綱はカッと眼(まなこ)を見開いて、目覚めた。

 どうやら、ついうたた寝をしていたようだ。

 身を正して、信綱は手元にある花札を見た。

 ここには、既に迷宮へ隠した札を含めて全部で25枚。

 

「ケホッ……一枚足りとて無駄にはできず、未来に残せる余裕もないか」

 

 しかし同時に、存在しないはずのもう一枚は、既に使った感覚もある。

 とはいえ、やるべきことは変わりない。

 

 

「拙者は、上様に仕えし武士なれば」

 

 

 我が身を最後まで、徳川のために差し出すのみだ。

 

 そう、この松平伊豆守信綱こそ、神に対抗する切り札である。

 故に我が身が、最後に切られることになろうとも構わない。

 

 

 

 切り札とは、使い手次第で神をも騙す一手となるのだから。

 

 

 

◇◇◇

 

 

仕置きだて せずとも御代は まつ平

ここに伊豆とも 死出の供せよ

 

これは正史にて、徳川三代将軍家光の死去の際に読まれた歌。

家臣が主君を追って殉死する中、後を追わなかった信綱を非難した歌である。

松平が死んだのなら、知恵伊豆も忠君であるなら、また死して供せよと言われながら、彼は政を行い続け、寛文二年まで生きた。

 

その最期の遺言のまで、幕府に忠義を成しながら。

 

 


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