BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第百八話 ”原生林”、攻略戦

 

「揃っとるようやね」

 

 ロンギヌス機関のヘリポートにて、降り立った雨宮小夜の声を受け、真那達は緊張を噛み締める。

 

 アマミヤは平時と変わりなく、自分達を見渡していた。

 

 ヘリポートには前線に赴くサヤやデヴィッド達だけではない。

 

 機関本部の守護を司る者達も顔を出している。

 

 恐らく、ここまでの大規模作戦も初めてならば、彼らが一堂に会する事もこれ以前も以降もないのだろう。

 

 デヴィッドとルイス達は誰しもが重々しい表情で前線部隊を見送っている。

 

 アマミヤが端から名前を呼んでいく。

 

「……焔刃小夜、久留米小夜――」

 

 灯里とクルメがそれぞれ背筋を伸ばして身を固くしていた。

 

 その手には太刀が握り締められている。

 

 彼女らのパーソナルカラーに塗られた、朱火色の刀と紺色の刀だ。

 

「石動小夜、月城小夜――」

 

 イスルギとツキシロはこういった時でもそれぞれのペースを崩さない。

 

 不敵な笑みを浮かべるイスルギと、文庫本片手に眼鏡を直すツキシロだったが、それでも彼女らとて緊張していないはずがない。

 

 アマミヤから視線を外さないのがある種、異常と言えば異常だ。

 

 まるでこれから先の戦線を噛み締めるかのように。

 

「そして、階小夜と――」

 

 キザハシが腰から提げた刀と、そして手持ちの太刀をいっそう強く握り締める。

 

 彼女にしてみれば、全ての因果の清算。

 

 何よりも、ここで生き残らなければ生きていく理由でさえも意味を持たないのだろう。

 

 鋭い眼差しでアマミヤを睨む。

 

 その眼差しは、まるで未来と言う恩讐そのものを貫くかのように。

 

「音無、小夜」

 

 名を呼ばれ真那は背筋を正していた。

 

 携えているのは機関の用意した自分の新たなる牙たる一振りの刀。

 

 デヴィッドはまだ「倉橋真那」でいいと言ってくれている。

 

 だが、ここに佇むのは間違いなく、「音無小夜」だ。

 

 自分自身で覚悟を問い質さなければ、並び立っているサヤ達にも失礼である。

 

 そして何よりも――自分が勝ち抜いてきた者達、自分が殺してきた者達にとっても。

 

 これまで踏み越えて来た骸に礼節を持つのには、自分は血をもって歩み続けるしかない。

 

 戦い続ける事でしか、犠牲を弔えない。

 

 ――千佳、ショーコさん。……みんな。

 

 己の胸の中に一拍だけ、弱さを残す。

 

 それがきっと、自分に出来る精一杯の懺悔。

 

 そして、この夜で終わりにするという約束手形だろう。

 

「以上、六名とそれぞれのデヴィッドとルイス。……そんで、ウチ。雨宮小夜とマイケルの七組。これでセクション三、“原生林”を攻略する。作戦概要はもう頭に入っとるね? 現場までは大型の飛空艇で向かう。総員、戦闘配置……で、ええんかいな、ジョエル」

 

 最後の最後に崩したアマミヤへと同席していたジョエルが鋭い眼差しを投げる。

 

 空模様は生憎の雨だが、黒い傘を差したジョエルは強く命令していた。

 

「ああ。君達サヤの作戦遂行のみを祈る。――雨宮小夜、いいだろうか?」

 

 やはり、ここでも冷酷な長官を演じるのかと思っていただけに、その問いかけは一滴の墨のような違和感となる。

 

「……ええけれど、手短にな」

 

「前線部隊のサヤ。そしてデヴィッドとルイス、全員に通達する。……これまで僕は諸君らに死んででも戦い抜けと命じて来た。死んでこそ本懐だと言ったのも嘘ではない。これまで、アシッドとの戦歴を積んできたんだ、機関の誉れだろう。だからこそ、だ。――総員に命ずる。……生きて帰れ。生きて、その後に勝利をもぎ取って来い。そして、示せ。人類の勝利を」

 

 それはこれまで冷徹で、なおかつ全ての事象を嗤ってきたジョエルとしての面持ちではない。

 

 かつて――『ケース38』という大きな過ちを経てロンギヌス機関全員の命を預かる運命になった一人の青年の覚悟であった。

 

 雨模様が晴れる事はない。

 

 それでも、しとしとと降る雨に負けないように、誰かが拍手を送る。

 

 堰を切ったように、その波が曇天のヘリポートを押し包んでいた。

 

「……すまない」

 

「謝るんは、まだちょっと早いとちゃうん? ……まぁ、ええけれどね。飛空艇に乗れるんはたった七人のサヤだけ。あんたさんが本当に謝罪出来るとするんなら、この阿呆みたいに大きな方舟が帰って来るその時やろ」

 

「アマミヤ。僕は……」

 

「言葉は、少ないほうがええって昔の人は言ったもんやけれど。何やったっけぇ……沈黙は金やとか多弁は銀やとか何とか」

 

 少しだけおどけてみせたのはアマミヤなりの優しさだったのだろうか。

 

 ジョエルはかつて、彼女に仕えて来た。

 

 何の感情もなく送り出せるはずがない。

 

 だから、ここで発するべきは、たった一言。

 

「戦果を期待する。敬礼!」

 

 ジョエルの号令で本部基地に残るサヤとデヴィッド、ルイス全員が敬礼を送る。

 

 それらに見送られる形で真那達は飛空艇に乗り込んでいた。

 

 程なくして、飛空艇が翼を広げ、暗礁の空を引き裂いていく。

 

 揚力を得た方舟が今、セクションの壁を越えて白亜の理想郷を眼下に据える。

 

 まさかこのような形で、セクションと言う名の楔を超えるとは思っていなかった。

 

 舷窓に映るのは遥かに巨大なセクション間の壁。

 

 壁は通常時の戦術ヘリで超えるのには不可能だ。

 

 だからこそ、叡智の塊である飛空艇が意味を持つ。

 

 壁を乗り越え、恐らくは平穏な日々を過ごす人々にとっては異質な存在として灰色の方舟が道を辿っていく。

 

「……本当によかったのでしょうか……。ボクは、だって運がよかっただけで……」

 

「それは言うもんじゃないわね。あんた達だって、実力を買われて先遣隊に選ばれたんだから。少なくともあたしはあんた達を少しは背中を任せるに足るサヤだって思っている」

 

 断言した口調のキザハシはしかし、どこかで落ち着きがない。

 

 彼女も心穏やかと言うわけにはいかないのだろう。

 

 事実、自分も震え始めている指先を悟られないようにするのがやっとだった。

 

「そっちは仲良しこよしやっていればぁ? 私達はそういう初々しいのパスだから」

 

「……本を一冊読み終えられてしまう」

 

 イスルギとツキシロは自分達のツーマンセル以外は信じていないようであった。

 

 事実、彼女らのペアであったサヤ候補生は襲名式にも出なかったところを見るに、何かアマミヤなりの判断はあったのだろう。

 

 前回の選抜試験でのイレギュラーを排したい意味があったのかもしれない。

 

「……シフが、出てくる可能性もあるんですよね……?」

 

 自分の弱音にキザハシは鼻を鳴らす。

 

「今度出てきたら、次こそ始末してやるわよ。……あんな翼手モドキ、なんだって事はないんだから」

 

 強がりでも今は少しだけ緊張を解きほぐす一因となる。

 

 真那はそう言えば、と吐く息が白くなっているのを感じ取っていた。

 

「……息が白い……?」

 

「セクションの管理が行き届いていない高度に達したのよ。空は寒いらしいわ」

 

 そう返すキザハシの息も凍えていた。

 

「寒いです……」

 

「そう? 私は別に」

 

 マフラーを抱いた灯里へとクルメが言いやる。

 

 アマミヤは先刻から姿が見えない。

 

 操舵室に訪れているのだろうか。

 

 それとも、すぐにでも出撃出来るように準備を重ねているのかもしれない。

 

 真那は白く染まった窓を撫でる。

 

「……冷たくなってる……」

 

 気温が完全にコントロールされるエメトピアではついぞ見た事のない現象であった。

 

 指でなぞると窓の霜が剥がれていく。

 

 ふと目線をやると、薄靄の生じた区画が視界に入る。

 

「……何、あれ……。赤い靄……?」

 

 霧のように映る区画で赤い風圧が爆ぜている。

 

 何なのだ、と窺おうとして全体に通達が下りる。

 

『六名のサヤへ。目標が照準に入ったようやねぇ……降下準備』

 

 降下準備の声がかかった事で、僅かながら味わえた空の旅も終わりを告げる。

 

 それぞれのサヤは飛空艇に備え付けられた繭のような機構へと潜り込んでいた。

 

 それは平時の特殊弾頭の五倍近い強度を誇る、今次作戦のために製造された脱出ポッドだ。

 

 作戦開始の声がかかるのはそう遠くない。

 

 真那も刀を抱いたまま、その時を待ち望む。

 

 凍える吐息、冷たくなっていく指先。

 

 それでも、討つと決めた意志だけは雄弁に、燃え盛る太陽のような輝きを誇っている。

 

 脱出ポッドの内側に瞳の色が反射し、殲滅の時を求めて緋色の灯火が宿る。

 

『……総員、出撃。作戦開始』

 

 アマミヤの号令で繭の形状をした脱出ポッドは空に放たれていた。

 

 ヘッドアップディスプレイが滞りなく降下のシークエンスを実行させ、今も目まぐるしく変わる高度を投射する。

 

 やがて、その値がゼロになった瞬間、激震する衝撃波を減殺し着地を果たしていた。

 

 繭が全ての状況をモニターしてから、しゅるしゅると上部から開いていく。

 

 真那は大地を踏み締めていた。

 

 だが、そこは――。

 

「……本当に、白くないなんて……」

 

 これまで経験してきた滅菌されたかのような白亜の理想郷は、眼前にはない。

 

 あるのは曇天と同じ、灰色に染まった薄汚い高層建築だった。

 

 エメトピアでは厳格に建築基準が敷かれており、どの建物にも意味があるはずだったが、真那の眼には意味など見出せない。

 

 工業系のセクションで生まれ育ち、勉学にも励む青春があったと言うのに、眼に映る全ての建物は異形であった。

 

 複雑怪奇に折れ曲がった高層建築。

 

 空を衝く威容の塔。

 

 太陽光を吸う事を永劫に忘れ、朽ち果てたエネルギーパネル。

 

 どれもこれも――これが理想郷の末席を穢すのにはあまりにも。

 

『……まるで地獄ね』

 

 そうぼやいたキザハシは近辺に着地を果たしたらしい。

 

 位置情報ネットワークが装着したインカムよりもたらされ、自分の近い位置に居るのは灯里とクルメ、それにキザハシのようだ。

 

「……こちらオトナシ……。着地成功しました……。ここが、セクション三……」

 

『“原生林”……』

 

 圧倒された様子の灯里の声が通信網に漂う。

 

 自分もまるで違う惑星に降り立ったような感覚に陥っていた。

 

『意識を弱めないように。私は事前説明通りホムラバと合流してバックアップに移ります』

 

 クルメの迷いのない声が駆け抜ける辻風の音と共にもたらされる。

 

 真那はハッとして作戦行動を開始していた。

 

 一時として猶予はない。

 

 作戦目標は、箱庭めいた地下空洞の先にある。

 

 すぐさま刀を携えて地下階段を駆け下りるも、真那は違和感を払拭出来ずにいた。

 

「……誰の気配もない……?」

 

 一般人も居なければ、想定されていた未覚醒のサヤも居ない。

 

 それどころか、翼手の“声”さえもない。

 

 完全なる静謐に押し包まれたセクションはあまりにも不気味であった。

 

 これまでどのようなセクションであっても、サヤとしての関知網を走らせれば反応はあったはずだ。

 

 だと言うのに、この“原生林”には何もない。

 

 まるで、最初から何もないのだと規定されたかのように。

 

 そうなのだと判別された世界が不意に訪れて、真那は陸路を辿る削岩機の音に振り返っていた。

 

「……作戦は開始された……私も作戦目標に……!」

 

 地下道に足音だけが残響していく。

 

 暗がりが広がり、一寸先の光景でさえも克明には描けない。

 

 サヤとしての関知網がなければ、暗黒の中で漂っているようなものだ。

 

 どうやらローファーが踏み締めているのは線路らしい。

 

 しかし、廃線となった線路などセクションに存在するのだろうか。

 

 迷いを浮かべている暇さえも惜しい。

 

 真那はそのまま突き進もうとして――不意打ち気味の一閃を関知していた。

 

 瞬時に太刀を振り翳し、一撃を防ぎ切る。

 

「……敵……」

 

 暗闇の中にぼうっと光が宿っていた。

 

 薄暗がりに灯ったのは蒼白い幽鬼のような肉体を持つ奇形の鬼である。

 

 全身に滾らせた血の蠢動がサヤの関知野で捉えられていた。

 

 四本の腕に、四本足。

 

 肉体は不自然に折れ曲がり、後方に構えた腕は印を結んでいる。

 

「……私は悲しい」

 

 そううそぶき、僧侶の頭部を沈痛に伏せた相手の両腕は血に染まっていた。

 

 僧侶の瞳が真那へと向けられる。

 

「――翼手」

 

 刀を下段に構え、真那は相対していた。

 

 その気配と、ギリギリまで接近を感知させずに待ち構えていた事から鑑みて、恐らくは上級翼手相当。

 

 息を詰め、真那は出撃前にアマミヤから叩き込まれた戦術を脳内に描いていた。

 

 

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