『――状況は』
ワイズマンの声が響き渡り、雨宮小夜へと言及される。
「事の次第は順調ちゃうん? ま、今のところは、やけれど。これが観測衛星の映像なんやね?」
「そうだ。一時間前だが……」
言い澱んだのは、打ち上げられた観測衛星の映像は粗いながらもセクション三の惨状を映し出すのには十全であったからだろう。
マイケルはアマミヤのサポート役として映像を切り替える。
「おおよその推察通り……。もう普通の人間は居ないか」
最奥で映像を観察するジョエルの言葉にアマミヤは嘲笑する。
「普通? それ、新しい冗談ちゃうん? もう、全員オニゲンなのは確認済みやろうに」
『だが、潜在覚醒者は確認されるだけでも数十人。それだけの数を封殺されれば天秤はアシッドの側に傾く』
『左様。“SAYA”の未覚醒者だとしても我々の戦力として数えられれば心強い。アマミヤ、貴様らは“原生林”に到着次第、未覚醒者の確保に当たって欲しい』
「ええけれど……それが最重要任務やないやろ。今さら分かり切った事を言うもんやないよ」
アマミヤの糾弾にワイズマンのお歴々は黙りこくる。
その沈黙を破ったのはジョエルであった。
「アマミヤ。君に頼みたいのは恐らく、アシッドの連中が“原生林”に充てている戦力の対処だ。それが遅れれば未覚醒者の生存は絶望的になる」
「シュヴァリエ、か……」
『敵がシュヴァリエ相当であるのは容易に想像出来る。だが、他のサヤでは戦歴に乏しい』
『よって、雨宮小夜。貴様が対応せよ。シュヴァリエと会敵した場合、最も勝率が高いのは貴様以外に居ない』
「前回の選抜試験を抜けて来たサヤ達も居ます。彼女らを侮り過ぎでは?」
自分はこの場において発言権がないと理解しながらも、マイケルはアマミヤの肩を持っていた。
すると、全員分の視線が矢のように集まってきて、うろたえて後ずさってしまう。
『……貴様……アシッドの尖兵風情が、ここで口を開く事など……!』
「いや、待っていただきたい。彼も今や機関の一員だ。それにアマミヤのサポート役でもある。口を開くな、と言うのは暴論でしょう」
ジョエルの制止で何とか放逐を免れた形だったが、それでもワイズマンからの追及は痛い。
『……言ってみよ』
「では、つつしんで……。せっかく選抜試験を実施したんです。六組のサヤとデヴィッドにルイス。まさかただ遊ばせておくわけではないでしょう?」
『選抜試験は不確定要素が強かった。彼奴等の行方も追えていない』
「シフ、ですか。そう名乗った一派はあの後、声明もなく……その尻尾でさえも掴ませてくれない。ですが、残ったレコードから彼らもサヤ相当……いや、もっと言えばシュヴァリエに値する敵だと判断します。やはり“原生林”の作戦を一度練り直すべきではないでしょうか? このままでは、サヤ達が――」
『サヤ共が負けると? そう言いたいのか、貴様』
煮えたぎる怨嗟で遮られ、マイケルは思わず言葉を仕舞う。
まさに蛇に睨まれた蛙である自分を、アマミヤは横目でせせら笑う。
「マイケル。あんたさん、命知らずやね。けれどその疑問は当然。愚直に前に行くだけの戦法で、シュヴァリエを叩く事も難しいんなら、シフはもっとやろ。策はあるんやろうね?」
「無論だ。アマミヤ、君には恐らく、戦地に投入されているシュヴァリエの相手を。他のサヤも上級翼手の掃討をしてもらう。キザハシだけじゃない、オトナシも居れば、他にまだ二組以上のサヤ達も。そう簡単にやられるとは思えない」
ジョエルの進言にアマミヤは素っ気なく応じていた。
「そう。……まぁ、ウチが言えるのはここまでやわ。シュヴァリエだとしても誰が来るかが分からんのやし、勝てる勝てへんの論争はテーブルの上でやるもんちゃうやろ?」
アマミヤはどうやらワイズマンの腹の内を探っても仕方がないと判断したらしい。
実際、彼女の言葉で煮え切らない態度のワイズマンのお歴々は撤退する事に決めた様子だ。
『……アマミヤ。その実力、過小評価はしていないとも。だが、やれるのだろうな? 十二年前と同じ醜態、晒す事は許されんぞ』
「それは言うまでもないやろ。第一、今度はウチらが攻める番。いつまでも防戦一方って言うのも性に合わんのよ。――敵を駆逐する、それがサヤの掲げる最も相応しい理念やろ」
「――立派な心掛けだな」
査問会に訪れた声にマイケルは振り返っていた。
「……誰だ……?」
影を落とすのは白髪の男性であった。
厳めしい眼差しが自分とアマミヤを値踏みするように細められる。
数多の戦場を見てきたのがデヴィッドとルイスならば、彼の眼差しは全くの別種。
まるで試験管の結果だけを抜くかのような怜悧な瞳にマイケルは絶句していた。
「これはこれは。まさかワイズマンの長が自ら訪れるとは。今宵は雨でも降るのでしょうかね」
ジョエルの冗談めかした言葉でマイケルはようやく理解を遂げる。
「……ワイズマンの、長……?」
「失礼、名乗っていなかったな。確か、アマミヤ専属の役職だったか。“マイケル”と言うのは。儂の名は“コリンズ”。ワイズマンのコリンズだ」
何の躊躇いもなくコリンズと名乗った男は査問会へと踏み込む。
そしてアマミヤの肩へと恐れも欠片もなく触れていた。
「任務ご苦労。どれだけ殺してきた? 雨宮小夜」
「何を……! アマミヤ……!」
思わずマイケルが飛び込んだのはコリンズとやらを心配しての行動ではない。
アマミヤに対してそのような言動、機関の上であろうが下であろうが許されないはずだ。
その手を払い除けようとして、マイケルの身体が宙に浮いていた。
何が起こったのか反芻する前に、コリンズの枯れた指先が自分の襟元を掴む。
投げ捨てられたのだ、と理解した時、コリンズの絶対的な声が降っていた。
「――侮られたものよ、小童め。まさか貴様だけのサヤだと思っていたのか?」
もがこうとして完全に封殺されている自身を察知する。
まさか、アシッドの戦闘訓練も受けている自分が何の抵抗も出来ずにこの老人にのされているなど悪い夢のようであった。
「コリンズ。あまりマイケルをいじめてやらんでもらえる? こんなでもウチのサポート役なんよ。もしもの時に使えんかったら困るやろ」
「ああ、すまないな。雨宮小夜。君の今のお気に入り、と言うわけか」
コリンズはどこか湿度を持った物言いでアマミヤの肩口から白磁の肌へと触れる。
――あり得ない。最強のサヤだぞ……!
そう胸中に叫んだマイケルは喉を震わせる事も叶わず、コリンズの枯れた指がアマミヤの胸元へと滑り込もうとして、ぺしっと制されたのを目の当たりにしていた。
「コリンズ。他人の目があるんよ」
「ああ、これは失敬。またな、雨宮小夜」
コリンズは査問会の中心部まで足を踏み入れ、それから周囲を見渡す。
「儂の眼が届かない間に、随分と偏狭になり果てたものだな。ジョエル、久しいものだ」
「それはお互い様でしょう。ワイズマンを裏から回す手腕、教えていただきたいものだ」
舌鋒を譲るつもりのない双方はしかし、暫しの睨み合いの後に本題を引き出していた。
「……ワイズマンの長として告げる。ジョエル、貴様には機関本部での展開を。サヤ候補生と選抜試験に落ちたサヤで身を固めろ」
「それはどのような風の吹き回しで?」
「……情報だよ。儂の耳にしか入っておらんが、恐らくは仕掛けてくる。分かっているだろう? 七原文人だ」
その名を聞いた途端、ジョエルの眼差しに険が宿る。
マイケルが所属してから初めての、彼の放った明確な殺気であった。
「……それをどこから」
「言えんな。貴様も言えん事の一つや二つはあろう」
「……ですが、七原文人……楽園の王が動きますかね。彼はようやく目覚めたばかりだと言うのに」
「誰よりも雄弁に分かっておいて、その言い草か。腐ったな、ジョエル」
「それ相応に、でしょう。この椅子に座れば誰でもそうなる」
ジョエルはコリンズの言葉にうろたえた様子もなく、ワイズマン全員へと通達していた。
「査問会はおしまいにしましょうか。これ以上意見を弄していても、ただの時間の無駄だ」
「それはその通りだな。儂はこれより、本部付きとなる。ジョエル、貴様の命を守ってやろうと言うんだ」
「それはありがたい。では、皆様。解散といたしましょう」
パンと手を叩き、査問会の闇の中にワイズマンの者達は溶けていく。
「作戦開始までそう時間もないやろ。ウチはマイケルと最終打ち合わせをさせてもらうわ」
身を翻そうとしたアマミヤへと、コリンズが言い置く。
「雨宮小夜。その男に満足か?」
「……今のところは、やね」
傍をすり抜けていったアマミヤに続いてマイケルも査問会を後にする。
扉が閉ざされてから、ようやく文句を発していた。
「……何だってんだ、あの色ボケ爺さんは……!」
「口は、慎んだほうがええよ、マイケル。コリンズはこのロンギヌス機関における副長官。ジョエルの次に偉い身分やからね」
あの老人がジョエルに次ぐ、機関のナンバーツーだと言うのか。
しかし、マイケルはその事実を飲み込み損ねる。
「……君に酷い事をしようとした……」
「あら? ウチの事、気にかけてくれるん? 嬉しいわぁ」
「……茶化してるんじゃない。本当に、何なんだ、あの人は……」
「あの態度が気に食わんのなら、もっと偉くなる事やね、マイケル。次の戦いで死んだらそのチャンスも巡って来んよ」
「……ワイズマンの、腰が引けた奴らの長だって言うだけなら、オレは……!」
「それだけちゃうんよ。……言っとらんかったね。今のジョエルの前に……ウチの担当の“デヴィッド”が居た。いうなれば、初代デヴィッド。その男こそが、あのコリンズ本人なんよ」
アマミヤの口から放たれた言葉に、マイケルは思わず聞き返す。
「……嘘だろう?」
「嘘なら、もっともらしい嘘をつくもんやろ。ここは本当やって信じられへん?」
「だって君は……雨宮小夜、なんだろ? 機関最強のサヤで――!」
「その最強になる前の時代もある、言う事。……何なん? マイケル、今日は随分と噛み付くやんか」
「それは……! だって、それは……!」
自分の中に最適な言葉を探しあぐねていると、アマミヤは冷徹に告げる。
「……あんたさんの知っとる雨宮小夜なんて所詮、その程度の上澄みなんよ。今のウチの担当やからって、全部分かっとるみたいな口を叩くん、やめたほうがええよ。死にとうないんならね」
アマミヤの背中が離れていく。
その孤独な少女の背中に、呼びかけるきちんとした言葉を投げるべきだったのだろう。
あるいは、何かで繋ぎ止められれば楽だっただろうか。
しかし、自分には。
ただの“マイケル”の身分でしかない己には、気の利いた言葉一つでさえも吐けない。
拳をぎゅっと握り締め、現実を噛み締めるほかない。
「……アマミヤ。三時間後にブリーフィングを行う。その時に、また」
アマミヤが返答せずに片手だけを上げる。
彼女が充分に離れてから、マイケルは掴み損ねた感情そのものを発露するように己の頬を張っていた。