BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第百九話 RED LINE

 

 何度目か分からぬ無様な倒れ方を描き、真那は呼吸も絶え絶えに刀を握り締める。

 

「それじゃ物にならんね」

 

 簡潔に告げたアマミヤに、同じように鍛錬するキザハシも肩を荒立たせている。

 

 アマミヤは正式に支給された刀ではなく、愛刀である番傘に組み込んだ仕込み刀を使っていた。

 

 折れそうなほどに細い刀身でありながら、今まで自分達の数百回の打ち合いに耐えて来た抜き身の刃が妖しく照り輝く。

 

「……アマミヤ、あんた……!」

 

「あんた、なんて言い種。誰が教えたんやろうねぇ」

 

 アマミヤは瞬時に接近し、キザハシの頭部へと太刀を打ち下ろす。

 

 その咄嗟の殺気に彼女は対応し、真紅の瞳に恐れを宿らせて後退する。

 

「……あかんねぇ、どうにも」

 

 今の一閃は分かる。

 

 少しでも気を抜いていれば、キザハシの頭蓋は割られていた。

 

 彼女もそれは勘付いているのだろう。

 

 脂汗が額を伝い落ち、呼吸が乱れている。

 

 アマミヤには隙一つないように映っていた。

 

 だが、キザハシは果敢にも立ち向かう。

 

 雄叫びと共に振るったその太刀筋がぱちんと弾き返され、返答の刃がキザハシの肩口を貫いていた。

 

 絶叫が迸った瞬間、真那は己を作り変えていた。

 

 別段、キザハシを傷つけられた事を許せなかったわけではない。

 

 自分もこうなった可能性は大いにあった――だからこそ。

 

 使える隙は、最大限に使う――!

 

 大上段に振りかぶり、青い加速度に浸って真那はアマミヤの背面を取っていた。

 

 確実に――獲った。

 

 そう確信した切っ先がついでのように白磁の指先で硬直する。

 

「あら、けったいな」

 

 腰から下の感触が失せていく。

 

 直後に感じたのは熱だ。

 

 真那の肉体はそれに伴って寸断されていた。

 

「あ……あ……っ」

 

 声さえも枯れ果てて出ない。

 

 てらてらと床を濡らしていく血糊を、周囲に灯された蝋燭の火が照らしていく。

 

「言ったやろ。キザハシ。あんたさんはウチが血分けにしたにしては、眼も悪ければ耳も悪い。太刀筋だけはちょっとは見られるもんになったけれど、それも三流程度やね。シュヴァリエと遭遇したら、あんたさん、死ぬよ」

 

 アマミヤはこちらを一顧だにしない。

 

 自分など、キザハシに相対する片手間で充分だと判定しているのだ。

 

 ――舐めるな……。

 

 その思いが腹腔から這い上がってくる。

 

 自分の中にこれまで存在しなかった黒い衝動。

 

 相手より、優位に振る舞えれば。

 

 相手より、強く在れれば。

 

 どす黒い感情に名前を付けるよりも先に、アマミヤはキザハシへと再び太刀を振るう。

 

 キザハシは自由になった片腕を外し、もう片方の腕で刃を握り締めて青い加速に入っていた。

 

 アマミヤの一閃を掻い潜り、薙ぎ払いの一撃が食い込む。

 

 だが、彼女は自在だ。

 

 最初から予見されていたかのように、鋭い刀身がそれを阻む。

 

「あかんよ、それじゃあ」

 

 少女の細腕からは想像出来ないほどの膂力で打ち返されたキザハシは飛び退っていた。

 

 だが、その瞳から闘志が失われた様子はない。

 

 むしろ、これまで以上に。

 

 真紅の眼光は衰えを知らない。

 

「……自分で言うんも何やけれど、あんたさんは追い詰められれば追い詰められるほど、強ぉなる。ウチそっくりやね。……まぁ、それもそうか。血分けした大元やし。けれど、まだまだそんなんじゃ、甘いんよ。シュヴァリエは狩れん。むしろ、絶好の獲物になるだけや。ウチは十二年間、アシッドの懐で戦ってきた。そん中には、上級翼手でもシュヴァリエくらいは強いのも居ったんよ。こいつに密告されれば終わる……ああ、いや、ちゃうね。――こいつ程度殺せへんで、シュヴァリエなんかに敵うわけがない」

 

 アマミヤは太刀を担いで軽い調子でカランコロンと下駄を鳴らす。

 

 キザハシは刃を構え直し、その双眸を真っ赤に染め上げていた。

 

 迷いようもない、殺意の形相で。

 

「……で、どうしたんやって聞きたそうやけれど、そりゃあ殺したにきまっとるやん。そうやないと十二年間の任務なんて出来へんよ。けれど、そうやねぇ。どうやって殺し、どうやって生き残ってきたんか。それくらいは教えてもバチは当たらんかもしれん」

 

 キザハシが吼え立て、加速して天井の梁を足場に立体的にアマミヤへと攻め立てる。

 

 刃が交錯するほんの一瞬を、アマミヤも心得ているのか、その瞬間だけ太刀を振るっていた。

 

「それで……上級翼手ってのは厄介なんよ。なにせ、成長があるってのは面倒な部分なんやって事は、二年目くらいに分かったわぁ。シュヴァリエはその成長の伸びしろが完全に終わり切った翼手……確かに強いけれど、経験則で成長する事はほとんどない。まぁ、サンプルが少ないからどうにも言えへんところやけれど、ウチが見た限りではそう。上級翼手はサヤと同じ、成長の余地がある。その一点で言えば、どれだけ精鋭のサヤを揃えても勝てへん可能性が高い。これだけが、アシッドの側にしてみても機関の側にしても想定外の一つやった。ウチはこの上級翼手討伐に際する弊害を……癪なところやけれど、“進化”と名付ける事にした」

 

 アマミヤの太刀筋をギリギリで見切ってキザハシが呼吸をつくほんの一拍。

 

 アマミヤが切り込み、その距離は殺されていた。

 

 刃がキザハシの心臓を射抜こうとして、その切っ先は僅かに逸れている。

 

 咄嗟の習い性か、あるいは本能か。

 

 キザハシは刀で払い、致死の刃を払い除けていた。

 

 それでもぜいぜいと息を切らし、少しの気休めも楽にならない現状を明らかとする。

 

「……それで、ウチは何度か危ない事態にも陥った。上級翼手は完成したシュヴァリエと違って、進化の余地がある。これは機関に居った頃には一ミリも思わんかった事。上級翼手なんて28号と大して変わらんのやと思っとったからね。けれど、奴らは違う。違うんやって事が、懐に入れば入るほど分かった」

 

 アマミヤは切っ先で床を撫でる。

 

 火花が散り、その度にキザハシの中の戦意が揺れる。

 

「上級翼手はシュヴァリエと違って、完成品と言うものがほとんどない。つまるところ、この世界の食物連鎖の頂点に立つ存在でありながら、それぞれの個体ごとのバラつき、そして尖り方がまるで違う。別の生命体やって言ってもいいほどに。上級翼手の中には、それぞれの戦い方に秀でている個体も居った。……けれどね、ウチは生きとる。何でやと思う?」

 

「問答は……あんたらしくもない……!」

 

 呼気を詰めてキザハシの肉体が跳ね上がる。

 

 先ほどまでよりも鋭敏に、それでいて無駄はまるでない。

 

 殺すと決めた、滅すると決めた神経を一点に集約させているかのようだ。

 

 そうと規定した生き物を、真那は知っている。

 

「……ええ事、教えたげるわ。“進化”と言うのは万物の霊長たる人類に福音をもたらした。その一方で、影として、この生物学の歴史において常に陽の当たらない場所で成長した生き物が居る。それを、かつて多数派であった人類は怪物と呼んだ。……笑えんお伽噺やんか。今や、その人類側が怪物と同じ分母になっとるなんて」

 

 血の切っ先がキザハシの背筋を貫く。

 

 その刃が雄弁に、そしてなおかつ確定事項として。

 

 キザハシの命の灯を啄む。

 

 激しくかっ血したキザハシへとアマミヤは容赦なく刃を払う。

 

 キザハシの肉体が床に転がり、血溜まりが押し広がっていく。

 

「問答は終わっとらんよ。まだ寝るんには早いんとちゃう? キザハシ。で、怪物を殺せるんは人間やと思っとったけれど、進化の果実を手に入れたんは怪物のほうやったわけ。翼手人類こそが、進化と言う名の栄光に選ばれた。世の中を回す側の大多数になった」

 

 アマミヤの足音が――死の足音がキザハシへと近づいていく。

 

 真那は身を起そうとして、何度も損なう。

 

 胴体を分断されている。

 

 通常ならば物理的に不可能だろう。

 

 ――そう、通常ならば。

 

 途端、真紅の世界に真那は堕ちていた。

 

 静寂の赤。

 

 どこまでも広がる血の裾野。

 

 真那はまるで遊泳するようにして、漂う刀の柄を握り締める。

 

 次の瞬間、肉体が躍動し、真那の太刀筋はアマミヤの直上から唐竹割りの軌道を描いていた。

 

 着地と同時に薙ぎ払いの一閃を叩き込む。

 

 しかし、アマミヤはこれまでの凡百な敵のように討たれてくれない。

 

「……けれど、人間にはまだ残っとった。正確にはオニゲンやけれど、一度生物の頂点に上り詰めた人類には、その栄光の美酒を味わう資格があった。それはウチらの肉体に絶えず流れとる。血の呪縛、血の力、真紅の異能……どうとでも呼べるけれど、一つだけ。――ウチらは上級翼手の進化のスピードに追い付ける。相手が人類の百歩言うんなら、ウチらはその百倍の速度で追いつけばええ。相手が一万歩なら、ウチらはその千倍の速度で追い抜かせばええ。それだけの話。現に、ウチはそれで生き残れた。十二年もの間、誰一人として勘付いた存在は生かしておかんかった。……あんたさんらはそれを自在に使えるようになりぃ。サヤの衝動だけで振るうのには、その刃は重いんよ」

 

 弾き返されたのを関知して、真那は身をひねってその衝撃波をかわす。

 

 飛び退る愚を犯す前に、最低限度の立ち振る舞いで相手へと再びの必殺の太刀を。

 

 片足で床を蹴り上げ、その反動を用いての螺旋を描く剣閃――当然、討つのには少し粗い。

 

 アマミヤは軽い動作で引き剥がし、下段から刃を振るい上げる。

 

 頭蓋へと至る前に真那は額で爆ぜた火花を感覚しつつ、天井へと舞い上がっていた。

 

 木材で造り上げられた即席の足場を蹴り上げ、真那は重力を味方につけて刃を叩き落す。

 

 アマミヤの動作には同じだけの力を感じない。

 

 肉体の芯だけで返答している。

 

 即ち、他の無駄な力を一切加えていないのだ。

 

「データは見たんよ。オトナシ。あんたさん、何回かサヤの衝動に負けそうになっとるね? “隔離病棟”の時、イザヨイの時、他にも何回か。……正直なところで言えば、抱えとる因子で言えばトップクラスなんやけれどねぇ……。何せ、ウチのカウンターとして作られたオトナシを引き継いどるんやもん。それ相応やないと困るところやけれどね。せやけれど、迂闊やわぁ。純然たる殺意だけで動いたんじゃ、どこかで足をすくわれてまう。覚えておき。ウチらは翼手と殺し合いなんてせんのよ」

 

「だったら、何を……!」

 

 刃の交わし合いの中でようやく言葉が出てくる。

 

 アマミヤは太刀筋を紙一重でかわしながら、そのおかっぱ頭を揺らす。

 

 返答の下駄から小刀が現出し、真那の足の腱を貫いていた。

 

 思わず姿勢を崩した真那へと直下から襲い掛かったのは膝蹴りであった。

 

 その動作に身をよじって回避し、真那は肘打ちを叩き込む。

 

 攻撃には同じだけの攻勢を。

 

 応戦には同じだけの反撃を。

 

 そう規定した真紅の意識がアマミヤの刃を先ほどまでよりも鋭敏に感じ取り、振るわれる剣閃を予見する。

 

 ここに来てようやく鍔迫り合いに持ち込み、真正面からアマミヤの相貌を睨む。

 

 至近距離まで迫れば息を呑むような、日本人形のように精緻な面持ちだ。

 

「……言わな分からへんのかねぇ。ウチらは狩人。やるのは一方的な殺しだけ。戦いなんて楽しんどるサヤなんて一人だって居らんのよ。翼手相手に戦闘行為になった時点で下策。……けれど、そういう説法を説くんもあんたさんらには足りへんのかな?」

 

「……言わせておけば……!」

 

 怨嗟に奥歯を噛み締め、薙ぎ払う一閃を放つ。

 

 真那はそれをアマミヤが避けるのを先読みして、親指を切りつけていた。

 

 血を吸った太刀が赤い残火を帯びる。

 

「emeth」の断罪の文字が浮かび、純然たる閃光となって朱色に舞い上がっていた。

 

「アマミヤ……!」

 

 戦闘神経に染まった思考回路で叫ぶと、アマミヤは身を躍らせ、血の剣筋を軽い歩調でかわしてから応じる。

 

「何なん? 戦闘中に敵を呼ぶもんやないよ」

 

 アマミヤともつれ合い、再び息がかかるほどの距離にまで迫ったかと思えば、互いに背後を取らせないように太刀を振るい、弾かれ合う。

 

「私は……私は……!」

 

「血の衝動は確かに強い。けれど、それは諸刃の剣。自分を切り売りして戦っとるんと何も変わらん」

 

 そう説明するアマミヤの呼吸は一拍の乱れもない。

 

 これまで戦闘だと思い込んでいたのは自分達だけだったのかと思い返されるほどに。

 

「……私は……」

 

「あんたさんは“音無小夜”、それを忘れんかったらええ。間違いなく言えるんは、自分を忘れん事や。我を忘れれば、一瞬でサヤの持つ衝動に飲まれる。そうなってからやと、もう暴走した存在として処理するしかなくなるさかい、気ぃ付けなはれ。血を求めて喰らい尽くす、翼手と何も変わらへん。そういう存在とウチらを分けるんは、ほんの些細な差でしかない。――ウチらは狩人、翼手は獲物。それを忘れん事やね」

 

 刃を振るう以上、そこには純然たる駆け引きのみが存在する。

 

 即ち、狩る側と狩られる側。

 

 殺す側と、殺される側。

 

 生と死。

 

 シンプルな答えに定着していくだけだ。

 

 自分達の存在意義も、サヤとして戦い抜くだけの覚悟も、真の戦闘の前では無意味。

 

 そもそも、それほど高尚なものでもないのだろう。

 

 真那は刃を再び構え直す。

 

 呼吸を整え、己を研ぎ澄ましていた。

 

 それを目にして、アマミヤの口調に喜悦が混じる。

 

「……やれるやないの。その感じ。忘れるんやないよ? その感触を。何と言っても、あんたさんらはウチと同じ、サヤなんやから。プライド、義理、矜持、色んな言い方があるけれど、そんなもんはほんまの戦いでは塵芥みたいなもんやわ。心の奥底で、獣とウチらを分けるんは、ただ一つ――」

 

 

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