BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第百五話 宿命の名前

 

「これくらいでいいでしょ。……アマミヤ、あんたも随分と嫌がらせをするじゃないの」

 

「あらぁ……? 心外やわぁ。これは訓練であって、殺し合いやないよ?」

 

 しかし、キザハシの眼差しは笑っていない。

 

 それはアマミヤも同じであった。

 

「……ま、どっちにしたってあたし達はまだ、シュヴァリエ相手の遭遇戦があったとしても勝利条件には程遠い。それが分かっただけ御の字でしょ」

 

「せやねぇ。……襲名式、はよ行きなはれ。ウチは少し用があって参列出来そうにないわ」

 

「……ワイズマンとの?」

 

「勘繰りは、お勧めせんよ? キザハシ。賢しくあろうって言うんならやけれど」

 

 立ち去っていくアマミヤの背中が完全に見えなくなってから、キザハシに肩を突かれる。

 

「……あんたねぇ……雨宮小夜は現状、最強の一手なのよ? 本気で倒せると思っていたの?」

 

「……それは、言い過ぎかもしれないですけれど、一本くらいは」

 

「お馬鹿。それが勝てるって思っていたって言うのよ。舐めるんじゃないわよ。……あれは十二年間もアシッドに潜入していた。勘付いた連中は全員、片付けて来たのよ? それに、アマミヤに匹敵するサヤが今代で生まれるとも思えないし」

 

 キザハシはそう言えばアマミヤから直接「血分け」をされたはずだ。

 

 思うところもあるのだろうと考えていると、不意に訓練場に気配を感じ取る。

 

「キザハシ、それにオトナシだっけ? ……随分と執心ね。そんなにミッションでよく見られたいの?」

 

「キザハシはともかく、成り立てのサヤでどれだけ頑張ったって無駄の極み」

 

 断言口調の眼鏡姿の少女と、どこか嘲笑を浮かべた少女が肩を並べてこちらを見比べる。

 

「……イスルギとツキシロ。何の用よ。こんなところを使うようなタマじゃないでしょ。あんたらは」

 

「心外ねぇ、キザハシ。若輩者を見てあげようって思っての話じゃないの」

 

「あなたは音無小夜、ね?」

 

 問い質されて真那は僅かにうろたえる。

 

「……そう、ですけれど……」

 

「前のオトナシが随分と強かったから、どんなものかと思っていたけれど。……ま、何とか選抜部隊に選ばれたんだからそれなりと思うべきなのかしらね。それとも? キザハシ、あなたその子に肩入れしてるんじゃないの?」

 

「あたしがオトナシに? ……馬鹿言いなさい。弱いサヤにいちいち関与していたら、自分の身が持たないのくらい分かるでしょう」

 

「それもそう。でも、キザハシ。あなたは少し変わったように映る。前までなら同じサヤとは言え、合同訓練なんてしなかった」

 

 文庫本のページを捲り、眼鏡のサヤが応じる。

 

 キザハシはその言葉に毒づいていた。

 

「知っているでしょう? あたしは勝てる目算のある戦いだけをする。それ以外は全て些末事。勝てないのに馬鹿を見て、それで要らない時間を浪費するのは愚か者よ」

 

 キザハシの論調は自分と相対している時よりも鋭いように思われた。

 

 同じサヤと言っても敵対関係にあるのだろうか。

 

 イスルギと呼称された少女は、ふんと鼻を鳴らす。

 

「でも、“原生林”には私達も参戦する。見てなさい。あなた達はお荷物になる。その時に助けを借りようなんて思わない事ね」

 

「その言葉、そっくりそのままお返しするわ。あんた達の腰の引けた援護なんて逆に不利なんだって事くらい」

 

 途端、互いに殺意を飛ばし合う。

 

 イスルギもツキシロも、キザハシと同程度か、あるいはそれ以上の使い手に映っていた。

 

「……後悔したって知らないわよ」

 

 捨て台詞を吐いてイスルギが身を翻す。

 

 その背中にツキシロも続きかけて、不意にその眼差しが自分へと向いていた。

 

「“音無小夜”、あなたは何のために戦う?」

 

 唐突に戦う理由を問いかけられて、真那は返事に窮していた。

 

「私、は……」

 

「このサヤは結局のところ、それを探している途中なのよ。放っておいてもらえる?」

 

 代わりにキザハシが答えてくれるとは思っていなかった真那は茫然とする。

 

 ツキシロは数拍、その返事を受け止めていたがやがて納得したように首肯していた。

 

「そう。それも一つの答え」

 

 二人の気配が絶えてから、キザハシは大仰に嘆息をつく。

 

「……あの連中、あたし達を侮っているのよ。だからあんな物言いが出来る」

 

「で、でも……私はまだ、サヤとしては未熟ですから……」

 

「あんたもあんた! ……少しは言い返しなさいよ。舐められっ放しじゃ、サヤとしての名が泣くわよ」

 

 キザハシは相変わらず強気だ。

 

 だからこそ、自分は彼女について行く気になったのだろう。

 

『ケース38』に同情したのもある。

 

 キザハシもまた、偶発的に力を手に入れた。自分と何ら変わりはしない。

 

 しかし、力の使い方を学んだのならば、そこから先の道は分かたれるはずだ。

 

 キザハシは少なくとも十二年間――第一線のサヤとして戦い続けて来た。

 

 ならばその覚悟は相応である。

 

 自分はまだ、何の覚悟もない。

 

 オニゲンの事を知ったのも、セクション三十七の惨状を目にしたのも、全て。

 

 結局は周回遅れの覚悟だ。

 

 だが、少しでもこの想いが届くのならば――せめて戦いに赴く事への躊躇いは消し去りたいではないか。

 

「……そろそろ襲名式ね。あたしはパスするから。あんたは自分のデヴィッドとルイスに同行でも頼みなさい」

 

「キザハシさん……っ!」

 

「……何よ」

 

 振り返ったキザハシはどこか言葉を待ち望んでいるようであった。

 

 しかし、今の自分には最適な言葉を選べない。

 

「……あの、その……」

 

「“原生林”攻略戦まで時間もないわ。少しでも練度を上げたいの。邪魔はしないで」

 

 スパっとそう言われてしまえば自分には立つ瀬もない。

 

 真那は踵を返し、襲名式が行われると言うドームへと向かっていた。

 

 天井にアーチが描かれた手広い空間で松明が焚かれている。

 

 宮司を思わせる服飾の壮年男性が経文を読み、それから控えているサヤ候補生へと向き直っていた。

 

「気にかかるか?」

 

 声がかかったのはデヴィッドで、真那はその問いに頷く。

 

「……はい。灯里ちゃんも、理恵ちゃんも……これからサヤに、なるんですよね?」

 

「君の襲名式はあの時の緊急性もあって取れなかったが、本来ならば手順を踏むべきだった」

 

 灯里と理恵はそれぞれ、刀を与えられる。

 

 機関の有する実戦兵器としてのサヤに、今まさに成るのだ。

 

 宮司の男が墨で文字を刻む。

 

 そこに記された名前こそ、灯里達が背負っていく業そのものだった。

 

「“焔刃小夜”。そちらは“久留米小夜”を襲名せよ」

 

 灯里に与えられたサヤとしての名前は“焔刃小夜”。

 

 まるで戦う事が宿命づけられた、退路のない名前のように思われた。

 

 理恵は“久留米小夜”を受け止め、恭しく頭を垂れる。

 

「おぅや、お二人さん。襲名式なんて見ているのか?」

 

 ルイスがビールを片手にこちらへと歩み寄ってくる。

 

 デヴィッドは彼から煙草を受け取り、パッケージの底を叩いたところで硬直していた。

 

「……吸ってもいいか?」

 

「あ、はい……」

 

 どことなく不器用ながら、デヴィッドの配慮に真那は救われている気分だった。

 

 ルイスはビールを呷ってから、そう言えば、と口にしていた。

 

「アマミヤは今頃、ワイズマンのお歴々とやり合いだな。“原生林”攻略戦は楽じゃないだろう。少しでも戦力の増強と、そして特殊弾頭の即時承認が求められるな」

 

「アマミヤは分かっている。だからこそ、他のサヤと足並みを合わせようとしているのだろう。……そう言えば、倉橋真那。最近アマミヤと打ち合っているのは本当か?」

 

「あ、はい……。アマミヤさんに一本も取れていませんけれど……」

 

「よくやるねぇ……おれはおっかなくって無理だな。雨宮小夜は数々の地獄も見て来た。そんなのに対して、刀一本で抵抗? ……ヘリの機銃持っていたって降参だな」

 

「ルイス。倉橋真那は自分の流儀を通している。お前が言えるのはそこまでだろう。それに、サヤ候補生を含めて、今回はイレギュラーが多かった。確か、シフ、だったか」

 

 前回の選抜試験で乱入して来た相手を思い返す。

 

 武器の扱いも、そして翼手としての戦い方も一流と言っても差し支えないのだろう。

 

「……あれから分かった事はありましたか?」

 

「さっぱりだな。死体も残らないんじゃ、解析しようもない。それに、もっと奇妙なのはあれだけの戦術展開をしておいて、我々への声明もない事だ。公式に機関を糾弾するチャンスはあったのに、アシッドに降るでもなく、彼らは静観を貫いていると見るべきだろう」

 

「デヴィッド、おれ達がどれだけ頭を突き合わせたって結果は変わらないんだ。シフの事は、それこそワイズマンのお歴々に任せるべきだろうさ。現場判断、分かるだろ?」

 

 ルイスはビールを喉に流し込み、盛大にげっぷを漏らしていた。

 

「……ルイス。飲むなとは言わんが、襲名式の御前で……」

 

「カタいよな、お前も。……と言うか、襲名式だって形だけのものさ。これから先、その名前を背負っていくって言う、覚悟の場だな」

 

「そうは言うがな、俺達が見送ってきたサヤ達は皆、この襲名式を経る前に……」

 

 そう言えばデヴィッド達の本来の職務を自分はまだよくは分かっていない。

 

「……デヴィッドさん達……あ、“音無小夜”の担当だったお二人には、専属のサヤはオトナシだけだったと聞きましたけれど……」

 

 デヴィッドとルイスは顔を見合わせ、まぁなぁ、と嘆息する。

 

「十二年前に、ワイズマンからオトナシを引き取ってからずっと、おれ達はそんなに多く戦闘経験を積んだわけじゃない」

 

「聞いた通りだ。俺達はアマミヤへのカウンターとして育成された“音無小夜”を運用する事に長けたサポート役だと言うのは。だから、他のサヤ達と“デヴィッド”と“ルイス”とは異なる方針で動いてはいる」

 

「それは、その……『ケース38』があったから、でもあるんですよね?」

 

 デヴィッドもルイスも、キザハシの抱えた重石がなければ、他の者達と同じように戦っていたのだろうか。

 

 ――自分と出会う事もなく。

 

 そう感じた真那へとデヴィッドが肩を叩く。

 

「心配するな。俺達はどんな事があっても、倉橋真那、君の味方だ。それだけは信頼してもらいたい。如何にサポート役に徹するしかない身分でも、それだけは絶対の理だ」

 

「そうだぜ? 元々、はぐれ者みたいなおれ達だがよ、“音無小夜”のデヴィッドとルイスをやってきた歴じゃ、他の奴らに負ける気はしないさ」

 

 ビールをラッパ飲みするルイスの言葉に、真那は少しばかり救われた気分であった。

 

 だが、疑念がないわけではない。

 

 もし――自分が“音無小夜”を引き継がなかったら、彼らとは機関の中でも遭遇する事はなかったのかもしれない。

 

 そう考えれば、全てが帰結するのはあの夜、自分へと「血分け」を行った前任者のオトナシの意志だろう。

 

 脈打つ真那の心臓と混然一体となって、今も彼女は生き続けている。

 

 その血に、失望されたくない。裏切りたくないという一心だけで、ここまで来た。

 

「……もし……セクション三の攻略戦が遂行されたら……私に、襲名式をお願いします」

 

「おいおい、今さらだろ。立派にオトナシをやっているんだ。襲名式なんて」

 

「いや……倉橋真那、それは覚悟なんだな?」

 

 デヴィッドにはどうやら伝わったらしい。

 

 自分はまだ「倉橋真那」という名前を手離さずに済んでいる。

 

 それは彼女らにとってみれば、狡い論法だろう。

 

 名前を失わないまま、血濡れの道へと半端者の覚悟で踏み込んでいる。

 

 なら――今度こそ、真那は踏み入るべきなのだ。

 

 自分の意志で、自分の名前を勝ち取るために。

 

 自分は“音無小夜”なのだと、心の奥底から誇れるように。

 

「……分かった。君の意見は尊重しよう。だが、それは“原生林”突破後の話だ。まだ……呼んでもいいだろうか」

 

「デヴィッドさん……?」

 

 デヴィッドの陰りの見えた面持ちに真那は、そうなのだと直感する。

 

 彼は前任の“音無小夜”ほど、自分を信じていない。

 

 信じろと言うのがどだい無理な話だ。

 

 サヤとしての歴も浅く、そして「血分け」でサヤに成っただけの半端者。

 

 きっと、本来の彼女らの痛みの半分も理解していない。

 

 だから、どこかで取りこぼす。

 

 その予感が強いからこそ、デヴィッドはまだ本来の名前で呼んでくれている。

 

 真那自身が己に絶望しないで済むように。

 

 その不器用な優しさは、どこかで鋭く痛む。

 

 信頼してくれ、と言い出せなければ、なおの事。

 

 お互いに信じてくれと虚飾の言葉ばかりで溝を埋めようとするしかない。

 

 そんな――姑息さ。

 

「……私、ちょっと行ってきます」

 

 思わず立ち上がった真那をデヴィッドは止めなかった。

 

 灯里達は既に白巫女姿で帯刀している。

 

 その立ち振る舞いに、恐れも何もない。

 

 彼女らは“SAYA”に感染し、退路を奪われた上でれっきとした機関のサヤに、今まさに成ったのだ。

 

 ――自分とは違う、と浮かびかけた利己心に真那は頭を振る。

 

「……あ、えっと……もう、“焔刃小夜”って、呼んだほうがいいのかな……?」

 

 どことなく困惑していると、彼女らは戸惑いながら応じる。

 

「どう……なんですかね。ボクにも全然、その辺の流儀って分かんなくって……。その、許されるんなら、オトナシさんはボクの事、灯里の名前のままで呼んでもらったほうが。もしもの時に反応出来そうですけれど。……あ、でも他の実戦型のサヤの前じゃ、それもよくないのかも……」

 

「私は“久留米小夜”の名前を使います。古い名前はもう結構」

 

 理恵のほうが随分と達観している。

 

 それもそうか、と真那は感じ取っていた。

 

 キザハシとペアを組んだのだ、彼女なりの覚悟もあるだろう。

 

「じゃあ、クルメさんで……」

 

「……さんは要りません。クルメ、で充分」

 

「も、もうっ……そんな風に先輩に言っちゃ駄目だよ」

 

「……失礼を。オトナシ先輩」

 

「せ、先輩かなぁ……。私だってそんなに長くはないし……」

 

「いえ、先輩です。少なくとも、キザハシ先輩達と同じように戦い、前回は助けられたのですから」

 

 そう言えば夢中で戦ったせいで半分ほどおぼろげだが、自分は彼女らを救ったのだったか。

 

 己の功績と思えず、真那は頬を掻く。

 

「そ、そうかなぁ……? 私はああいう、助け合いって言うのは戦場じゃ当たり前って言うか……」

 

「ほら、やっぱりオトナシさん、優しいじゃないですか。理恵ちゃん……あ、もうクルメちゃんか。クルメちゃんってば酷いんですよ? “オトナシさん達は任務で助けただけだって。自分達の命なんてあの場では価値がなかった”ってずっと言っているんですから。ネガティブですよねぇ」

 

 ぷんすかと怒る灯里に、理恵――クルメは頬を紅潮させる。

 

「……灯里……じゃなかった、ホムラバは口が軽い。病室内で弱気になって言った事です。忘れてください」

 

「そうかなぁ? ……でも、よかった。オトナシさんともう一度、任務で一緒に成れるんですから。“原生林”に関しては、当日まで伏せておくって、作戦支部から命じられていますけれど」

 

「あ、灯里ちゃん達も同じなんだ? 私も必要以上の事はデヴィッドさん達からも教えられていないし……前の時みたいにアマミヤさんから直接教えられるのかな……?」

 

 情報がなければ不安にもなる。

 

 しかし、クルメは冷静であった。

 

「必要外の情報でサヤのコンディションを落としたくないのでしょう。作戦支部の思惑は理解出来ます。……それよりも先輩、キザハシ先輩は……」

 

「えっ、キザハシさん……? うーん、どこに行っちゃったんだろ。さっきまで訓練で一緒だったんだけれど」

 

 クルメは残念そうに言葉のトーンを落とす。

 

「そう……ですか。襲名式、見て欲しかったんですけれど……」

 

「クルメちゃんはこういう時、ちょっと可愛いですよね? いつもはクールぶっているけれど、先輩っ子なんです、彼女」

 

「灯里……じゃない、ホムラバのサヤ……! その物言いは……ちょっとズルい……」

 

「ほら、慌ててるところとかそうでしょう? もっと可愛くなればいいのにね」

 

「……うるさい」

 

 すねた様子のクルメへと真那は微笑ましいものを感じつつ、その手に握られた刀を意識していた。

 

 ――否が応でも、次に話す時には戦場だろう。

 

 その時、命のやり取りが行われる中で、真っ当でいられるだろうか。

 

 自分は、キザハシのお陰で人間性を捨てずに済んだ。

 

 ならば、彼女らは?

 

 最初から、翼手との戦闘を宿命づけられた少女達には、人間性などと言う曖昧なものに帰依する暇はあるのだろうか。

 

 じゃれ合う二人を他所に真那は凍て付くような感情を噛み締めていた。

 

 

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