BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第百十話 名に恥じぬように

 

 遭遇すれば、出来るだけ逃げに徹しろとは言われていたが、灯里はクルメへと視線を投げていた。

 

「……やれるよね?」

 

 眼差しで問いかけると、クルメが対面の柱に身を潜ませて首肯する。

 

 灯里が視線を飛ばすと、地下空間で蠢動する存在を意識へと拡大させる。

 

 敵の射程外――血の関知野から逃れた場所から相手を索敵出来るのが自分の強みだ。

 

 ――血の魔眼!

 

 片目へと宿った真紅の感覚を奔らせ、一気に脳内で距離を詰める。

 

 暗礁に染まった世界でも、灯里の意識の中では平常時と同じように視える。

 

 血の魔眼で捉えたのは、肥大化した腹部を晒す標準的な28号翼手に映ったが、その黒々とした肉体から十字を描く触覚が伸びている。

 

「クルメちゃん……多分あれ、ただの28号じゃない、よね……?」

 

「28号にしては一匹だけで単独行動……怪しい。キザハシ先輩達の言っていた上級翼手だと思う……」

 

 お互いに“声”で幾重もの反射を用いて相手の関知網にかからないようにして応答する。

 

 灯里は刀へと指先を添わせていた。

 

 ――自分は今次作戦においての単純戦力において、恐らく最も弱い。

 

 それは“原生林”攻略戦において訓練を重ねて来た上で、何度も思い知った事だ。

 

 如何に選抜試験を超えたとは言え、それはオトナシの咄嗟の機転によって生き延びたに過ぎない。

 

 シフと呼ばれる人間型の翼手とまともにやり合えば、自分は死んでいたのは疑いようもないだろう。

 

 だが、相手は28号翼手に近い、原始的な姿をしている。

 

 話にだけ聞いていたシュヴァリエともまるで形状は違う。

 

 自分でも攻め落とせるか――そう感じて刃に血を吸わせた瞬間、魔眼越しに捉えていた上級翼手の触覚が大きく屹立する。

 

「見ツケタ……!」

 

 濁った声が発せられ、灯里は咄嗟に血の魔眼を仕舞い込むが、その時には既に遅い。

 

 上級翼手の片腕が翳されたかと思うと、クルメのほうへと向けて硬質化した触腕が伸びる。

 

「クルメちゃん! 逃げて……!」

 

 まさかクルメも自分に危機がもたらされるとは思っていなかったのだろう。

 

 瞬時に回避運動を取りつつ、抜刀して上級翼手の腕へと太刀を見舞うが、それはあまりにも浅い。

 

 上級翼手が吼え立て、クルメの肉体を突き飛ばす。

 

 土埃に塗れた地下通路をクルメの肉体が滑っていく。

 

「クルメちゃん……!」

 

「く……っ! ホムラバ! 迂闊……!」

 

 名を呼ばれて灯里は鯉口を切って真正面に翳す。

 

 伸びた腕は自在に自分を嬲っていたが、先んじてクルメが狙われたお陰で少しは落ち着きを取り戻せていた。

 

 殲滅の血を宿らせた太刀で斬絶しようとしたのを、上級翼手が眼前の地面を抉ってその衝撃波で吹き飛ばす。

 

「知ッタ、通リダ……。狩人ハ、毒ノ血ヲ使ウ」

 

 恐らく、今の交錯でこちらの手は割れた。

 

 だが、疑問点はある。

 

 何故、今の一瞬、上級翼手は自分ではなくクルメのほうを先に攻撃したのか。

 

 血の魔眼を逆探知したのならば、襲われるのは自分が先のはずだ。

 

 それとも――十字の触覚が関知しているのは違うのだろうか。

 

 伸長した片腕を元に戻し、上級翼手は短い脚で這いずる。

 

「俺ハ足ガ遅イカラ……待ッテ居レバ、来ル、ハズト……」

 

 たどたどしい言葉の使い方に、灯里は敵の知能自体は高くないのだと判定する。

 

 それでも相手は間違いなく上級翼手――驚異判定は高めに見積もってもいいはずだ。

 

「……ホムラバ……。私が前に、出る……。血の魔眼で相手の隙を突いて攻撃を」

 

「で、でも……クルメちゃん……! ボク達、まだサヤの加速歩法は……!」

 

 しっ、とクルメが制する。

 

 訓練を重ねても、未だに加速術は二人とも習得出来ていない。

 

 意識を束ねて集中しても、一回使えればまだマシな精度だ。

 

 しかし、クルメは正眼に太刀を構える。

 

 上級翼手の攻撃手段が手を伸ばす簡易的なものしかないのならば、懐に潜り込めば一撃のはず。

 

 だが、自分達は瞬時に翼手の懐に飛び込んで一閃――などと言う軽やかな戦術を物にしていない。

 

 ――オトナシさんやキザハシさんなら……簡単に倒せる敵なのに……!

 

 自分達の前に立つ以上、倒して進むしかない。

 

 援護も期待出来ない上に、そのような半端者の覚悟では攻略戦に参加した事自体が間違いだろう。

 

 上級翼手の赤く濁った瞳が据えられる。

 

「……討つ……!」

 

 クルメが地を蹴り、上級翼手へと距離を詰める。

 

 人間の常識の範囲ならば瞠目するような動きだが、サヤの扱う移動手段としてみればあまりにも遅い。

 

 上級翼手は片腕を伸ばしたが、それが罠なのは見え透いている。

 

 遠距離で観察した自分には看破出来ていたが、接近戦に持ち込んだクルメには難しいのだろう。

 

 咄嗟に足を止めようとして、下策だと判ずる。

 

「クルメちゃん……! 足を止めたら……!」

 

「モラッタ」

 

 直後、クルメの肉体を絡め取ったのは真紅の糸であった。

 

 血で編まれた糸が真上から放たれ、クルメの動きを封殺する。

 

「……これは……! 斬れ……ない!」

 

 地上の上級翼手だけではなかった。

 

 その段になって灯里は思い知る。

 

 直上に上半身だけの翼手が肉体を這わせていた。

 

 その口腔部より放出されたのは、恐らく固有能力である菌糸であった。

 

 血の菌糸はクルメの刃をまるで通さない。それどころか、糸に包まれたクルメは瞬く間に衰弱していった。

 

「俺達ハ二体、デ一体。トラエタ獲物ハ、逃ゲラレナイ……!」

 

「クルメちゃん……!」

 

「ホムラバ……!」

 

 手を伸ばすもどうやら血の菌糸にはサヤの力を弱体化させる性質があるらしい。

 

 クルメだけでは逃れる事も敵わないだろう。

 

 ――まだ、自分だけなら逃げられるか?

 

 そんな最悪の思考回路が脳裏を掠める。

 

 灯里は一瞬でもクルメを捨てて逃げ帰ると言う選択肢を浮かべてしまった己へと、歯噛みしていた。

 

 ――何とかしたい、でも……怖い……。

 

 怖い。

 

 戦う事も、殺される事も。

 

 ――でも、今は何よりも。

 

 クルメが苦しんでいる。

 

 菌糸より放たれた瘴気が有害ガスを生じさせ、クルメを仕留めようとする。

 

 この瞬間に、戦えるサヤは自分ただ一人。

 

 ならば――選ぶべきは後退ではなく。

 

「……だって、オトナシさんやキザハシさんは、あんなにも怖いシフ相手に、戦ってみせた。だから、お願い……ボクの中のサヤの力……勇気をちょうだい……っ!」

 

 一歩踏み出す。

 

 それを上級翼手がせせら笑う。

 

「逃ゲナイノカ?」

 

 きっと、相手からしてみてもここで逃げると思われるほどに、酷い顔をしているに違いない。

 

 それでも――自分は意味をもらった。名前をもらった。

 

「……ボクは――その名に恥じたくない……!」

 

 刃に血を吸わせ、腰だめに構える。

 

 そして、よく観察していた。

 

 そう、自分に出来るのは、自分が先んじているとすればこの「眼」だけだ。

 

 血の魔眼――サヤとしての固有能力。

 

 これを最大限まで活かし切れ。

 

 死ぬのならば全ての策を弄した上で死ね。

 

 血の魔眼を構築し、灯里は直上の翼手を仔細に観察する。

 

 糸球を吐き出した翼手の姿は簡素なものだ。

 

 頭頂部には十字のアンテナじみた触手を有し、一つ目がこちらを睥睨する。

 

 その状態から導き出される答えは――。

 

「……大丈夫。自分を、信じるんだ……!」

 

 踏み出し、一足飛びに刃を振り上げたのは眼前の上級翼手だ。

 

 相手が腕を伸長させ、地面を這って薙ぎ払わせる。

 

 灯里は反撃出来ずに吹き飛ばされていた。

 

「弱イナ!」

 

 上がる哄笑に、灯里は血の魔眼で相手を見据える。

 

 額が切れたのか、朱に染まった半分の視界でぜいぜいと息を切らす。

 

「……そう、かもしれない。ボクは、弱い。でもだからこそ、敵の観察だけは。血の魔眼……!」

 

 その手には刃はない。

 

 相手がそれに勘付いたその時には、直上の翼手へと太刀が突き刺さっていた。

 

「マサカ……!」

 

「最初の一撃。クルメちゃんを狙ったのは、ボクの姿がちょうど死角になっていたから。地上で展開する上級翼手の側にしてみれば、そちらにしか敵が居るように見えなかった。……そう、その立派な触覚は感覚を共有しているとすれば。この暗がり、そしてボクらは“声”で交信していた。……お前は眼も見えなければ、耳もほとんど聞こえない、それをサポートするための、もう一体の翼手」

 

 天井に張り付いていた翼手が結晶化していく。

 

 血の菌糸が解かれ、クルメが自由になる。

 

 上級翼手は腕を振るい上げていた。

 

 だが、その狙いはてんで別の方向を貫いていく。

 

 着地と同時に、クルメが駆け出す。

 

 その刃に殲滅の血を滾らせ、刺突が上級翼手の心臓を射抜いていた。

 

「……私達の……」

 

「勝ち、だよ……!」

 

 上級翼手が結晶化する。

 

 クルメは呼吸を整えてから、自分へと歩み寄る。

 

「血の魔眼で全部見えていたの……?」

 

「ううん。半分くらいはハッタリ……でも、上手くいってよかった……」

 

 クルメが手を翳し、癒しの血で自分を治療する。

 

「……無茶をする。私達はまだ弱いのに」

 

「うん……でも、いずれは……! オトナシさんやキザハシさんみたいに、強くなれる……そう信じちゃ、駄目かな……?」

 

「……それも無茶、だけれど」

 

 クルメは回復を終えてから、刀を鞘に納める。

 

「よくやったと思う。焔刃小夜、行こう。先輩達に追いつくために」

 

 手を差し出され、灯里はおっかなびっくりにそれを取る。

 

「……うん。ボク達は、まだ強くなれるはず……。オトナシさんとキザハシさん達も、きっと戦っているはずだから……!」

 

 よろめきながら立ち上がった灯里は、果てなく続く闇の回廊の向こう側を見据えていた。

 

「……それと、一個だけ。それだと私達、死ぬみたいだから、訂正」

 

 頬を紅潮させて付け加えたクルメに、思わず灯里は吹き出してしまう。

 

「……笑わないで」

 

「ご、ごめん……。でも、そうだね。……ボクらはまだ、倒れるわけにはいかない」

 

 

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