BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第百十二話 真紅の閃光

 

 

 僧侶の上級翼手は経文を唱えながら、間断のない攻撃を見舞う。

 

「おお……許されよ……許されよ……」

 

 真那は太刀筋で受け止めながら、敵の思惑を探る。

 

 何度目かの交錯の後に、真那は踏み込んでいた。

 

 一拍の静寂の後に、上級翼手の肩口が裂ける。

 

「おお……おお、ぉ……」

 

 四本腕で引き裂かれようとしていた肉体を押し留め、結晶化しかけた血潮を無理やり噴き出させて逃れる。

 

「……簡単じゃない、か」

 

「おぉ……! おぉぉ……! 許されよぉ……っ!」

 

 敵の脚部には頭部を喰われた少女らの遺骸が転がっていた。

 

「……一つ、聞かせて。ここに張っている意味は?」

 

 すると、上級翼手は肉体の内奥からいくつもの眼球を出現させる。

 

 眼球同士が蠢動して傷口を塞いでいた。

 

「おぉ……っ。僧正はただ、許されるべき時を待ち望む。肉を喰った――許されぬ。色欲に走った――許されぬ。同族殺しに快楽を覚えた――どれも許されぬ。だから、許されるためにサヤを狩れと言われたのだ。教えられたのだぁ……ああ……っ」

 

「それは誰に」

 

「質問は……おぉ……一つと言ったはず」

 

「そうだった。でも、あなたはその子達を喰った。それは許されるためなの?」

 

「サヤの肉はまずい。まずいがゆえに、許しに近づく。毒物がゆえに、許しへの第一歩となる。僧正はただ、許されたいだけ。醜く成り下がった、この肉体も。そして……僧正らの、罪科をぉぉ……っ!」

 

 頭蓋が分裂し、もう一対の腕が出現する。

 

 三面六臂と化した上級翼手は、自分を濁った赤い眼差しで見つめる。

 

 陶酔し切った瞳。

 

 この戦いに、狩りに意味を見出している。

 

「……殺し合いなんてしない、か」

 

「おぉ……おぉぉお……っ! サヤの肉はあまりにもまずい! だから、許されるべきなのだぁ……っ!」

 

 上級翼手が瞬時に距離を詰めて、その腕を振るう。

 

 拘束のために打ち下ろされた腕の数々を、真那は掻い潜って背面に回っていた。

 

 だが、側面の二つの相貌がこちらを捉える。

 

 六本腕のうち、四本が背後の真那を捕まえようとする。

 

 真那の胸中は静まり返っていた。

 

 静謐と真紅に染まった世界で、刃を払い、敵の腕を断ち割る。

 

「おぉ……っ! おぉぉ……?」

 

「あなたの罪に興味はない。でも、あなたは殺し、犯し、喰らった。だったら――殺される覚悟くらいは持っているはず」

 

 眼前で刃を構え直す。

 

 親指を切りつけ、血を吸わせた刃に「emeth」の証が宿る。

 

 血の宿業を帯びた太刀筋で重戦車のように大地を踏みしだく敵の追撃を逃れる。

 

「どこへぇ……っ!」

 

「――ここだ」

 

 直上から赤の残光を纏わせて太刀を振り抜く。

 

 敵は咄嗟の防御陣として腕を翳す。

 

 再生能力は特筆するほどの素早さだ。

 

 先ほど断ち割った腕が修繕され、今しがた血を込めた刃を振るったと言うのに半自動的に肉体から毒の血が噴き出す。

 

 恐らくは、簡単な自動防御。

 

 サヤの血が結晶化と言う確実な死をもたらす前に、それを排除するように調整されている。

 

 ならば、腕を斬る程度では駄目だ。

 

 討つのならば、より雄弁に。

 

 その心臓を狙い澄ますようにして。

 

 刺突の姿勢を取った真那へと、上級翼手が吼え立てる。

 

 音響兵器としての“声”の利用。

 

 衝撃波だけで真那の肉体がぼろ雑巾のように吹き飛ばされる。

 

 上級翼手は四本足で悪路を物ともせずに猪突していた。

 

「許されよぉ……っ!」

 

 僧侶の顔面の前で小型の腕が印を組み、南無阿弥陀仏を唱える。

 

 上級翼手の口腔部から眼球がはち切れんばかりに露出し、狂気の声を響かせる。

 

 ――敵の数は、しかしながら一に過ぎない。

 

 真那は赤い世界で、己の呼吸を確かめる。

 

 歩くよりも、脈動は静かに。

 

 急く事も、逸る事もなく。

 

 毛細血管の一辺に至るまで、呪縛の血を流し込む。

 

 サヤの血の衝動は、精神の一滴へと干渉する。

 

 研ぎ澄まされた殺意として顕現し、自分の肉体を最適化していた。

 

 上級翼手より放たれる、無数の刃じみた触腕の鋭さ。

 

 敵の思考回路を読み取れば、さほど回避するのは難しくはない。

 

 何よりも、“声”が告げる。

 

 内奥より響く、サヤとしての“声”。血の導きそのもの。

 

 それが真那にとって、心地いい調べとなって敵の猛攻を防ぎ切っていた。

 

「なんと……!」

 

 相手がうろたえたほんの一拍の隙。

 

 それは逃しようのない好機として、真那の視野に映る。

 

 掻い潜った敵意の触腕を抜け、大上段に真紅の太刀を振るい上げる。

 

 そのまま、雄叫びを発して頭蓋を狙っていた。

 

 三本の腕を束ねて上級翼手は防御したが、その時には相手の腕が爆ぜている。

 

「……腕が、爆発した……?」

 

「サヤの血の使い方を、お前達は知らない」

 

 放ったのは血の斬撃である。

 

 振るうと同時に斬撃を飛ばし、重ねた刃で敵の表皮を打ち破った。

 

 片腕を丸ごと落とされた上級翼手がよろめいたのを真那は見過ごさない。

 

 頭蓋を叩き割ろうとして、頭部が肉体を流れていた。

 

「おお……ぅ! 僧正は死なぬ! 僧正らは不滅ぅ……! 僧正らの罪の清算は終わっておらぬぅ……っ!」

 

 三つに分散した上級翼手の頭部が狂気の経典を読み上げる。

 

 四方八方から聞こえてくる耳障りな“声”そのものに、真那は真紅の瞳を冷たく投げていた。

 

「いや、終わっている」

 

「何を言っ……」

 

 今の交錯で斬撃の一部は既に頭部一つ分は砕いている。

 

 残った二つの頭部が折り重なり、怨嗟の声を響かせていた。

 

「おぉ……っ! 許されぬ! 許されぬぅ……! サヤを喰らい続ける事こそが、天国への近道ぃ……っ!」

 

 肉体の変異が最大に至っているのか、上級翼手は巨大なムカデのような形態へと変貌していた。

 

 真那の背丈の三倍ほどもあるムカデの上級翼手は地下空洞いっぱいにその肉体を膨れ上がらせ、触腕を走らせる。

 

 天より降りてくる触腕の雨嵐は、一撃を受けるだけでも大打撃となるであろう。

 

 真那は軽くステップを踏んで後退しようとしたが、この地下空洞を占める敵の肉塊より逃れる術はない。

 

「許されよぉ……っ! 許されよぉぉぉぉ……っ!」

 

 印を結び、ガラクタの経文を読み上げる上級翼手はここで討たなければ禍根となるであろう。

 

 真那は刃を構え直し、再び血の残火を灯らせる。

 

 ムカデの上級翼手が空間を突き抜け、真那へと突撃する。

 

 眼前に迫った僧侶の面持ちは既にぐずぐずに崩れ、享楽を貪る鬼の様相があった。

 

 地下道を衝撃波が激震する。

 

 真那は刀で受けながら、足場を探していた。

 

 舞い上がる砂礫、粉砕される鋼鉄のレール。

 

 突き飛ばされる振りをして、真那は中空に躍り上がった残骸を蹴っていた。

 

 一転しての攻勢。

 

 刺突の構えを取り、真那の切っ先が上級翼手の肉塊へと突き刺さる。

 

 猛毒の血が敵を結晶化しようとしたが、血が回り切る前に相手は肉体の一部を削ぎ落す。

 

「許されよぉ……おぉ……っ! サヤぁぁぁぁ……っ!」

 

 着地し、うねったムカデの躯体を睨む。

 

 真紅の瞳が収縮し、討つべき部位を狙っていた。

 

 触腕が降り注ぐのを舞い遊ぶ銀の閃光で断ち割り、薙ぎ払った無数の剣術で斬り捨てていく。

 

 ムカデの上級翼手には既に意志がないように思われていた。

 

 ここを通さぬと言う命令も忘れ、己の衝動のままに狂い、破壊を繰り返すだけの道化。

 

 無数の腕がしゅるしゅると結び、編まれて一対の巨大な掌と化す。

 

「南無三……!」

 

 僧侶が印を結ぶのと、真那を圧殺する掌が叩き込まれたのは同時。

 

 しばしの沈黙が流れる。

 

 敵も殺したと感じ取ったのか、漂う砂礫と砂埃が晴れる。

 

 瞬間、閃光の剣術が舞い、敵の両の掌を分散させる。

 

 肉の欠片が転がり落ち、血潮と共に上級翼手の叫びが迸る。

 

「おぉぉぉ……っ! 許され……許されぇ……っ! 最早、許されるに……非ず!」

 

「最初から許されようなんて思っちゃいない」

 

 上級翼手の懐へと飛び込む。

 

「愚かな! そこは我が射程也!」

 

 ムカデの躯体から無数の腕が生じる。

 

 確かに、このまま突き抜けようとすればそれそのものが刃の性能を誇る削岩機に抱かれるようなものだ。

 

 ――だが、真那の心に恐れはない。

 

 それどころか、純然たる殺意を前にして、これまで以上に胸中は静まり返っている。

 

 サヤの衝動が、心理を矯正せんとする。

 

 ――殺すのならば、もっと雄弁に。

 

 ――討つのならば、より殺意に身を任せ。

 

 ――己の最大の力で、喰い散らかせ。

 

「黙れ」

 

 命じる本能の太刀を、真那は理性で飼い慣らす。

 

 腰だめに構え、血の剣閃をまずは一撃。

 

 有象無象の触腕が弾け飛ぶ。

 

 そうして、さらに踏み込んで打ち下ろし。

 

 怠惰の象徴である肉塊が吹き飛び、臓腑が覗く。

 

 赤く染まった視界の中で、十字を描く剣術。

 

 放たれた一撃の重さで、脂ぎった臓物が砕け散り、その奥にある脈打つ心臓が真那の視野に入る。

 

 最後に残ったのは、大した挙動ではない。

 

 心臓めがけて、一文字の振り払い。

 

 断ち割られた心臓に、上級翼手が気づいたのは、全てが終わってからだ。

 

 背面へと突き抜けた真那に、上級翼手が身をよじる。

 

「許され……よ……おぉ……っ」

 

 両断された躯体が崩れ、まるで雪崩のように肉塊が斬り落とされていく。

 

「赦しは乞わない」

 

 血を払い、真那は沈黙した敵へと目線を振り向けていた。

 

 結晶化した敵は肉体の連結した僧侶となって折り重なっている。

 

「ゆる、され……」

 

 まだ動こうとする相手へと、真那は掌を斬り、その血を垂らす。

 

 血が付着した部分から硬直し、僧侶の面持ちが安らかになっていく。

 

「ああ……ああぁ……許され、し……」

 

「もう、楽になればいい」

 

 事切れた敵へと真那はそれだけを言い残して、合流地点を目指す。

 

 随分と時間を浪費してしまった。

 

 それでも、ヘッドアップディスプレイには概算時間が刻まれている。

 

 刀を鞘に納め、真那はようやく崩落しかけていた地下道を抜けていた。

 

 合流地点が近づくにつれて、他のサヤとのネットワークが復旧しているようであった。

 

『こちら、クルメ。ホムラバと共に合流地点に現着』

 

 クルメと灯里は既に到着しているらしい。

 

『こちら、ツキシロ。イスルギと行動中。地下道を抜けて、三分後に』

 

 ツキシロ達は少しだけ遅れが生じているようだが、それでもほとんど誤差はプラマイゼロだ。

 

 真那は合流地点で先んじて佇んでいる人影を視野に入れる。

 

「キザハシさん……! って、あれ……?」

 

 キザハシは定刻通りに合流していたが、彼女が引き連れているのは知らない少女であった。

 

 煤まみれの制服に袖を通し、今もガタガタと震えている。

 

「オトナシ……早かったわね」

 

「時間通りですよ。……その子は?」

 

「ちょっと……厄介な事になってしまってね。説明するわ。……血の臭いから考えて、他のサヤも合流するのはさほど遅くないでしょう。あんた達、全員上級翼手と行き会ったのに、上手く倒してきたのね」

 

「それは……はい。何とか最善を尽くせましたけれど……」

 

 少女の瞳は赤く染まっている。

 

 それだけで、恐らくは想定されていた未覚醒サヤのキャリアーである事は予測出来ていた。

 

「オトナシさん!」

 

 灯里がこちらへと、クルメと共に駆けてくる。

 

 ほとんど誤差もなく、別方向からイスルギとツキシロも合流を果たしていた。

 

「……キザハシ。その子はどういう事なの?」

 

 イスルギの糾弾の眼差しにキザハシは改まって答える。

 

「……説明の時間が必要よね。このセクション三、“原生林”で何が起こったのかを」

 

 

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