BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第百十五話 憤怒の血脈

 

 捕捉した相手を逃がすアマミヤではない、と言うのが現場のサヤの判断であった。

 

「あたし達は飛空艇に仕掛けている敵を何とか押し止める。……この子は、可能なら生かしたまま本部に連れ帰りたい」

 

「それには同感ね。私達への援護は早く見積もっても一時間以上は後。その間に情勢が移り変わっては話にならない。アマミヤが敵の頭を押さえるって言うんなら、こっちでやる事は決まっている」

 

 真那はその言葉尻を引き継いでいた。

 

「……飛空艇に攻撃する敵を撃破する」

 

「守りながらの戦いはやりづらいけれど、あんたも未覚醒サヤなら何か固有能力の一つは持っているんじゃないの?」

 

 首肯したキザハシは袖を摘まんだままの少女へと問いかける。

 

 少女はただ黙って頭を振るばかりだ。

 

「……ったく、これだから。ホムラバ、クルメ。あんた達はバックアップを頼むわ。あたしとオトナシで切り込む。イスルギとツキシロはその場の判断で援護してちょうだい」

 

「……ちょっと、仕切らないでもらえる?」

 

 不満そうなイスルギへとキザハシは大して意見を戦わせる風でもない。

 

「じゃあ、あんたがもっといいプランを出してよね。それならあたしは喜んで賛同するわ」

 

 その反論にイスルギは舌打ちして視線を逸らす。

 

「……そういうところ……いいわよ、別に。勝手にすれば」

 

 相変わらず空気は最悪だが、真那は一手でも敵に肉薄出来れば、と口を開く。

 

「……敵の驚異判定次第で、変わりますよね? 難易度は……」

 

「それは出たとこ勝負。飛空艇が落とされてからじゃ遅い。行くわよ」

 

 幸いにしてアマミヤの位置共有により、攻撃してきていると言う相手の位置情報は把握出来ている。

 

 向かおうとして不意打ち気味の声を聞いていた。

 

「――その必要はない」

 

 全員が、その声の主に振り向けないでいた。

 

 下手に振り向けばその瞬間に首を刎ねられる感覚に、身体が硬直する。

 

「……私を追って来るのだろう。つい先刻、飛空艇から砲弾が発射された。それは貴様らの使う特殊弾頭に近いものだろう。どういった了見かは知らないが、私を無視して向かうと言う事は状況が動いた、と言う事だ」

 

 ――三秒後に、あたしとオトナシで斬り付け、いいわね?

 

 キザハシが“声”と目線だけで自分達へと促す。

 

 了承するような時間もない。

 

 三秒――瞬時に肉体を戦闘状態に切り替えた真那とキザハシは鯉口を切っていた。

 

 途端、大写しになった光景に絶句する。

 

 赤い霧が眼前で巻き上がり、自分達の飛ばした血の刃を相殺していた。

 

 否、霧ではない。

 

「……これ、全部……未覚醒サヤの、死体……?」

 

 ようやく声を発せられたのはイスルギで、畏怖した彼女は僅かに後ずさる。

 

 骸の旋風を纏い、声の主は踏み出してくる。

 

 その黒服には一滴の血も付着していない。

 

 浅黒い肌を持ち、厳めしい面持ちは嫌悪にも似た感情を湛えている。

 

「このセクションの未覚醒サヤは皆殺しにしたはずだが、喰らい残しが居たか」

 

 その威圧感だけで少女が立てなくなっていた。

 

 自分達もそうだ。

 

 目の前の強者相手に、一呼吸として余分を挟めない。

 

 それほどまでに、相手の纏う殺意は異質だ。

 

 その手が雄弁にタクトを振るうかのように掲げられると、死骸の竜巻は消え失せていた。

 

 残ったのはその尊厳を極限まで削ぎ落された死体の山だ。

 

 少女らの血の臭気が真那の感覚器を阻害する。

 

「……サヤが来るとは想定されていた。だが、たったの六人か? “原生林”攻略に、舐められたものだな」

 

「……あんたみたいなのを倒すのに、六人だって多いくらいよ」

 

 強がりを言えたのは震え始めた指先を隠すためだろう。

 

 キザハシはあくまでも、強気な眼差しで返答する。

 

「……そうか。最強の誉れ高い、雨宮小夜はどうした? まだ遭遇した事がないので楽しみではあったのだが」

 

「アマミヤが出るまでもない……! オトナシ!」

 

「……はい!」

 

 応じて直後には赤い旋風を脊髄から生じさせている。

 

 導かれるままに、真紅の世界へと身を投じ、真那は空間を駆け抜けていた。

 

 キザハシとの同時挟撃。

 

 互いに刃には既に滅殺の血を宿らせ、一閃は通常の翼手ならば確実にその命を啄む。

 

 ――それが通常の翼手であるのならば。

 

「遅いな」

 

 キザハシの切っ先が指先で掴み取られる。

 

 それと同期して、反対側から仕掛けた自分の太刀筋をまるで最初から読まれていたかのように軽いステップでかわされていた。

 

 勢い余った真那が血濡れの大地へと転がる。

 

 キザハシは、と言うと刃を引き寄せられ相手の仄暗い瞳に見据えられていた。

 

「……こんなものか、機関のサヤは」

 

「キザハシさん……!」

 

 立て直そうとした真那へと、キザハシが声を張る。

 

「来るな! ……これは、既にあたしの距離!」

 

 血を纏わせた太刀筋を飛ばし、黒服へと一閃を見舞うが服飾には塵一つ纏い付いていない。

 

「……なるほどな。この二名が切り込み役。他の四人はバックアップか、あるいは補助としての意味合いがある、か」

 

 めいめいに構え直したこちらの陣形に、相手は出し抜けに口にしていた。

 

「名乗りが遅れた。私の名はジェイムズ。エメトピア中央庁が四神官、カルナ様に仕えるシュヴァリエである」

 

 シュヴァリエ、と言う名称だけで全身に畏怖が宿る。

 

 灯里やクルメは震え始めるのを抑えられないようであった。

 

 それも当然、シュヴァリエとの遭遇戦を予期していたとは言え、目の前にすればこうも違う。

 

「名乗る、と言う事は、戦う意志はあるのよね?」

 

 キザハシが何とか気丈に振る舞ってくれているお陰でギリギリ保たれている均衡に、ジェイムズはこちらを値踏みするように視線を向けていた。

 

「戦う、意志? 妙な事を聞く。シュヴァリエとサヤ、相見えれば、殺し合いになるのは必定。そこに戦いなどと言う高尚な価値が宿ると思っているのか? ああ、それとも。誤解があるようだ。私は、セクション三の掃除を任されていてね。未覚醒サヤの掃討と、そしてその中に使えそうな者が居れば確保も命じられていたが……どれもこれも、三流以下の戦闘能力だ。本能だけで私に立ち向かってくる」

 

「だから……殺したって言うの……!」

 

「そうだ。それ以外にない。私はエメトピア中央庁に忠義を誓った身。主の命は絶対である」

 

 しかし、とジェイムズはここまで落ち着き払って状況を説明していた淡々とした口調から、僅かに逸れた論調を放つ。

 

「……まさか、これほど早く遭遇するとはな。私とて、予測出来なかったわけではないが。……そちらのサヤは今、オトナシ、と言ったか? “音無小夜”とでも」

 

 真那にしてみれば、どうしてジェイムズが自分の名を知っているのかがまるで分からない。

 

 しかし、その眼差しに宿った憎悪の色に思わず後ずさる。

 

「……私は……確かに音無小夜……だけれど……あなたと会った事もない」

 

「会った事? ……そうか、血の臭いで分からないか。それとも、とぼけているのか? 貴様はやってはならない事をやった。貴様は――十六夜小夜を殺したな?」

 

 まるで想定外であった。

 

 ここで自分が糾弾される事も。

 

 ましてや、イザヨイの名前が出てくることなど。

 

「……待ちなさい。あんたは何を考えているの? イザヨイは、今回の戦いには無縁でしょうに」

 

「無縁? 無縁と言ったのか、サヤ……! 貴様ら、誰もが、彼女の事を無縁だと……! ……私は忘れた事はない……! 音無小夜、よくも十六夜小夜を――“ママ”を殺したなァ――ッ!」

 

 途端、膨れ上がったのは熱波だ。

 

 ジェイムズが生じさせた灼熱の息吹がこの場に居る全員の足を止めさせる。

 

 キザハシは咄嗟に習い性の感覚で飛び退ったが、真那は間に合わなかった。

 

 ジェイムズの両腕が真っ赤に膨張して燃え盛る。

 

 その腕が瞬時に懐へと迫り、真那は防御の姿勢を取る前に薙ぎ払われていた。

 

 ビルの壁面へと吹き飛ばされ、背骨へと激痛が走る。

 

 今の一撃で臓器のいくつかが機能不全を起こしたのか、かっ血していた。

 

 ジェイムズはそのまま青い加速術に身を浸し、追撃の鉄拳を振り翳す。

 

 血の感覚を研ぎ澄ませて瞬時の再生能力で補うも、それでもその場から縫い留められたように動けないでいた。

 

 翳して受ける形で膨大な熱量を誇る腕を防御するが、長くは持たない。

 

 凄まじい膂力で振り払われ、真那は雑貨屋へと叩きつけられる。

 

 ガラスが舞い、粉塵と衝撃波で何度も咳き込んでいた。

 

「……音無小夜……貴様だけは、生かして帰さん……!」

 

 憤怒だ。

 

 身を焼くほどの憤怒が、ジェイムズの戦闘神経を満たしている。

 

 イザヨイとの関係性はまだ分からないが、真那は逃れられない戦いなのだと確信する。

 

 このシュヴァリエと戦闘して、そして生き延びられるか――否、狩人としての戦いを繰り広げられるのか。

 

 最早、狩られる側にあるのは自分ではないのか、という疑念が鎌首をもたげる。

 

 ジェイムズが片腕を振り上げた、その刹那。

 

 背後から大上段に刃を構えたキザハシが仕掛けていた。

 

 ジェイムズはそれを振り返りもせずに灼熱の腕で受け止める。

 

「……背後を取るか」

 

「悪く思わないでよね……! それに、仕掛けたのはそっちでしょうに……!」

 

「それもその通りか。サヤはここで全滅させる」

 

「どうかしら……ねッ!」

 

 弾き返し、キザハシは構え直す。

 

 それを嚆矢としてイスルギとツキシロも援護に入っていた。

 

 僅かに速度を遅延させての、挟み撃ち。

 

 どちらかに対応すれば、どちらかの刃は受ける事になる。

 

 ツキシロの太刀筋は変幻自在に間合いを誤認させていた。

 

 ジェイムズはそれを指先で受けるも、イスルギが懐に入り、掌を切って血を撒き散らす。

 

 確か、イスルギの固有能力は猛毒の血潮だ。

 

 受ければそれだけで上級翼手レベルでも膝を折るはず。

 

 だが、ジェイムズは一歩も動かずに目線を振り向ける。

 

「その程度か」

 

 片手でツキシロの太刀筋を振りほどき、もう片方の手でイスルギの前髪を引っ掴む。

 

 そのまま拳が燃え盛り、イスルギの顔面を焼いていた。

 

 悲鳴が迸る中でキザハシが血の刃でジェイムズを退かせようとするも、相手は即座に青い加速歩法で掻い潜り、キザハシの眼前へと現れていた。

 

 横っ飛びするのと、キザハシの足元にあった少女の骸が不意に爆ぜたのは同時。

 

 思わぬ攻撃に、彼女は回避出来た事を噛み締めるよりも狼狽する。

 

「……爆発させた……?」

 

「貴様らを殲滅するのには過ぎた力だが、音無小夜……貴様だけはこの世に、生きた証すら残さん。よって、それを援護する貴様らも、塵一つ残すものか」

 

 足元の死体を掴み上げたかと思うと、ジェイムズの手の中で死体が赤熱化していく。

 

 それを放り投げると、中空で爆発四散し、焼けた血と臓物がばら撒かれていた。

 

 大地へと噴出した血がさらに触媒となって燃え盛り、炎熱が戦場を占める。

 

「……シュヴァリエの固有能力……他者を爆発させる……って言うの」

 

「教えるまでもない。だが、知らずして死んで行くのには残酷であろう。私が持つのは対象の赤熱化能力。そして十六夜小夜は、私に血分けした、生みの親だ」

 

 血分け――その言葉にキザハシと真那はまさか、と震撼する。

 

 ジェイムズは炎を纏いながら、一歩、また一歩と踏み込んでくる。

 

 その歩みに全霊の怒りを滾らせて。

 

「十六夜小夜は平和を理解していた。アシッドに与し、その意義を、誰よりもよく理解した、平和を愛する聖母であった。それを……貴様は残忍に殺したな? 音無小夜。貴様だけは生かしておけん。“ママ”を殺した報いを受けるがいい」

 

 その手が伸びかけてキザハシが割り込む。

 

「……イザヨイの本当の望みが……そんな事であって堪るもんですか! オトナシ! 起きなさい! ここで眠っているような時間は、ないでしょう!」

 

 刃を払い除けたジェイムズが、ふむと一拍置く。

 

「愚かな。十六夜小夜の高尚な在り方が理解出来ないとは。だが、サヤは皆殺しだ。未覚醒だろうと、弱かろうと関係がない。本来の目的では音無小夜だけを始末するつもりだったが、貴様らが立ちはだかるのならば仕方ない。――殺すか」

 

 ジェイムズの振るう炎の腕が燃え盛り、キザハシの太刀筋と激しく打ち合う。

 

 火花が散り、キザハシが血の刃を至近距離で振るい落とすも、相手にはまるで届いていないようであった。

 

「冗談……ッ! 死ぬのはあんた達よ! 翼手人類……!」

 

「正しく理想郷を回す側の人類だ、間違えるな、サヤ風情が」

 

 炎を纏った腕はそれだけで自分達が洗練させた血の太刀筋を上回る。

 

 真那は肉体の修復を待たずに、刀を立てて身を起こす。

 

 臓腑が粉砕し、血の循環でさえも真っ当ではない。

 

 しかし、今は立たねば。

 

 立ち上がり、折れそうな気概に火を通せ。

 

 刃には正しく粛清の血を纏いつかせよ。

 

 親指を切って殲滅の灯火を宿らせ、真那はキザハシと共にジェイムズへと応戦する。

 

「……すいません……。私もやれます……戦えます……ッ!」

 

「言うまでもないでしょう。あんただけ一抜けなんて許さないんだからね」

 

 キザハシの勝気な言葉を引き受け、血の刃を両側から挟み撃ちで飛ばす。

 

 ジェイムズは両腕で受け止めたものの、迸った炎が僅かに弱まる。

 

「……これがサヤの血か」

 

「そう……そしてあたし達はまだ、本領発揮すらしてない。――潰れなさい」

 

 地面へと指先を這わせたキザハシは直後、その身の丈の十倍はあろう大質量を叩き起こしていた。

 

 ――階小夜の血の力。生物無生物を問わず、隷属させる。

 

 ジェイムズは迫った瓦礫へとその拳をめり込ませる。

 

「このような小手先で通じると思ったか」

 

 内側から赤熱化し、瓦礫が散り散りに爆砕する。

 

 だが、それは狙い通りだ。

 

 ――行きなさい、オトナシ!

 

 キザハシの“声”を受け、真那は肉体を疾走させる。

 

 瞬時の回り込みと、そして躍動した疾駆を青い加速度に浸す。

 

 刃を下段に構え、真那はジェイムズの背後を完全に取っていた。

 

 ――獲った、と言う確証めいた予感。

 

 その感慨を噛み締めた直後、纏いつかせた呪詛の血の刃はジェイムズを両断せんとする。

 

 肉を断ち、翼手の命を完全に啄んだかに思われた一閃はしかし――何でもない、肉体に阻まれる。

 

 服を断つ事さえ出来ず、真那の刃は硬直していた。

 

 その事実を認証するのに、レイコンマ一秒。

 

「その程度か」

 

 放たれた言葉の意味を解するのに、さらに一秒。

 

 真那はジェイムズの放った裏拳に吹き飛ばされていた。

 

 身体がぼろ雑巾のように叩き飛ばされ、地面を滑って転がっていく。

 

 血の味が滲んだ口中と、鼻筋が切れたのを感じ取って顔面へと指先を添わせようとした、その瞬間。

 

 唐突に湧いた灼熱が真那の頭蓋を爆ぜさせていた。

 

 血潮と共に脳しょうが舞い散る。

 

 曇天の空が視界に大写しになり、真那の視野は半分の景色が砕け散っていた。

 

 赤く沈んでいく視界と意識。

 

 そして、暗礁に落ちていく身体感覚。

 

 妙に熱い相貌の痛みの残滓を感じながら、真那は突っ伏していた。

 

 身を起こせない――それを命ずるだけの脳細胞が既に喪失されている。

 

 刃を握れない――それを実行するだけの身体感覚が失せている。

 

 それよりも、何よりも。

 

 戦うだけの気概が完全に折れてしまっていた。

 

「言っていなかったな。私の能力は赤熱化だけではない」

 

 ぐずぐずに融けた視界と、ぐわんぐわんと残響する聴覚で、真那は辛うじて相手の声を受け取る。

 

 ジェイムズに放ったはずの斬撃は、黒く硬質化した装甲が受け止めていた。

 

「私はシュヴァリエでも随一の堅牢な表皮を持つ。恐らくこれを断つ事は、どのような兵器を持っていたとしても不可能だろう」

 

 赤熱化と硬質化――まるで相反するような能力を肉体に同居させているジェイムズはまさに無敵の存在。

 

「よくも……よくもォ……ッ!」

 

 キザハシの咆哮が遠く、長く視聴覚を震わせるが、彼女へとジェイムズは足元の石を拾い上げて投擲する。

 

 咄嗟にキザハシは弾いたが、その瞬間、ただの石が赤熱化して爆発を引き起こす。

 

「貴様らは私に近づけない。永劫、だ。やろうと思えばこのセクション全域を焼く事だって出来る。それをしないのは、私の領分はあくまでも、未覚醒サヤの鎮圧だったのだが……ここまで来たんだ。貴様らを壊滅させるのもアシッドのため。翻れば……“ママ”の望んだ事。一人とて逃さん」

 

 真那は刀を意識しようとする。

 

 だが、倒れ伏した視界と欠落した脳髄では「握る」と言う動作でさえも思い出せない。

 

 少しずつ、己の中に介在する血が薄れていくのを感じる。

 

 サヤの宿業が流れる血と共に溶け失せていく。

 

 キザハシは果敢にも立ち向かっているようだが、ジェイムズの応戦には成す術もないようであった。

 

 他のサヤは言うまでもない。

 

 援護にすら移れず、彼女らは駆逐されるだろう。

 

 誰も、自分以外を守るような余裕はない。

 

 それも致し方なし。

 

 シュヴァリエを前にして、そして自分がこうして命を終えていく中で誰が命知らずで立ち向かえようか。

 

 手立てなどない。

 

 ここで自分達は潰えていく。

 

 消失点の一滴になっていく思考回路は靄がかかって、その中にいくつかの場面がフラッシュバックする。

 

 優しい日常。

 

 もう手に入れられない、何も知らなかった頃の思い出。

 

 殺してきた人々の相貌が浮かんでは消えていく。

 

 真那は意識の手を手繰り寄せて、最後の最後に自分を出迎えるであろう人の横顔を探そうとした。

 

 千佳と共に、楽園を享受していた過去。

 

 アイスの味だけが明瞭で、他の感覚はぼやけていく。

 

 何を話したのか、どんな事を思って生きていたのかも、何もかもが蒸発する。

 

 血が止め処なく流れ出る。

 

 まるで記憶の堰が決壊したように、血潮で自分と言う存在が曖昧になっていく。

 

 最後に泣いてもいいのだろうか――不意に浮かんだその問いかけに我ながら女々しい限りだと断ずる。

 

 でも、最後なら。

 

 もう、終わりなら泣いたところで。

 

 涙一粒、誰が許さないと言うのだろう。

 

 真那は最後の最後に、後悔だけを残して死に行こうとして、内奥に声を聞いていた。

 

 誰かの声ではない。

 

 思い出の中に、その人は居ない。

 

 だと言うのに、雄弁に。

 

 だと言うのに、どこよりも深く。

 

 心臓の奥の奥、血の生ずるところから。

 

 意識の生まれ出るところから。

 

 脈動の発する場所から。

 

 己の最大の望みだけを放つ部分から。

 

 望む。

 

 叫ぶ。

 

 喚く。

 

 戦慄く。

 

 吼える。

 

 足掻く。

 

 そして――魂の音色がさんざめく。

 

 生きろでも、死にたくない、でもない。

 

 血の一滴が意味を持つのならば、それはきっと死に行く運命の――。

 

 その時、不意打ち気味に世界は開けていた。

 

 真那は刀を握ったまま、黄金の稲穂の中で佇んでいる。

 

 空は青く、見知った景色ではないはずなのに、視線を投じれば、それは永劫の海原が広がっていた。

 

 最後に思い残しがあるとすれば、それはあの日のときめき。

 

 海を、見られなかったと言う事。

 

「……ああ。見たかったなぁ……海」

 

 自分の心が魅せられた原風景。

 

 ときめきだけで、生きていいのだと教えられた、最後の楽園。

 

 だが、どうしてなのだろう。

 

 その海辺に。

 

 白銀の砂浜に。

 

 太陽の光を受けて、きらきらと輝く波打ち際で麦わら帽子を被っている少女を、自分は知らないはずなのに。

 

 だが、「知って」いる。

 

 魂の奥底が告げている。

 

 それが、「何者」なのかは分からなくとも、次の瞬間に紡がれる言葉の意味は。

 

 まさしくそれは、世界との契約。

 

 幻の海原を背にして、少女は目深に被った帽子の下で、笑みを刻む。

 

 それから、彼女は言うのだ。

 

 残酷な調べのように。

 

 あるいは、自分の運命を促すかのように。

 

 たった一言。

 

 しなやかな白磁の手を伸ばして。

 

「――サヤ、戦って」

 

 

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